7 / 43
第七話
しおりを挟む
寄合場には十数名の男達が集まっていた。すでにおやじ殿から今回のいきさつについての話は済んでいる。
「しかし、不可抗力とはいえ喜瀬屋さんともあろう大見世で阿芙蓉の中毒患者を出すとはねぇ」
ちくりとした嫌みを言ってきたのは膳屋籐兵衛。
膳屋はこの吉原で四指に入る大見世だ。規模だけなら吉原一である。
なぜか喜瀬屋及び勘左衛門に対して張り合ってくる。
それは遊女達も同じで、道で出会たびにいがみ合う。大見世の喜瀬屋の遊女としての矜持があるので勘左衛門も無視して済ませとは言えない。
そしてここでもまた、被害者である喜瀬屋の遊女東風が嫌みの的になっている。
「いやいや、先日の痴態は凄かったらしいですなぁ。なんでも見世の外まで響き渡るほどの派手な嬌声を三刻も上げ続ける、優秀な遊女がおるそうで……。
もしかしてその者が阿芙蓉の中毒者ですかなぁ。あれは、妙に昂揚するらしいので」
にやにやと笑いながら、先程から話しまくっている。他の見世の楼主たちもうんざりとした顔だ。しかし、膳屋に口を出せる者はごくわずかしかいない。
「……そろそろやめにしねぇか、膳屋よぉ」
寄合場の上座に座っているおやじから声があがる。
それは静かな声であったが膳屋籐兵衛を黙らせるのに十分な効果があった。腹の底から響く声が、頭ごなしでは無く安心感と大きな懐に抱かれる、そんな錯覚を覚えさせるような感覚を思い起こさせる。
吉原一の実力者であり、吉原の創始者でもあるおやじの言葉に膳屋籐兵衛はただ黙るしか無かった。
「とりあえず、阿芙蓉に関しては、今、東雲先生が調べてくださっている。内容については結果待ちだ。男の風体、容姿については明日以降、喜瀬屋の者に協力してもらい人相書きを作らせる。出来次第、各見世に配るので見つけたらすぐに源五郎に知らせろ」
寄合いに参加していた源五郎も頷いている。
彼らは明日以降、すべての手下を投入し、その半数ずつがさらに組に分かれて吉原中を見廻ることになった。源五郎の手下は五十名近くいるのでかなりの人数が歩き回ることになる。しかも十二刻休み無しだ。
吉原に来る客を威圧しないように、客を装い見世に入ることで話は付いていた。もっとも事をするのでは無く、店に入ったら休息と食事が出されることになっている。
「さて、あとは番屋の方だが、しばらくは伏せておく。
東雲先生の調べがついてからでも遅くはあるまい」
そこは満場で一致した。阿芙蓉に関してはばれても東雲先生が処方したと言い訳も出来る。しかも、番屋の役人には大量の鼻薬を嗅がせてある。
原因が分かっていなくても吉原で動いているのが分かっていれば、同心や岡っ引がすぐに職務で吉原を歩くことはない。
もともと殆ど吉原前のばんやが介入してくることはないし、積極的に関わる気も無いようだ。
「では、夜も更けてきたのでこれにて閉会といたしやしょう。
皆々様、お忙しい中今日に集まってもらい済まなかった。だが、こうやって吉原を守っていきましょうや。では、今宵はお開きということで、散会!」
おやじの一言で寄合いは解散となった。各々が帰路につく。
最後におやじと勘左衛門が残った。
「おやじさん、今日は無理を言って申し訳なかったです。今後はなるべく気をつけますので。また後日改めてお礼に参ります」
勘左衛門はおやじに頭を下げた。
「なぁに、いいってことよ。
それに遊女達が安心して仕事をできるようにするのが、俺たち楼主の役目なんじゃないかぃ」
そう言って今日はお開きだと言わんばかりに立ち上がった。そのまま勘左衛門も立ち上がり、帰路につくのであった。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
時雨とお美津は布団の中で抱き合っていた。
二人の微睡は突然の半鐘と呼子の音で覚醒する。
ぴー、ぴー、ぴー
かん・かん・かん かん・かん・かん
呼子の音と半鐘の音が響く。
盗賊などなら呼子。
火事ならば半鐘なのだが今回は両方が鳴っている。
時雨はぼんやりと聞いていた。
お美津は抱きついていた時雨から離れ、長襦袢を着込んでいる。
「見に行く?」
上体を起こしながら時雨はお美津に問いかけた。時雨は吉原から出ようと思えば出れるし、お美津は遊女ではないから関係ない。二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「やめとこ」
「やめましょ」
二人はまた床の上に横になった。時雨はこのような床になれてはいるが、お美津は初めての体験だった。
手触りを確認したり、顔を埋めてみたり色々と試している。
その様子を妹を見るような目で時雨は見ていた。
どたどたという音と共に、突然邪魔が入る。
「時雨、入るぞ」
襖が開き、勘左衛門が入ってきた。かなり慌てているようで服も髪も乱れていた。しかし、部屋の中を見て勘左衛門も動きが止まっていた。全裸の時雨が、長襦袢姿のお美津に躙り寄っていたのだ。
「きゃぁー、きゃぁ、きゃぁ」
「父様、きちんと伺ってから入っておくんなまし」
お美津はあわてて床の中に潜り込んだ。時雨も着物を羽織りながら睨み付けている。勘左衛門もさすがに部屋から出ようとした。しかし、その足はすぐに止まり、そこで振り返った。
「それどころじゃない。東雲先生の診療所が火事だ!
