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第三章 純愛と天使と悪霊
(105)鏡通信
しおりを挟むザカリー領は、日が上がると鏡を用いた光暗号の伝令文を幾つかの山間を通して王都へ送った。
王宮の裏手に特別に用意されたヘンゼルの館で、暗号を解読した係員は驚いた。緊急の伝令文を持ってヘンゼルの部署を執事が訪ねる。
「一大事でございます、旦那様。夕べ、ヴェルナール様が襲われました」
「なんだと」
ヘンゼルは目を吊り上げた。
王族の公的な活動は午後から始まる。とはいえ
ヘンゼルの朝は早い。ザカリー領に養子に出されていたヘンゼルだけは、ザカリー家の先祖が武勲を立てて褒賞として得た一部地域を国に返上して宮廷官僚となった立場だ。
「して、どうなった」
「はい。ヴェルナール様はご無事でございます。実行犯は捕らえました。裏には、先王のお兄様であられるカルマンザーレ卿の影があるようです。賊はその派閥の者の手下です」
「成る程。カルマンザーレめ。息子のジルベールエリキュア卿を王権に付けるべく王位継承権を持つ者の命を狙ったのか」
「ですから、継承権第三位の旦那様をも消し去ろうとしているとの知らせでございます」
ヘンゼルの実父は先王オリバルート・ヨハネセンであり、実母は現女王ヘシャス・ジャンヌ・ヨハネセンだ。
早馬でも数日かかるところを、鏡を使えば光速通信が可能だ。中継地点で間違いがなければ、瞬時に王都のヘンゼルに届く。ヘンゼルからも同日中に返答できる。
「その刺客の身を守り、内密に王都に連れてくるようにと連絡してくれ。それから、ヴェルナールの替え玉を用意するように」
夕べのことであるが、見回りの夜警が連れ帰った四人の刺客は、十度を下回る夜気の中で舌の根が痛むほど冷えきって、震えながら引っ張られてきた。
王都から雇い入れた若い医者は、斬り落とされた腕の切断面を消毒して「飯を左で食わなきゃならんが、これを止血した者は優れているな。命には別状はない」と太鼓判を押す。
「いっそのこと殺してくれ」と歯噛みする刺客はまだ若く、ダネイロと似たような年齢だが、利き手を失い絶望した。
顔に包帯を巻かれた刺客は痛みに震えながら「あいつと一対一で戦わせてくれ」と頼み込む。
刺された刺客は「お前では無理だ。あれは化け物だ。俺はあの男の後ろから霊気のようなものが上るのを見た。片目で戦える相手ではない」と胸を押さえる。傷は心臓ギリギリまで刺されていたが、軽症だから暫くすれば癒着すると医者に言われ驚いた。
「お前さんたちは知らないだろうから教えてやるが、ザカリー領の兵士は皆、子供の頃から野山を疾風のように駆け抜け、影のように木立を飛び、空気の動きで敵が何人いるかを当て、飛んでくる石つぶて全てを細い竹ひごで叩き落とす。お前さんたちは子供の遊びに負けたのだ。戦うなどと千年早いわ。わはははは」
四人で射た弓を悉くはじき返され、躍りかかったが、一陣の風が舞い、その後で異変が起きたことに気づいた。剣を持った右腕は遠くへ飛ばされ、片目を刺されて転がる者、顔を切られた者、蹴り倒され殺される寸前だった者。それは瞬きをする間だった。
「あれは化け物だ。本物の化け物……我々の敵う相手ではない。王都にもあのような使い手はいない」
「だから、あの者が特別なのではないと言うておろうが、全く。聞いていなかったのかあ」
医者は情け容赦なく刺客の胸を拳で突いた。酷い拷問には至らずに刺客は全てを吐いた。侵入経路は、正当な通行証を持って行商人として入り込んだのだが、通行証が当人の物とは限らないという例だ。
ザカリー領では明け方にも異変が起きた。領境の警備の薄い場所から数人の刺客が入り込み、罠に掛かって全員捕らえられた。ザカリー領は厳重な警備を敷いた。
特に、ヴェルナールの周辺の警護を増員するようにとのヘンゼルからの指示に従って、ダネイロの下に特別班を設けた。レネッティのような中途採用の者ではないザカリー領の孤児たちで、訓練を受けた十二才から十五才までの、ヴェルナールに似たような体型の金髪が集められた。
彼らはヴェルナールの衣装を着て過ごす。替え玉と言うわけだが、女王ヘシャス・ジャンヌ譲りのプラチナブロンドはヴェルナール特有のものだ。
比較的警護しやすい昼間は五人の替え玉と過ごし、夜間は別の替え玉二人とダネイロが朝まで衛りに就く。
「隊長、今夜、ピグル川に行くときは帯刀してもいいですか」
替え玉のベルーシが訪ねる。
ダネイロは「タイチョウ……」と笑った。
「ベル、いつものようにダニーで良いぞ。隊長という柄ではない。帯刀は駄目だ。替え玉がバレる」
そのやり取りにヴェルナールは「ダニー……」と呟く。忠誠を誓うように傅くダネイロと、訓練兵と笑いながら話すダネイロとは別人のようだ。
ヴェルナールは年下の兵士ベルーシをじっと見つめた。十三才の童顔だが、背丈はヴェルナールと変わらない。ソバカスの散った儚げな顔をしている。
「ふふ、その方が話しやすいです。では、分銅はどうですか」
「衣装に隠せるものなら何でもいい。到着後は実戦の心構えで」
ダネイロは答えながらふと、ヴェルナールを見た。
「いかがしましたか、旦那様」
「ヴ、ヴェルって呼ばれていたんだ、王都では。あ、あの、旦那様って呼ぶとバレるのでは……」
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