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第三章 純愛と天使と悪霊
(119)ネイトの涙
しおりを挟む立太子の翌年、ヘンゼルは新国王に即位した。ヘンゼルは先ず、貴族制度廃止に着手し、多くの貴族の反対に遭ったものの、結局は小さなクーデターを御するだけで円滑に進んだ。
資本主義は国民の心を捕らえ、特に金満家の貴族は商人と競って生産業にのりだし、経済が活性化した。それと共に全国的な教育制度と福祉が確立した。
ヘンゼルは王制廃止を国民に伝えてある。それを聞いて一番ほっとしたのはヴェルナールと執事長シアノだった。
王都から戻ったヴェルナールは、迎えに出たシアノに抱きついた。
「シアノ爺や、元気な顔を見て安心したよ」
季節はすっかり涼しくなって、落ちた銀杏の葉っぱが絨毯のように敷き詰められている。王都から帰って、ヴェルナールは枕を抱いたパジャマ姿でシアノの部屋を訪ね、ベッドに潜り込んだ。
「ジグヴァンゼラお祖父様の話を聞かせて」
シアノは何事かと驚いたが、ヴェルナールはただ子供に返ったように「お祖父様の話を聞かせて」と猫のようにシアノの頸に頭を擦り付けて眠った。
王都で密かに囁かれる都市伝説の「魔王カリギュラ」人気に触れて、ヴェルナールは身内の謎に関心を持ったのだ。
「とても思慮深い方でしたよ」
ヘシャス・ジャンヌは回想した。
思えば数奇な運命に操られ
あの塔に幽閉され
ルネの狂行から守られて
私は権力の頂点に登り詰めました
そして、愛息子ヘンゼルを
新国王に据えることができました
ヘンゼルは大鉈を振るって
この国を拓くでしょう
人々が生まれ育ちで
差別されることのない
自由と平和の人権の国
福祉を支える愛と豊穣の国
神の祝福が豊かに注がれる
恒久平和の国を目指して
この身は夫にも弟にも
先立たれてまいましたが
私は今とても幸せです
すっかり黄色くなった銀杏の絨毯を踏みしめる。
「ネイト、この銀杏の木は、先のご領主ジグヴァンゼラ様が取り寄せて植樹なさった木だ」
メンデはネイトを振り返った。
洞穴の祭壇には驚いた
洞穴の死者を祀ると言って
子供たちが勝手に作ったとしては
立派に見えた
あれは壊さなければ……
ネイトとガレに
自らの手で壊させる
そして祓い清めよう
ちゃんと話をすれば
子供でも理解できるはずだ
いや、子供にも理解できるように
話さなければならない
「うん、知ってるよ。僕はガレと二人で銀杏の実を沢山拾ったよ」
切り株に腰を下ろす。銀杏を植えるために伐り倒した数本のうちのひとつだ。
「そうだったな」
ネイトに手を伸ばして、メンデはネイトの小さな手を繋ぎゆっくり引き寄せた。ネイトがメンデの膝の上に座る。
メンデはネイトを抱擁して、はっきりした声で言った。
「ネイト、アール様を見かけたらお父さんに教えてくれるか。アール様は、マロリーお祖母ちゃんについて出鱈目なことを言ったんだ」
「マロリーお祖母ちゃんのことなら知ってるよ。僕もアール様から……」
聞いたのではない。ネイトの身体に衝撃が走った。
夢を見た
そうだ、夢を見せられたんだった
アール様が僕に夢を見せたんだ
ああ……アール様は……
親切なふりをして近づいてきて
僕に嫌な夢を見せた
「どうした、ネイト」
「お、お父さん……」
喉がからからに渇いて、ネイトは口ごもる。
「アール様は何者なの。どうして僕だけに親切にしたの。僕は敵の兵士の傷を治せたのに、何故、サレお祖父ちゃんの時は治せなかったの」
「ネイト、落ち着け」
メンデはネイトをぎゅっと抱き締めた。
「お前は賢い子だ。ゆっくり考えるんだ。先ず、アール様は逗留客ではない。お父さんが調べた。執事長のシアノ様に直接伺ったのだから間違いない」
