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第3章 猛烈に愛しているぜ
(23)やっとお前を抱けるぜ
しおりを挟むボナペティは騒乱の最中にあった。
イサドラが来ているとホール係りから聞いた厨房の者たちが、ドアの隙間から客席を見た。
ジェイコバを見た途端に顔色を変えた若者が、包丁を掴んで客席に飛び出した。若者がジェイコバに切りかかる前に金切り声が響き、目撃した女性客の悲鳴でイサドラとサニーが異変に気づいた。ジェイコバがカトラリーのナイフを持つまでに時間はかからない。
その筋の者たちが立ち上がる。ピストルがジェイコバと若者に向けられた。
「コラッ。俺たちは静かに飯を食いたいんだ」
「こっ、この男は殺人犯だ。デルタン通りの女の首をへし折った犯人だ」
「なにっ、本当かっ」
「待てっ。人違いだ。犯人が俺に似ていただけだろう。迷惑な」
「う、嘘をつくな。よくも彼女……を俺たちは将来を約束していたんだ。お前が殺したんだ。犯人はお前だ。殺してやる」
「人違いだ。迷惑だ。いい加減にしろ」
イサドラとサニーが立ち上がる。ジェイコバの袖を引いて店を出ようと促す横に、ピストルが火を吹いた。天井の電球が割れる。複数の悲鳴が上がった。
「J、覚えているか」
銃口から消炎が上がる。撃ったのはウタマロの常連客で、留置所で服毒自殺したアトーの実弟だ。
ボナペティに全てが集結する。ラナンタータとカナンデラとラルポア。そしてゴヅィーレ警部率いる刑事部の面々。
ジェイコバはテーブルを投げつけ、イサドラとサニーは急いで店の入り口を目指す。ジェイコバは椅子まで投げた。ピストルが火を吹く。きゃあっと言う悲鳴がイサドラとサニーの行く手を遮り入り口に向かって殺到する。
ラナンタータが後部座席からドアを跨いで降りた時、店の中から銃弾が硝子を割って石畳に跳ねた。通りの向こうのパン屋の硝子が割れた。
「ラナンタータ、乗れ」
ラナンタータはカナンデラの声を無視して店の煉瓦の壁に身体を寄せた。そっと硝子窓から中を見る。カナンデラも降りて来た。
ラルポアはイスパノ・スイザを店の外れに停めて、窓の下を身を屈めてラナンタータに近づいく。窓ひとつを挟んで向き合う形になった。
警察車両が近づく。
店の入り口から悲鳴が重なり、数人の客とイサドラとサニーが出て来た。
「イサドラ・ナリス」
「ラナンタータ。何故ここに」
ジェイコバがラナンタータの腕を掴み、あっという間にラナンタータの華奢な身体はカナンデラの傍から奪い取られた。ラナンタータの首にカトラリーのナイフを当てて、ジェイコバは後退りする。
「よう、ラナンタータ、久しぶりだなぁ。俺様を覚えているか。アルビノ狩りのジェイコバだ」
「「「ジェイコバ……」」」
「私はボケ老人ではないからね。はっきり覚えているんだから。縄と鞭の恨みは千年経っても消えない」
もう少しでクソのカニバリズム教団
ヴァルラケラピスに売られる処だったし
暗かったけどその声と顔は
忘れもしない憎っくき犯人だ
よくも私を鞭打ったな
ラナンタータは盾にされながら、ジェイコバを睨み付ける。カナンデラはサイレンサー付きスミス&ウエッソンの胸元に手を入れた。
「探偵さん、その手を出しな。拳銃出したらその場でこのアルビノは死ぬぜ」
店の中から出て来た男たちはラナンタータが人質に取られたことでジェイコバを詰ったが、ジェイコバは高笑いして石畳の表通りに出た。向かい側の空き地にブガッティを駐車している。
ラルポアはコルトを内ポケットから出した。万が一の襲撃を恐れたアントローサ総監から手渡された銃だ。ジェイコバの額に照準を合わせた。
「そこのイケメン。ピストルを捨てろ」
