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第十四話
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時雨は一刻後、番屋の前に立っていた。東風の遺体に対面するためだ。あの後、勘左衛門は戻っていない。今もここにいるのだろう。
「岡崎様にお会いしたい」
時雨は番屋の戸を開け、中に入った。岡っ引きが三人いる。
「今、岡崎様は忙しい。帰りな。それに笠は脱ぐもんだぜ」
岡っ引きの一人が十手を取り出し近づいて来た。
無理矢理笠を剥ぎ取ろうとする岡っ引きの手が笠に触れた瞬間、時雨は微妙に身体を動かした。岡っ引きはそのまま宙を一回転すると、脇腹から土間に叩きつけられる。
鈍い音が響く。
岡っ引きが大声で悲鳴を上げた。
残りの二人は何が起きたのか理解できず、その場から動かない。
番屋の奥から着物姿で刀を持った武士が二人飛び出してきた。土間を見てすぐに羽織を脱ぎ捨てる。
「何奴だ。狼藉者かっ!」
二人の武士は土間に降りてこない。その場で重心を低くし、刀の柄に手を掛けたまま柄頭を刀身と同じ位置、水平にする。
鞘は左足の腿に乗せている。
「岡崎様に呼ばれてきたのだが……、いきなりそこの岡っ引きが絡んできたのでな」
時雨は太刀の柄を動かし、土間で転げ回っている岡っ引きを指した。
「あまり動くな、傷が治らなくなるぞ。そこの二人そいつを奥に連れて行き医者を呼べ」
二人の武士のうしろから岡崎が姿を現した。
ふたりの武士のうち一人が振り返る。
「岡崎様、こやつ、狼藉を働いたのですぞ!
斬り捨てましょう」
時雨から目を離さない武士の殺気が一気にふくれあがった。
「あぁ、やめとけ。お主らでは無駄死にするだけだ。それにこの者に来いと言ったのは私だ」
「岡崎様、たかだか浪人風情に私どもが負けるとでもおっしゃいますか!」
岡崎の方を向いている武士が声をあげた。よほど腕に自信があるのか上役である岡崎を睨んでいる。
岡崎は鼻で息を吐き出し肩を竦める。
そして時雨の方に目を向けた。
「あー、すまんが少し揉んでやってくれんか?
怪我は極力避けてくれ」
そう言って少し下がり床に座る。
二人の武士の表情が憤怒と化す。岡崎は涼しい顔で眺めていた。
「死ねぇぃ」
ずっと時雨から目を離さなかった武士が板間からほぼ水平に跳躍し、時雨の方へ抜き打ちをかける。
時雨は相手の刀が鞘から抜ける前に体勢を入れ替えながら太刀を抜き、しゃがみながら相手の刀の峰に下から抜き撃ちを放つ。
強烈な衝撃に刀身の抜けきらない鞘は割れ、刃は武士の手の平を切り裂いた。
太刀はその後弧を描きながら回転し、刀の面が肩口を襲った。
武士はそのまま土間の上に落ち、動かなくなる。
それを見たもう一人は、土間の上に裸足で降り立ち、刀を抜いた。
脇構えで刀身を身体で隠す。
時雨は抜いた太刀をそのままに無造作に間合いを詰めた。
武士が半歩踏み出す。しかし、それ以上動きは起こらなかった。正確には起こせなかった。
武士の喉元に切っ先がつけられている。刀を振ることも出来ない。振れば、動いた動作で自分の喉が斬れる。
「それまで、だな。引いてくれ」
岡崎が立ち上がりながら手を叩く。武士は恥辱で顔を真っ赤にしている。
時雨は、そのまま真後ろに太刀を引いた。
瞬間、脇構えから斬撃が繰り出された。速度は申し分ない。間合いも十分。勝利を確信していた。
鈍い音。
人中に柄頭がめり込む。
時雨は後ろへ引かず前へ動いていた。
間合いを潰すためだった。
「武士にしては行儀がなっていませんね」
時雨は武士から刀を取り上げると土間へ切っ先をつけた。
不思議な音と共に刀が真ん中から真っ二つに折れる。
どうやったか見えなかったようで、これには岡崎も若干驚いたようだ。
「すごいな、それ。
教えてくれないか」
折った刀を放り投げる時雨に岡崎が声を掛けた。
部下の無礼を気にした様子はない。
時雨は呆れかえって溜息をついた。
「いやです」
「だろうな」
岡崎は土間の端で震えている岡っ引きに倒れている二人を片付けておけと言い残し、時雨に着いてくるように促した。
雪駄を脱ぎ、板間にあがる。
そのまま、奥の遺体安置所へとついてゆく。
「お主、喜瀬屋の時雨太夫だろ」
岡崎がいきなり尋ねて来た。
時雨はだんまりを決め口を開かない。
特に返事がないのを気にする風でもなく岡崎は歩いき続けた。
「ここだ。
一番奥の台だ。手前は膳屋の太夫二人だ。
外にいるから終わったら声を掛けてくれ。
それと勘左衛門は奉行所へ行っている」
それだけ言い残し、岡崎は扉を閉めた。
それを確認した後、時雨は笠を外した。
部屋には六つの台がある。そのうちの三つに全裸の女の遺体が並べてある。
手前二人は膳屋の太夫だ。顔から腹部まで十数カ所の刺し傷がある。どれも深い。相当な力で刺されたようだ。
すべてが急所を捕らえており致命傷になっている。
(正確すぎるな……)
膳屋の前が血だらけだったのがよく分かる。
しかし、東風はただの遊女だ。そのような芸当が出来るものか。
時雨は二人の太夫の傷口を見ながら考え込んでいた。
とりあえず、二人の太夫にそれぞれ手を合わせ、東風の遺体に目を移す。
変わり果てた東風の姿を見た時雨はただ愕然とするしかなかった。健康そのものだった東風の風体はあまりにも替わりすぎていた。
頬は痩け、目の下には黒い隈ができている。
さらに気になったのは身体の方だった。体中にひっかき傷がある。喜瀬屋で見たときよりも更に深く、数も全身に及んでいた。
五つの大きな傷は長脇差しと短刀のものだ。
これは膳屋の用人がやったものだろう。
しかし、それ以上に不可解なものがある。肘の内側にある無数の斑点だ。針の痕のようだ。鍼灸用の針よりも太い。それが両腕、内太股に多数ある。
口元に顔を近づけると微かに阿芙蓉の香りがした。
しかし、何か別の匂いが混ざっている。時雨の記憶には無い匂いだ。
そういえばお美津が混ぜ物がどうとか言っていたような……。
時雨は東風の身体をひととおり観察すると、髪の毛の上にそっと手を置いた。しばらくゆっくりと撫でてやる。
その後、手を合わせ目を閉じる。
元気に客引きをしていた東風の笑顔が目に浮かんだ。
(仇は取ってやる)
時雨は、笠をかぶり直し安置所を出た。少し離れたところに壁に寄り掛かった岡崎がいた。
「終わったか?」
岡崎の問いに黙って頷く。
時雨は岡崎の横まで行き、腰に差した太刀を抜いた。
「屋外では申し訳ありませんでした。この太刀で良ければお納めください。
もしご自分でお探しになられるのなら、決まったときに言ってください。お代はお支払いいたします」
岡崎は太刀を受け取り、中身を引き抜いた。丁字刃の美しい太刀だった。岡崎はひとしきり眺めた後、鞘に戻した。
「いや、眼福眼福。このようなもの受け取れんよ。まぁ、普通の捕り物は予備の刀で十分だ。気長に探すさ」
そのまま太刀を時雨に返した。時雨もそのまま太刀を受け取る。
「わかりました。とりあえずここに五十両あります。足りなければいつでもお越しください」
そういうと白い包み紙を差し出した。岡崎は少し考え込んだ。
「ん、多すぎる。しかも受け取りに来い?
