死者は嘘を吐かない

早瀬美弦

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第二章

第二章 1

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 結局、最終のバスの時間になっても雨が止むことはなかった。むしろ雨は依然強いままで、この村での生活が長い十倉や長沢も川や山の状態を心配し始めた。
「こんな雨が続くなんて……」
「私、初めてですよ」
「一昨日も結構な雨が降ったのに、今日もこんななんて異常気象よね」
 十倉と長沢が不安げに空を見つめる。曇天からは大量の雨が降り注いでいて、数メートル先は霞んで見えない。庭の草花は半分ほど倒れている。せっせと世話をしていた明也はさぞかし残念だろう。ちらりと横目で見ると本人は平然とした顔でお茶を飲んでいた。まるでこうなることは予想していたかのようだ。
「そう言えば六時から県道が通行止めみたいですね」
「あら、それは大変。今から帰って何かあったら一大事だわ。真奈美ちゃん、今日は泊まっていきなさい」
「すみません。お気遣いありがとうございます」
 長沢が丁寧に頭を下げている。降り続く大雨の影響はかなり出ているようだ。二人の様子を見つめていた美琴はリビングを後にして二階に上がる。部屋では高遠が読書をしていて、美琴はその隣に座る。
「雨が降ると暇だね」
「お前はもう少し大人しくしていろ。迷惑だ」
「一昨日も結構な量が降ってたみたいだよ。十倉さんたちが話してた」
 その情報は知っていたのか、高遠は本に視線を落として何も言わない。屋根を打つ雨音がまるで地響きだ。音を聞いているだけでも雨の強さが分かる。時折、ぴかっと光り、遠くから雷鳴が聞こえる。こんな強い雨が何時間も続くのは美琴も初めてだ。最初こそはうきうきしていたけれど、この状況も飽きてきてイライラしだした。外にも出れないから非常に退屈だ。
「ねえ、やっぱりイブキ様ってニセモノなの?」
「だからそういうことを大きい声で言うな。十倉さんに聞こえたらどうする」
「高遠の評判が落ちるだけでしょ」
「やめろ。営業妨害だ」
 高遠はこれまで一度もイブキ様がニセモノだなんて公言していない。美琴が勝手に判断しているだけで、それを高遠のせいにされては敵わない。だが落ちるほどの評判もあるのか疑わしい。イブキ様にしても高遠にしても、自称霊能者なんてみな胡散臭い。
 それにしても本物相手なら他聞を憚らず二、三日以上は滞在するのに、たった一日でしかもろくに話もせず帰ろうとした時点で偽者だと言っているようなものだ。世話になっている若干の後ろめたさはあるかもしれないが、霊能者探しに関する高遠の執念はそんなもの度外視だ。気が済むまで本物のところに通いつめて、話を聞くどころかほとんど尋問だ。具合が悪いや相手の都合なんて関係ない。普段から美琴に常識だの云々説く高遠だが、このときばかりは無遠慮になる。そんな高遠があっさりと引き下がって帰るなんて言い出したら、相手の真偽など言葉にしなくても十分に判断できる。 
 それにしても、生き返った儀式とは一体何だったのか。気になるけれど高遠の興味が失せているので、これ以上調べようがない。下手に美琴が聞きまわっても、誰も相手にしてくれないだろう。高遠に知名度があるから、今回はすんなり話ができただけだ。これは目の前にいる相手に問い詰めたほうが早い。
「ねぇ、儀式って何だったの?」
「知らない」
 さらりと答えが返ってくる。高遠の意識は本に向けられていて、どんな質問をしようとも返答は同じだろう。奪い取って無理やり聞かせるのも手だが、また殴られる気がしたので大人しく引き下がった。
「あー、雨、止まないかなー」
 美琴は大きく伸びをするとそのまま寝転がった。ぴしぴしと音が鳴る窓を見つめて息を吐く。時間の経過が異様に長く感じられた。
 トントンと階段を上がる足音が聞こえて美琴はごろりと寝返りを打つ。いくら雨が降って涼しくなったとはいえ、今は真夏だ。クーラーをかけるほどの暑さではないもの、襖は開け放っていた。雨さえ吹き込まなければ窓を開けたいところだが、雨は窓を強く打っているので無理だ。十倉の姿が見えて、美琴はぎくりと肩を竦ませた。偽者だのなんだの言っていたのが聞かれてしまったのだろうか。こんな土砂降りの中、家を追い出されたら確実に美琴のせいだ。
「高遠先生」
 十倉は廊下で正座し、本を読んでいた高遠に向かって話しかける。にこりと笑っているので感情は読めないが、やはり話を聞かれてしまっていたのか。美琴は両手で口を押さえる。高遠の視線を感じてそっぽを向いた。
「折角、イブキ様の部屋まで出向いていただいたのに、ご挨拶ができず申し訳ありません」
 そのまま頭を下げられ、高遠はぎょっとする。そんな大仰に謝られる事でもない。本を隣に置いて「構いませんよ」と話しかけながら十倉に近づく。
「まだ明日もありますし、無理にとは言いません。こちらがお願いしている立場ですから、どうぞ顔を上げてください」
「お気遣いいただきありがとうございます」
