迷える貴方に休息を-保護猫カフェでお待ちしています-

三池このみ

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癒し系カフェの客が癒し系とは限らない

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アーニャの写真を撮りたい。
それが目下の私の目標だ。

私は今まで猫を飼った事は無いが、猫の画像や動画を見た事は沢山ある。くりくりとした目がカメラを見つめている様はどれも愛くるしく、猫の人気に大いに貢献していると言えるだろう。
以前に白金さんが俺の画像よりも猫の画像の方が反応が大きいとぼやいていたが、猫のビジュアルは動物の中でも上位の愛くるしいものであるから、その反応にも頷ける――と思ってしまう。

私がアルバイトをしている猫カフェにはホームページとSNSのアカウントがある。ホームページには在籍中の猫の画像が掲載されており、SNSのアカウントではその日の猫達の様子を流したりする。
だが、その中にアーニャの画像が載せられる事はない。

第一に、アーニャがまだ猫カフェに慣れていないからという理由がある。
例えば多数のお客様がホームページに掲載されたアーニャを目的にして店を訪れたとして、アーニャがパニックになる可能性がある。それでまだ掲載していないらしい。

第二の理由は、アーニャの写真を撮るのが難しい――というものだ。
アーニャはそもそも人間に懐いていないからか、人間がカメラを向けても目を細めて警戒しているような表情しか撮れないのだ。
営業後に念入りにあやした日から、私とはおもちゃで遊んでくれたり、撫でるのを受け入れてくれるようになったけど、まだスマホカメラを向けるとこちらを警戒する目になる。アーニャはカメラ自体が嫌いなのかもしれない。
そう思って、白金さんに相談してみたけど、スマホでアーニャの画像を見せると彼は首を傾げた。

「十分かわいく撮れてると思うけど」
「そうでしょうか……」
「俺が前に撮ろうとした時、威嚇真っ最中のところとか、逃げ出していって白い残像になってるところくらいしか撮れなかったよ。それに比べたらこのアーニャ、めちゃめちゃ美少女だよ」
「でも、アーニャはもっとかわいいんです……」

アーニャの目は、人里離れた湖のように透き通った青色をしている。私はそんな綺麗な瞳を見つめるのが好きだった。
アーニャの美貌に見惚れる人は私だけではないと思っている。
でも、アーニャは依然として中々お客様の前に姿を表そうとしない。だから写真を撮って載せようとしているのだ。

アーニャの写真を載せる事で、お客様にアーニャの事をもっと知って欲しい。
それに――宗谷さんにも写真つきでアーニャの事を報告したい。
アーニャに触れるようになったという事は既に報告済みだが、宗谷さんはまだまだ忙しくて店に来られないらしい。
私がこの店でアルバイト出来ているのは、アーニャと宗谷さんのおかげだ。
出来る事なら彼をより深く安心させられるように、画像付きでアーニャの様子を伝えられたらいいんだけど……。


「こんにちはー」
「お、お客様だ。いらっしゃいませ」

話しているうちに、来客を知らせるベルが鳴った。白金さんが接客のために扉の方へと近づいていく。
扉の向こうには二人のお客様がいるようだ。

まず入ってきたのは男性で、その後は女性が来た。男性は山崎さん、女性は天路さんといい、それぞれ別々に来たお客様らしい。
山崎さんは私よりも二十歳程年上とみられる男性で、眼鏡をかけて大きめの鞄を背負っていた。
天路さんは私の両親と同じくらいの年代に見える。だが彼女の服や持っている鞄は品のいいものであることを伺わせる。上流階級、名家──そんな言葉が思い浮かんだ。

山崎さんは、ロッカーに荷物を入れるとある物を取り出した。
カメラだ。
私がいつも使っているのはスマホにデフォルトで付属しているカメラだけど、山崎さんが持っているのは写真撮影専用のカメラだ。用途によってレンズを変えるようなもの。私は詳しくないけれど、拘り出すととても値が張るものだと聞いている。

カメラを持った山崎さんは、キャットタワーで日差しを浴びながら眠っている、複雑な模様を持ったサビ猫──あれは確か、つむぎだ。つむぎに向かってシャッターを切り始めた。
何枚か取った後、店内に置かれている玩具を手に取り、近くでくつろいでいたはちみをじゃらし始める。
目を爛々とさせてハンターモードになったはちみは、山崎さんの持つじゃらしに向かって飛び込んだ。そして、近くにいたきなこもじゃらしに気を取られたのか、私の前を突っ切って山崎さんのもとへと飛び込んでいく。

「おっと、すみません。猫たちが釣れ過ぎちゃったみたいで」

私を見やって山崎さんが謝罪する。
私は慌てて首を振った。

「いえいえ。猫達も沢山遊んでもらえて嬉しいと思いますよ。ところで、そのカメラ……」
「お、気になりますか?」
「はい。かわいく写真を撮ってあげたい猫がいるんですが、中々上手くいかず……」
「お、そうなんですね。最初は中々うまくいかないですよね。ちなみに、この中でいえばどんな感じで撮りたいですか?」
「え?わ!……すごい」

私は山崎さんが差し出したカメラの中を覗き込んだ。中には猫が写った写真が沢山ある。
きらきらした目でカメラ目線であどけない表情を浮かべたもの、猫じゃらしを噛んで迫真の表情をしているもの、二匹で毛づくろいし合っているものなど、かわいらしく生き生きとした画像がいっぱいだ。
アーニャのこんな画像を宗谷さんに見せてあげられれば、きっと彼も安心してくれるはず……。

「そうですね……。見せていただいたどの写真も魅力的ですが、猫同士の写真はちょっと難しいと思います。猫の事が苦手な子なので」
「ふむふむ。では猫ちゃんピンの写真で考えるとすると……おもちゃで釣るか、餌で釣るかがいいでしょうね」

