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第8章 泣き虫な王子様
(1)殺人事件
しおりを挟むフランス人御用達のホテル・ムーランクラージュに部屋を取って、ラナンタータはベルベットのソファーに沈む。檻の中とは大違いの素晴らしい手触り。そして建物全館が暖かい。春の花が咲き乱れるような飾り付けがなされている処を見ると、ドイツ中の花をかき集めたのではないかとラナンタータは目を疑った。
「龍花さんにお礼を言わなければならないな。こんな素敵なホテルを紹介してくれたのだからな」
カナンデラは財布が豊からしい。豪華な部屋代にも珍しく文句を言わない。
「言葉よりも実質的なモノが良いよね」
ラナンタータは、龍花が何者なのか興味がある。
大戦が終わって九年目のドイツは復興に余念がない。市街地の彼方此方にはまだ大戦の爪痕がみられる。人的被害が数百万人にも及ぶドイツ国内では、フランスのレ・ザネ・フォールのような盛り上がりは無いものの、打ちのめされても今日を生き抜く為に必死な民衆の姿を垣間見る。
そのドイツに龍花がいる理由が気になった。
ロンホア・チャイナって
本当は何をしているのかな……
「金品か」
「まぁた、単細胞は。何もかも失った今のドイツ人には助けになるかもしれないけれど、龍花は中華人だ。お食事に誘うとかさぁ」
「おいら、シャンタンのモノだぜ。他の女を食事に誘うなんて」
シャンタンと口に出しただけでカナンデラは郷愁に駆られる。
「シャンタンって女だっけ」
「何処からどうみても女だろう。俺様の目にはそうとしか映らん」
「カナンデラぁ可哀想に。騙されたんだね。相手はマフィアのゴッドファザーだもんね。シャンタンがオスだと知ったらカナンデラはぁ、うふふ」
「知ってる知ってる知ってるしっ、構わんしっ、俺様の前で可愛くありさえすれば、他の男の前では逆に強面でいてほしいしっ。待て、何の話しだ」
「独占欲かぁ。猿でも独占欲を持つんだねぇ、カナンデラ。ね、ラルポア、聞いたよね。カナンデラはシャンタンの為に、龍花さんに義理を欠くんだってさ。ドイツには美味しいビールもソーセージもあるのに、バーにも誘わないんだ。チェッ。私はこんなに素敵なドレスを着てお出かけ気分なのにさぁ」
ラルポアは、シャワーの後でカナンデラの用意した衣服に身を包み爽やかな顔に戻っている。
「ラナンタータ、お腹が空いているんだね」
「うん」
「なら、話はレストランで」
カナンデラが立ち上がる。それを合図にラナンタータとラルポアも動く。
「やってるかな、レストラン」
「そう言えば、僕たち何も食べていない」
「ええっ。ラルポアそれは本当。カナンデラぁ、シャンタンから大金巻き上げたくせに酷い。ブラック企業並みにこき使うなんて」
ドアを出しなにカナンデラが口笛を吹く。
真っ赤な色に染めた毛皮の金髪美女が「はい、ラルポア」と言って通り過ぎた。
「誰、あの人」
「昔の顔見知りだよ」
ラルポアはこの時、相手がジュエリア・ロイチャスだと言うべきだった。その一言をラナンタータに伝えなかったが為に、二人の間に決定的な溝が生まれる。
ラルポアは後々後悔することになるが、まだ何も起きてはいないこの時点ではラナンタータの平和を守ることが何よりも優先された。愛とはよく嘘をつく。
ラルポアを先頭に、斜め後ろにラナンタータ、その直ぐ後ろに背の高いカナンデラが続く。
エレベーターは上階から降りてきた。エレベーターの二重ドアが開く。先ず、ラルポアがドアに手を掛けて内部を確認するのが常だ。カナンデラは周りに目を光らせる。
「ぎゃ」
ラナンタータが叫び声を上げた。ラルポアの顔も痙攣る。エレベーターの中に倒れている女性の胸に、ナイフが突き刺さっていた。ナイフの柄は金銀にルビーが嵌まっている高価な物のように見える。
カナンデラが各階にいるコンシェルジュに声をかけた。
「殺人事件だ。警察に連絡してくれ」
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