しかも茂蔵が殺されていた!」
時雨と床から顔を出したお美津は互いに目を見合わせ、勘左衛門の方を凝視した。
お美津は五尺ほど飛び上がりそのまま部屋から駆け出そうとする。
凄まじい速さだ。
しかし、その動きを時雨があっさりと押さえ込む。
お美津の目は、昼間警戒していた眼に変わっていた。殺気はもっと酷い。
「お美津、落ち着きなさい。このまま出ても何も持ってないでしょ」
殺気立っているお美津は肩を掴んでいる時雨の方を振り向いた。
早く行かせろと眼が訴えている。
が、その眼はすぐに裏返った。そのままお美津はその場に崩れ落ちる。
時雨が片手でそれを支え、そのまま床に横たえた。
勘左衛門も金縛りに遭ったように動けなかった。時雨の眼を視てしまったから……。
「勘左衛門さん、お美津を頼みます。
いいですね、頼みましたからね」
勘左衛門が頷く事も出来ず立ち尽くしているのを尻目に、部屋の片隅に立てかけてある琴の方へ歩いて行く。時雨はいきなり琴の真ん中を蹴り飛ばした。
鉄を叩き合わせたような音が部屋に響いた。
琴は切断されたように【くの字】に折れた。
中から長い太刀が二振り出てくる。
それをそのまま掴むと羽織った着物に帯を結びながら階段を駆け下りていく。
後には、床に寝かされたお美津と勘左衛門が部屋に取り残された。
「しかし、不可抗力とはいえ喜瀬屋さんともあろう大見世で阿芙蓉の中毒患者を出すとはねぇ」
ちくりとした嫌みを言ってきたのは膳屋籐兵衛。
膳屋はこの吉原で四指に入る大見世だ。規模だけなら吉原一である。
なぜか喜瀬屋及び勘左衛門に対して張り合ってくる。
それは遊女達も同じで、道で出会たびにいがみ合う。大見世の喜瀬屋の遊女としての矜持があるので勘左衛門も無視して済ませとは言えない。
そしてここでもまた、被害者である喜瀬屋の遊女東風が嫌みの的になっている。
「いやいや、先日の痴態は凄かったらしいですなぁ。なんでも見世の外まで響き渡るほどの派手な嬌声を三刻も上げ続ける、優秀な遊女がおるそうで……。
もしかしてその者が阿芙蓉の中毒者ですかなぁ。あれは、妙に昂揚するらしいので」
にやにやと笑いながら、先程から話しまくっている。他の見世の楼主たちもうんざりとした顔だ。しかし、膳屋に口を出せる者はごくわずかしかいない。
「……そろそろやめにしねぇか、膳屋よぉ」
寄合場の上座に座っているおやじから声があがる。
それは静かな声であったが膳屋籐兵衛を黙らせるのに十分な効果があった。腹の底から響く声が、頭ごなしでは無く安心感と大きな懐に抱かれる、そんな錯覚を覚えさせるような感覚を思い起こさせる。
吉原一の実力者であり、吉原の創始者でもあるおやじの言葉に膳屋籐兵衛はただ黙るしか無かった。
「とりあえず、阿芙蓉に関しては、今、東雲先生が調べてくださっている。内容については結果待ちだ。男の風体、容姿については明日以降、喜瀬屋の者に協力してもらい人相書きを作らせる。出来次第、各見世に配るので見つけたらすぐに源五郎に知らせろ」
寄合いに参加していた源五郎も頷いている。
彼らは明日以降、すべての手下を投入し、その半数ずつがさらに組に分かれて吉原中を見廻ることになった。源五郎の手下は五十名近くいるのでかなりの人数が歩き回ることになる。しかも十二刻休み無しだ。
吉原に来る客を威圧しないように、客を装い見世に入ることで話は付いていた。もっとも事をするのでは無く、店に入ったら休息と食事が出されることになっている。
「さて、あとは番屋の方だが、しばらくは伏せておく。
東雲先生の調べがついてからでも遅くはあるまい」
そこは満場で一致した。阿芙蓉に関してはばれても東雲先生が処方したと言い訳も出来る。しかも、番屋の役人には大量の鼻薬を嗅がせてある。
原因が分かっていなくても吉原で動いているのが分かっていれば、同心や岡っ引がすぐに職務で吉原を歩くことはない。
もともと殆ど吉原前のばんやが介入してくることはないし、積極的に関わる気も無いようだ。