そう言うと、山崎さんは釣り竿タイプのおもちゃを持った。
糸の先に羽がついているそのおもちゃを持ち上げると、はちみが目を爛々とさせておもちゃを見つめる。山崎さんは彼のスマホをポケットから取り出し、片手ではちみにシャッターを切った。

「どうですか?スタッフさんが再現しやすいようにスマホで撮ってみました」
「……すごくカメラ目線で綺麗に撮れていますね」
「猫は動くものに目がいく子が多いですからね。それを利用したらこっちを向かせるのは楽ですよ」
「ありがとうございます。その子の気が惹けるもので色々試してみます」
「ええ。何なら、僕が写真を撮ってもいいですよ。撮ったものは店のホームページのメールアドレスに送るようにしますから」
「え……でも……」

私は躊躇う。
そこまでさせると、店のスタッフとそう変わりない立場になってしまうのではないか……。スタッフとして雇わないといけないなら、条件などを宗谷さんに相談しなければいけなくなるし……。
私が悩んでいる事を悟ったのか、山崎さんは手を振って言う。

「お金は必要ないですよ。僕は写真が趣味なので、猫を撮るのも自分の技術向上のためという面もあるんです。だから撮りたい子があれば遠慮なく言って下さいね。今日はこの子たちを集中して撮りたいので、また次の機会になると思いますが」
「そうですか。ありがとうございます」

はちみときなこに集中する山崎さんに一礼して、私はそっと離れた。

それにしても……。
私は頭の中で考える。
私は人と話すのがそれほど得意では無いと思っていたから、お客様と話す事も避けていた。
だけど、さっき山崎さんと話した感じだと、以前想像していたような大変なものではなかった。

恐らく、ここに来るお客様は皆猫が好きだからだ。
猫という共通の話題があり、かつ皆猫の所作に癒やされているからこそ、穏やかに話をする事が出来る。
それに、私にはまだ猫の知識が乏しい。数週間前に初めて猫と触れ合って、その後もこの猫カフェでの猫しか知らない。
だが、お客様は他の場所でも猫と触れ合っていて、知識を蓄積している人もいるようだ。
私がお客様の対応をするのは……いい勉強になるかもしれない。
今はメインでお客様に対応してくれているのは白金さんだけど、私もシフトに入れて貰えるように後で掛け合ってみよう。


「ちょっと、スタッフさん」
「あ、はい」

私用のメモに用事を書き留めていると、もう一人のお客様――天路さんが私に呼びかけてきた。
天路さんは私の顔を改めて見て、そして瞬きをして呟く。

「……あら、見慣れない顔ね。アナタ、新人スタッフさんね」
「は……はい」
「ホットの紅茶ひとつ。あたしはこの後二階に行くので、二階に持ってきてくださいね」
「わかりました」

私は天路さんのオーダーに頷く。彼女は二階へと登っていった。
……二階はアーニャがいつもいる場所だ。
先程から一階のフロアではアーニャの姿を見ない。おそらく二階で息を潜めているのだろう。

猫カフェは二階まで開放しているけれど、基本的に一階の方が設備が充実しているから、二階まで行くお客様は少ない。アーニャも客と触れ合うのには慣れていない筈だ。
人間に自分の住処に来られるのは、アーニャにとっては可哀想かもしれないが……。
でも、アーニャは猫カフェの猫だ。ここでの生活に今まで以上に慣れていかないといけない。
私には良い反応を示すようになったけど、本当は他の人に対してももっと心を開いて欲しいのだ。
天路さんともうまくコミュケーションを取ってくれるといいんだけど。


このカフェで頼めるドリンクは、大まかに分けて二つの種類がある。
ひとつは普通のカフェと同じく、注文されたドリンクを作るもの。もう一つは何種かのペットボトルから選ばせるもの。
そして、注文されたドリンクを作る場合は必ず蓋を付ける必要がある。
基本的に猫達は食欲の権化だから、人間が作ったものを口に入れられるか否か見極めようとしたがる。ドリンクを入れたら手を突っ込みたがるから、猫が濡れたり火傷をしたり、あるいは猫の毛がドリンクの中に入ったりしないように蓋をするようにしてね──白金さんはそう語っていた。
ホットの紅茶を作って蓋をして、私は二階へ繋がる階段を登る。

「お待たせいたしました。中は熱いのでお気をつけください」
「ありがとう。そこに置いておいてくださいね」

天路さんの指示通り紅茶を置いて、そこで私は、あ、と思った。
二階にはアーニャがいた。それは予想通りだったのだが、私が作ったベッドにいるのは違う猫だった。エリザ――メスのラグドールの猫がいる。
あのベッドは中に入る事を想定して作ったものだが、エリザは上からベッドに乗っかり、天蓋を潰していた。
ラグドールというのは猫の中でも大きな体躯になる長毛種である。身体の小さいアーニャに合わせたベッドだから、エリザの大きな足もふわふわ尻尾もベッドから多めにはみ出していた。
そしてアーニャは近くの棚の中に入り、エリザの事を据わった目で見つめている。アーニャがどこかのタイミングでベッドから出た時、エリザに取られてしまったのかもしれない。

私がアーニャのいる方を見たから、天路さんもアーニャの存在に気づいたようだ。
天路さんは目を細めながら言う。

「あら。今気づいたわ。かわいらしい子ね。あの子は……ホームページには載っていなかったわよね」
「あ、はい。最近来た子で、あんまり慣れていない事もあって、まだ載せていないんです」
「なるほど。しかし、綺麗な子ね。白雪姫ちゃん……とでも名付けようかしら」
「す、すみません。もう名前は付いてるんです。アーニャ、といって」
「あらそうなの。アーニャちゃんね。いい名前ね、アーニャちゃん」
「シャー」

アーニャの返事は苛烈なものだった。棚の中のアーニャが耳をぺたりとさせて天路さんを威嚇している。
私は内心頭を抱えつつ天路さんに謝る。

「すみません。この子、ほんとにまだまだ慣れていないみたいで……」
「いいのよ。猫ちゃんは威嚇してるところも可愛いものなんだから。でも、アーニャちゃんに構いすぎるのは良くないなら……エリザの方にしようかしらね」

