33 / 43
第三十三話
しおりを挟む
膳屋の火災の中、喜瀬屋はお通夜状態と化していた。
勘左衛門は部屋から出てこず、お京もいない。番頭がひとりで仕切っていた。遊女達が自らの部屋に引きこもり、遣手婆や禿達が、片付けや葬儀の準備に追われていた。若い者達は主に力仕事を請け負っていた。
「番頭さん、時雨太夫が、その、とにかく裏へ来てください」
裏口担当の若い者が慌てた様子で番頭の前に現れた。
番頭は自分でどうにかしろと言ったが、どうにも判断できないと言って引き下がらない若い者を叱り、仕方なしに裏門へ歩いて行った。そこには血まみれの時雨が誰かを背負って立っていた。
「東伯先生を呼んでくれないか」
時雨は消え入りそうな声で言葉を発した。
番頭は取りあえず中へ入るように言って、背負っている人物の顔を確認する。一瞬、誰か分からないような顔をしたが、番頭の顔がみるみる嬉しいやら悲しいやら複雑な表情になっていった。
すぐに指示を飛ばす。若い者達数名が外に出て東伯を呼びに行く。遣手婆たちは部屋を確保し、床を敷いた。
時雨はそのままの格好で勘左衛門の部屋を訪れた。
「父様、入ります」
時雨が勘左衛門の部屋に入ると、勘左衛門はお京の前に座っていた。いつもの面影はなく、疲れ切っているようだ。
勘左衛門は入ってきた時雨の姿を見て眉をひそめた。死者を弔っている場所に入ってくるような格好ではない。
「時雨、もう少し場をわきまえないか」
勘左衛門の言葉は迫力こそないが、顔は怒りに満ちていた。今日はここに誰も入れるなと伝えていた番頭が仕事をしなかったせいもある。
「父様、東雲先生を保護いたしました」
少しばかり沈黙が訪れる。
勘左衛門は関心がないように時雨の言葉を聞き流そうとした。何度か時雨の言葉を頭の中で反芻したとき、事の重大性に気づき、正気を取り戻した。
「な、生きていたのか?」
時雨は黙って頷く、取りあえず詳しいことは後で話すと言い東雲のいる部屋のことを教えた。
勘左衛門の顔に生気が宿る。禿二人を呼び、勘左衛門の部屋で待機するように言うと時雨を伴って部屋を出た。
部屋を出ると、番頭が言いつけを守らなかったことを詫び、今の現状を報告する。
勘左衛門は言いつけのことは気にするな、むしろ詫びるのは自分だと言い、現状報告は東雲先生に会ってからだと伝えた。
二人は東雲が寝かされている二階にある一室に入った。
そこには以前とは全く異なる、変わり果てた東雲の姿があった。勘左衛門は近づいてそっと東雲の首筋に手を当てた。
「よかった。生きている。時雨、東雲先生をどこで」
時雨は、今、東伯先生を呼びにやっていることを伝え、すべてはそれからだと言った。勘左衛門もそれで納得し、とりあえずは待つことになった。
半刻ほど過ぎた頃、階下からばたばたと激しい足音が近づいてきた。それは、挨拶も何もなしに突然入ってきた。息を切らした東伯であった。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
「東雲、生きておったのか……」
東伯はその場にへたりと座り込んだ。後には岡崎のと数人の与騎の姿もある。
東伯は膳屋の近くにいた。多数の怪我人が出ると踏んでいた奉行所が予め呼んでいたためだ。
とりあえず、東伯が東雲の診察と治療を始めた。暫くすると、溜息をついた。
「かなり、阿芙蓉を吸っておるの。うまく阿芙蓉が抜ければ良いが、厳しいのぅ」
岡崎が口を開いた。
「先生、証言などは得られませんか?」
東伯は岡崎を睨む。その目には怒気が含まれていた。
「岡崎殿、無理言いなさんな。ただでさえ阿芙蓉を長期間吸っておる。その上、この衰弱ぶりじゃ。命さえ危ういのじゃぞ!」
岡崎はばつの悪い顔をして、頭を掻いた。
東伯は禁断症状が出るのを恐れ、東雲に猿ぐつわを軽く噛ませ、手足を絹の紐で結んだ。
それが終わると、喜瀬屋に詰めている医者を一人呼び、対応を説明した。
「さて時雨、ことの内容をすべて説明してくれるかな?」
