128 / 128
第三章 純愛と天使と悪霊
(120)最終回
しおりを挟む窓から入る風がジグヴァンゼラの首を掠めていく。
ふと、斜め向かいの机で計算に取り組んでいるリトワールの顔を眺める。額から両分けで流れるプラチナブロンドを、頬の横で外巻きにカールした髪。今日は藤色のリボンで括っている。
室内に差し込む陽の反射で、リトワールの回りだけ暈が掛かっているように見える。
そんな時、ジグヴァンゼラはそっと溜め息を漏らす。近くにあるのに手の届かない月を眺めるようだ。毎日のことだから、リトワールは嫌でもジグヴァンゼラの視線に気づく。
「どうか、なさいましたか。裁判所の書類に不備でもありましたか」
「いや……私は少し出て来る」
「でしたら私がお供致します」
「いや、良いんだ。独りになりたい」
わさわさと幻が蠢く部屋から逃げたした。
ジグヴァンゼラは馬に乗って野山を駆け巡り、国境警備兵の仕事を視察して、夏の別荘に向かった。常に日差しの半分を遮る森と、近くの湖から吹く風で涼しく過ごせる。
森に入り、緑色の暗がりに木洩れ日の煌めく小道を行くと、少し視界が開けて湖が見えた。木立に衣服が掛かっている。
ジグヴァンゼラの目に抱き合う若者たちの姿が飛び込んできた。
「あ……っ」
リトワール……
長い金髪の後ろ姿に思わずリトワールを重ねた。馬の手綱を引いて踵を返す。ジグヴァンゼラは急いで館に戻る。心臓が潰れそうな勢いで鳴っている。
リト……リトワール……
館に到着すると、見覚えのある背の高い金髪の黒マントが、馬小屋の近くに佇んでいた。無視して馬丁に手綱を渡し小走りに館に入る。
明るい外から入る建物の内部は、若干、明度が落ちる。一瞬、暗い別世界に入ったような錯覚に陥った。ここ最近、館の中を見たことのない男女や子供が自由に行き交う。話しかけても返事もせす、振り返りもしない。その中にリトワールの姿があった。
「リトワー」
口から名前が出かかったが、リトワールに黒いマントの金髪頭が絡んで口づけをした。
「リ……」
黒マントの肩に手を掛けた途端、するりと手応えなく、黒マントもリトワールも消えた。周りの人影も、一人一人消えていく。言葉を失った。足が震える。
よろめきながら転げるように歩き、執務室のドアを開く。
「お帰りでしたか」
リトワールは澄ました顔で立ち上がった。
「お疲れでしょうから、お茶でも」
すれ違おうとするリトワールの手首を掴む。
幻ではない……
血の通った暖かな手……
抱き締めたい……
手首を掴まれてジグヴァンゼラに引き寄せられたリトワールの、美しい眉が歪む。ジグヴァンゼラは「済まない」と目を伏せて離れ、窓辺に近づいた。
リトワールは
ずっとここにいたのだ
あの湖の金髪は……
ホールの幻は……
この部屋のリトワールは……
私は気が狂ったのか
窓の外からルネが話し掛ける。
「ジギー、お前は人に見えないものが見える病だ。せいぜい楽しめ」
ジグヴァンゼラは息を飲んだ。
ルネ……
死んでからも付きまとうのか
さっきの口づけはお前か
汚らわしい
胸の裡で呟き、リトワールを振り向く。狂おしく孤独に焼けつく胸を押さえる。
リトワール……
ずっと……ずっと前から
岩場で出会った時から私はずっと……
しかし、今や私は領主だ
領主の権限でリトワールを
自分のものにするのは容易いことだ
だが、領主の権限で手に入れたなら……
「ふふふ……ジギー。リトワールに手を出せ。お前はルネと同じだ。私はそういうお前が大好きだ。迷え。とことん惑わされろ。お前は生きた幻なのだ。さ迷って死ね。ふわははは」
王都の近くの小道を行く二人連れが、木陰を探した。ヴェルナールの愛人になり損ねたノエビアと片棒担ぎの娼婦だった。
「私が少し頑張ってあなたを支えて差し上げたく思います」
「私に、娼婦の囲い者になれと言うのか」
「では、死ぬしかないではありませんか」
「そうだな。私は死ぬしかない。ここで……」
「私がお供致しますわ」
ノエビアは目を瞠った。片眉の娼婦はノエビアの剣を手にとってノエビアの心臓を刺し貫く。そして、手提から出した小瓶の毒を一気に呷り、どろりと黒い血を吐いて倒れた。
王宮のバルコニーから、可愛い息子のいる山の彼方のザカリー領に、ヘンゼルは想いを向ける。
「父上……お父様……」
ヘンゼルはジグヴァンゼラの死後、ジグヴァンゼラの日記を読んだことがあった。衝撃の内容だった。
十四才で忌まわしい事件に遭い、その事件の日からルネが死ぬ少し前までの五年に渡る空白。十九才で領主として活動し始め、その重責と幻視体験に悩み、リトワールに対する純情が綴られていた。そして、リトワールとの死別の日。