天路さんはエリザの方に指を伸ばす。
エリザは差し出された指の匂いを嗅いだ。
エリザが逃げない事を確認したからか、天路さんは指で顔周りを撫でた。エリザが特に反応する眉間の箇所を重点的に撫でる。
エリザが甘えるようにふわふわした表情を浮かべ始めるのに合わせて、天路さんがエリザの背中から尻尾までを手のひらですっと撫でた。エリザは気持ちよさそうに伸びをしている。

……すごい。
当初のアーニャ程では無いものの、エリザは気難しい性格をしている。人間に喉や眉間を撫でられて気持ちよさそうにしていても、ちょっと気分じゃないところを触るとあっという間に離れていってしまう。私も何度かエリザのパンチを貰っているのだ。
天路さんはエリザの好きなところを熟知しているように見える。

エリザの名前も知っていたようだし、彼女は常連さんなんだろう。
エリザは長毛種故に、触った後は服にベージュ色の毛が沢山ついてしまうのだが、天路さんはあまり気にしていないようだった。身に纏った品の良い服以上に、猫と触れ合う事の方を優先しているのだろう。

暫くエリザを穏やかな顔で撫でていた天路さんだが、やがて彼女は笑みを収めて口を開いた。
「あと、スタッフさん」
「はい」
「あの、下にいる客……。あの客に注意して貰えないかしら?」
「……え?」


天路さんと話を終えた私は、階段を降る。一階には山崎さんがいて、依然として子猫たちと遊びながら写真撮影をしていた。
天路さんの言葉を思い出しながら、私は内心心臓をバクバクとさせていた。

――あの客が子猫を遊ばせすぎないように、スタッフから注意して欲しい。
それが彼女から依頼された事だ。

一般的に、生後一年未満の猫は子猫と扱われる。このカフェの中で言うと、アーニャ、きなこ、はちみが子猫にあたる。
きなことはちみは先程からずっと山崎さんのおもちゃに食いついて夢中で遊んでいるようだ。
ずっと楽しく遊んでいるのは猫にとってはいい事に思えるものの、実はそうとは限らないようだ。

人間の子供と同じく、子猫はまだ判断力が育ちきっていないところがある。自分の体力の限界を迎えるまでおもちゃを追い続けてしまうのだ。
だから、子猫はある程度まで遊ばせたら休憩を与える必要がある。
最近のアーニャは、おもちゃで遊んでもらうよりも触ってもらう方が好きなようだ。だからアーニャに関してはぶっ続けで遊んでしまう心配はいらなかったのだが、他の子猫については注意が必要だった。
本当はスタッフであるアナタが気づかないといけないのよ、と天路さんに指摘され、私は反省した。正直なところ私はそこまで気が回っていなかったのだ。

……人に注意をする、というのは私にとってはとても怖い事だ。
人のやる事に異議を申し立てること。
私自身、自分が正しい事をしているのかしょっちゅう見失ってしまうのに、他の人に何か言えた口なのか――。そう考えてしまうからだ。
でも、今回の場合はそんな風に言っていられない。
スタッフとしてやるべき事はやろう。あまり事を荒立てないように注意しながら……。

「山崎さん」
「はい?」
「すみません、伝えるのが遅れてしまったのですが、子猫をずっと遊ばせるのはご遠慮ください。この子達は遊んでもらうのが大好きなんですが、それ故に夢中になり過ぎてしまうみたいで……」

緊張しながらも、なんとか注意をする事は出来た。
山崎さんは私の言葉に頷き、苦笑した。

「おっしゃる通りです。もっと早くに気づくべきでした。すみません。教えていただいてありがとうございます」
「いえいえ」
「きっと他の客の方も不満に思いましたよね。この猫じゃらし、子猫たちに特に人気が高いみたいなんです。僕だけが猫を独り占めするのは良くないですよね……」
「え……」

私は、山崎さんの言葉に狼狽える。
彼の言っている事は、ある意味では間違っていない。山崎さんに注意する切欠は天路さんの指摘だったからだ。
そして、確かに山崎さんが猫を独り占めするのも良い事では無いだろう。一人だけに猫が集まるよりも、訪れたお客様みんなに猫がつく方が望ましいだろうから。
でも、今回の天路さんの指摘はきっとそういう意味合いでは無く……。
いや、どうなんだろう。
そういう意味合いも含んでいたのかな?彼女は猫カフェの常連みたいだから、私よりも色々な事が見えていたのかもしれない……
それなら、そこも含めて注意した方がいいのか……?
ええと……。

「ちょっと」

私が狼狽えてフリーズしていると、二階から天路さんが降りてきた。
彼女は山崎さんの前まで来て口を開く。

「どうやらすこし思い違いがあるみたいね。訂正させて下さい」
「何ですか?思い違いって。何故、貴女が訂正を……?」
「貴方を注意しようとしたのはあたしだから。このスタッフさんはどうやら、新人さんだけあって注意するのが苦手みたいね。だからあたしから伝えます」
「あ、あの……」

私はどうにか発言しようとするけど、天路さんの言葉の方が早かった。

「確かに、他に猫に触れたい人がいたら猫を独り占めし過ぎるのはよくないわよね。だけど今あたしが伝えたいのはそういう事じゃない。子猫は体力が尽きるまで遊んでしまう事があるから、人間側が注意して遊ばないといけないの。それを理解して欲しかったんです」
「あぁ……すみません。一応その情報は知っていたんですが、写真撮影がうまくいきそうな時だったので……」
「写真撮影?」
「僕、写真が趣味なんですよ。ここの猫ちゃんは皆かわいくて、今はシャッターチャンスだと思って……」
「あなた、自分の趣味を優先して猫の体調を疎かにしたんですか?そんなに写真を撮るのに拘るなら、猫のぬいぐるみでも撮っていればいいでしょうに」
「……すみませんが、」

