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第1章 狂人の恋
(11)いつか時代は変わる
しおりを挟む「階段から落とされたあの男はさ、七歳の子供を買いに行って花屋夫婦殺害事件の第一発見者になったわけだよね。不運な奴だけど同情はできん。でしょでしょ。ね。男性諸君はそういう目に遇わないように身を律するべきじゃない。うっかりでもすっかりでも同情はできんからね。ね、ね。」
ラナンタータは自分の台詞に頷いて、ラルポアにも同意を求めている。
「そうだな。ラナンタータの言う通りだ。しかも、あの病院にご家族がいたら、もしかしたら我々は真実に到達することはできなかったかもしれないね」
「正しく。あの夜はうっかり恐ろしい勘違いをするところだった。まさかあの男のご家族が機転を効かせて、ベッドの名札を隣の死人と替えていたとは。サディの名を叫んでいたのは死んだ方だと思っていたからな。まさかのまさかであの男が目撃者だったとは」
カナンデラは新聞を畳みながら顔を上げた。
いつものように事務所の窓を背にしたラナンタータが、アーモンドスライスをまぶした一口ささ身フライを頬張る。毎日のアペロに、テーブルにおやつを広げて楽しむことにしている。
「しかも、もう少しで第二第三の殺人が起きる処だった。サディを逮捕できなければ……しかし、あの人気者のイサドラ・ダンカンが偽物だとは驚いたね。魔の城ガラシュリッヒ・シュロスには世界各国の金持ちが殺到するのだから、誰かが見破っても良さそうなものだったのにな」
カナンデラは「ランク5」の格安ワインのグラスを見つめて、手の届かない遠いもののように記憶に新しいアポステルホーフェを懐かしむ。
スリーブロックまるごと一つのビルで占めているガラシュリッヒ・シュロスの、きらびやかな十七階建ての華燭が、ラナンタータの白い頬に映える。
「本物と知り合いになる機会のあった人ならとっくに見破っていたんじゃない。もしかしたら、ガラシュリッヒに集まるような世界の大金持ちたちって、彼女のことを『異世界フランスのイサドラ・ダンカンのレプリカ』として楽しんでいたのかも。もしかしたらもしかしたら、リンジャンゲルハルトにもサザンダーレアにもスメタナにも、イサドラ・ダンカンの偽物がいたりして。ね。だってセレブなら、オリエント急行で異世界に行ったり来たりしてて、イサドラ・ダンカンの本物だって知っている訳じゃない」
オリエント急行は一週間に一度だけ霧の深い魔の森を通って駅に現れる。アナザーワールド行きの不思議な列車だ。
カナンデラの事務所の窓を背にしたラナンタータが、アーモンドスライスをまぶした一口ささ身フライを頬張る。毎日アペロを楽しみにしている。
「それでね、セレブの人たちは、イサドラ・ダンカンの本物だけではなく偽物も全員知っててさ、何処の偽物が凄いとか何処の偽物が綺麗とか……妄想だけどね」
「ラナンタータの妄想は小説になるね」
ラルポアはレーズンバターのカナッペを手にして、珈琲を味わう。ショーファーのアペリティフにアルコールは禁物だ。アペロを終えたらハンドルを握って、ラナンタータと同じ住まいに帰る。
きらびやかなガラシュリッヒ・シュロスの十七階の奥で、窮屈に生息する可愛い生き物が、カナンデラの脳裏で蠢く。
「楽しむ、ねぇ。まあ、イサドラ・ダンカンは人気者だからな。それにしても『私が狙っているのはあなたじゃない』なんて言って突き落とすなんてなぁ尋常じゃないよな。あの部屋で再び殺人が起きるとわかった時はたまげた、たまげた。誰を狙ってたって、時期宰相のアロムナワ子爵だぜ。女は怖いね。あ、ラナンタータは違うよ。女じゃないからね。ね、ラルポア」
「そういうことは僕に聞かないでください。それよりあの男、奇跡的に持ち直したとしても、裁判で証言してくれるかな」
「どうかなぁ。ギリギリで会えたんだと思う。ねえ、気づいた。あの病室って危ない状態の人ばかりだった。ご家族が席を離れた時だったからうまく聞き出せたのよね。それでなくても、亡くなって証言が取れなかった可能性もあるもんね。兎に角、満月会Rの存在が明らかにされればこの町の穢れも取り払われる。父の出番だ」
「甘いねぇ、ラナンタータや。アントローサ叔父貴が警視総監のままでは無理な話だ。この腐った国の代議士相手に、正義が罷り通る訳がない。俺は警察官だった頃、嫌というほどお偉方の不甲斐なさを見てきたんだ。そもそも、だな。国法と貴族の自領地法が違うのが問題だ。アントローサ総監が国のトップに立たなければこの国は変わらない。はぁ……溜め息もでるさ。何で叔父貴はアントローサ領地で独立宣言しなかったんだ」
「お父さんは戦争回避するために独立しなかったんだってば」
「しかも、警察だと。独立しないなら、何故、この国の宰相の地位とかを狙わかなったんだ。嫌なら嫌で、何故大公のままでいてくれなかったんだ。惜しいだろうが。お前だって公爵令嬢だったんだぞ」
「それって全時代的。悪政蔓延る貴族社会が良かったってことなの」
「ま、あのマヌエラ夫人は自決した。政治家や軍人が出入りしていた娼館のマダムが自決っ。本当に自殺だと思うか。あの人も歪んだとは言え被害者の一人と言えなくもないのだが……おいら、憐れでならないよ」
「憐れみ……か。ふうん。そういう言葉も知っているんだね。カナンがただの単細胞でなくて良かった。きひひ」
そういう処に人間味を感じるよと、付け足したい思いでラナンタータは窓硝子に息を吐く。アルビノの硝子越しに見上げる灰色の雲の切れ間に茜色が見える。温かみのある茜色が暮れる前に、ガラシュリッヒシュロスに灯りが点る。ラナンタータの虹彩は茜色をいとおしむ。
「被害者かぁ。この世に生まれた全ての人はこの世の被害者かもね」
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