 ようやく顔を上げた十倉は高遠を見て困ったように笑う。
「それにしても大変な火事だったんですね。あれほどの後遺症が残ってしまうなんて」
「えぇ……、お医者様もびっくりしていました。私は火事自体を見てないのですが、それはもう悲惨な事件でした……」
 高遠は十倉の顔をじっと見つめた。十倉はぽつぽつと話し出す。
 九年前、この家には三代のイブキ様が同居していた。家長は伊澄様だったが、その母に当たる伊乃里様が実権を握っていた。霊能者の家系、ということで一般家庭からはかけ離れていたけれど、暮らしは平穏そのものだった。突然、悲劇が襲った。
 真夜中の火事だったので発見が遅れ、消防に通報したときにはもう母屋は火に包まれていた。一階で寝ていた伊乃里様、二階で寝ていた伊澄様とその妻は消火が終わった後に遺体で発見された。二階にいたはずのイブキ様はなぜか母屋と離れをつなぐ渡り廊下にいて、全身に大火傷を負ったが一命を取り留めている。
 台所が一番燃えていたことからそこが火元だと判断されたが、タバコを吸う人もいなければ真夏の暑い時期だったのでストーブの消し忘れなども考えにくい。最初は放火も疑われたが、火元は門から一番遠い場所だ。わざわざ家の敷地内に侵入して火を放つなんて、そこまでの危険を犯すとは思えない。それにイブキ様達は畏れ敬われていたもの、恨まれてはいなかったので放火の線はすぐに外され、結局、原因は分からずじまいだ。
 二階で寝ていたはずのイブキ様が離れへ行くならば、燃え盛っている台所の横を通る必要がある。どうして渡り廊下で見つかったのか、それも未だ謎だ。本人はそのことについて頑なに口を開かない。
「嘆かわしいことに、年々、イブキ様のお力は衰えていると噂されておりました。イブキ様も奇跡を起こされるまでは普通の方と変わらなかったと言います。火事を予期できなかったんですね」
 十倉は悲しげに俯いて拳を握り締める。高遠は何も言わずに首を縦に振るだけだ。
「それでもイブキ様は火事があったからこそ、眠っていた力が呼び起こされたと仰います。失ったものも多かったですが、得たものも大きかったのです」
「……はあ」
 ようやく十倉の話に相槌を打った。意図して口にしたのではなく、思わず出てしまったようでいつにも増して声が低い。顔もどことなくうんざりしているようだ。
「そう言えば焼け落ちたのはこの母屋だけなんですか?」
「えぇ。庭や駐車場も少し手を加えましたが、元々とそう大差ないですよ」
「じゃあ、元々庭に砂利を敷いていたんですね。大変綺麗な庭だったので、てっきり火事の後に作ったのかと思ってました」
 高遠は世辞でもなく、素直にそう褒めた。彼がエクステリアに興味を持つのは初めてだ。
「えぇ、池もそのままです。花壇は明也の趣味、なんですけどね」
 高遠に褒められたのが嬉しいのか、十倉はどこか自慢げだ。高遠は「なるほど」と頷いて話題を変える。
「イブキ様は……、この雨、いつ止むと?」
「明日と仰ってました」
 十倉はそう答えると立ち上がり「それではまた夕食が出来ましたらお呼びします」と言って階段を下りていった。美琴はちらりと高遠を見る。考え込んでいるのか、高遠は顎をさすって畳を見つめていた。
 七時を過ぎると十倉が夕飯の準備ができたと二人を呼びに来た。十倉は最後だからごちそうにしたかったのですが……、と前置きし、リビングに入った。豪勢な食事を楽しみにしていたけれど、この雨では買い物にも行けなかっただろう。人の家なので文句など到底言えない。それでも並んでいる食事は普段に比べれば断然豪華だったので、美琴は「わー!」と歓喜の声を上げた。
「おいしそー!」
 こんな僻地だから多少は備蓄もあるのだろう。しかし六時間以上も強い雨が続いているのに、数に限りがある物を消費してしまってもいいのだろうか。
「いっただきまーす!」
 そんなことは全く気にせず、美琴は両手を合わせると食事を始めた。一日経てば美琴がどれほど非常識なのか思い知ったようで先にバクバク食べ始めても動じない。さすがの高遠も注意するのに飽きてきたが、見過ごすのは同行者として責任を放棄しているのと同じだ。
「みんなが席についていないのに一人で食べるな」
 べしんと頭を叩いてから、こちらにテーブルの前に立つ十倉に「すみません」と謝った。美琴のことで謝るのは何度目なのか、もはや数えるのも面倒だ。
「いいんですよ、高遠先生。あ、高遠先生や早瀬さん、日本酒は大丈夫ですか?」
「はい!」
 エビフライにかぶりつき美琴が箸を持ったまま右手を上げる。
「よかった。蔵に眠っていたんですよ。私も長沢さんも飲めないですし、息子は未成年ですから」
 十倉は冷やしていたようで日本酒を片口に注ぐと長細い冷酒杯と一緒に持ってくる。冷酒杯を受け取ると十倉がなみなみと注いでくれたので「いただきまーす」と言って一口で全て飲み込んだ。口の中に芳醇な酒の香りが広がり、仄かに甘い。銘柄は聞いていないけれど、いい酒だと言うのは分かる。高遠を横目で見ると何度か瞬きをして冷酒杯を見つめていた。

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