天路さんの物言いに思う所があったのか、山崎さんの声が低くなる。

「貴女には僕は写真だけを気にしているように見えたのかもしれないですけど、そんな事は無いです。何かを注意するために人の趣味をくさすのは良く無い事ですよ」
「あら、気に触りましたか。すみませんね。あたしとしてはそんな意図は全く無く、ただ猫の為を思っての事なんですけど」
「そうやって猫を盾にするのはやめてもらえませんか。僕の事が気に入らないなら、気に入らないと言ったらいいではないですか」
「お客様お客様、そろそろ入れ替えの時間ですよ~」

言い争う二人をふんわりと遮り、白金さんが朗らかに話しかけた。山崎さんが驚いたように時計を見つめる。

「……もうこんな時間か。すみません、今日はもう帰ります」
「ありがとうございます。ではお会計です。天路さんはどうしますか?」
「あたしはもう少し残ります」
「かしこまりました~。では山崎さんはこちらで。スタンプカードをお渡ししますよ。あ、舞空ちゃんはスタッフルームの様子見てくれる?そろそろ掃除しないといけなさそうだから。あと小物類もついでに点検しといて」
「……わ、わかりました」

白金さんは苦笑しながら私に頼み事をした。
私はスタッフルームへの道を歩きながら考える。
……これは白金さんの助け舟だ。私がお客様同士のトラブルでキャパシティを超えてしまった事に感づいたのだろう。私を気遣ってフロアに出なくてもいいようにしてくれているんだ。
私でもお客様対応が出来るかもと思っていたのに、また白金さんの世話になってしまった……。

とりあえず、私はスマホで宗谷さんに先程の事についてチャットを送る。
店で何かあったら連絡して欲しいと言われていたので、気になる事や疑問に思った事があれば伝えるようにしていた。

宗谷さんからの返信はさほど頻繁に返ってくる訳では無い。
前までは自分が不甲斐ないからかとも思っていたけれど、アーニャについて良い報告が出来た日も、彼から返ってくる返事は素っ気ないものだった。
今回も、宗谷さんからの反応は望めないかもしれない。
が、彼としてもおそらく猫や店の状況は気になる筈だ。自分にやれる事はやっておきたい。
……そうだ。
私がどんな状態であっても、猫の時間は変わらず流れ続けているのだ。猫が快適に暮らせる為の作業を進める事にしよう。
私は段ボールに詰まった猫砂や猫用食事の整理をして、その後は壊れたおもちゃの修理をするなど、裏方仕事に集中した。


閉店時間になった後、白金さんはスタッフルームに現れた。
「今日はお疲れ様。色々作業終わらせてくれたんだね。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。それで、あの……天路さんと山崎さんの事についてなんですが……。すみません、私がうまく応対出来なかったせいで、お客様同士でちょっと揉めてしまったみたいで」

白金さんに頭を下げると、彼は手をひらひらとさせて言う。
「ああ。舞空ちゃんは災難だったね。ここに限らず、バイト先で客が争う事はたまにあるもんだから。最初から俺が対応出来ていればよかったんだけど……」
「あの後、天路さんは何か言われてましたか……?」
「あの後も天路さんはカフェにいたけど、山崎さんの話は特に出なかったよ。猫をあやしてたな、いつもの通り。天路さんは前からちょくちょくカフェに来てくれる常連さんだから、きっとまた来るだろうね」
「そうですか。それなら……良かった。……山崎さんも、また来てくれるでしょうか」
「うーん。ポイントカードを作った訳だし、まだまだ写真を撮りたいって話してたから、きっと来てくれると思うけど」
「そ、そうですか。良かったです……。……と、言ってもいいんでしょうか……」

私は迷いながら白金さんの意見を伺う。
天路さんと山崎さんの揉め事が解決しなかった以上、二人が再び遭遇したらまた何かが起こる可能性があるかもしれない。
白金さんもその可能性はわかっているのか、苦笑して天を仰いだ。

「この猫カフェは営利目的でやってる訳ではない!……なんて、宗谷くんは言うかもしれないけど。まあ、俺としては客がリピートしてくれるならその方がいいよ。売上が上がれば給金も上がるだろうし。あと俺達の金になるだけじゃなくて、猫達の生活にも使われる訳だしね」

白金さんの言葉を聞いて、私は頷く。
この猫カフェには猫が十匹以上暮らしている。必然、日々の猫の生活費は増える。
食事だけでなく、ペット用のトイレシートや猫砂の消費も激しい。店にはいざという時用の資金があるから、客が一切来なかった場合も当面猫を飢えさせないようには出来るらしいけど、やっぱり客が来ないとお金の心配は出てくる。
今問題になっている二人は、その観点で見ると二人ともいいお客様だ。天路さんは現段階でお店に良く顔を出す客であるし、山崎さんは今後も安定してリピートしてくれそうだから。
でも……。
もし顔を合わせる度に険悪なムードになってしまうなら、その度に他のお客様の迷惑にもなってしまうかもしれない。

「あまりにも迷惑な客だったらこっちの権限で来店拒否する事も出来るんだけどね。今のところは二人ともそこまではいってない。……だからこそ、面倒なんだよなあ。ま、次からは二人に何かあったら俺を呼んでくれたらいいよ。俺、そういうの慣れてるし」
「……今までも仲裁する事があったんですか?」
「いや、人間が喧嘩する所を沢山見てきたってだけ。主に演劇の稽古場とかでね。で、慣れたってだけ。猫が喧嘩してるところも人が喧嘩してるところも、祭りみたいで面白いって思ってるよ。流石に猫が怪我すると宗谷くんに怒られるだろうけど、客の扱いは任せるって言われてるから、俺流にやらせてもらおう。あはははは」
「……そ、そう……ですか」
「舞空ちゃんなんて色々慣れてないだろうから、こういうのは俺に任せておけばいいよ。クレーム対応なんかも向いてる奴がやればいい訳だし、ね」
「にゃー」
「お、シャルル。お前もそう思うかあ?」