『私は、憎きルネにひとつだけ礼を言わなければならない。リトワールはルネに強姦されていなければ、どんなに思っても私のものにはならなかっただろうから』
ヘンゼルは雷鳴のようなその言葉を覚えている。
「いずれこの国のすべてが、私に対してそのように思うだろう。私はルネのように平穏を壊す。強姦のように貴族社会を終焉させやがては王制も廃し、新な社会を産み出す。まさしく強姦と同じだ。私は敢えて、この国を資本主義に売り渡す。最後の王、金に心を売り渡した能無しのボンクラ王、あるいは悪魔と揶揄されることを恐れない。国を、国民を愛して、突き進む」
「独り言にしては長いな。なにかの演説か」
アントローサ小公爵ジグマスタが笑っている。
「義兄上……」
「はっはっは。国王陛下に義兄上と呼ばれるのはこの上ない喜びだ。我が父上の気持ちが良く分かる。しかし、私は決して能無しのボンクラ王とは思っていないぞ、ヘンゼル。いろいろぶち壊してくれたお蔭で貴族院は形骸化したが、代わりに能力も意識も高い市民の多いことに驚かされた。この国の未来は大きく開かれる。お前の手柄だ、能無しのボンクラ王。わははは」
「義兄上、私は決して資本主義を礼賛しているわけではない」
「俺も同じだ。ただ、国を開くには手っ取り早い道さ。賢王ヘンゼルがいなければ、自由と平等は国民のものにはならなかったと、後の人々にはわかってもらえるさ」
二人並んでバルコニーから国土を眺める。様々な出来事があった。王も国民も生まれては消え時代は変遷し、今や王制の偶像は倒れようとしている。それはジグヴァンゼラの思想だった。
『お父様はお偉いのに王様ではないの』
『ヘンゼル、私が王様なら、貴族制度を無くして国民を自由に、平等にしているよ』
二度とルネのような者を生み出さず
ルネに従うこともさせない
国民の平等な立場を
そのような社会を願った父上
ジグヴァンゼラ・ザカリー……
小さき者に殺害された領主
悪霊はザカリー領の森の中に潜んでいた。ネイトとガレは洞穴に作った祭壇を壊し、幼くして神に目覚めた者のようになった。
悪霊ベルエーロは、領主館の近くで死人に化けても「しっ、しっ、あっちへ行け、悪霊め。お前の正体を知っているぞ」と追い払われる。
この地を離れて時を待つか
人間よ
私はいずれ再びこの地に戻り
民衆を唆して
必ずや神を殺害させる
それまで
暫しの平穏を享受するがよい
武器を磨き
世界平和などという幻を
大言壮語して追い求めろ
それでも
お前らに自治能力はないことを
証明するだけなのだが
色の無い不可視光線の柱が立つ。
しっしっ、愚か者め
人間は神の似姿に造られたのだ
儚くても美しい
そしていつかは神に近づく
邪悪な手を使うな
その光が揺れ、記憶の中のジグヴァンゼラの鮮烈な声を呼び覚ます。
「リトワール、私は神の救いを求めている。そして、神も必要だが……正直に言おう。私にはそなたが必要だ。心が求めるのだ」
「あなたはザカリー領の法律です」
誰もあなたに逆らうものはいない、全ての者が従うのだと、リトワールは伝えたかったのだろう。
「それでは、そなたは私のものだ。それが神の望む愛の形でないとしたら、私についての裁きは神に委ねよう。私はそなたをずっと以前から……」
リトワールの唇に塞がれて、ジグヴァンゼラは続く言葉を言えずにリトワールを熱く抱き締めた。
私についての裁きは神に委ねよう
いや、神が裁いてくれよう
ジグヴァンゼラは何度も大罪を犯し、決して神のために生きたのではないが、人間として幾つかの好ましい点があったと光は記憶しており、いつか神に近づく可能性があると思っていた。
ベルエーロのように私が自らの考えで
ジグヴァンゼラを助けたならば
彼は何も手にすることはなかっただろう
この世を変えるその考えも
神の裁きについても
人間は自由に生きて
その結果を自分自身で刈り取るのだ
我々の立場で言えることは
ジグヴァンゼラに限らず人間は
正しき世界で生まれ真理を学べば
あるべき人格を形成され
神のみ腕に抱かれるかのように
あるべき生き方が出きるはずだ
死後、楽園で目覚めた者は
身体は完全になっても嫁がず娶らず
我々天使と似た者になるのだから
※※※※※※※※※※※※※※※
長い間のご愛読に感謝します。
有り難うございました。
藤森馨髏
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる