15 / 43
第十五話
しおりを挟む
勘左衛門が喜瀬屋に戻ってきたのは夜半過ぎであった。どこか疲れ切っている様子にお京と番頭が声を掛けられず、遠巻きに見ていた。
喜瀬屋は夕刻から見世を閉めている。見世の中はしんと静まりかえっていた。
「旦那様、どのようになりましたか?」
意を決したように番頭が声を掛ける。勘左衛門は黙って顔を上げた。二人をじっと見つめる。
「あぁ、千両の罰金と膳屋へ二千両の違約金だ。それと三十日の営業停止だ」
さすがに番頭とお京も座り込む。
合計三千両の罰金だ。金はあるがかなりの出費である。
それよりも営業停止の方が堪える。出費は取り戻せば良い。しかし取り戻す手段を止められたのだ。
ただ、下手人ではないので本人に咎はない。それが救いであった。
「東風は?
東風の身体はどうなるのですか?」
お京がはっとした顔で尋ねる。勘左衛門は俯いてぼそりと呟いた。
「その場で死んだといっても普通は遠島だ。ただ、遺体に不自然な点が多いから色々と調べるそうだ。
なんとか引き取れるよう頼んではみるが……」
そこまで言って勘左衛門は口をつぐんだ。
あの遺体を引き取って埋葬してやりたい。しかし、見世の者に見せられる状態ではない。そのことが勘左衛門の口を閉ざしていた。
「とりあえず、明日からは休業だ。いろいろと大変だろうが各人の役割や仕事を割り振ってくれ」
勘左衛門はそう言って、自室に戻っていった。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
喜瀬屋はその次の日から営業停止になった。
遊女たちは遊女同士で性技の練習をしたり、禿たちに知識を教えている。それと各自の部屋の掃除、整理整頓を始めた。
若い者達はここぞとばかりに地下の整理を始め、遣手たちも一階広間の掃除をしている。
勘左衛門はまず朝一に奉行所へ千両を届けた。
昼からは奉行所の立ち合いのもと膳屋へ二千両を届けた。
そこではさんざん嫌みを言われたようだ。
その後、世話になったおやじや寄合の組員達に迷惑料を配る。
当然、番屋や源五郎達にも付け届けをする。
最終的な損益は五千両近くに昇った。
金の精算を終わらせたら、勘左衛門は連日奉行所へ出頭している。
東風のことだ。
東風は様々な検査、解剖を行われていた。
幸い、阿芙蓉のことは感づかれなかった。
そして、東風の身体は返されることとなった。
東風の遺体は江戸の郊外にある寺にひっそりと埋葬される。東風に近しかった者のみが埋葬に立ち会った。
「なあ、時雨。おまえさんが気に病むことは無いのだよ。すべては仏の思し召しだ」
帰ってきた東風の遺体を床まで運んだのは時雨だった。
ほとんどの者は近づこうとすらしなかった。
遺体になって数日が経過していたので、一日だけ喜瀬屋|《きせや》で線香を上げ、次の日、今日が埋葬日だ。
寺の住職の読経が響く。勘左衛門と番頭、お京と時雨、遊女が二人、禿が五人という寂しい葬式だった。
しかし、遊女の葬儀にしては規模が大きいほうだった。
普通の遊女は浄閑寺という寺に無縁仏として葬られるのが常だ。喜瀬屋だけが死亡した遊女を手厚く葬っている。
喜瀬屋勘左衛門が亡八と呼ばれないのはそこのところが大きい。
簡単な葬式と埋葬を済ませると一行は帰路についた。
江戸の市街に入り、吉原へ歩いているとき時雨はふと足を止めた。
誰かの視線を感じ取っていたのだ。
時雨は勘左衛門の側に行き、耳打ちをする。
「誰かに見られていんす。あちきが正体を確かめてきんす」
そう言うと時雨は自然と別の方向に歩き出した。
時雨の気まぐれはいつものことなので誰も何も言わない。ただ、東風のことを悲しんでいるだけだった。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
時雨は暫く歩く。視線は時雨の方に徐々に移動してきた。
(あらあら、あきちが狙いでござんすか)
そのまま、表通りを歩き、買い物をする振りをしながら歩く。そして人気の無いところへ誘導した。
相手は誘導されていることに気づいていないのか、わざと付いて来ているのか、一定の距離を保ったまま付いてくる。
時雨は大きな寺の境内を通り抜け、裏手まで引き寄せ気配を消した。もっとも、ただしゃがんだだけなのだが。
目標を見失ったと思ったようで、視線の主は早足で向かってきた。
時雨の足が姿を現した相手の足を払う。
相手はそのまま顔面から落ちた……、落ちない!
そのまま宙で一回転して着地する。
時雨は振り返ろうとする相手の耳朶の後ろに短刀を突きつけた。ここから一突きすると神経と血管を一気に切断できる。
「誰だい、あんた。あちきが時雨太夫と知ってありんすか?」
相手は時雨より少し丈の低い男だった。仕立ての良い着物を着た武士だ。
「安岐姫様、お久しゅうございます」
男から洩れた言葉は、とても懐かしい言葉であり、懐かしい声であった。
喜瀬屋は夕刻から見世を閉めている。見世の中はしんと静まりかえっていた。
「旦那様、どのようになりましたか?」
意を決したように番頭が声を掛ける。勘左衛門は黙って顔を上げた。二人をじっと見つめる。
「あぁ、千両の罰金と膳屋へ二千両の違約金だ。それと三十日の営業停止だ」
さすがに番頭とお京も座り込む。
合計三千両の罰金だ。金はあるがかなりの出費である。
それよりも営業停止の方が堪える。出費は取り戻せば良い。しかし取り戻す手段を止められたのだ。
ただ、下手人ではないので本人に咎はない。それが救いであった。
「東風は?
東風の身体はどうなるのですか?」
お京がはっとした顔で尋ねる。勘左衛門は俯いてぼそりと呟いた。
「その場で死んだといっても普通は遠島だ。ただ、遺体に不自然な点が多いから色々と調べるそうだ。
なんとか引き取れるよう頼んではみるが……」
そこまで言って勘左衛門は口をつぐんだ。
あの遺体を引き取って埋葬してやりたい。しかし、見世の者に見せられる状態ではない。そのことが勘左衛門の口を閉ざしていた。
「とりあえず、明日からは休業だ。いろいろと大変だろうが各人の役割や仕事を割り振ってくれ」
勘左衛門はそう言って、自室に戻っていった。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
喜瀬屋はその次の日から営業停止になった。
遊女たちは遊女同士で性技の練習をしたり、禿たちに知識を教えている。それと各自の部屋の掃除、整理整頓を始めた。
若い者達はここぞとばかりに地下の整理を始め、遣手たちも一階広間の掃除をしている。
勘左衛門はまず朝一に奉行所へ千両を届けた。
昼からは奉行所の立ち合いのもと膳屋へ二千両を届けた。
そこではさんざん嫌みを言われたようだ。
その後、世話になったおやじや寄合の組員達に迷惑料を配る。
当然、番屋や源五郎達にも付け届けをする。
最終的な損益は五千両近くに昇った。
金の精算を終わらせたら、勘左衛門は連日奉行所へ出頭している。
東風のことだ。
東風は様々な検査、解剖を行われていた。
幸い、阿芙蓉のことは感づかれなかった。
そして、東風の身体は返されることとなった。
東風の遺体は江戸の郊外にある寺にひっそりと埋葬される。東風に近しかった者のみが埋葬に立ち会った。
「なあ、時雨。おまえさんが気に病むことは無いのだよ。すべては仏の思し召しだ」
帰ってきた東風の遺体を床まで運んだのは時雨だった。
ほとんどの者は近づこうとすらしなかった。
遺体になって数日が経過していたので、一日だけ喜瀬屋|《きせや》で線香を上げ、次の日、今日が埋葬日だ。
寺の住職の読経が響く。勘左衛門と番頭、お京と時雨、遊女が二人、禿が五人という寂しい葬式だった。
しかし、遊女の葬儀にしては規模が大きいほうだった。
普通の遊女は浄閑寺という寺に無縁仏として葬られるのが常だ。喜瀬屋だけが死亡した遊女を手厚く葬っている。
喜瀬屋勘左衛門が亡八と呼ばれないのはそこのところが大きい。
簡単な葬式と埋葬を済ませると一行は帰路についた。
江戸の市街に入り、吉原へ歩いているとき時雨はふと足を止めた。
誰かの視線を感じ取っていたのだ。
時雨は勘左衛門の側に行き、耳打ちをする。
「誰かに見られていんす。あちきが正体を確かめてきんす」
そう言うと時雨は自然と別の方向に歩き出した。
時雨の気まぐれはいつものことなので誰も何も言わない。ただ、東風のことを悲しんでいるだけだった。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
時雨は暫く歩く。視線は時雨の方に徐々に移動してきた。
(あらあら、あきちが狙いでござんすか)
そのまま、表通りを歩き、買い物をする振りをしながら歩く。そして人気の無いところへ誘導した。
相手は誘導されていることに気づいていないのか、わざと付いて来ているのか、一定の距離を保ったまま付いてくる。
時雨は大きな寺の境内を通り抜け、裏手まで引き寄せ気配を消した。もっとも、ただしゃがんだだけなのだが。
目標を見失ったと思ったようで、視線の主は早足で向かってきた。
時雨の足が姿を現した相手の足を払う。
相手はそのまま顔面から落ちた……、落ちない!
そのまま宙で一回転して着地する。
時雨は振り返ろうとする相手の耳朶の後ろに短刀を突きつけた。ここから一突きすると神経と血管を一気に切断できる。
「誰だい、あんた。あちきが時雨太夫と知ってありんすか?」
相手は時雨より少し丈の低い男だった。仕立ての良い着物を着た武士だ。
「安岐姫様、お久しゅうございます」
男から洩れた言葉は、とても懐かしい言葉であり、懐かしい声であった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる