死者は嘘を吐かない

早瀬美弦

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第二章

第二章 3

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 ドゴン! と物凄い音で美琴は目を覚ました。起き上がると辺り一面真っ暗で「うわああああ!」と叫ぶ。何が起きたのかさっぱり理解できていない寝ぼけ眼でそのまま階段へ向かう。
「ブッ!」
 階段を駆け下りていると何かにぶつかった。顔に冷たく濡れた布のような妙にざらざらした物体がくっつき「気持ち悪い!」と叫んでそれを掴んだ。
「この煩いのは早瀬か」
「た、高遠!? 何が起こったの? 怖い!」
「叫ぶな、煩い。雷が落ちたんだろう。長沢さんと話していたら落ちる音がして明かりが消えた。上には他の人がいないのか……」
 一瞬、静寂になる。部屋に人がいたとしても、あの凄まじい落雷の音とこの暗闇ならすぐに出てくるはずだ。
「へ、雷? 停電?」
「とにかく一階に行くぞ。あと髪の毛引っ張るな。痛い」
 気持ち悪い物体はどうやら髪の毛だったらしい。美琴は内心で紛らわしいと文句を言い、転ばないようにそっと階段を下りる。ただでさえ雨が降っていて月明かりもない夜に停電なんて最悪だ。階段を下りると長沢と落ち合う。びくびくしている美琴とは反対に長沢はテキパキとしていた。
「高遠先生、懐中電灯が見当たらないんです。どうしましょう」
「明かりがないならこの場を動かないほうがいいかもしれませんね。十倉さんと明也くんは?」
「二階にいませんでしたか……?」
 二人は沈黙する。
「家の中にいるならもう出てきてもおかしくない。この雨の中、二人はどこへ行ったんだ? 離れか」
 高遠が真っ暗の離れを見る。
「だとすればこちらへ戻ってきていてもおかしくないですよね。それに明也くんは離れには近寄らないので二人一緒に、っていうのはありえないと思います」
 二人の行動は長沢が一番知っているだろう。高遠は「うーん」と唸って思案する。こんな状況下、家を取り仕切っている十倉が不在は痛手だ。外へ行くにしても、中で待機するにも十倉を無視するわけにはいかない。停電しているしこの雨の中どんな危険があるか分からない。あまり出歩かないほうが得策か。
 だんまりになってから数分、とうとう思考が煮詰まってきた。その時、ドンドンドンとドアを叩く音が響き、美琴はビクと体を震わせた。
「十倉さん!? 山中です! いらっしゃいますか」
「……山中?」
 聞きなれない名前を高遠が呟く。すかさず長沢が「村の駐在さんです」と言う。昨日、愛想よく話しかけてきた姿を思い出す。わざわざ警官がやってくるなんて何か村で起こったのだろうか。
「玄関、開けてきます」
 そう言って暗がりの中、長沢が「はーい」と声を出して走っていく。やはりこの家にいる時間が長いと暗くても何がどこにあるか分かっているらしい。ガラガラと引き戸を開けると眩しい光が二人を照らした。美琴と高遠は手を翳して山中を見た。
「長沢さん。十倉さんは?」
「どこにいるか分からないんですよ。どうしました?」
「川の水量がかなり増えてきて、村の人にはもう公民館に避難してもらっているんだ。この家は大丈夫だと思うけど、雨量がかなり多くて裏山が崩れる可能性があるって情報が入ってきた。だから皆さんにも避難してもらおうと思って」
「先にイブキ様を移動して頂かないといけませんね」
 高遠がそう言って離れへ向かおうとしたところでガチャガチャと騒がしい音が渡り廊下と母屋を繋いでいる扉付近から聞こえた。
「誰ですか」
「十倉です。どうかしましたか、高遠先生」
 この状況に似つかわしくないのんびりとした口調だった。外に出ていたのかびしょ濡れの合羽を脱ぎ、扉の横のフックに掛ける。懐中電灯で照らされて高遠は目を細めた。
「どこへ行ってたんです?」
「え、雨がかなり強かったので、この辺を見てきたんですよ。川もかなり水量が増えてて、今にも氾濫しそうですね。地盤もかなり緩くなってるので、裏山も危なくなってきました」
「今、丁度、警察の方が来られて、土砂崩れの危険があるから公民館に避難するよう指示がありました。身動きの取れないイブキ様を優先したほうがいいですよね。明也くんの姿も見当たらないんですが、一緒じゃなかったんですか?」
「さっき離れを見たんですが、イブキ様がいらっしゃらなかったんですよ。……それに明也まで? あの子、一体、どこへ」
