101 / 165
第6章 殺人鬼と逃避行
(2)猫と事情聴取
しおりを挟むゴロリと横になって腹を見せた猫は、何か気になったのか絨毯の上で尻尾をしきりに振って動きを止めた。
「犬みたいに尻尾を振って喜んでいますね、総監」
「いや、猫は不快に思うとき尻尾を振るのだ」
猫は背中を波打たせて「ウグッ、グハッ」と毛玉を吐き出した。よろけている。
「おい、この猫を近くの病院に連れて行け。できれば何故吐いたのか聞いて来い」
ドアの近くに倒れた死体を避けて、ブルンチャスとキースが部屋を出る処だった。
「はい」
思わず返事したキースの脇腹をブルンチャスが肘で突く。あ、と頭を掻いたが、苦笑いして戻るとキースは猫を抱いた。猫はぐったりしている。
「急がなきゃあヤバそうだ」
大股で外に出る。
ゴツィーレ警部は猫の吐いた周辺の絨毯を調べるように捜査員に伝えた。
アントローサは鑑識が発展性のある部署だと期待している。しかし1927年の鑑識で出来ることは、指紋と靴跡、毒の特定、血液型鑑定くらいのもので、当時はかなり時間のかかる作業だった。
現場は金貸しの事務所として使われていた一階の角部屋。建物の上階はツーフロアのアパルトマンになって八部屋中六世帯が住んでいる。
キースと別れてブルンチャスは億劫そうに階段を登った。階段は建物の端中央にあり、中央廊下を隔て左右二世帯づつの貸部屋だ。古草臥れたドア。住人のほとんどが大家であるドリエンヌ・メルローから借金していたのではないだろうか。
「警察です。大家のドリエンヌ・メルローさんのことについてお聞きしたいのですが」
週の部屋賃と利息で、ドリエンヌ・メルローはだいぶ潤った生活をしていたと思われる。
家族と言えるのは、行方不明の亭主ブリンクス・メルローとその連れ子ザッキアとアデリア、そしてドリエンヌ・メルロー自身の両親と弟妹たち、結構な数だ。
金庫の中から借用書が出てくれば捜査範囲はもっと広がるだろう。何日かかっても借用書は確認しなければならない。五人懸かりで取り組んでいる。
殺人の起きた部屋では、捜査員が全ての家具調度についても調べている。監察医も大がかりな写真機で撮影を終えて、死体を運び出す処だ。
床に、ドリエンヌの吐いた血痕が残る。
ゴツィーレ警部は、アパルトマンの住人全員から事情を聞くことにして、アントローサ総監が立ち合う。
ドリエンヌ・メルローが仕事部屋として使っていた部屋とは別に、個人の住まいとして一階に続き部屋がある。ドリエンヌは刺繍が趣味だったらしく、小ぢんまりとしたリビングのソファーに、刺しかけの布の籠が置かれていた。既に調べ終えた部屋だ。
ソファーには三人の男女が座っていた。
「警部さん、私は無実です。夕べから実家の手伝いに行っていました。メルロー夫人とは町の刺繍サークルで仲良くしてもらっていたのに、疑われたくありません」
と、ジャネット・プリントが涙ながらに呟く。ハンカチを握りしめた手には火傷の痕があった。
ジャネットはアパルトマンの二階に住む二十二才の未婚女性で、見目形は至って平均的な、つまり金持ち美人の大家ドリエンヌと並ぶと主従関係が出来上がりそうなパッとしない女性だ。
向かい合うソファーにふたり並んだ男性は、ジャックとジルベアル・デミニー兄弟。
「俺は仕事が休みで酒を飲んで寝ていた」
ジャックはドアをノックする音で起こされた。ゴツィーレ警部の脇に立つブルンチャスをちらりと見る。ブルンチャスは手帳に書き込む手を止めて、視線を合わせた。
二十八才独身のジャックは、町外れの工場で煉瓦を作っている雇われ人夫だ。夕べ兄弟ふたり安酒場で大量の酒を飲んだらしく、まだ顔が赤い。
「メルロー夫人とはあまり親しくないです。向こうの方で俺たちを避けているのかと」
年子の弟のジルベアルも同じ工場で働いていたが、最近辞めて、求職中と言う。
「こいつは口下手で、根は良いやつなんだ。別の職場でも真面目にやれば大丈夫だ」
ジルベアルについてもジャックが説明する。
「ジルベアルさんの言葉でお聞きしたいですね。どうしてお辞めになったのですか」
ジルベアルは時間がかかったが、好きになった食堂の従業員が同僚と結婚するのが辛いと言った。ドリエンヌについてもよくは知らないと言ったが、後から、同僚の苦境を助ける為にドリエンヌに借金していたことが判明する
おおよその事件が起きたと思われる時間のアリバイは、三人とも証明できた。
「窓ガラスが割れた原因に心当たりはないか」
この質問は不発に終わった。誰もドリエンヌの窓ガラスが割れた原因を知らなかった。
この寒い季節に窓ガラスを割れたままにしておくはずがない。ドリエンヌが殺害される前に、何らかの理由で割れたのだろうとというのが、現場にいた警察官の一致した見解だ。
残りの住人を呼び出す。
ラナンタータは五分おきに時計を眺めて膨れた。
「もう白紙撤回されちゃったね。イサドラはプライド高いから、二度と同じ提案はしない。ラルポアのせいだからね、宇宙一の頑固者」
ラルポアは静かにお茶を淹れる。望み通りになったので言い訳はしない。
ラナンタータは「邪魔して悪かった」と言ってほしいのだろうが、ラルポアは場を和ませる努力を惜しんだ。後から同じような問題に面したときに、揚げ足を取られる材料にされない為だ。こういう時は黙殺に限る。
「美形のクセに確かに悪どい。宇宙一の悪党だ。俺様まで気絶させることはないだろう、ラル。俺様の華奢な首が折れるところだったぜ」
カナンデラは息を吹き返すのが早い。ラルポアが気を入れる前に、もう片目を開いていた。
「ね、マカロンを食べようよ。宇宙一悪党の淹れたお茶を飲みながらさ。ね」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
