時雨太夫 東海道編 箱根の宿

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第十二話

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 夜四つ(21時)少し前。
  時雨しぐれは昼に約束した場所に立っていた。格好は昼のままだ。
時雨は小僧と別れた後、そのまま宿場を回っていた。特に何をするでも無くただ買い食いをしていただけだ。

 (少し食べ過ぎたかなぁ)

 時雨は欠伸をしながら月を眺めていた。待ち合わせの時刻には少しばかり早かったかもしれない。そう思いながら時雨は黙っていた。
 暫くして蝶番ちょうつがいの軋む音と扉の閉まる音が小さく聞こえた。何者かがこちらに走ってくる。時雨は念のために太刀の鯉口こいくちを切った。

「待った?」

 薄明かりの中、昼間の小僧の声がした。時雨は鯉口こいくちを鞘に押し込むとしゃがみ込んで小僧に目をやった。どうやら急いで抜け出してきたようで夜着のままだ。時雨は今来たばかりだと答える。小僧が手招きし、時雨は薬種問屋やくしゅどんやの勝手口を潜った。中々広い。勝手口は蔵の側にある。

「そこの二つ目の蔵に良く人が出入りしているよ」

 小僧は四つ並んだ蔵の手前から二つ目の蔵を指差した。時雨は頷くと声を落として話しかける。

「ありがとう。少し時間がかかるかもしれないからもう休んでて良いよ。無理言って御免ね」

 時雨はそれだけ言うと小僧の唇に自分の唇を重ねた。小僧は完全に硬直している。今まで感じたことの無い生き物が口の中を動き回ったからだろう。少しだけ唇を付けた後、時雨は小僧と距離を取り、早く帰りなさいと促した。
 我に返った小僧は慌てて屋敷の中へ戻ってゆく。その様子を見届けた後、時雨は素早く二つ目の蔵へと近づいて行った。
 蔵はかなり大きく、しっかりとした造りだ。当然蔵には頑丈そうな錠がかけてあったが時雨は一瞬で斬り落とした。静かな庭先に金属のぶつかる音が小さな響く。時雨はゆっくりと扉を開き、身体を滑り込ませた。蔵の中はやはり真っ暗闇だ。仕方が無いので時雨は目を馴染ませる為に蔵の隅へと移動する。

(ふむ。特に怪しいところは無いが……。 ? この匂い!)

 時雨は腰に下げている竹筒を取ると、着物の中に潜ませていたさらしを濡らす。濡らし終えると鼻と口を覆うように巻き付ける。
 丁度目が慣れてきたころ、床の一部から微かに白い煙が漏れているのが見えた。時雨はそっと近づくと煙の昇るあたりの床を調べ始める。良く耳を澄ますと微かに声が聞こえてくる。
男の声、女の声と様々だ。
 暫く床を押したり出っ張りが無いかを調べていると少し離れた場所にそれはあった。
 床に張り付くように寝かせてあるものがある。引っ張ると床が上がる仕組みでよく床下に隠し部屋を創るのに使用される。時雨はその持ち手を握ってゆっくりと引き上げた。中から一気に煙が吹き出してくる。

(この量は……)

 時雨は入り口を開けやすいように鞘からこうがいを外し、入り口が完全に閉まらないように挟めた。これは入り口が開いたときを確認するための仕掛けにもなっている。ゆっくりと地下に降りてゆくとそこには煙管きせるの先から煙を吐く男女が数名いた。
煙管も普通のでは無く、紐のような物の先に大きな壺のようなものがある。そこから何本もの紐が伸び、煙管へと繋がっていた。
 虚ろな目で虚空を見つめる者、何か分からないことを言っている者、そして寝転んでいる者までもいる。それは何とも形容しがたい光景だった。

(堕落と回帰……か)

 時雨はじっと、吸っている者達の顔を頭の中に記憶していった。そして最後に男たちに絡まれている若い女に目がいく。その女は見知った顔だった。

(春殿?)

 時雨は驚き、思わず飛び出そうとした。その時こうがいが階段に落ちる僅かな音が聞こえる。時雨はそのまま部屋の隅へと身体を移動させた。二人の男が降りてくる。

「どうかな、お客達の様子は」

二人は中へ入ると客と呼ばれた者達を見渡した。

「大分っているようだな」

客と呼ばれた者達を見渡した男は薄笑いを浮かべながら部屋の中を眺めている。

「しかしまあ、こうは成りたくないものだな」

「違いない」

二人は一通り見渡すと春の方へと歩いてゆく。

「おいおい、あんまりやり過ぎるなよ」

二人は春に絡んでいる男たちに声をかけた。

「ははは、中々具合が良いぜ。まだ元気な連中が待っているからな。これくらいでまいられても困る」

春を凌辱している男の言葉に部屋の奥の方から歓声が上がる。部屋のさらに奥にかなりの人がいるようだ。

 (ちっ、どれだけいるのだ)

 普段なら足音だけで人数を判断できる時雨も今は判断がつかなかった。どうやら阿芙蓉のせいで感覚が鈍っているようだ。これでは手も足も出せない。普段の時雨ならこのような事にはならないが、阿芙蓉を吸い込んだ影響が身体に出始めていた。これでは動けない。その間にも男達は春を陵辱し続けていた。

「やれやれ。これも役得だな」

「そうだな。この女も器量が良いしな。もうここからは出られない程に阿芙蓉を吸わせたからな」

 男達は笑いながら春から身体を離す。

「さて、客人たちを上に運ぶか。今後の儲けの為にここで壊れられても困るしな」

 男達は小さな小窓らしきものを開き、客人たちと呼ばれた者達を抱えて上へ昇ってゆく。
  時雨は男たちがすべて上に上がると、汚れたまま放置されている春の元へと駆け寄った。

「はる、春、大丈夫か?」

 時雨は春の肩を掴み揺さぶってみる。しかしほとんど反応は無い。恍惚こうこつとした表情を浮かべたまま薄く口を開いているだけだ。

(かなりやられているな。肉体的にも精神的にも……。たった一日でこれか……)

 とりあえず時雨は外に出ることにした。微妙だが身体の動きが緩慢になりだしたからだ。ゆっくりと足音を消しながら階段を上がる。そこにはまだ数人がたむろしていた。

「よう、もうお客は全員母屋おもやに運んだよな」

 一人が口を開く。時雨は特に際立った気配が無いかを探ってみた。一人だけ変わった気配の者がいるだけだ。

「あぁ、全員運んだよ。なんだ、下の女で遊ぶつもりか? もうただの肉みたいなものだろ?」

 時雨はその一言で理性が飛んだ。ゆっくりと太刀を抜く。地下への入り口に足が入り込んだ瞬間に太刀を真上に突き上げた。切っ先はするりと金的を突き通し、さらに奥まで入り込んだ。そのまま一回転させ、一気に引き抜いた。同時に足を掴み、地下へと引きずり下ろす。
 踏み込んでいた足は引っ張られたせいで階段を捕らえきれず、男は股下から大量の血をまき散らしながら、叫び声を上げながら階段を転げ落ちていく。そのまま時雨は階段から上半身を出し、太刀を一閃した。肉に食い込む感触と骨を削る感触が何度も時雨の手の平を襲う。すぐに大きな音を立てて肉が地に叩きつけられる音がした。悲鳴は上がらない。そのまま落ちてきた顔の下、喉に切っ先を深く滑り込ませる。喉の半ばまで切り裂かれた男達は悲鳴も上げられず。だだ口をぱくぱくとさせるだけだった。
 風を切る音が耳に入る。
時雨はすぐに階段にしゃがみ込んだ。時雨の胸のあった位置を何かが通り過ぎ、入り口の端を抉った。

(鎖分銅か? 鎖鎌か?)

 時雨は一瞬だけ相手の得物えものの判断に迷った。先程頭に浮かんだ得物では対処法が変わってくる。二本目の太刀を抜き、胸の前で十字に太刀を構えて飛び出した。もう一度風を切る音がする。

(……鎖分銅!)