勘左衛門は部屋から出てこず、お京もいない。番頭がひとりで仕切っていた。遊女達が自らの部屋に引きこもり、遣手婆や禿達が、片付けや葬儀の準備に追われていた。若い者達は主に力仕事を請け負っていた。
「番頭さん、時雨太夫が、その、とにかく裏へ来てください」
裏口担当の若い者が慌てた様子で番頭の前に現れた。
番頭は自分でどうにかしろと言ったが、どうにも判断できないと言って引き下がらない若い者を叱り、仕方なしに裏門へ歩いて行った。そこには血まみれの時雨が誰かを背負って立っていた。
「東伯先生を呼んでくれないか」
時雨は消え入りそうな声で言葉を発した。
番頭は取りあえず中へ入るように言って、背負っている人物の顔を確認する。一瞬、誰か分からないような顔をしたが、番頭の顔がみるみる嬉しいやら悲しいやら複雑な表情になっていった。
すぐに指示を飛ばす。若い者達数名が外に出て東伯を呼びに行く。遣手婆たちは部屋を確保し、床を敷いた。
時雨はそのままの格好で勘左衛門の部屋を訪れた。
「父様、入ります」
時雨が勘左衛門の部屋に入ると、勘左衛門はお京の前に座っていた。いつもの面影はなく、疲れ切っているようだ。
勘左衛門は入ってきた時雨の姿を見て眉をひそめた。死者を弔っている場所に入ってくるような格好ではない。
「時雨、もう少し場をわきまえないか」
勘左衛門の言葉は迫力こそないが、顔は怒りに満ちていた。今日はここに誰も入れるなと伝えていた番頭が仕事をしなかったせいもある。
「父様、東雲先生を保護いたしました」
少しばかり沈黙が訪れる。
勘左衛門は関心がないように時雨の言葉を聞き流そうとした。何度か時雨の言葉を頭の中で反芻したとき、事の重大性に気づき、正気を取り戻した。
「な、生きていたのか?」
時雨は黙って頷く、取りあえず詳しいことは後で話すと言い東雲のいる部屋のことを教えた。
勘左衛門の顔に生気が宿る。禿二人を呼び、勘左衛門の部屋で待機するように言うと時雨を伴って部屋を出た。
部屋を出ると、番頭が言いつけを守らなかったことを詫び、今の現状を報告する。
勘左衛門は言いつけのことは気にするな、むしろ詫びるのは自分だと言い、現状報告は東雲先生に会ってからだと伝えた。
二人は東雲が寝かされている二階にある一室に入った。
そこには以前とは全く異なる、変わり果てた東雲の姿があった。勘左衛門は近づいてそっと東雲の首筋に手を当てた。
「よかった。生きている。時雨、東雲先生をどこで」
時雨は、今、東伯先生を呼びにやっていることを伝え、すべてはそれからだと言った。勘左衛門もそれで納得し、とりあえずは待つことになった。
半刻ほど過ぎた頃、階下からばたばたと激しい足音が近づいてきた。それは、挨拶も何もなしに突然入ってきた。息を切らした東伯であった。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
「東雲、生きておったのか……」
東伯はその場にへたりと座り込んだ。後には岡崎のと数人の与騎の姿もある。
東伯は膳屋の近くにいた。多数の怪我人が出ると踏んでいた奉行所が予め呼んでいたためだ。
とりあえず、東伯が東雲の診察と治療を始めた。暫くすると、溜息をついた。
「かなり、阿芙蓉を吸っておるの。うまく阿芙蓉が抜ければ良いが、厳しいのぅ」
岡崎が口を開いた。
「先生、証言などは得られませんか?」
東伯は岡崎を睨む。その目には怒気が含まれていた。
「岡崎殿、無理言いなさんな。ただでさえ阿芙蓉を長期間吸っておる。その上、この衰弱ぶりじゃ。命さえ危ういのじゃぞ!」
岡崎はばつの悪い顔をして、頭を掻いた。
東伯は禁断症状が出るのを恐れ、東雲に猿ぐつわを軽く噛ませ、手足を絹の紐で結んだ。
それが終わると、喜瀬屋に詰めている医者を一人呼び、対応を説明した。
「さて時雨、ことの内容をすべて説明してくれるかな?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる