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第一章 出会い編

10、私は信じます

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 思い返してみれば、今までの人生で誰かから真っ直ぐな好意など向けられたことなどありませんでした。第一王子は勿論として、両親からさえも、道具に向ける愛着のようなもの以上の感情は向けられませんでした。
 家の後を継げる男ではなく、家の格を上げる道具としての価値しかない女がフォーマットハーフ家の長子として生まれた時に、私の人生は決定的に破綻したのです。家族の感情と共に、静かに確かに、終わったのです。それに関して、私に思うところはありません。仕方のないことですわ。

 この国の貴族として生まれ、貴族として育ってきた両親に、まともな人間性など期待するだけ無駄だというのは幼い頃に理解しました。自分の頭で考えることをやめ、周囲の流れに身を任せる者に、私はなることができなかった。全てを諦めることが、私にはできなかったのです。
 人からの好意など、期待するだけ無駄なのです。人からの愛情など、期待するだけ無為なのです。私は人形。壊れたら捨てて新しいものを用意すればいい、そんな使い捨ての人形。誰が愛情など向けるというのでしょう。それでも、きっと、十歳の私は、その美しいものに対して、希望を捨てきれなかったのです。

「…………お話を、お受けしますわ」
「え? 受けるって……」
「貴方が私を助けてくれたなら、その時、私は貴方に人生を捧げましょう。まともな家事など出来ませんし、耳心地の良い言葉も紡げませんが、それでも良いならば、貴方のその澄んだ眼に、結婚を誓いましょう」

 情けないですわね。死を待つだけだと人生を割りきっていた私が、たった一つの言葉にその生き方を左右されてしまいました。甘い言葉に惑わされ、遥か昔に諦めたはずの幸福を望んでしまいました。どうせいつか裏切られると考えていながら、目の前の男を信じたいと泣いている私が、どこかにいるのです。
 死にたくないと叫ぶ私が、愛してほしいと叫ぶ私が、幸せになりたいと叫ぶ私が、必死で外面を取り繕っている私の内側を叩いているのです。こんな何もない空間にはいたくない、広い世界を見たいと懇願する私が、人形となり果てた私を壊そうとしています。

「……何で急に? さっきまであんなに疑ってたじゃんか。いや、受けてくれるのは俺としては嬉しいんだけど」
「貴方の言葉に絆されたのですわ。現状から抜け出そうなんて考えたこともなかった私の狭い世界を、貴方が壊したのです。こんな死んだも同然な女でいいのならば、こんな身体は貴方に差し上げますわ」
「言葉に引っ掛かる部分を感じるんだけど。なんか俺が弱みを握って無理矢理言うこと聞かせてるみたいに聞こえるんだけど?」

 単純な女ですわね。どうせそのうち裏切られると思っている自分を、信じたいと思っている自分が押さえつけています。今までの話が全部嘘だと思おうとしている自分が、私の口を強引に閉じようとしてきます。愚か者ですわね、私は。
 この人にならば裏切られても良いと思っている私が、確実にどこかにいるのを感じます。まあ、人生において誰も信じたことがないので、誰かに裏切られたという経験など一回もないのですが。

「ですが、一つ疑問がありますわ。たとえ私の処刑を回避したとしても、そのとき私は第一王子と結婚するのではありませんか?」
「処刑は回避するけど、結婚は破棄させる。あの愚か者相手なら、そんなに難しい話じゃない」
「具体的な策は?」
「平民に対しての嫌がらせ行為をしないでほしい。城の奴らに言われたとしてもだ。おそらく、それでも嫌がらせは起こる。平民が王子とベタベタしてるわけだからな。でもって、あの愚か者は、アンナ嬢の仕業だと判断するだろう」
「そこで、私が無罪だという証拠を提出する、と。確かに、『ポケット』の存在さえ伏せておけば、他者が行った嫌がらせの立証は限りなく難しくなるはずですものね」

 証拠があったとしても、あの王子が自らの非を認めるかどうかは非常に怪しいところですが、少なくとも大衆を味方に付けることは容易ですわね。あの王子に人徳など欠片もありませんから。隣国の第二王子に庇われている私を批難するのも、そこまで簡単な話ではないでしょう。
 結局、その辺りの段取りは未来を知っているシユウ様に一任するしかないのですが、不安は拭いきれませんわね。そういった不安を押し殺して任せるのが、信頼、というものなのでしょうか。分かりませんわね。そういった分野に関しては私の感性は生まれたての幼児以下ですわ。

「証拠を集めるのはそこまで難しいことじゃない。俺はこれから起こることのほとんどを知ってるからな。くくく。情報は何よりも雄弁な武装だ」
「……そういえば、貴方は何故未来を知っているのですか? ロデウロに能力を持つ者がいるといったところでしょうが……」
「え? あー、うん、まあそこはいいんじゃないかな? 重要なのは結果だし……」
「信頼が薄れましたわ」
「いつか! いつか教えるから! 今は勘弁して!」

 そのいつかは、果たしていつなのか。七年後か、あるいはもっと先の未来か。少しだけ、頬が緩んでしまいました。
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