「では、夜も更けてきたのでこれにて閉会といたしやしょう。
皆々様、お忙しい中今日に集まってもらい済まなかった。だが、こうやって吉原を守っていきましょうや。では、今宵はお開きということで、散会!」
おやじの一言で寄合いは解散となった。各々が帰路につく。
最後におやじと勘左衛門が残った。
「おやじさん、今日は無理を言って申し訳なかったです。今後はなるべく気をつけますので。また後日改めてお礼に参ります」
勘左衛門はおやじに頭を下げた。
「なぁに、いいってことよ。
それに遊女達が安心して仕事をできるようにするのが、俺たち楼主の役目なんじゃないかぃ」
そう言って今日はお開きだと言わんばかりに立ち上がった。そのまま勘左衛門も立ち上がり、帰路につくのであった。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
時雨とお美津は布団の中で抱き合っていた。
二人の微睡は突然の半鐘と呼子の音で覚醒する。
ぴー、ぴー、ぴー
かん・かん・かん かん・かん・かん
呼子の音と半鐘の音が響く。
盗賊などなら呼子。
火事ならば半鐘なのだが今回は両方が鳴っている。
時雨はぼんやりと聞いていた。
お美津は抱きついていた時雨から離れ、長襦袢を着込んでいる。
「見に行く?」
上体を起こしながら時雨はお美津に問いかけた。時雨は吉原から出ようと思えば出れるし、お美津は遊女ではないから関係ない。二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「やめとこ」
「やめましょ」
二人はまた床の上に横になった。時雨はこのような床になれてはいるが、お美津は初めての体験だった。
手触りを確認したり、顔を埋めてみたり色々と試している。
その様子を妹を見るような目で時雨は見ていた。
どたどたという音と共に、突然邪魔が入る。
「時雨、入るぞ」
襖が開き、勘左衛門が入ってきた。かなり慌てているようで服も髪も乱れていた。しかし、部屋の中を見て勘左衛門も動きが止まっていた。全裸の時雨が、長襦袢姿のお美津に躙り寄っていたのだ。
「きゃぁー、きゃぁ、きゃぁ」
「父様、きちんと伺ってから入っておくんなまし」
お美津はあわてて床の中に潜り込んだ。時雨も着物を羽織りながら睨み付けている。勘左衛門もさすがに部屋から出ようとした。しかし、その足はすぐに止まり、そこで振り返った。
「それどころじゃない。東雲先生の診療所が火事だ!
しかも茂蔵が殺されていた!」
時雨と床から顔を出したお美津は互いに目を見合わせ、勘左衛門の方を凝視した。
お美津は五尺ほど飛び上がりそのまま部屋から駆け出そうとする。
凄まじい速さだ。
しかし、その動きを時雨があっさりと押さえ込む。
お美津の目は、昼間警戒していた眼に変わっていた。殺気はもっと酷い。
「お美津、落ち着きなさい。このまま出ても何も持ってないでしょ」
殺気立っているお美津は肩を掴んでいる時雨の方を振り向いた。
早く行かせろと眼が訴えている。
が、その眼はすぐに裏返った。そのままお美津はその場に崩れ落ちる。
時雨が片手でそれを支え、そのまま床に横たえた。
勘左衛門も金縛りに遭ったように動けなかった。時雨の眼を視てしまったから……。
「勘左衛門さん、お美津を頼みます。
いいですね、頼みましたからね」
勘左衛門が頷く事も出来ず立ち尽くしているのを尻目に、部屋の片隅に立てかけてある琴の方へ歩いて行く。時雨はいきなり琴の真ん中を蹴り飛ばした。
鉄を叩き合わせたような音が部屋に響いた。
琴は切断されたように【くの字】に折れた。
中から長い太刀が二振り出てくる。
それをそのまま掴むと羽織った着物に帯を結びながら階段を駆け下りていく。
後には、床に寝かされたお美津と勘左衛門が部屋に取り残された。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる