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第四章 ビル屋上の綱渡りでゲヘナ寸前
四章二話 マルチョパルポーレと毒蜘蛛タラン
しおりを挟む暗闇が夜空をトンネルのように丸く縮めていく。パコは目を閉じ、墜ちるに任せた。
神様、もう終わりなんですね……僕は……僕の十九年の人生は……
空気の抵抗は濃密で、柔らかな羽毛布団に沈むような感覚がずっと続く。暖かなバスタブに浸かっているようでもあった。呼吸は出来ている。
「パコ、駄目よ。掴まりなさい。この闇の底に墜ちては駄目」
赤毛のボブが腕を伸ばす。パコの目に、緑色の翼を広げた有翼蜥蜴のマルチョパルポーレが映る。マルチョパルポーレは素早く回り込み、パコの身体を掴まえた。マルチョパルポーレにとってはパコは枯れ木と同じだ。軽々と引き上げる。
「母さん……」
「底なし沼なのよ……墜ちたら戻れない」
マルチョパルポーレはパコの赤い頭をペロペロと舐め回し、革のジャケットに鼻を擦り付けて赤毛のボブを慌てさせた。マルチョパルポーレには毒性があって、シチューにするときに灰汁をきちんと取らなければ中毒死に至る。マルチョパルポーレは赤毛のボブなどお構い無しに、パコを腹の下に敷いた。
「パコ、あんたをマルチョの子供だと思っているみたいね。マルチョパルポーレ、もういいよ、ありがとう。私の子を助けてくれたから、私はあんたを食べないよ」
マルチョパルポーレは、きええ……と一鳴きして消えた。
パコは四つん這いになり辺りを見回す。エレベーター前。壁も廊下も元通りだ。
「私はあんたを裁かないよ」
赤毛のボブはパコの頭を痩せた胸に抱いた。
ああ……母さん……あなたが僕の神様……僕をこの世に生み出してくれた……僕の作り主……
「パコッ、そんな女にしがみつくんじゃないっ。そいつは売春婦よっ。お前の親などではないっ」
聞きなれた声、ママンだ、ああぁぁ、ママン……育ての親……でも、たとえ売春婦でも、この人は生みの親、墜ちるばかりの僕を
助けてくれた、僕の神様は売春婦に成り果てても子供を育てようとしたこの人……だ、僕の為に苦渋を舐め、アーチャの為に辛酸を舐めたこの人だ、ママンじゃない
振り向くと、黒々としたタランティールド・ヘナ・ノアルを引き連れ、両肩にも乗せた豪華なドレスの美しいメディウサが、赤眼を剥き出しプラチナのカーリーを逆立てている。ドレスに散る黒い花は、毒蜘蛛タランティールド・ヘナ・ノアルだ。
「違あぁぁう。間違えるんじゃなぁぁぁい。パコの親はパコを育てた私だぁぁ。私しかいなぁぁい。私を選ぶのよねぇぇぇ、売春婦よりもぉぉ」
「何だとぉぉ。そういう奥様こそ人殺しじゃないか。悪魔っ。私の頭を酒瓶で殴り殺すような野蛮人。ヒトゴロシっ」
赤毛のボブがパコの頭を抱いて言い返す。マルチョパルポーレの青黒い緑色の皮が生き物のように締め付け、パコは赤毛のボブの痩せた胸に項垂れた。背後のエレベーターが消える。
メディウサの黒く長い爪の手がパコの片腕を掴む。メディウサの引き寄せる力はレッカー車並みだが、生みの親は強力ボンドの赤毛のボブ、パコを離さない。廊下の壁が消えた。暗闇の上空に薄暗い雲が垂れ込めている。
「お前がパコにネクタイをやったのね。あのネクタイは亡き夫の記念品よっ」
パコは二人に引っ張られて左右に揺さぶられた。何かが足を這いずり上がって、パコは悲鳴を上げた。
「あぁあ、あの糞ったれレバノンダ侯爵の記念品ねぇ。馬鹿か、あんた。何の記念だよ。私を犯した記念かよ」
肉厚タランティールド・ヘナ・ノアルがパコの身体を這い上がっている。パコは足踏みして身体を捻り毒蜘蛛を振り払うのだが、いくら激しく振り払っても、次から次からタランティールド・ヘナ・ノアルは湧いて、鍋に入っていた分量を既に超えている。
「あんなドンファンはどうでもいいのよ。問題はネクタイよっ。お前っ、嘘をつくんじゃないよぉ。このネクタイは限定品よっ。下層階級のお前ごときに買える訳ないじゃないのっ」
廊下が狭まった。毒蜘蛛はわさわさと増殖して互いを乗り越えながらいくつかは落下していくも、気に止める様子はなくパコを目指す。
「わははは、いつまでもあんな獣の女房面していればぁ。お似合いだよ、うわべだけ綺麗にした野蛮人同士でさ、上品ぶって」
パコの目に眼下の街明かりが映り込む。毒蜘蛛はパコの身体を這い上がる。
「タランがっ、タランがっ……」
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