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第三十四話
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勘左衛門は東伯の処置が済むのを待って、別室への移動を促した。
医者と手伝いの禿、与騎を二人部屋へ残し、近くの部屋へ時雨と勘左衛門、東伯、岡崎と与騎が一人ついてくる。隣の部屋に入ると全員が車座になって座った。
全員が座るのを確認して、時雨は話し始めた。
吉原、膳屋でのこと、賊を追って松風家の上屋敷へ侵入したこと、そこで、何が行われていたかを説明した。
そして時雨は数本の筒と、破り持ち出した調合表を着物の中から取り出した。東伯と岡崎が筒を持ち、中身を確認する。そして調合法に目を通してゆく。
東伯は調合法を見ながら、うんうんと頷いている。
「なるほどのぅ、阿芙蓉の液体に紅天狗茸と笑茸の粉末を微妙な調合で混ぜ合わせとるわい。氷雨太夫のおかしさには不可解な点が多かったがこれを見たら合点がいったわ」
東伯が感心したように頷いている。その後、東伯は調合法を何枚かに写した。そのうちの二枚を与騎の一人に渡す。
「これを幕府の御殿医に見せて、調合をするように伝えて欲しい。
これが蔓延すれば江戸幕府、いや、日の本自体が崩壊しかねんと強調してくれ」
東伯は目の前にある筒の中身を確認すると、透明な方と、赤い方、両方ともを先程の与騎へ渡す。
「こちらに予備を二本ずつ、そちらに一本ずつ渡しておく、無くすでないぞ」
与騎は心得たとばかりに鎧の隙間にしまい込んだ。
勘左衛門は若い者を呼ぶと、膳屋付近にいて手の空いている同心数名を呼んでくるように指示をする。あくまで与騎を護衛するためだ。若い者はすぐに階段を下っていった。
「さて、問題は松風家か。証拠隠滅を計らなければ良いのだが」
勘左衛門が腕組みをしながら呟いた。岡崎ともう一人の与騎も腕組みをする。
「証拠が……、松風家が関わっているという証拠があればなぁ」
岡崎が困ったような顔をしている。
いくら幕府とはいえ、証拠も無しに大名家へは乗り込めない。有力な証人はすべて消されてしまった。手元にあるのは白い液と紅笑芙蓉という赤い液体、それと、舶来物の珊瑚だけだ。松風家に繋がる物は何一つなかった。
また時雨の忍び込みを証拠とすることもできない。
「……時任家の桂真之介殿に賊の確認をしていただきましょう」
その場にいた全員が耳を疑った。いま、全く関係のない時任家の名が出てきたからだ。
「時雨殿、何故時任家がここに出てくる?」
岡崎が思わず声を上げた。勘左衛門を除く全員の視線が集まっている。
時雨は時任家の桂真之介と時任家襲撃の話をした。
勘左衛門以外の全員が驚愕してる。その情報は幕府も町奉行所もどこも把握していない情報だったからだ。
「それが事実なら大変なことです。確かに時任家は裏で西国の諸大名を監視する役目を持っていますが、襲撃されたことが報告されていないとすると……」
岡崎はうんうんと唸っている。すでに自分の裁量権を遙かに逸脱した問題になっているからだ。
もう一人の与騎も頭を抱えていた。
「時任家の桂殿が今回の賊と関係していることを証明したとして、それでも松風家には届きませんが」
もう一人の与騎が口を挟む。結局松風家には届かないのだ。せめて、東雲先生が回復すれば。全員の思いはそこにあった。
しかし、東雲がどこまで憶えているかも分からないし、いつ回復するとも分からない。
まったく動きが取れない状況になっていた。
突然、階下に人が増えた気配がする。どうやら、同心達が到着したようだ。
「とりあえず、私は戻ります。松風家のこと……伝えますか?」
証拠を持った与騎が立ち上がり、皆を見渡した。
「いや、松風家のことはまだよそう。とりあえず、そこについては時任家の桂殿に接触してからだ」
岡崎が同僚の与騎へ返事をする。皆も頷いていた。時雨を除き……。