行けるわけ無いだろう。
あんな高い見世」
苦笑しながら岡崎は突き返そうとする。時雨の正体は完全にばれているようだ。それでも時雨は受け取らせようとする。
しばらく攻防が続き、結局岡崎が折れた。
「わかったわかった、ありがたく受け取らせてもらう。
身の丈に合わぬ金は身を滅ぼすのだがなぁ」
岡崎はぶつくさと不満を漏らしながら袖下に仕舞った。
「それでは岡崎様、失礼いたします。ご便宜いただきありがとうございました」
時雨はそう言って番屋を後にした。
東風との再会、それは非常に悲しいものであった。
「岡崎様にお会いしたい」
時雨は番屋の戸を開け、中に入った。岡っ引きが三人いる。
「今、岡崎様は忙しい。帰りな。それに笠は脱ぐもんだぜ」
岡っ引きの一人が十手を取り出し近づいて来た。
無理矢理笠を剥ぎ取ろうとする岡っ引きの手が笠に触れた瞬間、時雨は微妙に身体を動かした。岡っ引きはそのまま宙を一回転すると、脇腹から土間に叩きつけられる。
鈍い音が響く。
岡っ引きが大声で悲鳴を上げた。
残りの二人は何が起きたのか理解できず、その場から動かない。
番屋の奥から着物姿で刀を持った武士が二人飛び出してきた。土間を見てすぐに羽織を脱ぎ捨てる。
「何奴だ。狼藉者かっ!」
二人の武士は土間に降りてこない。その場で重心を低くし、刀の柄に手を掛けたまま柄頭を刀身と同じ位置、水平にする。
鞘は左足の腿に乗せている。
「岡崎様に呼ばれてきたのだが……、いきなりそこの岡っ引きが絡んできたのでな」
時雨は太刀の柄を動かし、土間で転げ回っている岡っ引きを指した。
「あまり動くな、傷が治らなくなるぞ。そこの二人そいつを奥に連れて行き医者を呼べ」
二人の武士のうしろから岡崎が姿を現した。
ふたりの武士のうち一人が振り返る。
「岡崎様、こやつ、狼藉を働いたのですぞ!
斬り捨てましょう」
時雨から目を離さない武士の殺気が一気にふくれあがった。
「あぁ、やめとけ。お主らでは無駄死にするだけだ。それにこの者に来いと言ったのは私だ」
「岡崎様、たかだか浪人風情に私どもが負けるとでもおっしゃいますか!」
岡崎の方を向いている武士が声をあげた。よほど腕に自信があるのか上役である岡崎を睨んでいる。
岡崎は鼻で息を吐き出し肩を竦める。
そして時雨の方に目を向けた。
「あー、すまんが少し揉んでやってくれんか?
怪我は極力避けてくれ」
そう言って少し下がり床に座る。
二人の武士の表情が憤怒と化す。岡崎は涼しい顔で眺めていた。
「死ねぇぃ」
ずっと時雨から目を離さなかった武士が板間からほぼ水平に跳躍し、時雨の方へ抜き打ちをかける。
時雨は相手の刀が鞘から抜ける前に体勢を入れ替えながら太刀を抜き、しゃがみながら相手の刀の峰に下から抜き撃ちを放つ。
強烈な衝撃に刀身の抜けきらない鞘は割れ、刃は武士の手の平を切り裂いた。
太刀はその後弧を描きながら回転し、刀の面が肩口を襲った。
武士はそのまま土間の上に落ち、動かなくなる。
それを見たもう一人は、土間の上に裸足で降り立ち、刀を抜いた。
脇構えで刀身を身体で隠す。
時雨は抜いた太刀をそのままに無造作に間合いを詰めた。
武士が半歩踏み出す。しかし、それ以上動きは起こらなかった。正確には起こせなかった。
武士の喉元に切っ先がつけられている。刀を振ることも出来ない。振れば、動いた動作で自分の喉が斬れる。
「それまで、だな。引いてくれ」
岡崎が立ち上がりながら手を叩く。武士は恥辱で顔を真っ赤にしている。
時雨は、そのまま真後ろに太刀を引いた。
瞬間、脇構えから斬撃が繰り出された。速度は申し分ない。間合いも十分。勝利を確信していた。
鈍い音。
人中に柄頭がめり込む。
時雨は後ろへ引かず前へ動いていた。
間合いを潰すためだった。
「武士にしては行儀がなっていませんね」
時雨は武士から刀を取り上げると土間へ切っ先をつけた。
不思議な音と共に刀が真ん中から真っ二つに折れる。
どうやったか見えなかったようで、これには岡崎も若干驚いたようだ。
「すごいな、それ。
教えてくれないか」
