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第三章 純愛と天使と悪霊
(118)悪霊退散
しおりを挟む騎兵の馬が到着した時、サレは書物を片手に銀杏の木を掴んでいた。そしてぶつぶつと呟き、大声で叫ぶ。
「悪霊、退散っ。もう手出しはさせぬ。ネイトから手を引け。ガレを狙うな。私の家族に手を出すな。おおおおお……悪・霊・退・散っ」
その瞬間、小さな白い光がサレの頭に見えたような気がした。
メンデとモーナス、ネイトとガレ、そして医者と騎兵たち。呆然と眺めて我にかえり、モーナスが馬から下りて医者が下りるのを手伝う。
「サレ翁、その様子では倒れたと言うのは……」
サレは書物を落とし、大木に頭を凭れさせてずるずると崩れた。慌てたのは医者ばかりではない。その場の全員が慌てた。カサカサと枯れ葉を鳴らして駆け寄る。
「お父さん」
メンデが抱えた。
「親父っ、しっかりしてくれ」
「うう……」
サレの目から涙が溢れた。サレは笑顔で泣いている。
「終わった……私の役目は果たされた……ああ、とても幸せだ。天の神よ……私は御前に参ります。私の家族を、お、お守りください」
「「お祖父ちゃん、お祖父ちゃん」」
ネイトとガレがしがみつく。モーナスも子供たちごとサレをがしっと抱擁した。サレの顔は優しい笑みを浮かべたまま二度と目を開くことは なかった。
ホェェ……憎々しいサレ
死んでしまったか
命を懸けてこの私に立ち向かうとは
憎々しいサレめが
死んでしまったからには
もう、どうしようもない
神の手から奪うことはできない
サレめ……
ホホェ、暗闇が黒すぎて
私は消えてしまいそうだ
ホホッ、ホエッホエェ……
人間のような
儚い生き物の生き方に
何の価値があるとウオホェェ……
サレめ……サレ……
この私が人間に負けたとは……
このベルエーロ様が……
サレ……ホホェェェ……
大木に張り付いた悪霊ベルエーロは、視力に相当する感覚をやられていた。
人間の目には見えない光の柱がサレの祈りと共に次第に白い強烈な光を発し、その光にやられた悪霊にとって、不可視光線の強烈な光の補色は暗黒の世界だ。
ふ、ふふん
ただ一時の間見えなくなっただけだ
直ぐに戻る
私は肉体を持たぬ霊なのだから
目が見えぬなどあり得ない
肉眼などないのだから
光で目がやられるなどとあり得ぬことだ
こんなことは初めてだがどうってことはない
悪霊ベルエーロは何処かが痙攣するような嫌な気分で笑った。
声が聞こえる。
ベルエーロよ
お前は死ぬのではないから言っておく
サレの一族から手を引け
サレの祈りは神に通じた
この大木とサレの小屋の周りを神聖化する
二度と近寄るな
元々、この地上は
神の造りたまいし神聖な場所
この地球自体が神聖な惑星だったのだ
ベルエーロ
今のお前には見えぬであろうが
私は一個師団を抱えている
それらがお前に光を放てば
お前はどうなるであろうか
わかったらこの地をさ迷うでない
光の声は消えた。ベルエーロも黒い小さな影になって、薄くなり、風に紛れた。
ダネイロは思い出していた。
『もう刺客の心配は無くなったのに、俺はこのままお館様を警護するだけで良いのでしょうか』と執事長シアノに言った時のことだ。
『王都への道中に何が起きるかわかりませんから、あなたを警護から外す訳にはいきません。くれぐれも用心してください』
執事長の信頼を勝ち得て、ダネイロは嬉しくも不思議と心安らぐ。もしかしたら、家族の信頼と云うのはこのような感覚をもたらすものかもしれない。
四頭立ての馬車三台と二十八人の騎兵隊が隊列を組んで王都に向かう。ダネイロとヴェルナールが先頭の馬車、狙われるとしたら真ん中か最後尾の替え玉ベルーシとタイだ。
そう踏んでの道中だったが、何事もなくあっという間に王都に到着した。道中のどの貴族屋敷や旅籠でも快適に過ごし、女王ヘシャス・ジャンヌの「正義と繁栄の為の統一」は徹底的に敷かれていることが立証された。
ヴェルナールは祖母のヘシャス・ジャンヌにダネイロを引き合わせて、女王直々に「騎士」の称号を与えてほしいと甘え、ダネイロの持ち物が白い薔薇とアルファベット「A」の刺繍の小袋ひとつであることを話した。
「その小袋を見せておくれ」
女王ヘシャス・ジャンヌはダネイロの母親の形見を見て驚いた。
「これはザカリー家に仕えていたフランス人小間使いの為に、ええ、アネットと申したか。彼女の為に私が作ったもの。しかし、年から顧みるにそなたは孫に当たるのですね」
ヘシャス・ジャンヌは王座を離れ段を下り、傅くダネイロに腰を屈めて抱擁した。ダネイロは思いもよらない出来事に、身体に電流が流れたような感動を覚えた。
後に判明したことだが、祖母アネットは若い頃ザカリー領を離れてから夫に死なれ、戻る旅の途中に盗賊に襲われて亡くなっていたのだ。アネットの残した幼い子供たちは路頭に迷いながら育ち、それぞれ伴侶を見つけたのだろうが、みな不遇のうちに身罷っていた。つまり、ダネイロには血の繋がる親族は無い。それがわかっても、ダネイロは救われたような気がする。
俺は捨てられたのではなかったんだ
ただ不幸が重なっただけだ
ヴェルナールは、ダネイロの自分に向ける眼差しが明るく優しげになったことが嬉しくて、王都にいる間中ダネイロの顔を見て微笑んでいる。
ベルーシとタイはベッドの中でキスしながら
「お館様も仲間に入れようか」と相談しては
「不届き者って、ダニーに斬られちゃうよ」と笑い転げるのだった。
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