スタッフルームの猫用扉を開けて、アメリカンショートのシャルルが入ってきた。この子はお喋りが好きな性格みたいで、よく白金さんや私に話しかけてくる。シャルルの後からうにおやニコルもやってきて、白金さんにあやされて身体をくねらせていた。この子たちは白金さんによく懐いているようだ。

白金さんは、私や猫達に良くしてくれている。お客様への対応もメインでやってくれて、私はとても世話になっている。
でも、客にトラブルがあった時には必要以上に踏み込まないようにしているようだ。

恐らく、その線引は正しいものだ。アルバイトの身分で何から何までやると身が保たないというのは私の大学の同級生もよく言っていたことだから。
でも、宗谷さんは……。
この猫カフェのオーナーで、私を雇った宗谷さんは、私に何を望むだろう。
私はスマホを見つめたけど、返事はまだ返ってきていなかった。

「うにゃっ」
「あ、アーニャ」
「うにゃにゃにゃっ」
「ちょ、ちょっと待って、今スマホをしまうから」

いつの間にかスタッフルームに入ってきていたアーニャは、ぴょんと私の膝の上に乗ってきた。そして何往復かパンチをして私にスマホを使わせまいとする。
……アーニャはやはり、スマホが嫌いなようだ。
山崎さんの言っていた写真を撮るテクニックを試してみたいけど、これだと写真を撮るのは難しそうである。
……どうしよう。


日々の中で多少のトラブルが起きたとしても、大抵の事はそのまま続いていくものだ。
という訳で、猫カフェは今日も開店している。

先程までは集団のお客様が沢山来ていて、猫達も接客に大忙しだったけど、切りのいい時間になったら一気に帰っていった。
店の中にいる人間は私ともう一人のスタッフさんだけになる。今日は白金さんではなく他の人がシフトに入っている日だった。

先程までおもちゃで遊ばれていたジロウやあんこは、満足したのかふわふわのカーペットの上で眠っている。他の猫達も毛づくろいをしたあとぺたりと横になったり、日向ぼっこでうとうとしたり、今はお休みタイムみたいだ。カフェの中にはまったりとした時間が流れていた。

ちなみに、フロアの猫が穏やかに過ごしている時、アーニャは大抵二階にいる。アーニャがフロア内にいると他の猫達を警戒して威嚇してしまうし、他の猫もそれに刺激されて騒ぎ出す事が多いからだ。
当初よりは唸る事が減ったとはいえ、アーニャは基本的には猫や人が苦手なものらしい。
――と、考え事をしている私のもとに、来店を知らせるベルが鳴った。

「あ、客が来た。舞空さん、俺行ってきますね」
「あ、はい」

もう一人のスタッフさんは接客希望との事だったので、来客対応をメインで担当していただいている。
以前白金さんに聞いた事だが、この猫カフェのスタッフさんは劇団の人間から集められたもので、他のアルバイトを兼務している人もよくいる。だから接客にも抵抗感が無い人が多いのだという。元々接客に苦手意識があった私にとってはありがたい事だった。

だが、今の私は以前とは少し違う。
自分でも接客の作業をしたいという気持ちが、ある。
正確に言えば――揺れ動いている。

前にトラブルがあった時に、自分ひとりでは何も出来なかった事が忘れられない。
また自分が接客をしたとして、何も解決出来ずに話を拗らせたらどうしようと不安に思う気持ちがある。
一方で、この猫カフェにもっと貢献したいという気持ちもあるのだ。
他のスタッフさんの仕事も出来るようになれば、人間だけでなく猫も今まで以上にいい環境で過ごせるかもしれないし。
未だにあまり連絡を取らない宗谷さんも、内心では私にもっと成長して欲しいと思っているのかもしれない……。

「こんにちは。また来ちゃいました」
「あ、こんにちは!」

私は、新たに来たお客様の姿を見て、そして会釈をする。
来店したのは山崎さんだった。彼は大きめの鞄をロッカーに入れて、そしてカメラを取り出した。今日も写真を撮るのだろう。

「今日は猫ちゃんたちはまったりしているみたいですね。あ、そういえば……以前言われていた、スタッフさんが撮影したい猫ちゃんはどの子ですか?良かったら僕も撮影に協力させてください」
「そうですね。えっと……」

一階の子ではなく、二階にいるアーニャを撮影したい――と伝えようとしたところで、更にカフェのベルが鳴った。

「あ……」
「おや」

私と山崎さんがカフェの入り口の方を見て、同時に声を出す。
そこにいたのは天路さんだった。
天路さんは慣れた様子で入店のやりとりを終わらせた。荷物をしまった彼女は、私達をちらりと見た後に猫の様子に目をやった。

「こんにちは。今日は猫達はのびのびしているみたいね。無理に遊ばせていないみたいで、良かったわ」
「ははは。まあ、僕は今来たばかりなんですがね」
「あらそうなの。じゃあこれからは何があるかわかったものではないのかしらね。前言撤回するわ」
「ははは」

天路さんと山崎さんがどう出るか観察してみたが、二人は以前のやりとりを引きずっているようで、棘のある会話をしている。
次に二人が会った時にどんなやりとりをするかはわからないけれど、また揉めそうだったら俺や他のスタッフに相談してくれたらいい――。
白金さんはそんな風に言っていたけれど。
私は――。

私は意を決して天路さんと山崎さんに向き直り、上ずった声を出した。
「すみません、山崎さん、天路さん!」
「……なに?スタッフさん」
「お二人に頼み事があるんです。……以前から写真を撮りたいと思っている猫がいるんですが、うまくいかなくて。協力してもらえませんか?」