折った刀を放り投げる時雨に岡崎が声を掛けた。
部下の無礼を気にした様子はない。
時雨は呆れかえって溜息をついた。
「いやです」
「だろうな」
岡崎は土間の端で震えている岡っ引きに倒れている二人を片付けておけと言い残し、時雨に着いてくるように促した。
雪駄を脱ぎ、板間にあがる。
そのまま、奥の遺体安置所へとついてゆく。
「お主、喜瀬屋の時雨太夫だろ」
岡崎がいきなり尋ねて来た。
時雨はだんまりを決め口を開かない。
特に返事がないのを気にする風でもなく岡崎は歩いき続けた。
「ここだ。
一番奥の台だ。手前は膳屋の太夫二人だ。
外にいるから終わったら声を掛けてくれ。
それと勘左衛門は奉行所へ行っている」
それだけ言い残し、岡崎は扉を閉めた。
それを確認した後、時雨は笠を外した。
部屋には六つの台がある。そのうちの三つに全裸の女の遺体が並べてある。
手前二人は膳屋の太夫だ。顔から腹部まで十数カ所の刺し傷がある。どれも深い。相当な力で刺されたようだ。
すべてが急所を捕らえており致命傷になっている。
(正確すぎるな……)
膳屋の前が血だらけだったのがよく分かる。
しかし、東風はただの遊女だ。そのような芸当が出来るものか。
時雨は二人の太夫の傷口を見ながら考え込んでいた。
とりあえず、二人の太夫にそれぞれ手を合わせ、東風の遺体に目を移す。
変わり果てた東風の姿を見た時雨はただ愕然とするしかなかった。健康そのものだった東風の風体はあまりにも替わりすぎていた。
頬は痩け、目の下には黒い隈ができている。
さらに気になったのは身体の方だった。体中にひっかき傷がある。喜瀬屋で見たときよりも更に深く、数も全身に及んでいた。
五つの大きな傷は長脇差しと短刀のものだ。
これは膳屋の用人がやったものだろう。
しかし、それ以上に不可解なものがある。肘の内側にある無数の斑点だ。針の痕のようだ。鍼灸用の針よりも太い。それが両腕、内太股に多数ある。
口元に顔を近づけると微かに阿芙蓉の香りがした。
しかし、何か別の匂いが混ざっている。時雨の記憶には無い匂いだ。
そういえばお美津が混ぜ物がどうとか言っていたような……。
時雨は東風の身体をひととおり観察すると、髪の毛の上にそっと手を置いた。しばらくゆっくりと撫でてやる。
その後、手を合わせ目を閉じる。
元気に客引きをしていた東風の笑顔が目に浮かんだ。
(仇は取ってやる)
時雨は、笠をかぶり直し安置所を出た。少し離れたところに壁に寄り掛かった岡崎がいた。
「終わったか?」
岡崎の問いに黙って頷く。
時雨は岡崎の横まで行き、腰に差した太刀を抜いた。
「屋外では申し訳ありませんでした。この太刀で良ければお納めください。
もしご自分でお探しになられるのなら、決まったときに言ってください。お代はお支払いいたします」
岡崎は太刀を受け取り、中身を引き抜いた。丁字刃の美しい太刀だった。岡崎はひとしきり眺めた後、鞘に戻した。
「いや、眼福眼福。このようなもの受け取れんよ。まぁ、普通の捕り物は予備の刀で十分だ。気長に探すさ」
そのまま太刀を時雨に返した。時雨もそのまま太刀を受け取る。
「わかりました。とりあえずここに五十両あります。足りなければいつでもお越しください」
そういうと白い包み紙を差し出した。岡崎は少し考え込んだ。
「ん、多すぎる。しかも受け取りに来い?
行けるわけ無いだろう。
あんな高い見世」
苦笑しながら岡崎は突き返そうとする。時雨の正体は完全にばれているようだ。それでも時雨は受け取らせようとする。
しばらく攻防が続き、結局岡崎が折れた。
「わかったわかった、ありがたく受け取らせてもらう。
身の丈に合わぬ金は身を滅ぼすのだがなぁ」
岡崎はぶつくさと不満を漏らしながら袖下に仕舞った。
「それでは岡崎様、失礼いたします。ご便宜いただきありがとうございました」
時雨はそう言って番屋を後にした。
東風との再会、それは非常に悲しいものであった。
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