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第7章 投獄されたお姫様 

(23)ヒーロー

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  温風が各部屋に入り始めた。ラナンタータは暗い通風口を這いずって階段の縦穴に気づく。そこには梯子段があった。

まるで救いの手立てみたい
ラルポアとカナンデラは
私がこんな処を
這いずり回ったって知ったら驚くよね
褒めろよ、私を
ただで殺されるような
ラナンタータ様ではないのよ
おほほ
しかしあの二人は懲罰ものよっ
私の苦境に現れないなんて
ヒーロー失格よ
あ、そうだ、懲罰なら、うひひ
カナンデラの財宝でおフランスに行こう
おフランスで三人で遊び回ろう
あ、シャンタンも一緒か
なんだ、シャンタンが一緒なら
カナンはどスケベ直行便だから
外には出ないな、冬籠もりの熊だ
イチャラブイチャラブするんだ
飽きないのかな
いいや、懲罰罰金刑だ
ラルポアと二人か
ラルポアは優しいけど
ラルポアはカナンも一緒でなければ
つまらないのだろうな
ラルポアは私とではなくて
結婚を考えている人と
一緒にいたいだろうし
だったらラルポアには
私といることが懲罰なのか
悲しくなる

  通風口の網戸越しにリヒターの声が聞こえる。

「ローラン、愛している。さっきは嘘をついたんだ。君を守る為に」

えっ……ローランがいるの
何してるの、リヒターは悪人よ
私に何かを盛って眠らせて
ハクビシンの檻に入れたんだから
頭少し痛い
うわあ、ガンガンしてきたよ
死ぬかもしれない
ハンカチにクロロホルムを
染み込ませるやり方では
気絶はしないらしいけど
何を使ったんだろ
たぶん、麻酔系の何かよね
たぶんね、たぶん
早く病院に行かなくちゃ死ぬかも

「嘘……リヒター所長、それこそ嘘でしょう。あなたは僕を甘く見ている。僕は騙されない。もうあなたを信じない。カナンデラさんの方が正しい。ラナンタータの居場所を教えてください」

ローラン、私は此処よ
ああ、カナンデラ、来てくれたのね
いつも単細胞ってバカにしてごめん
こんなときは単細胞でも頼りになるんだね
あ、ラルポアと一緒だからか
カナンデラのアホは見かけは体格良くて
お洒落で格好良いけど
オツム空っぽマネキンだから
このラナンタータ様の頭脳がなければ
一人前ではないのよ、おほほほ
私はお嬢様育ちで運動苦手だから
カナンデラとは二人三脚で一人前ってか
ありゃ……じゃあ、じゃあ、ラルポアは
いつもいつでも絵になる美形男子は
頭良くて武芸百般って……
私は子供の頃から
何でもラルポアに教わって
十四才で生まれてはじめて
学園に通うことになっても
授業に遅れはなかった
却って進んでいた方
ラルポアは教え上手だ
合気道も教えてくれた
私は運動音痴だから
上手くないけどさ……
ラルポアのことは考えるのはよそう

「ローラン、本当だよ。君だけだ。カナンデラ・ザカリーめ、私はあいつを許さない。ラルポア・ミジェールとルパンも……」

「龍花さんは許すんですね」

「龍花は……」

龍花さんもいるの
あ、ゲルトルデが来た
いやだ、出るタイミングを逃したけど
この網戸は外れるかな

「リヒター。何という格好をしているんだ」

「うっ、ゲルトルデ。こ、これは……」

へええ、リヒターが言葉に詰まった
あの悪党が言葉に詰まるなんて
もしかしたら
まさかゲルトルデに見られて
恥ずかしい格好をしているとか
ぶひひ
うーん、椅子が邪魔でよく見えない
声だけで判断するしかないけど

「リヒター所長、お前、ラナンタータを拐って何をするつもりだ。よもやとは思うが、ヴァルラケラピスと繋がっているのではあるまいな」

「ううっ。ゲルトルデ……」

「吐け。ラナンタータは何処だ。あの子は私の妹だ。お前、この場で死ぬか」

ゲルトルデ素敵っ
ヒーローみたいに格好良い
リヒター所長を
お前呼ばわりできる立場だったんだ
そう言えば
ナチスでは軍人が党員になることを
禁止しているとかいないとか
あれ、リヒター所長は軍人ではないのか
ゲルトルデは軍部の高い位で
連隊を指揮する立場だから
リヒターに不正が見つかれば
この研究所を取り囲むこともできるはず
見ものだな
私をあんな牢屋に入れるなんて

でも、ラルポアも来ているんだから
絶対に私の居場所を
突き止めてくれるよね
戻ろうかなあの檻に
ラルポアは私のヒーローだもの

そ、その前にオシッコしたい
通風口が暖かいから忘れていたけど
オシッコしたい
何処かでトイレを探そう

「リヒター、私は本気だ……吐け」

「ゲルトルデさん、拳銃を収めて。僕をほどいてください」

あ……
ゲルトルデは拳銃持ってるんだ
ああ、オシッコしたいから
最後まで聞くことはできない
早く戻らなければ
ラルポアが隈無く捜索して
あの地下牢を見つけ出す前に

ラナンタータはゴキブリのようにカサコソカサコソと手足を懸命に動かして牢屋に戻る。道筋は単純だ。いくら方向音痴のラナンタータでも間違えることはない。

急げ、漏れる前に
あー、漏れそう

「吐かぬか、リヒター」

  拳銃の小さな音が響く。
ラナンタータは梯子段を降りていた。

  ゲルトルデは、リヒターとローランの首を繋ぐネクタイをソファーに押し付けて撃った。ネクタイに穴が空いた。

「わ、わかった……ゲルトルデ。全て君を守る為だ」

「嘘っぱちですよ、ゲルトルデさん。さっき僕にも僕を守る為だと言いましたよ」

「嘘じゃない。誤解だ」





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