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第二章 カリギュラ暗殺

(40)ジグヴァンゼラ錯乱

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ジグヴァンゼラの領地で起きた出来事は、年月を経て百年後にはどういうわけか異世界フランスから来た旅人によって領主が殺害された伝説に変わった。


その旅人は領主に犯された新婚夫婦の家に泊まり、悪魔崇拝の残忍な領主を殺害して領地の民を救ったという。


実際には、領主の招待客が極悪フランス人ルネを殺害したのだが、真実が明かされるのはもう少し後の時代になる。


その領地は時代の変遷によって様々に形を変えたが、広大なアントローサ州の中でザカリアンローゼの咲く土地は、現代でも、ザカリー郡、或いはザカリー地方と呼ばれている。


話はヘシャス・ジャンヌの結婚で終わった訳ではない。


『神を第一に愛し、隣人を自分のことのように愛する』

それより大きな掟はないとキリストは言った。


ルネ討伐の後、領主としてやらなければならない仕事にやっと目を向けて、ジグヴァンゼラは執務室の机にかじりつくようになったが、暫くして病に倒れた。


華々しい王都でのヨハネセン第二王子御成婚の祝典に参列して、十日間の祝賀会の間ずっと気を張っていたからか、長い旅路の無理が祟ったか、帰郷してから寝込むようになった。


伽の相手には十分な金子をやって放逐し、ジグヴァンゼラはすっきりと独りになった。


帳簿の類いは主にリトワールが担当し、ジグヴァンゼラは説明を受けてサインをする。


ジグヴァンゼラが最も頭を悩ませたのは、裁判所から廻ってくる領民間の争いだった。


町には裁判所を設け、国法を学んだ裁判官を任命しているのだが、最高裁判官は領主のジグヴァンゼラ本人だ。自領地でのみのことだが、領主には、立法・司法・行政の三権を担う重責がある。 


ジグヴァンゼラの判断が前例となり、裁判所はその前例に従って裁定を下す。領主は領地の生きた法律だった。


ジグヴァンゼラもその事を自覚して暫くは気張っていたが、次第に領地を見回ることも疎かになってぼんやりと宙を見て過ごすようになった。


「私は何も学んで来なかった。他の貴族の方々は立派なのに比べて、私は辺鄙な片田舎で、無学のまま領主になり、重くのし掛かる正義を行わなければならない。父上はどのように裁いていたのか。お側で学ぶ機会がなかった私には、日々直面する難しい問題に、村人や町の人々、特に貧しい弱い人々を裁くのは荷が重い。彼らは容易に死んでしまう。何のために生まれてきたのかと不思議でならない」


ジグヴァンゼラはぽそりとこぼした。


そのうち、ジグヴァンゼラは誰もいない処に向かって声を掛けるようになり、いきなり振り向いては驚く様子が見られた。


リトワールには覚えがある。パブッチョとメナリーの幻覚だ。


ジグヴァンゼラ様は
幻に怯えておられるのだ
何故、今になってそれが始まったのか
わからないが
何か理由があるに違いない
何が見えるのだろうか……


「何故、そこにいる」


リトワールは不用意に近づき過ぎた。いきなりジグヴァンゼラが剣を振りかざして斬りつけたのだ。


「ああっ……」

「ルネ、まだ誑す気か。お前は処刑されたはずだ」


リトワールは左肩から胸の中央にかけてばっさりやられた。


「うう……ジグヴァンゼラ様、何を……」

「あっ、お前は……リトっ」


正気に戻ったジグヴァンゼラは狼狽うろたえながらも人を呼んだ。


大勢が飛んできた、台所からサレも飛んできた。人波を押し退けて叫ぶ。


「私に任せてください。お茶を沸かして、強い酒を持って来て」

「どうするのだ」

「消毒します。傷口を酒で綺麗にしてから止血のハーブ茶で傷口や身体を拭きます。サフランも止血に良いです。止血用の塗り薬を塗って、それから包帯で傷口を保護して、傷がくっついたら油を塗ります。任せてください」


国境警備の兵士達のために、常日頃から止血のハーブや化膿止めのハーブで作った塗り薬のストックはあった。 一度も戦地に赴いたことのないジグワンゼラには、皆無の知識だ。


サレは薬を塗布して包帯を巻くと、滲む血に灰を付けた。灰が包帯を汚す血を吸う。灰は消毒済みの吸湿材だ。包帯を取り替える度に傷口が開くことを恐れたサレのアイデアだ。


それは応急手当に過ぎないのだが、何よりも早く到着して素早く処置できたことがリトワールにとっては良かったと、年老いた医者が誉めた。


リトワールは安静にしている間も精を付けて、意識ははっきりしていた。傷は浅かった。何よりも、止血のハーブが良く効いた。



夜、目を覚ますとジグヴァンゼラが傍で寝ていた。息が止まる。 


リトワールはジグヴァンゼラに腕枕をされて肩を抱かれて寝ていたことに気づいた。身動きがとれない。


ジグヴァンゼラの頬に緩いカールのある黒髪が垂れている。


「ジ、ジグヴァンゼラ様……」


ジグヴァンゼラはぼんやりした目を開けて、リトワールから離れた。


「済まなかった。そなたの前に立ち塞がるルネを斬ったつもりだった。まさか、そなたを傷付けてしまうとは……本当に済まなかった」


ベッドから下りて闇の方向に消えて行く。

ドアが開き、廊下の灯りにジグヴァンゼラの背の高いシルエットがくっきり浮かんだが、ドアはそのまま閉まって再び闇になった。 


そういうことが度重なって、ある夜、リトワールを抱き上げて排泄用の壺のある不浄の小部屋トイレに向かうジグヴァンゼラに聞いた。


「何故、毎晩私の傍で寝るのですか」  

「気に入らないか」 

「いえ、その様なことは……私は領主様の財産の一部ですから。ただ、好みの者がいれば召し上げることも可能ですが……」

「考えておく」


ジグワンゼラの双眸に怒りの色が走るのを、リトワールは見逃さなかった。


「出すぎたことを申しました」

「その様だ」



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