与騎は分かったというと、そのまま階下へと降りてゆく。
「岡崎どの、失礼ですがあの与騎殿は信用できる方で?」
勘左衛門が口を開いた。岡崎はにやりと笑った。
「あぁ、大丈夫ですよ。あれでも大番頭なんて役職をやってる人ですから」
岡崎の何気ない一言に時雨を除く全員が固まる。
大番頭。
平時は江戸城大手門や江戸城すべてを警護する役職で、五千石以上の旗本か一万石以上の譜代大名が任命される役職だ。常時複数人が任命されている。
「じゃ、じゃぁ今のお方は……」
「そこは秘密ということで……」
岡崎は適当に話を濁した。
「今回の騒動ではかなりの数の者達が動いています。
なにしろ江戸の真ん中で筒を使われたものですから奉行所の面目どころか大番頭の面目も潰れていますからね。そのうち目付や大目付も動き出すと思いますよ」
岡崎はそこで一息ついた。まじめな顔になっている。
「このような時に言うのも何なのですが、喜瀬屋は近いうちにお取り潰しになる予定だったのです。この吉原の盟主が老中と話し合いをもちまして、事件の全容が見えるまで潰すことはなくなりました。しかし、大見世から小見世への格下げが条件でして」
岡崎は申し訳なさそうに言葉を切る。勘左衛門はその言葉に涙を流していた。
「いや、岡崎様。ここまでの事件を起こしておりながら、そこまでの寛大なご処置が出るとは。これで遊女達に嫌な思いをさせなくて済みます」
そう言って頭を下げた。岡崎は自分じゃあないといってかぶりを振った。
「正直、吉原の楼主達の嘆願書が届いたときは驚きました。
本来なら、一揆とみなされて嘆願主達はさらし首なのですがね。しかし、吉原の盟主も中々の人脈をお持ちですなぁ」
二人の褒め合いは長々と続いていた。途中から東伯は東雲の様子を見ると言って証拠品の筒を持って部屋を抜け出し、時雨もまた、立ち上がった。
「では、私はこれで失礼いたします」
時雨の表情は浮かないものだった。
勘左衛門と岡崎はそれに気づけなかった。
「あぁ、取りあえず着替えて風呂にでも入りなさい。本当にご苦労だった」
勘左衛門の言葉を聞き流し、時雨は風呂へ向かって歩き出した。
医者と手伝いの禿、与騎を二人部屋へ残し、近くの部屋へ時雨と勘左衛門、東伯、岡崎と与騎が一人ついてくる。隣の部屋に入ると全員が車座になって座った。
全員が座るのを確認して、時雨は話し始めた。
吉原、膳屋でのこと、賊を追って松風家の上屋敷へ侵入したこと、そこで、何が行われていたかを説明した。
そして時雨は数本の筒と、破り持ち出した調合表を着物の中から取り出した。東伯と岡崎が筒を持ち、中身を確認する。そして調合法に目を通してゆく。
東伯は調合法を見ながら、うんうんと頷いている。
「なるほどのぅ、阿芙蓉の液体に紅天狗茸と笑茸の粉末を微妙な調合で混ぜ合わせとるわい。氷雨太夫のおかしさには不可解な点が多かったがこれを見たら合点がいったわ」
東伯が感心したように頷いている。その後、東伯は調合法を何枚かに写した。そのうちの二枚を与騎の一人に渡す。
「これを幕府の御殿医に見せて、調合をするように伝えて欲しい。
これが蔓延すれば江戸幕府、いや、日の本自体が崩壊しかねんと強調してくれ」
東伯は目の前にある筒の中身を確認すると、透明な方と、赤い方、両方ともを先程の与騎へ渡す。
「こちらに予備を二本ずつ、そちらに一本ずつ渡しておく、無くすでないぞ」
与騎は心得たとばかりに鎧の隙間にしまい込んだ。
勘左衛門は若い者を呼ぶと、膳屋付近にいて手の空いている同心数名を呼んでくるように指示をする。あくまで与騎を護衛するためだ。若い者はすぐに階段を下っていった。
「さて、問題は松風家か。証拠隠滅を計らなければ良いのだが」
勘左衛門が腕組みをしながら呟いた。岡崎ともう一人の与騎も腕組みをする。
「証拠が……、松風家が関わっているという証拠があればなぁ」
岡崎が困ったような顔をしている。