ラルポアはジェイコバの額から照準を下にずらす。真っ直ぐに延びた腕が、地面に向けられた。
胸辺りはラナンタータに当たる
もっと下か、足を狙うしかない
しかし、狙いが定まらない
警察車両が到着した。アントローサ総監直々のお出ましだ。外出禁止の娘が人質になっている。しかも、イサドラ・ナリスと一緒だ。
「ラルポア、撃てっ」
と叫ぶ。
ジェイコバに激震が走る。
ラルポアは瞬間的に腰を落とし、街灯の鉄の台を撃った。弾が鋭く跳ねる。
その跳弾は狙いどおりジェイコバの膝にめり込み、ジェイコバが仰け反った。すかさずラナンタータが長身のジェイコバを投げ飛ばす。ジャポン流護身術はラルポア直伝だ。
石畳にドウッと倒れたジェイコバに男たちから銃弾が撃ち込まれた。
「止めろ。警察だ。止めるんだ」
イサドラが血塗れのジェイコバに走り寄る。
「ジェイコバっ。何故こんなことに」
「あはは、泣くな、イサドラ……」
ジェイコバの口から血が吹き出た。
「か、神様は俺たちを見放した様だが、何だか妙だぜ。俺、息子が復活したようだ。これでやっとお前を抱ける……」
ジェイコバは口から血を吹き続け、イサドラの腕の中で息絶えた。
アントローサは駆け寄るラナンタータを抱き締めた。
「無事で良かった、私の天使……心配させるな」
カナンデラがぼやく。
「そ、そうだ、見かけはな。見かけは間違いなく十分天使」
「怪我がなくて良かった」
脱力感に見舞われて佇むラルポアを、カナンデラは「お前、銃の腕もなかなかイケてるぞ」と、仕方なさそうにハグする。
シャンタンの元に電話連絡が入ったのはジェイコバが絶命してからだ。電話を録るのは側近の務め。
「ウタマロの怪しい常連客が、何、銃撃戦、撃たれた……何っ、カナンデラ・ザカリーがいると」
シャンタンは慌てて立ち上がり、受話器を奪い取った。
「そこは何処っ」
「ボナペティです。シャンタン会長、撃たれたのはジェイコバというろくでなしですぜ」
「あ……そ、そうか。ど、どんな様子だ。違う。カナンデラ……じゃない。そ、そこの様子だ」
シャンタンは受話器を側近に押し付けた。明らかに現場に対する関心を失って、何かを考え始めた。
カナンデラ・ザカリーめ……
あいつをぶっ殺して俺様は男を上げるんだ
違う、息子よ、お前じゃない
お前、頭をもたげるな……
こんなになるなら
お前のことなんか切って捨てたい
元々切る予定だったのに
う……ううっ……
カ、カナンデラめぇぇ……
「サニー、逃げるわよ」
イサドラはジェイコバのナイフをサニーの喉に当てて、ブガッティに乗り込んだ。ルノーとブガッティのカーチェイスが始まろうとしている。
イサドラはいつも後部座席で運転には無関心だったから、ジェイコバがどのように運転していたのかわからない。サニーが運転席に座り、多分こんな……と言ってブガッテイは動き出した。
「「「うわわわっ」」」
ジェイコバを取り囲んでいた警察官が逃げ惑う。バックしたブガッティのタイヤがジェイコバの身体に乗り上げて、それから孟スピードで走り出す。
「追えっ、逃がすな」
ゴヅィーレ警部の怒声の直後、ブガッティは曲がり角の街灯に激突して激しく回転し、投げ出されたイサドラとサニーは空中を舞う人形に見えた。
この件で、カナンデラとラルポアはアントローサにきついお叱りを受けたが、揃って報償金を貰った。
ジェイコバが脱獄した地方の刑務所は問題があるとして監査が入り、管理強化されることになった。イサドラが逃亡した精神病院は、支配欲の強いセクハラ女医の死によって変革が起きた。少なくとも、世界の小さな部分は変わった。
「でも、イサドラ・ナリスは意識不明のままなのね」
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