前から写真を撮る事を提案してくれた山崎さんはともかく、天路さんは難しいかもしれないと思っていたけれど、一応二人とも了承してくれた。天路さんは山崎さんが猫と接する事を警戒しているようだから、自分が傍についていようと考えたのかもしれない。何にせよ二人が協力してくれる事になってほっとした。

私は、二階へと繋がる階段を登る。
山崎さんは、二階の部屋の中を見ながら呟く。

「ああ、エリザちゃんか。確かに、あの子はおやつにもおもちゃにもあまり反応しませんよね。ですが、写真撮影はあまり嫌がらないと思うのですが……」
「いえ、エリザでは無いのです。あの子です」

私は、アーニャを指してそう言った。

「わあ……あの猫ちゃんか。僕、あの子は初めて見ました。とてもかわいい子ですね。白と銀の配色がすごくきれいな子猫ちゃんで……絵になるなあ。ミルクちゃん……いや、あんにんちゃん……」

山崎さんがアーニャに見惚れながらも、次々と名前候補をあげている。私は彼にアーニャという名前だと教えた。
二階にはアーニャ用ベッドの上でごろ寝しているエリザと、棚の中でぬいぐるみを蹴っているアーニャがいた。

エリザは最近よく二階にいる。どうも、エリザは私が作ったアーニャ用ベッドをいたく気に入ってしまったらしい。
アーニャの居場所を取らないようにと、エリザ用に似たような肌触りのベッドを作ってみたのだが、アーニャ用ベッドの方から離れようとしない。それならばアーニャの方がエリザ用ベッドを使ったら解決すると思ったのだが、アーニャの方はエリザ用ベッドに近づこうとしなかった。
アーニャはエリザにテリトリーを奪われた事にストレスを溜めながら二階で生活している――そんな状況だ。

この状況はアーニャが一階に行くチャンスでは無いかと考えた事もあったけど、一度アーニャを下に連れて行ってみたら沢山の猫に怯んで再び二階の方へ行ってしまったので、やはりまだ一階で過ごすのは難しいようだ。

「なるほどなあ。猫が嫌いな猫ちゃんも沢山いますからね。アーニャちゃんはまだ子猫だし、いずれ慣れてくれるかもしれませんが……」
「はい。実際、私には慣れてくれました。アーニャの今の様子を伝えたい人がいるので写真を撮ろうとしたのですが、どうもアーニャはスマホが嫌いみたいで、スマホカメラを向けようとすると攻撃してくるのです……」
「あら、そうなの。こんなにかわいいのにね。まあ、あたしは無理に写真を撮る事も無いとは思うけど」
「それは天路さんの仰るとおりです。ですが……天路さん、山崎さん。私はお二人がいればアーニャに負担をかける事なく写真撮影が出来るのではないかと考えました。それを試して欲しいのです」
「……?」


エリザは気難しい猫だ。山崎さんの言う通りおやつやおもちゃでもあまり釣れないし、自分の認めた人間相手でないと中々反応も返さない。普段エリザを世話しているスタッフでもそれは変わらなかった。
でも、天路さんはエリザとうまくコミュニケーションを取れている。
だから、私は天路さんにお願いした。

「まず、エリザを一階に連れて行って欲しいのです。ここに他の猫がいるとアーニャは緊張して出て来ないようなので」
「ふうん……。でも、エリザはここにいたいのでしょう?そこを無理やり動かすのもどうかと思うけどね」

渋る天路さんに、私は説明する。
エリザはもともと二階を好んでいた訳ではなく、私がアーニャ用のベッドを作った事で二階に居着くようになった。
エリザは二階ではなくアーニャのベッドに拘っているのだ。それがアーニャのストレスに繋がっている。
だから、エリザがエリザ用ベッドを使うようにして欲しい――と。

「出来る事ならばこのカフェの猫みんなにストレスを溜めてほしくないんです。だから、私に思いつく事は色々試してみようと思って……」
「その案の一つが、私に依頼するという事だったのね」
「はい。本当ならばスタッフ間で解決するのが一番いいだろうとは思いましたが……すみません」

頭を下げる私に、天路さんはため息をついて呟く。

「……エリザ、ちょっとごめんなさいね」
「うる?」

天路さんがベッドでくつろぐエリザの方へ近づき、手を差し出した。
天路さんの手で喉や眉間を撫でられたエリザは、やがてベッドの中で気持ちよさそうに目を細めた。アーニャの体勢は、つちのこのようなとろりとしたフォルムになっている。
天路さんは、その状態でベッドの中に両腕を差し込んだ。
エリザがされるがままにベッドから出てくる。
ラグドールという品種名はぬいぐるみという意味を持つようだが、今のエリザはまさしくぬいぐるみのようだ。天路さんに上半身とお尻を支えられて密着されて抱かれているから、安心感もあって大人しくしているのだろう。私が同じ事をやろうとしたら抱っこしようとした時点でするりと逃げられるだろうし、抱きかかえるのに成功しても抗議の鳴き声をあげられると思われる。

天路さんはエリザをあやしながら、ゆっくりと一階へ降りていく。やがて一階に辿り着き、ソファに座った。
私は彼女の後についていき、エリザ用に作ったベッドをソファの近くに置く。
エリザは天路さんに抱っこされるのが気に入ったのか、まだ彼女の腕の中でごろごろしているようだ。でも、そのうちベッドの存在に気づいてくれるかもしれない。

私は二階に戻った。
アーニャはエリザがいなくなって一安心したのか、棚から出てきていた。そしてアーニャ用のベッドに近づき、収まる。
部屋の隅でアーニャを観察していた山崎さんは、私を見て感動したように呟いた。

「スタッフさん。まったりゴロゴロしているアーニャちゃん……かわいいですねえ」
「ええ、かわいいですよね」

私は頷く。
アーニャは猫カフェの中では険しい顔をしている事が多いが、ゆったりしている時のアーニャは美少女という言葉がふさわしいルックスになる。

「こんなに可愛い子の写真が撮れないなんて。スタッフさんはアーニャちゃんの近況を知らせたい人がいるんですよね?画像を送れたらその人も喜んでくれると思うのに……」
「ええ。ですが――山崎さんならきっと何とか出来ると思うんです」
「……?」


