僕の不適切な存在証明

Ikiron

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5話

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ユハは途方に暮れていた、日はもうとっくに沈みキャンパスを行き交う人々もまばらになってもなお、帰宅できずにいた。時刻はもう夜の9時を回っている、きっと家では兄のアジュダハがカンカンだろう。やはり今日という日は最悪だ。

今朝のひと悶着で非常に目立つ行いをしてしまったため、一所にいては人目を引くと思い、逃げるようにキャンパス内を彷徨こと数時間。自分が大切に抱えていたノートが他人のものとすり替わっていたことに気が付いたのは昼過ぎのことだった。

直ぐに朝のアヨウのものと取り違えたことには思い当たったが、発覚から時間が経ちすぎていた。カフェに戻ってもアヨウの姿はなく。それでも諦め切れずにキャンパス内を探したが、それらしい人影さえ見つけることはできなかった。

ユハはふとアヨウのもののノートを開く、中にはユハには理解できない数字や表、図形などがかかれていて自分のものとは似ても似つかない。ユハにはあのノートのことはあきらめきれなかった。あのノートには自分のこれまでの全てが詰まっているように感じられたからだ。自分の感性や創造性の全て蓄えられていて、自分自身であるようにさえ思えた。

ユハは一縷の望みをかけ、明かりがまだついている建物へ向かう、今朝ひと悶着あったカフェテリアだ。自分とアヨウとのつながりはやはりここしかない。ここが駄目だったらもうノートのことはあきらめるしかない。

そのころアヨウはカフェテラスでコーヒーを買っていた。今夜の長丁場に備えて普段買わない最大サイズだ。エネルギー補給のため砂糖とミルクもたっぷり入れた。この時間ともなれば今朝の賑わいは噓のように空いているがそれでもまだまばらに人がいる。アヨウはその様子には目もくれず、コーヒーの会計をすますと足早にカフェテラス後にした

 (こんなところにいたのか!)

ユハは思わぬ行幸に声を上げそうになった。絶対に逃してはならない、と決意を胸にユハはアヨウの追跡を開始する。尾行の仕方は兄のアジュダハから教わっている。遠からず近からず距離を取りながら、慎重にアヨウの後を追う。ユハにはアヨウがかなり近くに住んでいるように見えた。着の身着のまま出てきたという風体で、手には紙コップしか持っていない。住処を突き止めればきっとそこにノートはある。

ユハの予想通りアヨウは近くに住んでいた。アヨウはキャンパスの設備内にある大きな建物、学生寮の中に入る。寮には鍵がかけられてしまうが、ユハには無力だ。鍵に魔力を注ぎ込んで簡単に開けることができる。そのまま後を追い、3階にあるアヨウの自室を突き止めた。侵入のチャンスが巡ってくるまで共用スペースで待機する。

侵入のチャンスは思いがけなく早く訪れた。アヨウは自室に入ってすぐにまた外に出ていってしまった。トイレにでも行ったのだろうか?ユハはすかさずアヨウの部屋に忍び込む。アヨウが戻ってくる前に急いで自分のノートを見つけなければならない。ユハは家探しの邪魔になる荷物をいったんベッドにおき、机や引き出しを物色し始めた。

目的のノートは簡単には見つからなかった。似たようなノートはいくつか見つかったのだが、どれも自分のものではない。すぐに思い当たる場所はとりあえず見たが全く見つからない。焦燥ばかりが募っていく。早くしないとアヨウが帰ってきてしまうというのに。そんなユハの焦りをよそに、部屋の扉の鍵がガチャガチャという音を立てて開けられた。

アヨウが用を足して帰ってくると、自室の様子に違和感を感じた。妙に思い周囲を確認するが、違和感の正体がつかめない。当の違和感の正体であるユハは扉の近くにあるクローゼットと天井の間にある隙間に入り込んで身を画していた。人ひとりギリギリ入れるくらいの隙間に体を折りたたんで無理やり入っている。急いで身を隠したためかなり無理のある体制になっていた。

 (何とかして、部屋から出なくては……!)

もはやノートを取り返している場合いではない。ユハは扉に向かって足を延ばす。本当は腕を伸ばしたかったのだが、狭いスペースに体を捻って入り込んでいるため体勢の関係上手が届かない。足先を扉の上部に触れさせ、魔力を流す、扉の鍵を、音を立てないように、アヨウに気付かれないように、少しずつ少しずつ開く。

一方アヨウはまだ違和感の正体を探っていた。気にしすぎかとも思ったが、万が一のこともある、この国は治安がいいとは言えない。ベッドの下に強盗が潜んでいて襲われた、なんて話も聞く。そう思いベッドの下を覗いてみる、何もいない。ただの気にしすぎと結論付け、身を起こすとベッドの上に意外なものを見つけた。

 (どうしてこれが、ここに?)

