時雨太夫

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第二十一話

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 何気なく、庭を散策するように歩いてくる女の姿に大長刀おおなぎなたの男は後ずさっていた。
とんでもない圧力が押し寄せてくる。追い詰めた男にとどめを刺す暇はない。男の判断は速かった。すぐに大長刀おおなぎなたを存分に振るえる位置に移動する。

「あんた、良い判断してるねぇ」

 おとよは感心したように身体を大長刀おおなぎなたの男の方へ向ける。まだ構えない、おとよ長刀なぎなたを持ち、帯に刀を差していた。倒れた家臣の刀だ。

「名乗りなさい。相手してあげるよ」

 かかってこいと言わんばかりに長刀なぎなたを片手で持つ。男は何気なく返答した。

「賊が名乗るとお思いで?
奥方様、奥方のお遊びに付き合って差し上げますよ。
四十は越えてられるのにいや、お美しい。終わったら遊んで差し上げますよぉ。全員で……」

とよは【はぁ】と溜息をついた。軽く空を仰ぐ。

「そうねぇ、じゃあ、ちょっと付き合ってもらいましょう。でも私の身体は殿だけのものですよ」

 おとよの腕が動いた。
男は壁際まで二丈ほど吹き飛ぶ。おとよ長刀なぎなたを自分の得物の柄でかろうじて受けた。それは本能的なものだった。
 男はかたかたと震えていた。まったく見えなかったのだ。腕の動きも、身体の動きも。
 長刀なぎなたは基本的に遠心力を利用して攻撃する武器だ。だから全身を旨く連動させ力を動かしてやる必要がある。それで相手の攻撃をある程度予測することが出来る。
しかし、予備動作すら見えなかった。ましてやどのように動いたのかも見えなかったのだ。
男は痛みをこらえながら立ち上がった。骨には異常は無い。まだ動く。元武士としての意地が戻ってきた。

雷青らいせい、参る」

 男は名乗った。出家した僧のような名だった。
とよはにやりと笑う。
雷青らいせい大長刀おおなぎなたがうなりを上げ、おとよに襲いかかった。

上、下、左、右、突き、払い

 ありとあらゆる方角から、角度から斬撃と突き、払いが飛ぶ。
それも渾身の一撃だ。
遠心力も最大限に加わっている。
 十ごう、二十合、三十合、そこで男の動きは止まった。すべて片手であしらわれたのだ。普通の、ごく普通の長刀なぎなたに。
 雷青らいせいは戸惑っていた。
これまで仕留められなかった相手はいなかった。
大勢の山賊、追っ手の武士や素破すっぱ、すべてを打ち払ってきた技とこの大長刀おおなぎなたが通じないのだ。しかも、四十を過ぎた女に片手であしらわれた。背筋、いや、全身に冷たい汗と悪寒が走る。触れてはならない物に触れたような何とも言えない感触だった。

「どうしたの?
もうおわり?」

とよは涼しい顔で笑っていた。
しかしどこか不満そうな顔を見せていた。
不完全燃焼。
そのような顔をしていた。
 ふと思い立ったように長刀なぎなたを放り出し、刀を抜いた。
その場にいる全員がおとよに視線を向けた。

真之介しんのすけ、刀と身体の使い方をみせてあげるよ」

とよは刀を抜き放ち、だらりと下げた。

雷青らいせい、構えなさい」

 雷青らいせいはおとよの言葉に思わず構えを取った。
とよはいつでも来なさいという雰囲気だ。
呼吸を整える。
呼吸を整える時間もくれた。いつでもいける!

 その場にいた全員の目が固まった。雷青らいせいの喉元には切っ先が突きつけられていた。いきなり雷青らいせい大長刀おおなぎなたあおい光りが弾る。

(い、いつ、いつ動いた……)

 いきなり腕に強烈な衝撃が走る。それは重い、重いものだった。
大長刀おおなぎなたは一度、地に打ち付けられ、構えていた位置まで跳ね戻っていた。

「はい、真之介しんのすけわかった?」

 それだけ言うとおとよは切っ先を下げ、刀をだらりとぶら下げた。雷青らいせいはそれでも動けなかった。正確には動いたら死が待っていることに気がついたのだ。

「どうする、雷青らいせい
ここで死ぬのも良し。帰って腕を磨くのも良し。好きにしたら良い。
なんだったら仕官するかい?」

 おとよの口から信じられない言葉がもれた。
ここまで家臣を殺され帰ってよいというのだ。
しかも、よければ時任ときとう家に来いとまで言っている。全員が信じられないという顔をしていた。