「お待たせいたしました」
「あら、用事は終わったのかしら」

私と山崎さんは一階へと戻っていった。
一階のソファには天路さんが座っていて、その隣にエリザがいる。
エリザは天路さんにぴたりと寄り添いつつ、エリザ用ベッドをちょいちょいと前足で触っている。やがてエリザはもそもそとベッドの中に入り、丸くなった。

「あ!……エリザ、ベッド使ってくれてる。良かったです!」
「ええ。最初はちょっと警戒してたようだけど、この子にベッドを触らせてみたらすぐ気に入ったみたいよ」
「良かった……。これでエリザとアーニャでベッドの取り合いにならなくて済みます」
「そうだ。アーニャちゃんはどうなったの?」
「天路さん。これを見ていただけますか!」
「……?」

山崎さんが彼のカメラを天路さんに見せる。
その中には、ベッドで眠るアーニャや、目覚めた時のアーニャ、おもちゃでじゃらされるアーニャ、撫でられてふみふみごろごろするアーニャなど、アーニャの写真が沢山画面に映されている。私も先程見せてもらって、山崎さんには大いに感謝をしたものだ。

天路さんはじっと写真を見つめ、そして呟く。
「……愛らしいわね」
「そうですよね!私も見惚れてしまいました」
「でも、少し不思議ね。スタッフさんが写真を撮ると嫌がるという話だったのに……」
「アーニャは写真が嫌だった訳ではなく、スマホが嫌だったみたいなんです。だから専用のカメラを持っている山崎さんに協力してもらいました」

山崎さんの持っているカメラは形状からしてスマホとは違う。そのせいか、アーニャはカメラを攻撃する事は無かった。
故に、私がアーニャをあやしながら山崎さんが写真を撮ってもアーニャは受け入れてくれたのだ。

「それでも、最初はアーニャちゃんは僕を見て警戒していたんですよ。アーニャちゃんはスタッフさんの事は信頼しているけど、他の人は少し嫌なんでしょうね。でも、僕が階段に身を隠しつつ写真を撮る事で解決しました。こんな時のために身体を鍛えておいて良かったです」
「……そうなのね」
「もし天路さんが嫌でないのなら、エリザちゃんの写真を撮ってもいいでしょうか。僕の前のエリザちゃんはこんなにくつろいでくれないので、彼女がのびのび過ごせているうちに撮りたいんです」
「…………」
「他の方しか見られないような猫の一面をいろんな人が知る事が出来るというのは、写真の利点だと思っています。写真を撮ったらスタッフさんに画像を送って、ホームページに掲載してもらおうと思っています。そしたら、猫カフェに来ようというお客様がもっと増えると思うので……」
「山崎さん」

天路さんが山崎さんに向き合い、そして姿勢を正して言う。

「な、なんでしょうか。やはり僕の言い分にはいけない所があったでしょうか……」
「そうではないです。以前のあたしは……貴方に対してきつい言い方をしてしまったわね。すみませんでした」
「……天路さん」
「写真だとか、猫に関する作品の出来栄えばかりを気にして、猫の体調を一切考えない人だったらどうしようと思って、あたしは心配していました。だけど……そうではないなら、良かった。猫の事を考えてくれる人がこの猫カフェにまた来てくれてほっとしました。ありがとうございます」
「いえいえ。僕の方こそ、天路さんにきつい言い方をしてしまいました。気難しい猫ちゃんにもうまく接する事が出来る方はすごいと思います。僕は人懐っこい子としかうまく仲良く出来ない場合が多いので……良かったら、僕に猫との過ごし方を教えて欲しいです」
「いいわよ。あたしだってまだまだ知らない事はあるけれど、それでも良ければ……」

二人の様子を見て、私は胸を撫で下ろす。
天路さんと山崎さんのどちらか、または両方がカフェに来られなくなる場合もあるかと思っていた。だが、私は出来るならどちらも避けたいと思った。
私はもともと優柔不断だから、対応を決めきれなかったという事もあるけど……。
二人とも猫が好きな事には変わりないのに、対立して猫に触れる機会が無くなってしまうのは悲しい事だと思ったから。だから二人が接する機会をもう一度作ろうと思ったのだ。
私が解決出来るかどうかには自信が無かったけど、猫が二人の間を取り持ってくれた。
今回みたいに、お客様と猫たちどちらも満足して過ごせるように、私ももっと頑張りたい――そう思った。


別の日。
白金さんと同じシフトになった日の閉店後、私は彼にある画像を見せた。
山崎さんが送ってくれた写真である。
猫カフェのホームページを更新するにあたって、どの画像がいいか確認しようとしたのだ。

「……お、山崎さん、いっぱい写真送ってくれたね。俺がいない時に来たんだね」
「はい。それで、天路さんと山崎さんにこんな事が……」

私は二人の顛末について語った。
白金さんは頷きながら私の話を聞いてくれた。

「俺一人だと喧嘩の仲裁にそこまで力を入れなかっただろうから、こうなったのは舞空ちゃん様々だな。ありがとうね」
「……いえ、こちらこそ、今までお客様対応をしていただいてありがとうございます。でも、これからは私も白金さんと同じように仕事をしようと思います。アーニャの様子を見ながらにはなると思いますが……」
「うん。そうしてくれると助かるよ。アーニャのやつもちょっとずつ大人になってくれたらいいんだけどな。画像を見てると改めてまだまだ子猫だなって思うし、厳しいかな……。しかし……うん。舞空ちゃんはアーニャのこんな顔を見ていたんだな。かわいいねえ、アーニャは。フォトジェニックって奴かな」

