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第二章
第二章 2
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美琴はアルコールが入っていれば何でも飲むが、高遠は焼酎や日本酒があまり得意ではない。苦手にしているはずだが、この酒は美味いようでいつもより酒が進んでいる。二人ともザルなので酒盃一杯程度では表情すら変わらない。
「まだ昨日のビールも残っていますので、よろしければそちらもどうぞ」
「ありがとーございまーす!」
久々の酒盛りでしかもただ酒なので美琴は上機嫌だ。明日は朝一で出ると高遠が言っていたので、美琴は満腹になるまで食べた。店で食べる食事もおいしいが、こうやって振舞われる食事は久しぶりなので余計においしく感じる。
酒は満足するほど飲めなかったけれど、深酒をすれば翌朝まで残って動けなくなる。ただでさえ頭が痛いのに、高遠の小言で余計に頭を痛くするのは避けたい。
「ごちそーさまでした!」
美琴が手を合わせたと同時に、ドゴンと一際大きい音が鳴り響く。雨が降り始めてからかなり落雷があったけれど、こんな至近距離で聞こえたのは初めてだ。高遠と明也以外がびくんと体を震わせる。
「雨、止みませんね」
高遠はコップに残った日本酒を飲みながらのんびりと言う。
「川の水量がかなり増えてきたそうなので、避難が必要な可能性もありますね……」
「どこに避難を?」
「村の外れに公民館があるんです。地盤もしっかりしていますし、これまで過去に何度か村の横を流れる驫木川が氾濫してもそこが浸水したことはありません」
「なるほど」
それならば安心だ。
「昔はしょっちゅう氾濫していたそうですが、整備されてからは堤防を越したことがないですから、大丈夫ですよ。それにここは高いところにありますから」
十倉はそう言ってテーブルの片づけを始めた。高遠も今日が最後なので手伝おうとしたが、客人にやらせるのは申し訳ないとやんわり拒絶された。風呂の準備が出来ていると言われたので、美琴は「じゃあ、先に入りまーす」とその場で全員に伝えた。
熱めに設定したシャワーを浴びて酒を抜き、二十分ほどで出ると廊下で明也と鉢合わせた。
「お風呂入る?」
「いえ……、俺は後でいいです」
明也は小さい声でそう言うと美琴に会釈し玄関のほうへ歩き出した。美琴は明也と反対に向かい、リビングに顔を出す。高遠の姿はもうなかった。
「お風呂、ありがとうございました」
「あ、はい。では高遠先生にもお先にどうぞとお伝え頂けますか」
「分かりましたー。早く入るよう言っておきまーす」
十倉は「早くなくてもいいですよ」と苦笑いで答える。しかしこの後、明也や十倉が入るのなら、高遠がさっさと入らないと迷惑だ。階段を上がりながら美琴は欠伸をする。酒が入ったせいでかなり眠たくなってきた。
「たかとおー、早く、風呂入れって」
「分かった」
荷物をまとめていた高遠は立ち上がると既に用意していた風呂セットを持ち部屋を出る。それから思い出したように立ち止まって振り返った。
「今日は自分のところで寝ろよ」
「どこで寝ようが一緒でしょ」
「迷惑だし、気持ち悪い」
「何それ、ヒドイ!」
高遠は憤慨している美琴を無視して階段を下りた。そんなことを言われたらまた高遠の布団で寝てやろうかと思ったが、その前に眠たくなったので大人しく自分の布団に入って目を瞑った。
激しい雨とシャワーの音が混ざり合っている。相変わらず強い雨は続いていて、雷鳴と一緒に空はピカピカと光っていた。どうやら雨はまだまだ止まないらしい。
玄関にあったはずの靴が一つなくなっていた。明也が先ほど玄関へ向かっていたが、外に出たのだろうか。この雨の中出るなんて酔狂だ。
一応は本物の力を持つ高遠は霊が視える。それはどこにでもいて誰にでも憑いている。むしろ憑いていない人間なんていない。
リビングでは長沢はまだ皿を洗っていた。長沢の後ろにはおそらく祖母か曾祖母か、穏やかな笑みを湛えた霊が守ってくれている。彼女がどちらかと言えばいい人よりなのは、霊だけでなく仕事ぶりを見ていれば分かった。食事が豪勢だったので皿もかなりの枚数を使っていた。洗うのはかなりの時間が掛かるだろう。最新のシステムキッチンには食器洗浄機もあったけれど、それを使っている様子はない。
怒鳴り声が聞こえてそちらを見ると、ソファに座っている十倉がバラエティ番組を物憂げな表情で見つめていた。十倉の後ろには靄のような黒い影が漂い、今にも彼女を覆ってしまいそうだ。喧しい司会がまた怒鳴り、ドッと笑いが沸くけれど十倉の表情は変わらない。雨が気になって内容など頭の中に入っていないようだった。