「お客様ではないの。ご親戚だと言ってたのに」
ネイトは頭を傾けて父親の顔を覗き込む。陽の光が、赤毛のもじゃもじゃしたサレ譲りの髪を艶めかせる。
「嘘だったんだ」
「嘘……アール様が嘘を……僕に嘘を……」
メンデはネイトの小さな身体をすっぽりと包んで「アール様は悪霊だ」と断言した。
「ち、違うよ。アール様は奇跡を起こす素晴らしい人だよ。天使とか神様みたいな人だよ。凄い奇跡を行うんだ。僕はお祖父ちゃんを助けられなかったけど、アール様なら、アール様がいたらお祖父ちゃんは助かった……あの後、僕は一生懸命祭壇に祈ったけど、神様にもアール様にも祈ったのに、僕の力ではお祖父ちゃんは蘇らなかった……お、お父さん」
ネイトは泣いた。涙が溢れる。
僕が未熟者だったからだ
アール様が力を貸してくれたら
サレお祖父ちゃんは
死ななかったかもしれない
ううん、違う、違う
苦しい、苦しいよ
もう僕はわかった
僕はアール様を
神様の代わりにしていた
アール様に頼って
アール様に祈った
やっとわかったよ
アール様は人間じゃない
悪霊だって……
悪霊は魅力的に見せて
人間を虜にすると
それが悪霊の企みだと
いつもお祖父ちゃんから
聞いていたのに
アール様……
知りたくなかった
知りたくなかった
悪霊だなんて
知りたくなかった
騙されていたなんて
ネイトの思いを読み取ったように、父親メンデは答えた。
「アールは悪霊だ。光の使いに化けてお前を誑したのだ」
「誑し……ううう」
「ご覧、あの銀杏の木を。あの木の幹に手を付いて『ネイトから手を引け』と叫んだサレお祖父ちゃんの言葉を、お前も聞いただろう。そして、もうお前の前にアールは現れないはずだ」
ネイトは涙を拭いた。
「うん。でも、傷ついて苦しむ人を助けてあげるのは良いことなのに」
「では、訊くが……何故、アールは何故、自分で苦しむ人々を治して歩かないのだ」
「何故……」
「何故、お前を通して奇跡を行うのだ。お前を、奇跡を行う子供として祭り上げさせようと企んだのかもしれない。お前に祭壇を作らせて祈りを捧げさせたのも悪霊アールの企みだとしたら……」
「ああ……僕は、嬉しかったんだ。ガレと間違わずに僕だけに話し掛けて、優しくしてくださるから……そしてアール様を貴族の方だと信じて、いい気になってたんだ。ガレじゃなくて……僕が優れていると思いたかったんだ」
ネイトはしゃくりあげて言った。
「ネイト……大丈夫だ。お前は賢くて優しい子だ。みんなお前を愛している。お父さんも、お母さんも、マロリーお祖母ちゃんも。モーナス叔父さんとアデル叔母さんだって、ガレだって、みんなお前が大好きだ」
「お父さん……」
ネイトは身体を捩ってメンデに抱きついた。小さな肩を震わせて言う。
「僕はもう、悪霊には騙されない。アール様はもうアール様ではない。悪霊アールだ」
「そうだ、ネイト。よく言ってくれた。しかし、次は別の形で来るかもしれない。ネイト、お前はしっかり見抜いて悪霊を退けるんだ」
「うん。ちゃんと退ける。しっ、しっ、あっちへ行け、悪霊め、お前の正体を知っているぞ。悪霊退散、悪霊退散と唱えるよ」
「良い子だ、ネイト。後は、洞穴の祭壇をどうするかだな……」
「壊すよ。僕は自分の手で壊す。ちゃんとお仕舞いにするよ」
ネイトは父親の首にしがみついた。その背中を、メンデはポンポンとあやしてぎゅっと抱きしめた。
「そうか。お父さんも、ネイトならちゃんとできると思うよ。そして、あの場所は清めても二度と近づいてはならない。お前は大事な息子だ。失いたくないんだ。愛しているよ、ネイト」
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