白金さんはアーニャの写真を見ながら微笑む。
私は頷き、そして言葉を続けた。

「山崎さんから頂いた写真の中のどれを使うかについてですが、天路さんの意見によると全部使えばいいんじゃないか、との事でした」
「ぜ、全部?」

あの日、山崎さんの写真を天路さんにも見てもらった。その結果、猫はのんびりしている姿も生き生きと遊んでいる姿も、何ならぶれている姿もかわいい、だから全部載せた方がいいだろうと提案された。山崎さんはその意見に大いに喜んでいるようだった。

「え~全部……全部ねえ。正直なところ、俺は特に盛れてる写真を絞って載せた方がいいと思うけどな。今ホームページに載ってる他の猫の写真だってそんな感じだし。そうだ、この写真たちって宗谷くんにも送った?」
「はい。既読は付いたから把握はされてると思うのですが、まだ返事が無く……」

アーニャの画像や他の猫達の画像、天路さんと山崎さんの顛末も合わせて、私は数日前に宗谷さんにチャットを送った。
今回ばかりは宗谷さんがいい反応を示してくれるかも――という期待はあった。
だが、返事は返ってきていない。なんなら今までで最も反応が遅いかもしれない。

白金さんは肩をすくめてため息をついた。
「何なんだろうね、一体。もともと宗谷くんは愛想が無い方だけど、ここまでじゃ無かったと思うんだけどな……」
「……例えばですが、宗谷さんは身体を悪くしたりしていないでしょうか?その場合、返信出来なくても仕方が無いと思いますが……」
「でも、俺宗谷くんの出演してる舞台の情報見てたけど、宗谷くんが休みを取るような事は無かったみたいだよ。だから体調は問題無いと思うんだけどな……」

――ピンポーン。
話をする私達を、不意に店のベルが遮った。

「何だ。誰か来たみたいだな」
「この時間に……ですか?私、ちょっと行ってきます」

このカフェのインターホンにはカメラがついていない。だから直接行く必要があった。
私は店の入り口まで行き、扉を開ける。
「あ……」
そこにいたのは宗谷さんだった。


「お疲れ様です!」
「ああ。入るぞ」

宗谷さんはカフェの店内へと足を踏み入れる。以前に会った時はアーニャを入れたキャリーケースを持ってきていたが、今日は猫用の荷物は持っていないようだった。
宗谷さんが入ってきた事を認めた店内の猫たちは、思い思いの反応をした。
相変わらず寝ている猫もいれば、撫でや遊びを要求して近寄っていってにゃあにゃあアピールしている猫もいる。私がアルバイトで入る前までは宗谷さんはここで猫達の世話をしていたみたいだから、特に宗谷さんに懐いている猫も多いのだろう。

宗谷さんがどう出るか見守っていたが、彼は猫の呼びかけに答えず、スタッフルームに移動した。
無視されて不満げな猫たちの様子にちくりと胸が痛んだけれど、今は宗谷さんに話を聞くのを優先したいと思った。私も宗谷さんの後を着いていく。
部屋の中にいた白金さんは驚いた顔で私達を迎えた。

「宗谷くん?突然来るなんて驚いたな」
「そうか」
「色々言いたい事はあるけど……。……とりあえずお前、舞空ちゃんにちゃんと連絡返せよ。俺は不憫に思ったぞ。突然アルバイトに連れて来られるし、連れて来た当人のお前はろくに説明しないし……」
「ああ……」

宗谷さんが私の方をちらりと見る。私はなんだか申し訳ない気分になって、慌てて言葉を連ねる。

「えっと、宗谷さん、今まで何度も連絡しましたが……、あれが負担だったらごめんなさい!色々送りましたが、私に関しては、そんなに頻繁に返事してもらわなくても良いんです!だから、ええと……」

今までの事は、気にしないで欲しい――。
……と、宗谷さんに言おうとした。

下手に事を荒立てたくなかった。
宗谷さんは私の上司という立場だし、下手な事を言うと関係が悪くなるかもしれないから。
この猫カフェでアルバイトを出来る事を私は嬉しいと思っている。家族も私がアルバイトで働く事を歓迎している。
あらゆる面で、宗谷さんとは穏やかに対応した方がいい筈だ。

――でも。
心にどうしても引っかかる事があって、それで終わらせる事は出来なかった。

「宗谷さん……。私に対してはいいんですけど……。アーニャの状況については、出来ることならもっと宗谷さんの意見が欲しかったです」
「…………」
「白金さんや他のスタッフさんの意見も聞きつつ、色々試してきましたけど……。宗谷さんの意見があれば、アーニャにもっといい暮らしをさせられたかもしれないと、今でもそう思っているので」

私は宗谷さんにそう伝えながら、アーニャの事を思った。
アーニャは私以外の人間にはあまり慣れておらず、猫も好きではないらしい。
アーニャは最初にここに来た時よりもずっと落ち着いた、舞空はよく世話をしてくれたと、他のスタッフさんにはそう言われてきたけど……。

それでも、私にはまだ迷いがある。
他にもっとアーニャにしてやれる事があったのではないかと。
その点で、私よりも知識が豊富であろう宗谷くさんに助けて欲しかった。
宗谷さんから私への印象が悪くなるとしても、これだけは伝えておきたかった。


宗谷さんは少しの時間俯き、そして呟く。
「色々あってあまり反応出来ていなかったが……舞空さんからの連絡は逐一確認していた。アーニャの事について、舞空さんは俺の要求以上の事をやってくれたと思う。それには感謝している」
「はあ。それで、舞空ちゃんにはこれからはちゃんと連絡するわけ?というか、突然店に来たけど、私用とやらはもう済んだのか?」
「ああ。今日はその話をしに来たんだ」

宗谷さんは私と白金さんを交互に見て、そして口を開いた。

「舞空さんはこれからはアーニャの事を気にする必要はない。俺はこの猫カフェを近々閉めようと思っているからだ。それを伝えに来た」
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