 突然の轟音。
次に雷青らいせいの頭が吹き飛んだ。
とよも半身だけ体勢を変えた。
塀の上に馬上筒ばじょうづつを持った男が立っている。

「あ~、失敗しやがって。我が弟ながら情けねぇ。死んで詫びろ。それとお前らは確実に殺してやる」

 そう言って、馬上筒ばじょうづつを持った男は塀の向こう側に飛び降りた。
馬がいななき、ひづめの音が遠ざかってゆく。そうして、時任ときとう家・中屋敷なかやしきの夜は明けていった。



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 説明を聞いていた時雨しぐれは黙って聞いていた。しかし、特に関心はないようだ。結局、自分を放逐ほうちくした実家が襲われただけの話だった。

「それで、それと私をつけ回したのに何の意味がある?」

 時雨は不機嫌になっていた。
いまの自分にとって意味の無い話を延々と聞かされたのだ。

「いや、それで、賊の遺体を調べていたら、阿芙蓉あふようらしきもの……」

 そこまで言ったとき時雨しぐれ真之介しんのすけの胸倉を掴んでいた。

阿芙蓉あふようだと……、なぜそこに阿芙蓉あふようが出てくる!」

 真之介しんのすけを問いただすと話が繋がってきた。
時任ときとう家は長崎奉行の抜け荷を調べていたこと、またその過程で新型の阿芙蓉あふようが製造されていたこと、大阪の遊郭ゆうかくでは相当な被害が出ていること、次の実験地として江戸の吉原よしわらに物が流れたこと、東風こちの起こした事件、そして賊の異様な生命力。 

 時雨しぐれを監視したのは、時雨しぐれのいないときを狙って鬼柳勘左衛門きりゅうかんざえもんに接触し、配下の素破すっぱを借りる手はずだったらしい。
これは時雨しぐれの父、兼房かねふさの提案だったらしい。
それなりに気を遣ってくれているようだ。もっとも勘左衛門かんざえもん配下の組織は全壊していたが。

「つまり、勘左衛門かんざえもんに接触しようとしたが、私に見つかったということか?」

 時雨しぐれは【阿保】という表情をしていた。
もっとも最初は喜瀬屋きせやに客として入り、そのまま勘左衛門かんざえもんと接触するつもりだったらしい。
まさか、喜瀬屋きせやが営業停止になることは想定してなかったようだ。時雨しぐれもそれはそうだと同意していた。

「そこまで調べていたら、大見世おおみせ膳屋ぜんやというとこに探りは入れたの」

 時雨はここで情報を引き出そうとしていた。東風こちの敵討ちをするためだ。そのためだったら長崎まで行くつもりであった。

「それが、侵入した者、接触しようとした者はすべて行方不明に……」

察しはついていた。中屋敷なかやしきを襲った連中が消したのだろう。

「で、これからどうするの?」

 時雨しぐれはもし、時任ときとう家に対策がなければ名乗りを上げるつもりだった。しかし、それは却下された。

「残念ながら時雨しぐれ様に手伝っていただくわけにはまいりません。
一度、放逐された身ですよ。それに実質、幕府には病死で届けられていますから」

 確かに素性を隠していたとしても、いつ何がきっかけでばれるか分からない。
今までは、吉原よしわらだけでやっていたから問題にならなかっただけだ。外まで手を伸ばすと、お庭番にわばんなどに見つかる可能性がある。
それは最悪時任ときとう家の取り潰しにも繋がりかねない。
自分を放逐ほうちくしたといっても、それは自分のせいである。
父様、母様、そして弟はいまでも好きである。当然、領民達も愛していた。片思いだが……。
迷惑をかけないため、辛い思いをしないため双方が選んだ道であった。それを一時の感情で無しにするわけにはいかない。

「ん、わかった。ただし、吉原よしわらで起こったら容赦しないよ」

そう言うと時雨しぐれはごちそうに箸を付けた。
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