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第二十二話
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「ご存じでしたら教えていただきたいことがございます」
真之介の表情は真剣であった。言葉遣いも元に戻っている。しかも敬語だ。時雨は溜息をついた。
「なにが知りたいのですか?」
実は……。
話は時任家・中屋敷での出来事に戻っていた。
中屋敷で雷青という剛の者と戦ったこと。お豊の方に助けられなかったら死んでいたこと。そして、お豊の異常な強さ。
最後に、教えてやると言われ、見せられた技が全く見えなく、理解できなかったこと。
真之介はこれだけ話すと時雨の方を向き頭を下げた。
「私が未熟なため、教えていただいた技が全く理解できませんでした!
お方様も一度見せたと言って教えていただけません。もしご存じでしたら、少しだけでもきっかけになることをお教えくださいませ!」
真之介の頭は床につく程まで下げられていた。時雨は黙ってその様子を観察していた。時雨はその技を知っていた。
実際使える。
時雨は迷っていた。あの技は実戦で使えるかというとそうでもない。知って得になる技でもないのだ。
時雨は息を吐き出した。
溜息だ。
正直手取り足取り教える気もないし、教えたところでどうなるものでも無い。単純に理解できるかどうかの問題なのだ。
暫く経って時雨は結論を出した。
「まぁいいけど」
時雨はそう言うと箸を置き立ち上がる。
「そっちの端に行って、私をよく見ていて。もちろん斬り合いのつもりでね。斬りかかれそうならいつでも動いて。
ただし、静かにね」
二人はお互い部屋の両端に移動する。
そこで向かい合った。
真之介は正眼。時雨はお豊と同じなんの構えも取っていない。静かな刻が部屋全体を支配した。
突然真之介の唇が塞がれる。
唇の感触を感じたとき、時雨は真之介の目の前にいた。
「!?」
唇を塞がれているので言葉を出すことすら出来ない。唇を舌が這い、そして解放される。
真之介は瞬きをしたつもりはなかった。油断したつもりもなかった。しかし、時雨はすでに目の前にいる。しかも口吸いまでされた。
何が起こったのか理解できない。あの中屋敷のときと同じだった。
「どう?わかった?」
唇を離した時雨がにっこりと笑い眼の前に立っている。真之介は混乱していた。理解不能。狐につままれたような感覚だ。
「……いえ。何が何だか」
時雨は床の上に戻り、横に座るよう促した。真之介は黙って時雨の横に座る。時雨は真之介の太股に頭を置き横になった。表情は見えない。
「あれはね。無拍子っていうの」
さっぱり分からなかった。聞いたこともない言葉だ。
武芸の書物は数多く読んでいたが、一度も見たことはない。剣術や武術の師匠達からも、話としても聞いたこともなかった。
「あー、やっぱり分からないよね。
まぁ、実戦では使えない技だしね。大体母様がおかしいのよ、どうせ遊びでやったんでしょうけど。といっても私も使えるけどね」
そこまで言ってくすりと笑った……ような気がした。
時雨は技の概念を丁寧に説明した。
無拍子
単純にいえば相手に動きを読ませないということらしい。
先の先とは少し違う。
先の先は相手の動く瞬間を見極めて動く。それは相手を十分に観察していればある程度はできる。
ちょっとした動作、ちょっとした呼吸の溜、相手の視線の動き、すべてを観察できればなんとかなる。
無拍子はその動くことそのものを悟らせず、相手に肉薄するというものだそうだ。
ちょっとした動作、ちょっとした呼吸の溜、瞬き、相手の刹那の動きに合わせて動き、ただ斬る。
それだけだ と時雨は言った。
真之介の額には汗が流れていた。
出来ない……。出来ない?出来ない!
それだけが思考の中を支配していた。
あえて近い概念と言えば、禅の中にある無の境地というものだろうか。
ただこれは心を無にして動揺しないという考え方だ。それを人を殺す技に応用する。一見似通ってはいるが、全く違う物だ。
(出来るわけがない)
真之介は心の中で呟いていた。それを見透かしたかのように時雨が声を掛けた。
「真之介、別に使える必要は無いよ。
無理して習得しても奇襲に使えるくらいだからね。特に集団を相手にしたときは絶対駄目。囲まれて殺られるだけだよ。
それよりも、もっと長物を使う相手と練習しなさい。その方が強くなれる。あなたがその……なんとか言う大男に負けたのは、単純に地力の差よ」
時雨は真之介の方を振り返っていた。
「父様とか母様、勘左衛門なんかは大阪の陣で先陣を行くくらいの人達よ。
乱世を体験していないあなたとは根本的に違うの。多くの人を斬り殺すことで出世できる世界に生きていたんだから。
それもただ一人を殺すだけではなく、同時に何人も相手にする。飛び道具もあれば長物もある、石や種子島だって飛んでくる。そのような中を生き抜いた人達。
今の世の中の人たちでは決して追いつくことが出来ない世界の住人よ」
そこまで言って起き上がった。長い髪が揺れ、時雨の表情を隠した。
部屋の中に冷気が漂いだす。同時に吐き気も襲ってくる。
瘴気だ。
真之介は体中からぬるい汗が噴き出していた。
あの夜、お豊が放った吐き気を催す気配、いやそれ以上の存在が沸き上がっている。すでに身体は硬直し、震えることすら出来ない。
時雨の言葉は続いていた。
「私はね、それを越えてしまったの。
理解も出来ないまま。
あの人達は成長しながらその力を身に付けていった、だから共に生きることが出来る。でも私は支配されてしまうの。共存する術を知らないから。あのときのように……」
真之介は七年前に起こったことを思い出す。
それは想像を絶する出来事だった。
真之介の表情は真剣であった。言葉遣いも元に戻っている。しかも敬語だ。時雨は溜息をついた。
「なにが知りたいのですか?」
実は……。
話は時任家・中屋敷での出来事に戻っていた。
中屋敷で雷青という剛の者と戦ったこと。お豊の方に助けられなかったら死んでいたこと。そして、お豊の異常な強さ。
最後に、教えてやると言われ、見せられた技が全く見えなく、理解できなかったこと。
真之介はこれだけ話すと時雨の方を向き頭を下げた。
「私が未熟なため、教えていただいた技が全く理解できませんでした!
お方様も一度見せたと言って教えていただけません。もしご存じでしたら、少しだけでもきっかけになることをお教えくださいませ!」
真之介の頭は床につく程まで下げられていた。時雨は黙ってその様子を観察していた。時雨はその技を知っていた。
実際使える。
時雨は迷っていた。あの技は実戦で使えるかというとそうでもない。知って得になる技でもないのだ。
時雨は息を吐き出した。
溜息だ。
正直手取り足取り教える気もないし、教えたところでどうなるものでも無い。単純に理解できるかどうかの問題なのだ。
暫く経って時雨は結論を出した。
「まぁいいけど」
時雨はそう言うと箸を置き立ち上がる。
「そっちの端に行って、私をよく見ていて。もちろん斬り合いのつもりでね。斬りかかれそうならいつでも動いて。
ただし、静かにね」
二人はお互い部屋の両端に移動する。
そこで向かい合った。
真之介は正眼。時雨はお豊と同じなんの構えも取っていない。静かな刻が部屋全体を支配した。
突然真之介の唇が塞がれる。
唇の感触を感じたとき、時雨は真之介の目の前にいた。
「!?」
唇を塞がれているので言葉を出すことすら出来ない。唇を舌が這い、そして解放される。
真之介は瞬きをしたつもりはなかった。油断したつもりもなかった。しかし、時雨はすでに目の前にいる。しかも口吸いまでされた。
何が起こったのか理解できない。あの中屋敷のときと同じだった。
「どう?わかった?」
唇を離した時雨がにっこりと笑い眼の前に立っている。真之介は混乱していた。理解不能。狐につままれたような感覚だ。
「……いえ。何が何だか」
時雨は床の上に戻り、横に座るよう促した。真之介は黙って時雨の横に座る。時雨は真之介の太股に頭を置き横になった。表情は見えない。
「あれはね。無拍子っていうの」
さっぱり分からなかった。聞いたこともない言葉だ。
武芸の書物は数多く読んでいたが、一度も見たことはない。剣術や武術の師匠達からも、話としても聞いたこともなかった。
「あー、やっぱり分からないよね。
まぁ、実戦では使えない技だしね。大体母様がおかしいのよ、どうせ遊びでやったんでしょうけど。といっても私も使えるけどね」
そこまで言ってくすりと笑った……ような気がした。
時雨は技の概念を丁寧に説明した。
無拍子
単純にいえば相手に動きを読ませないということらしい。
先の先とは少し違う。
先の先は相手の動く瞬間を見極めて動く。それは相手を十分に観察していればある程度はできる。
ちょっとした動作、ちょっとした呼吸の溜、相手の視線の動き、すべてを観察できればなんとかなる。
無拍子はその動くことそのものを悟らせず、相手に肉薄するというものだそうだ。
ちょっとした動作、ちょっとした呼吸の溜、瞬き、相手の刹那の動きに合わせて動き、ただ斬る。
それだけだ と時雨は言った。
真之介の額には汗が流れていた。
出来ない……。出来ない?出来ない!
それだけが思考の中を支配していた。
あえて近い概念と言えば、禅の中にある無の境地というものだろうか。
ただこれは心を無にして動揺しないという考え方だ。それを人を殺す技に応用する。一見似通ってはいるが、全く違う物だ。
(出来るわけがない)
真之介は心の中で呟いていた。それを見透かしたかのように時雨が声を掛けた。
「真之介、別に使える必要は無いよ。
無理して習得しても奇襲に使えるくらいだからね。特に集団を相手にしたときは絶対駄目。囲まれて殺られるだけだよ。
それよりも、もっと長物を使う相手と練習しなさい。その方が強くなれる。あなたがその……なんとか言う大男に負けたのは、単純に地力の差よ」
時雨は真之介の方を振り返っていた。
「父様とか母様、勘左衛門なんかは大阪の陣で先陣を行くくらいの人達よ。
乱世を体験していないあなたとは根本的に違うの。多くの人を斬り殺すことで出世できる世界に生きていたんだから。
それもただ一人を殺すだけではなく、同時に何人も相手にする。飛び道具もあれば長物もある、石や種子島だって飛んでくる。そのような中を生き抜いた人達。
今の世の中の人たちでは決して追いつくことが出来ない世界の住人よ」
そこまで言って起き上がった。長い髪が揺れ、時雨の表情を隠した。
部屋の中に冷気が漂いだす。同時に吐き気も襲ってくる。
瘴気だ。
真之介は体中からぬるい汗が噴き出していた。
あの夜、お豊が放った吐き気を催す気配、いやそれ以上の存在が沸き上がっている。すでに身体は硬直し、震えることすら出来ない。
時雨の言葉は続いていた。
「私はね、それを越えてしまったの。
理解も出来ないまま。
あの人達は成長しながらその力を身に付けていった、だから共に生きることが出来る。でも私は支配されてしまうの。共存する術を知らないから。あのときのように……」
真之介は七年前に起こったことを思い出す。
それは想像を絶する出来事だった。
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