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第3章 ブガッティの女、猛烈に愛しているぜ
(1)親戚みたいな ?
しおりを挟む「ラナンタータ、イサドラ・ダンカンが死んだ」
1927年9月。フランスのニースで世界的な創作ダンスの権威イサドラ・ダンカン死去。運転中、スポーツ・カーのタイヤに長いスカーフが巻き込まれての事故死。
其の新聞記事の三面に、ある殺人事件が載っていた。被害者はまたしても娼婦。連続殺人事件の様相を呈しているが、街では海の向こうのロンドンからジャック・ザ・リッパーが渡って来たと真しやかな噂が流れている。
相変わらず黒マントに身を包んで飽きず窓辺に佇むラナンタータを、お前は猫か……とカナンデラが呟く。
「あのイサドラ・ダンカンだぞ」
「其れは気の毒に……」
ラルポアがラナンタータの代わりに悔やみを述べる。
ラルポアはカナンデラのひとり用ソファーの肘掛けに片方の尻を乗せて、背もたれに肘をつき片方の手を腰に当てて、長い脚を斜めに組んでいる。カナンデラの新聞を覗く為だが、無意識にしては絵になるコンビだ。
耳の上からの返答にカナンデラは頷くも、不満を漏らす。
「お前ら、何度も言わせるな。イサドラ・ダンカンと言えば親戚みたいなものじゃないか。この街のスターだぞ」
「「何を馬鹿な……」」
ラナンタータは街を眺めながら、ラルポアはそっぽを向いて、同時に反論した。
事務所の東側に聳え立つガラシュリッヒ・シュロスは大きな日陰をつくる。
日の高いうちは草臥れて何処か褪めた色合いの眠れる繁華街が、日が斜めに傾き始めると妙に艶めき出して、ラナンタータの目を釘付けにする。
夕日に手の甲を伸ばしてしてみる。ガラシュリッヒ・シュロスに反射した西日が、肌の色を柔らかく染めた。アルビノの白さが軽減され、夕日色に晒された肌に温もりを感じ、反って寂しい気持ちになる。
曲がり角から女が現れた。
サディに似ている。
あの女……
孤児のサディ。イサドラ・ダンカンの名を名乗り、この街の劇場の観客動員数を立ち見のでるマックスまで稼いだ詐欺師で殺人鬼。
花屋夫婦を殺害し、無関係の訪問者を階段から突き落として死亡させ、次期総裁の噂の高いアロムナワ子爵への恋心なのか殺意なのか殺害を企てて未遂に終わった、連続殺人事件の犯人だ。
ワインレッドのストールを頭から巻いてマキシム丈のグレーのコート。それでサングラスでも掛けられたら誰だかわからないくらい無個性にすっぽり包まれた歩くコートだ。両手をポケットに突っ込んでいる。
しかしラナンタータはアルビノの弱視をオペラグラスでカバーして見分けた。子供の頃は眼球が震える震瞳に悩まされたが、其れが止むと視力は若干回復した。オペラグラスを使えば、顔認識ロボット並みに記憶に狂いはない。
やっぱり、間違いない。
あれは、あの顔はサディだ。
二人の出会いは殺人事件の起きた密室だった。月明りとランプが1つだけの部屋で、可憐な花がふわっと咲くような不思議なオーラのある踊り子。それが狂人の纏う雰囲気だった。多くの人が騙される訳だとラナンタータは納得した。
サディはしかし、精神病院に収監されて心理学の学者団の分析を受けているはずだ。
サディのような異常心理の精神分析が
やがて犯罪心理学や理学療法の
礎になるかもしれないと云うことだ。
なのに、何故サディがこんな処に……
「カナンデラ、あれを見て。早く」
カナンデラはお気に入りのソファーから跳ねるように立ち上がると、新聞をラルポアに押し付けて窓辺に来た。長身脚長カナンデラ、5メートルを3歩で歩くのは造作ないが、窓際までほんの2メートル。つ、と寄り添い直ぐに
「あれか、サディじゃないか。イサドラ・ダンカンの成り済まし女……」
と呟く。
ラルポアも既に窓辺に来ている。
サディはシャンタンの魔城の方に向かって歩を進める。やがて真下を通る。カナンデラは壁際に身を寄せ、ラナンタータはラルポアに引っ張られて抱き寄せられた形になった。
真下でサディが無人の窓を見上げた。カナンデラ・ザカリー探偵事務所の小さな看板が眼にはいる。
「1、2、3、4、5……」
数を数えてラルポアはラナンタータを離す。カナンデラはコートを羽織り、中折れ帽を片手に大股でドアに向かう。
「尾行する」
ラナンタータは窓辺に寄って「サディ」と呼んだ。サディは無反応だ。
ラルポアは早かった。ラナンタータの片腕を捕まえて訊く。
「呼びかけてどうする気だ」
低い声だが明らかに咎めている。カナンデラはラナンタータの予想外の行動に口をパクパクさせて、片方の手で中折れ帽を振っている。
「お、お前……」
ラナンタータは更に窓から身を乗り出して「イサドラ」と叫んだ。
モーブ色のストールが振り向く。ゆっくり頭が傾いて、窓辺に視線を止めた。サディの目に白い髪の毛のラナンタータが映る。白い少女が手を大きく振っている。
「アルビノ……ラナンタータ」
サディの行動は素早い。すっと足を向けた先に舞うように身体を投げる。サディはカナンデラ・ザカリー探偵事務所のあるビルの内部に入った。
カナンデラは「お前、お前、お前は悪魔か」と言って中折れ帽をバシバシ振っていた手を、ゼンマイ切れの人形のように止めて耳に神経を集中させた。
ギッ、ギッ、と階段が軋む。古い煉瓦造りのビルの木造階段を上って、美しい殺人鬼がやって来る。
「親戚みたいなものって言ったよね。ね、ね、ね。お茶でも淹れようよ。親戚みたいな人にさ」
ラナンタータが提案した。
「この悪魔め」
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