いくら幕府とはいえ、証拠も無しに大名家へは乗り込めない。有力な証人はすべて消されてしまった。手元にあるのは白い液と紅笑芙蓉という赤い液体、それと、舶来物の珊瑚だけだ。松風家に繋がる物は何一つなかった。
また時雨の忍び込みを証拠とすることもできない。
「……時任家の桂真之介殿に賊の確認をしていただきましょう」
その場にいた全員が耳を疑った。いま、全く関係のない時任家の名が出てきたからだ。
「時雨殿、何故時任家がここに出てくる?」
岡崎が思わず声を上げた。勘左衛門を除く全員の視線が集まっている。
時雨は時任家の桂真之介と時任家襲撃の話をした。
勘左衛門以外の全員が驚愕してる。その情報は幕府も町奉行所もどこも把握していない情報だったからだ。
「それが事実なら大変なことです。確かに時任家は裏で西国の諸大名を監視する役目を持っていますが、襲撃されたことが報告されていないとすると……」
岡崎はうんうんと唸っている。すでに自分の裁量権を遙かに逸脱した問題になっているからだ。
もう一人の与騎も頭を抱えていた。
「時任家の桂殿が今回の賊と関係していることを証明したとして、それでも松風家には届きませんが」
もう一人の与騎が口を挟む。結局松風家には届かないのだ。せめて、東雲先生が回復すれば。全員の思いはそこにあった。
しかし、東雲がどこまで憶えているかも分からないし、いつ回復するとも分からない。
まったく動きが取れない状況になっていた。
突然、階下に人が増えた気配がする。どうやら、同心達が到着したようだ。
「とりあえず、私は戻ります。松風家のこと……伝えますか?」
証拠を持った与騎が立ち上がり、皆を見渡した。
「いや、松風家のことはまだよそう。とりあえず、そこについては時任家の桂殿に接触してからだ」
岡崎が同僚の与騎へ返事をする。皆も頷いていた。時雨を除き……。
与騎は分かったというと、そのまま階下へと降りてゆく。
「岡崎どの、失礼ですがあの与騎殿は信用できる方で?」
勘左衛門が口を開いた。岡崎はにやりと笑った。
「あぁ、大丈夫ですよ。あれでも大番頭なんて役職をやってる人ですから」
岡崎の何気ない一言に時雨を除く全員が固まる。
大番頭。
平時は江戸城大手門や江戸城すべてを警護する役職で、五千石以上の旗本か一万石以上の譜代大名が任命される役職だ。常時複数人が任命されている。
「じゃ、じゃぁ今のお方は……」
「そこは秘密ということで……」
岡崎は適当に話を濁した。
「今回の騒動ではかなりの数の者達が動いています。
なにしろ江戸の真ん中で筒を使われたものですから奉行所の面目どころか大番頭の面目も潰れていますからね。そのうち目付や大目付も動き出すと思いますよ」
岡崎はそこで一息ついた。まじめな顔になっている。
「このような時に言うのも何なのですが、喜瀬屋は近いうちにお取り潰しになる予定だったのです。この吉原の盟主が老中と話し合いをもちまして、事件の全容が見えるまで潰すことはなくなりました。しかし、大見世から小見世への格下げが条件でして」
岡崎は申し訳なさそうに言葉を切る。勘左衛門はその言葉に涙を流していた。
「いや、岡崎様。ここまでの事件を起こしておりながら、そこまでの寛大なご処置が出るとは。これで遊女達に嫌な思いをさせなくて済みます」
そう言って頭を下げた。岡崎は自分じゃあないといってかぶりを振った。
「正直、吉原の楼主達の嘆願書が届いたときは驚きました。
本来なら、一揆とみなされて嘆願主達はさらし首なのですがね。しかし、吉原の盟主も中々の人脈をお持ちですなぁ」
二人の褒め合いは長々と続いていた。途中から東伯は東雲の様子を見ると言って証拠品の筒を持って部屋を抜け出し、時雨もまた、立ち上がった。
「では、私はこれで失礼いたします」
時雨の表情は浮かないものだった。
勘左衛門と岡崎はそれに気づけなかった。
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