それはユハが持ち込んだアヨウの実験ノートだった。急いで部屋を片付けて身を隠したがこれだけ忘れてしまったのだ。しかしアヨウからしたらそんな事情は知る由もない。

 (いや……これが見つかったってことは!)

アヨウは端末を取り出し担当教授のボーガンへ電話をかける。もしかしたら今日は徹夜しなくて済むかもしれない。

 (しめた!)

ユハは扉を開こうとする足先に力を込めた。アヨウがノートを見つけた時には肝を冷やしたが、直後に電話を初めてしまった。アヨウは今会話に夢中になっている、今が絶好の機会だ。既に鍵は開けられており、扉は10度ほど開いている。その扉の縁に片足をのせ少しづつ体重をかけていく、十分に扉が開けば扉の上を伝って部屋の外に出られるはずだ。体重が傾けられたドアの蝶番が軋む音がし、アヨウの被毛に覆われた耳がピクリとこちら側に向いた。

 (構うな!そのまま話してろ!)

アヨウは話すのをやめなかった。ユハは一瞬安堵したが、次の瞬間、背中を向けているアヨウの尾が伸びてきて扉を押し始めた。

 (コイツ……!器用な真似を……!)

扉を開けようとするユハと”押し合い”になった、既にいくらか扉に体重をかけていたユハはバランスを崩し転倒しそうになったが何とか持ちこたえた。しかし、これでは身を隠すこともできない。

 「はい……はい!お願いします!夜分すみませんでした。また明日」

アヨウは何とか教授との交渉を円満に終え、通話を切る。そして尾で押しても閉まらなかった建付けの悪い自室の扉を足で蹴って閉めた。

次の瞬間、扉の上に片足をのせていたユハの体は大きくバランスを崩し、アヨウに向かって落下した。強い衝撃に耐えることができず、二人はそのまま一塊になって床に倒れこむ。

 「グワッ!」「うわッ!」

受けた衝撃により二人は一瞬呆然としていたが、事象を把握しているユハが先に行動した。侵入していたことがばれた、放置したら警察を呼ばれてしまうだろう、ならばやることは一つだ。

 (殺すしかない‼)

ユハはアヨウから離れ、背後の扉の前に立ちはだかり、鍵をかける。外部の介入を防ぐためだ。手に魔力を込め攻撃の準備をする。

一方アヨウは自分の身に起きたことが理解できずにいた。部屋の扉を蹴ったら何かが落ちてきて吹っ飛ばされたと思ったら、目の前には白い少女がいる。事情は全く分からないが目の前の少女は友好的な相手ではないらしい、アヨウは即座に身を構えた。

ユハはアヨウを始末するべく魔力を込めた貫手を繰り出す。人間の体など簡単に貫通できる必殺の一撃だ。致命の一撃がアヨウを襲うと思われた瞬間、アヨウの身は素早く動きその一撃を交わしてしまう。そしてそのまま腕をからめとられてしまう。

 「なっ…!」

ユハは体勢を大きく崩し、再び床に倒れこんでしまう。絡め取られた腕はねじられて関節を極められてしまう。アヨウは武道か何かをやっていたのかユハは一瞬で拘束されてしまった。

(思わず、取り押さえてしまったが)

優位に立ってなおアヨウの困惑は消えなかった。なぜこんな少女が自分の部屋に居るのだろう?白い少女としか言いようのないユハの姿はとても強盗の類のようには見えなかった。いきなり攻撃を受けてしまったが、こんなところでこんなことをする事情が全く想像できなかった。果たしてこのまま警察に引き渡してよいものか?

その時取り押さえられていたユハの体が大きくたわみ、物凄い力で無理やり拘束を解いた。その衝撃でアヨウの体は天井付近まで跳ね上げられた。

 (そんな!バカな!)

アヨウは狼狽しつつもなんとか体制を整えると、目の前の少女を見据える。立ち上がった少女の体はアヨウの目の前でさらに大きくたわみ変化を始めた。

少女の華奢な骨格はそれよりもわずかに頑強な少年のそれになり、こめかみのあたりから蛇のとぐろのように巻かれた角がズルズルと伸びる。そして白く細い足の間に髪と同じプラチナブロンドの被毛で覆われた尾がするすると垂れ下がった。一方後方へ向かってピンと伸びた耳はそのままである。

その姿はまるで、タルタリアンとヒメーリアンを混ぜたようで……。
 
 「君は……カイメラ……?」
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