僕の不適切な存在証明

Ikiron

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2話

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ミッドランド共和国西部の某所

朝焼けがさす道を少年が歩く。
周囲には木々がまばらに生えていて樹液の香りが彼の鼻腔をくすぐった。
少年は身震いする。
西部の気候は温暖とはいえ秋の早朝はかなり冷える。
“白のワンピース”しか着ていない自分も悪いがこれも”変装”ためだ、仕方がない。
お気に入りの黒いノートと財布の入った小さな鞄を小脇に抱え道を進む。

 「クシュン!」

思わずくしゃみが出た、ぶるると体が震える。
まばらに続くバス停をあと一つ越えればショッピングモールがある、そこでホットチョコレートでも買って温まろう。
早起きしてバス代を節約したのだ、それくらいの余裕はあるはずだ。

 「ハァイ」

突如、進行方向から声がかかる、彼の前方数メートル先にヒメーリアンの中年の男が立っていた。
彼の身なりはみすぼらしく着ている衣服はボロボロだった。
ほつれた箇所を補うためかサイズの違う服を何枚も重ね着しているせいで彼のシルエットはダボついたものになっていた。
髪の毛の付け根の部分は白いものが生え始めており、特徴的な伸びた耳は軟骨が痛んでしまったのが”うなだれて”しまっている、しかも、何日の風呂に入っていないのかひどい体臭で、悪臭がこの距離からでも匂った。

 「”お嬢さん”、お恵みを……」

彼はそう言うと手に持っている紙コップを振った。小銭がぶつかりあう音がじゃららとなった。
“お嬢さん”と男は少年に声をかけた、そう少年は今魔法で"ヒメーリアンの少女”の姿になっている。
髪はサラサラと腰の辺りまで伸びた白金色、手足は細くすらりと伸び、白い肌にはソバカス一つなく、顔の横から生えた耳はピンと斜め後方にまっすぐ伸びていた。しかも真っ白なワンピースを纏っていたのでまるで真珠を加工した装飾品のようだ、少年は今そういう姿になっている。

 「どうかお恵みを……」

男は再び声をかける。
少年には男は自分のことを裕福な家庭の一人娘だと思っているように見えた。
自分が来た方向には山間の別荘地があり金持ちがバカンスにきている、今の気品ある姿をした自分はそこから来たように見えたのだろう。
残念ながら自分はそこから来たわけでもないし、裕福でもない、今の姿だって仮初だし、さらに言えば自分の社会的な地位はこの男と大差がない。

 「失礼」

と、短く告げ立ちはだかるように立っていた男の横を通り過ぎようとしたとき、右腕に衝撃が走り、強い力で引き止められた。
男が少年の二の腕をつかんでいた、男の体臭が鼻を衝く、小脇に抱えていたノートを取り落としてしまう。

 「無視するなよぉ……」

男は言う。そんな男の言動が少年を激しくいらだたせた。
不潔な手で触られたことも腹立たしかったが、何より男のせいでお気に入りのノートを取り落としてしまったことに腹が立った、これは世界に一つしかない大切なものなのに、こんな取るに足らない男のために傷つけられたのは我慢ならなかった。

 (いっそ殺してしまおうか……)

暑い怒りが冷たい殺意に変わっていく。ここは開けた場所だが早朝の為人気はない。痕跡を残さないように手早く殺せば誰にも見つからないはずだ。何よりこいつには行方を気にする家族や友人などいない死んだところで誰も気に留めない。

基より”外”の人間に温情をかける必要などない!こいつのせいで楽しい一日になるはずが始まりから台無しだ!一瞬で終わらせてやる!

少年はつかまれていない左腕に魔力を込めた。コイツの一撃で首をへし折り即死させる!
今まさに必殺の一撃が振るわれようとしたその瞬間。

 「オイ‼そこのお前何をやっている‼」

と、車道から声がかけられた。気が付くとパトカーが自分たちのそばに停車していた。
パトカーからは二人の警官が出てきて、腰の銃に手を当ていつでも発砲できるようにしている。

 「そこのお前だ‼”彼女”から手を放せ‼」

彼らからすれば男が”少女”を強盗か強姦かをしようとしているように見えたのだろう。
実際に罪を犯そうとしたのはむしろその”少女”の方なのだが。

 「俺は何も……!何もやってない……‼」

男は弁明とも悲鳴ともつかぬ言葉を発しその場から逃げるように去っていった。

 「君、災難だったね」

警官の一人が声をかける。

 「いえ、お気になさらず」

警官は”少女”の冷静すぎる態度を訝しんだのか怪訝な表情を浮かべている。

 「君名前は?」

 「ユハ」

 「ユハ、こんな時間に何を?」

 「早朝の散歩を」

 「住んでいる場所は?」

少女の姿をした少年は来た道を指さし。
 「向こうにある別宅で一時滞在を」

金持ちのお嬢様のふりをして答えた。

 「住所はわかる?」

 「別宅なので覚えていません」

 「本宅の住所は?」

少年は自分の住処を知られるわけにはいかなかった、少年とその仲間たちにとって外部の存在は敵であり、警察はその最たるものだ。住処を知られるようなことがあれば仲間に危険が及んでしまう。

 「……」

両者の間に重苦しい沈黙が流れる。ここでごまかせないようなら最悪実力行使に打って出るしかない。武器を持っているが自分なら何とかなる、問題は足がついてしまうことだが……

 「おい!2ブロック先で強盗だ、今から現場に急行するぞ」

沈黙を破るように警官のもう一人が言った。きっと無線で連絡があったのだろう。
少年に尋問していた警官は返事をするとパトカーに戻りそのまま町の方へ去っていった。
何かをしているかもしれない怪しげな”少女”より実際に起きてしまっている強盗のほうが優先される。

 「命拾いしたね」

少女の姿をした少年「ユハ」は安堵しつつもちょっぴりつまらなさそうに言った。
強力な力を持っていてもそれを使う機会がないというのは退屈なものだ。

落としてしまった大切なノートを拾い上げると”中のもの”が失われてしまっていないか確認する。ページをいくつか無作為にめくり無事であることが確認できると「ホッ」息をついてまた歩き出した。
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