離れではイブキ様がまだ起きているのか、明かりが灯っている。午前中は座っていたが天気が悪くなった午後はずっと寝転がっていて、夕飯の時に高遠が一応はイブキ様の容体を確認したら食事も出来ないほど悪いと言っていた。それなら早く休んでいそうなものだが明かりがついているなら起きている可能性は高い。
高遠は偽物だと口には出さなかったが、そう確信を持っている。美琴に伝えなかったのは、彼が不用意にそれを言い出しかねないからだ。それに美琴は高遠に信用されていないどころか何か疑われている。彼は非常識に加えて、時折、変な行動に出る。
それにしても天気が悪いと具合も悪い設定なら、誰かが看病ぐらいはしないとさすがに怪しまれる。あれほど苦しがっている様子を見せたのだから、放置しているのもどこか奇妙だ。渡り廊下は風が吹くと真ん中あたりまで雨が吹き込んでくる。ところどころ濡れているので人の往来があれば渡り廊下にサンダルの跡が残るけれど、行き来している形跡はなかった。離れからはなぜか騒がしい人の笑い声が漏れてきていた。一際大きく聞こえる怒鳴り声は十倉が見ていたバラエティ番組の司会と同じ声だった。
母屋ではテレビを見ていた十倉が廊下に出て外を見つめていた。
「……はあ、雨が止みませんね。あ、高遠先生、お風呂から上がりましたね。次は明也に入ってもらいましょうか」
そう言って十倉は母屋と離れを繋ぐ渡り廊下の入り口を見る。
「少しイブキ様の様子を見てきます。まだ起きているみたいですし」
にこりと笑って十倉はそのまま離れへと向かう。バラエティ番組を見ていたイブキ様の様子などわざわざ行かなくても分かっているだろう。階段の窓から十倉が離れに消えたのを見て今度はリビングに向かった。
「お風呂、ありがとうございました」
高遠は手を拭いている長沢に話しかける。
「水を一杯いただけますか」
「はい」
長沢は見たこともないぐらいの笑顔を高遠に向けて冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。キンキンに冷えている水を受け取った高遠はその場で半分飲みコップをカウンターに置いた。
「この雨では帰るのも大変じゃないんですか?」
珍しく高遠が世間話をしている。
「六時で山を通る県道が通行止めになったので帰れなくなりました。今日はこちらにお泊りです」
「それは大変なことになりましたね。ここは陸の孤島ですか」
「一昨日もかなりの量が降りましたのでその影響もあるそうです。元々、この辺では雨がよく降りますが、こんな豪雨、初めてですよ」
長沢は困った顔をして高遠を見上げている。その目はどこか媚びているような、高遠と二人きりだからこそ見せているそれだった。
「まだ昨日のビールも残っていますので、よろしければそちらもどうぞ」
「ありがとーございまーす!」
久々の酒盛りでしかもただ酒なので美琴は上機嫌だ。明日は朝一で出ると高遠が言っていたので、美琴は満腹になるまで食べた。店で食べる食事もおいしいが、こうやって振舞われる食事は久しぶりなので余計においしく感じる。
酒は満足するほど飲めなかったけれど、深酒をすれば翌朝まで残って動けなくなる。ただでさえ頭が痛いのに、高遠の小言で余計に頭を痛くするのは避けたい。
「ごちそーさまでした!」
美琴が手を合わせたと同時に、ドゴンと一際大きい音が鳴り響く。雨が降り始めてからかなり落雷があったけれど、こんな至近距離で聞こえたのは初めてだ。高遠と明也以外がびくんと体を震わせる。
「雨、止みませんね」
高遠はコップに残った日本酒を飲みながらのんびりと言う。
「川の水量がかなり増えてきたそうなので、避難が必要な可能性もありますね……」
「どこに避難を?」
「村の外れに公民館があるんです。地盤もしっかりしていますし、これまで過去に何度か村の横を流れる驫木川が氾濫してもそこが浸水したことはありません」
「なるほど」
それならば安心だ。
「昔はしょっちゅう氾濫していたそうですが、整備されてからは堤防を越したことがないですから、大丈夫ですよ。それにここは高いところにありますから」
十倉はそう言ってテーブルの片づけを始めた。高遠も今日が最後なので手伝おうとしたが、客人にやらせるのは申し訳ないとやんわり拒絶された。風呂の準備が出来ていると言われたので、美琴は「じゃあ、先に入りまーす」とその場で全員に伝えた。
熱めに設定したシャワーを浴びて酒を抜き、二十分ほどで出ると廊下で明也と鉢合わせた。
「お風呂入る?」
「いえ……、俺は後でいいです」
明也は小さい声でそう言うと美琴に会釈し玄関のほうへ歩き出した。美琴は明也と反対に向かい、リビングに顔を出す。高遠の姿はもうなかった。
「お風呂、ありがとうございました」
「あ、はい。では高遠先生にもお先にどうぞとお伝え頂けますか」
「分かりましたー。早く入るよう言っておきまーす」
十倉は「早くなくてもいいですよ」と苦笑いで答える。しかしこの後、明也や十倉が入るのなら、高遠がさっさと入らないと迷惑だ。階段を上がりながら美琴は欠伸をする。酒が入ったせいでかなり眠たくなってきた。
「たかとおー、早く、風呂入れって」
「分かった」
荷物をまとめていた高遠は立ち上がると既に用意していた風呂セットを持ち部屋を出る。それから思い出したように立ち止まって振り返った。
「今日は自分のところで寝ろよ」
「どこで寝ようが一緒でしょ」
「迷惑だし、気持ち悪い」
「何それ、ヒドイ!」
高遠は憤慨している美琴を無視して階段を下りた。そんなことを言われたらまた高遠の布団で寝てやろうかと思ったが、その前に眠たくなったので大人しく自分の布団に入って目を瞑った。
激しい雨とシャワーの音が混ざり合っている。相変わらず強い雨は続いていて、雷鳴と一緒に空はピカピカと光っていた。どうやら雨はまだまだ止まないらしい。
玄関にあったはずの靴が一つなくなっていた。明也が先ほど玄関へ向かっていたが、外に出たのだろうか。この雨の中出るなんて酔狂だ。
一応は本物の力を持つ高遠は霊が視える。それはどこにでもいて誰にでも憑いている。むしろ憑いていない人間なんていない。
リビングでは長沢はまだ皿を洗っていた。長沢の後ろにはおそらく祖母か曾祖母か、穏やかな笑みを湛えた霊が守ってくれている。彼女がどちらかと言えばいい人よりなのは、霊だけでなく仕事ぶりを見ていれば分かった。食事が豪勢だったので皿もかなりの枚数を使っていた。洗うのはかなりの時間が掛かるだろう。最新のシステムキッチンには食器洗浄機もあったけれど、それを使っている様子はない。
怒鳴り声が聞こえてそちらを見ると、ソファに座っている十倉がバラエティ番組を物憂げな表情で見つめていた。十倉の後ろには靄のような黒い影が漂い、今にも彼女を覆ってしまいそうだ。喧しい司会がまた怒鳴り、ドッと笑いが沸くけれど十倉の表情は変わらない。雨が気になって内容など頭の中に入っていないようだった。
離れではイブキ様がまだ起きているのか、明かりが灯っている。午前中は座っていたが天気が悪くなった午後はずっと寝転がっていて、夕飯の時に高遠が一応はイブキ様の容体を確認したら食事も出来ないほど悪いと言っていた。それなら早く休んでいそうなものだが明かりがついているなら起きている可能性は高い。
高遠は偽物だと口には出さなかったが、そう確信を持っている。美琴に伝えなかったのは、彼が不用意にそれを言い出しかねないからだ。それに美琴は高遠に信用されていないどころか何か疑われている。彼は非常識に加えて、時折、変な行動に出る。
それにしても天気が悪いと具合も悪い設定なら、誰かが看病ぐらいはしないとさすがに怪しまれる。あれほど苦しがっている様子を見せたのだから、放置しているのもどこか奇妙だ。渡り廊下は風が吹くと真ん中あたりまで雨が吹き込んでくる。ところどころ濡れているので人の往来があれば渡り廊下にサンダルの跡が残るけれど、行き来している形跡はなかった。離れからはなぜか騒がしい人の笑い声が漏れてきていた。一際大きく聞こえる怒鳴り声は十倉が見ていたバラエティ番組の司会と同じ声だった。
母屋ではテレビを見ていた十倉が廊下に出て外を見つめていた。
「……はあ、雨が止みませんね。あ、高遠先生、お風呂から上がりましたね。次は明也に入ってもらいましょうか」
そう言って十倉は母屋と離れを繋ぐ渡り廊下の入り口を見る。
「少しイブキ様の様子を見てきます。まだ起きているみたいですし」
にこりと笑って十倉はそのまま離れへと向かう。バラエティ番組を見ていたイブキ様の様子などわざわざ行かなくても分かっているだろう。階段の窓から十倉が離れに消えたのを見て今度はリビングに向かった。
「お風呂、ありがとうございました」
高遠は手を拭いている長沢に話しかける。
「水を一杯いただけますか」
「はい」
長沢は見たこともないぐらいの笑顔を高遠に向けて冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。キンキンに冷えている水を受け取った高遠はその場で半分飲みコップをカウンターに置いた。
「この雨では帰るのも大変じゃないんですか?」
珍しく高遠が世間話をしている。
「六時で山を通る県道が通行止めになったので帰れなくなりました。今日はこちらにお泊りです」
「それは大変なことになりましたね。ここは陸の孤島ですか」
「一昨日もかなりの量が降りましたのでその影響もあるそうです。元々、この辺では雨がよく降りますが、こんな豪雨、初めてですよ」
長沢は困った顔をして高遠を見上げている。その目はどこか媚びているような、高遠と二人きりだからこそ見せているそれだった。
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