聖書サスペンス・領主殺害

藤森馨髏 (ふじもりけいろ)

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第二章 カリギュラ暗殺

(52) リトワールの亡霊

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甘い香りがして傍らにプラチナブロンドの髪の毛が、ジグヴァンゼラの腕枕で胸元に寄り添っていた。


「愛しているよ、リト」


若く美しい肌と天気によって色味の変わる灰色の目が開き、微笑む。


「私も、あなたを愛しています」


森の中で出会った頃の若いリトワールだ。口づけする。ジグヴァンゼラは不思議にも思わずにリトを掻き抱き、若い頃のように燃えた。

目が覚めて、ジグヴァンゼラはリトの名前を呼んだが、ベッドには誰もいなかった。夢精していた。もう何年も黙りこくって衰えていた部分が夢の中のリトワールに反応したのだ。ジグヴァンゼラは複雑な思いに駆られた。


リトワール……リト……


思えば、リトワールはルネのものだった。
ルネが死んでから、リトワールはルネの横暴から解放されて誰にも縛られることのない立場に立ったはずだった。 


それを再び縛ったのは
領主の私だ


遅い朝食を摂って、ジグヴァンゼラはふと椅子の斜め後ろにリトワールがいるのに気づいた。


「旦那様、ご用ですか」


リトワールは慇懃に尋ねる。身体が少しだけ傾いで、美しいラインを生む。立ち居振舞いの洗練されたフランス人執事は、生きた芸術品のように動く。


「リトワール……」


ジグヴァンゼラはリトワールがスと音もなく動いて部屋を出ていくのを見た。ジグヴァンゼラはナプキンで口を拭いて立ち上がり、杖を持つのも忘れてふらふらとリトワールの後に付いて行く。


「リト、何処へ行くのだ」


サレが異変に気づいた。


「リトワール様が見えるのでございますか……」


その声は耳の遠くなったジグヴァンゼラには届かない。ジグヴァンゼラの目は、廊下の先に佇むリトワールを見て微笑む。


「旦那様、悪霊に唆されているのではないですか」 


ジグヴァンゼラはサレには眼もくれずにリトワールの姿を追った。


「何故、ルネから奪い取らなかったんだろう。私は落胆して生きていた。ハビタを失って、死神を恐れて、蒙昧に浸かって、リトワールに傍にいてほしいと思っていたのに……」


厚かましいルネと繊細なリトワールは同じフランス人とは思えない。ジグヴァンゼラは廊下から消えたリトワールを追った。リトワールは塔の入り口にいた。館の中から塔に繋がる渡り廊下にリトワールがいる。


ヘシャス・ジャンヌに会いに行くのか……


リトワールをヘシャス・ジャンヌと結ばせることもできたはずだった。ヘシャス・ジャンヌは収まるべき処に収まったが、ジグヴァンゼラはふと思う。


リトワールが望めば……
それは今だから言えること
リトワールは
何を望んでいたのか……


『何故、私の傍で眠るのですか。必要であれば好みの者を召し上げることも可能ですが』

リトワールは提言した
私はリトに忖度させたのか……

リトワールも
家庭を持つことは可能だったのだ



渡り廊下のリトワールが会釈する。頬が薔薇色に輝いている。ルネの元ではいつも暗い顔をしていた。言いたいことを胸に閉まって泥濘むような目をしていながら強く秘めた何かを発していた。

その暗さが、繊細なラインが、秘めたものが、リトワールだった。

リトワールの姿が消えた。行き先はわかっている。ジグヴァンゼラは手綱に引かれる牛馬のように後を追う。

サレはマロリーに「旦那様の杖は」と聞いた。マロリーは走った。食堂の椅子の背に掛けるのがジグヴァンゼラの習慣だった。

サレは館の他の者の手も必要になるかもしれないと感じた。ジグヴァンゼラは恐れる様子はなく、杖を持たずにふらふらと「リト……」と亡くなった執事の名前を口ずさみながら塔に向かっている。

危うい予感でサレは青くなった。


「旦那様、ご領主様。ジグヴァンゼラ様……」


サレが急いで塔の渡り廊下に差し掛かったとき、ジグヴァンゼラは既に階段を上っていた。


「誰か、誰か来てくれ」


渡り廊下から館の中に声を掛けた。長い廊下は深閑として森の奥の静けさに満たされている。


「手遅れにならなければ良いが」


廊下の奥にルネの姿が見えた。金髪に黒いマントが風もないのにひらめく。


「ル……」


竜巻が起きた。
ぶぁあああふうぅぅぅぅ……

突風となってサレを襲う。

渺渺びょうびょうと吹きすさぶ強い風の中で、サレが叫ぶ。


「止めろ悪霊。お前の正体を知っているぞ。お前とは何度も戦ったじゃないか。本当の姿を見せろ」


悪霊は大きな醜い顔だけの姿になってぐわああああと牙を剥き、凄まじい速度でサレに向かう。

サレは叫ぶ。

「天の神を恐れろ。神のお名前を聞きたいか、悪霊」


すっと風が止んだ。
辺りには何も無い。

サレは釜戸の火を思い出したが、捨てておいても構わない、旦那様あっての全てなのだと塔の階段を駆け上がった。

初めて登る塔の螺旋階段は小さな明かり取りの窓からの光では薄暗くて、二階、三階のフロアの窓から差し込む日射しの反射がなければ足元も見えない。サレは必死だったが、太ももに疲れを感じた。階段を駆け上がることは今までの暮らしにはない運動だった。

マロリーが追い付いた。マロリーの後から数人の使用人が付いてきた。


「旦那様は」

「上だ」


息の上がったサレを追い抜いてマロリーが駆け上がる。度々掃除のために塔のてっぺんまで上がるマロリーだから、誰よりも早くジグヴァンゼラの姿を視野にいれることができた。ジグヴァンゼラはヘシャス・ジャンヌの部屋を通りすぎた。



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