 すぐに真横に飛んだ。
 暗闇を横切って時雨のいた場所に何かが伸びてゆくのが視える。そのまま時雨は身体を前に進めた。鎖分銅をかわされた男はいきなり持っていた鎖を投げつける。下からの斬り上げで時雨は飛んできた鎖の軌道を上へ逸らした。
 男は脇差しを抜こうとしているが時雨の方が速かった。三寸程抜けたところで時雨のもう片方の太刀が右肩に喰い込む。そのまま骨を断ち左腕を切り裂く。
 それでも男は脇差を引き抜いた。白い軌道が時雨の胴を狙う。時雨はそのまま男の胸元へ飛び込んだ。白刃は時雨の身体に届かず、腕が肩に乗る形になった。右手に持った太刀が男の右の腰に深く突き刺さる。時雨は一気に八寸程、刀身を押し込んだ。そのまま男の後ろに回り、男の背中を蹴り飛ばす。
 その勢いに、太刀は男の身体から抜け出た。男はたたらを踏み、床に座り込み喉から血を吹き出している男達の中に倒れ込んだ。
 時雨はすぐに四方に目を走らせる。蔵の中に立っているのは時雨のみだった。急いで蔵の鍵を確かめる。蔵の錠は開いたままだ。

(春殿を……)

 時雨はすぐに地下へと引き返す。途中に倒れていた男を階下へ蹴り落とすと一気に駆け下りて春を担ぎ上げた。春の着物からは男の白濁液の匂いが漂っている。その匂いにさすが時雨も顔をしかめた。

「あれぇ? 時雨さまぁ~」

 階段を上がろうとしたときに間伸びした春の声が聞こえた。春は時雨にしがみつこうと手足をじたばたと動かす。肩の上で動かれた時雨はさすがに動きを止める。このまま声を出されたら厄介だ。

(すまん、少し眠ってくれ)

 時雨は春を肩から降ろすと首の後ろを軽く掴んだ。春の身体は浄瑠璃じょうるり人形の糸が切れたようにかくりと崩れ落ちた。
もう一度担ぎ直す。
そのままもう一度蔵の中に出たとき、扉の外に明かりが見えた。五人の足音が聞こえてくる。時雨はゆっくりと春を床に降ろすと扉の近くへと移動した。
 この蔵は扉が木製で観音開きになっているので時雨はめいいっぱい右へと寄った。これならば浪人がいたとしても抜き打ちの効果は半分以下に抑えられる。時雨は息を殺し、気配を最小限まで消した。
しかし足音は蔵の少し前で止まる。

「なぁ、早く行かないのか?」

 一人の男の声が聞こえた。しっという声とともに蔵の周辺に無の静寂が訪れた。

「……血の臭いがしないか?」

 別の男の声がする。[くちっ]という音と僅かに木と鉄がこすれる音が聞こえる。
鯉口こいくちを切る音だ。
時雨は動くかどうか迷っていた。やはり阿芙蓉のせいで思考が低下しているようだ。

(五人か)

 時雨は柄を握る手の力を抜いた。可動域を上げるためだ。

「気のせいだよ。それより早く地下で楽しもうぜ」

 四人分の足音が近づいてきて扉を開いた。時雨は最後の一人の足音が無いのが気になったが、蔵の中に明かりが差し込むと同時に左手の太刀を一気に突き込んだ。切っ先は最初に入って来た男の脇腹に水平に入り込む。
 そのまま右手の太刀で最初の男の首筋を切り裂く。男は二・三歩歩き、血飛沫をまき散らしながら倒れ込んだ。返す軌道上に次の男の喉がある。それをそのまま切り裂いて一歩踏み込み、もう一度振り下ろした。太刀の元の方で斬り上げで喉を切り裂いた男の後頭部を殴り、そのまま横の男の首筋をうなじから一気に斬り下ろす。
 時雨が血飛沫を浴びるのを避けるためしゃがみ込むと四人目と五人目の立ち位置が見えた。四人目は蔵の入り口に足をかけている。五人目は左足が後ろに下がった。

(刀を抜かれたか!)

 時雨は倒れ込んでくる二人を両肩で受け止めそのまま真後ろに跳ね上げる。四人目の男は入り口に足をかけたままの状態で呆然と立っていた。そのまま男の側に寄ると太刀の元を男の喉元に押し当て身体の回転を利用して一気に引き裂いた。骨を切断する感触が手に伝わってくる。四人目の男は首と胴が完全に分かれ、血を噴出させながら蔵の中に倒れ込んだ。
五人目は刀を正眼に構え、蔵から二間程のところに立っていた。

「当て斬りか、そこまでのものは初めて見たぞ」

 最後の男は静かな声で賞賛の声を上げ、再度構えを作り直した。
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