 やはり十倉はイブキ様よりも自分の息子のほうが心配なのか、声が少し震えていた。半身が麻痺して離れで生活しているイブキ様がそこに居ないのは不思議だ。高遠もそう思ったようで「もう一度、離れを見てきましょう」と走り出した。美琴と十倉もその後に付いていく。サンダルも履かずに向かったのでびしょ濡れの渡り廊下を歩くと足が濡れる。
 高遠は襖を開け放ち、暗闇に向けて懐中電灯を翳した。
「やっぱり居ない……」
 無人の離れを見て十倉が呟く。
「先に明也くんが避難させた、とか」
「そう言えば、僕がお風呂から出てきたとき、明也くんが玄関に向かってましたよ? どこ行くのか、聞くの忘れましたけど。それってイブキ様を避難させるため、だったんですかね」
 おそらく最後に明也の姿を目にしたのは美琴だ。十倉は震える手で口元を押さえて何か考え込んでいる。
「その可能性もありますね。とりあえず、早く移動しましょうか」
 この場所にずっといるのも危険だ。避難所に二人が居ることに一縷の望みを残して公民館に移動した。
 村人は早くから移動していたようで、公民館にはたくさんの人で溢れかえっていた。この公民館には非常用の発電設備もあり中は明るい。一台のテレビに人が群がり、天気予報に釘付けになっていた。この地方では記録的豪雨になっているらしく、各地で川の氾濫や土砂崩れが起きている。
「こんな雨、久しぶりだな」
 群がっている老人の一人がぼそりと呟く。
「今朝は降るなんて言ってなかったのに」
 その声に答えるよう誰かが呟き、ざわざわと話し声が広がる。
「……明也、明也はどこに」
 明也の姿がないのか十倉はふらふらしながら公民館の中を彷徨っていた。その隣に長沢と山中が付き、「直に来ますよ」など声を掛けているが本人には聞こえていないようだ。ぐるぐる回っているうちに、ここには居ないと判断したのか「探してきます」と外へ出ようとするので必死になって止めた。
 二人が三十分もかけて説得したおかげか、大人しくなった十倉は部屋の隅っこで座っていた。各地で災害が起こっている中、大事な一人息子が居なくなると呆然自失にもなるだろう。長沢は監視も込めて十倉を慰めるようにずっと隣に付き添っていた。時間の経過とともに雨は弱まり、日付が変わる頃にようやく止んだ。
 朝になっても二人が公民館に来ることはなかった。五時になると日が昇り始めてうっすらと空が明るくなってきた。うとうととしていたもの、広くない公民館の中では熟睡できず、美琴も高遠も二、三時間ぐらいしか眠れなかった。
「六時過ぎたら、イブキ様と明也くんを探しに行きますけど、どうしますか?」
 そっと近寄ってきた長沢が高遠に耳打ちする。
「こういうことは人手が多いほうがいいでしょう。手伝いますよ」
「ありがとうございます」
 美琴が最後に明也の姿を見たのは午後八時半前だった。十時間以上経っても姿が見つからないと言うことは、彼の身に何か起こったのかもしれない。明也の行方も気になるが半身麻痺で身動きなどほとんど取れないイブキ様はどこへ消えてしまったのか。なんだか嫌な予感がする。
「雨も止んで今日は一日晴れの予報ですし、何とか裏山は崩れそうにありませんから家に戻りましょう。明也が帰ってきてるかもしれません」
 十倉は全く眠れなかったようで目の下にクマができていた。雨が止んでそろそろ六時間、山中も外へ出ても問題ないと判断して、長沢と山中は村の中を探し、美琴、高遠、十倉は家に戻った。
 十倉は明也の名前を呼びながら母屋を探し回り、美琴と高遠は離れへ向かった。渡り廊下に繋がる扉の前で高遠は思いついたように立ち止まり美琴を先に行かせた。昨晩はびしょ濡れだった渡り廊下もうっすら濡れている程度だ。庭は水が引いているように見える。美琴は何も言わずに離れのドアを開けるが中は無人だった。離れの真ん中には布団が敷かれているけれど、イブキ様がそこで寝た形跡はない。
「……納屋も確認するか」
 ようやく高遠が追いつき、美琴の肩越しに離れを確認する。納屋に二人がいると期待はしてなさそうだが、見るに越したことはない。渡り廊下から庭に出れるのでサンダルのまま出ると思っていたより庭はぬかるんでいて足が取られる。
「うわっ!」
「転んでもいいが、一人で転べよ」
「ヒドイ!」
 高遠が歩いた後を歩けば少しはマシなものを、足跡を付けるのが面白くて美琴はわざわざぬかるんでいるところを選んだ。これで転んで泥だらけになったら目も当てられない。
 鉄でできた扉は施錠されていなかった。高遠は取っ手を持ち、力いっぱい引っ張る。ギギギと軋ませながら扉が開き、薄暗い納屋に光が差し込んだ。ひんやりとした空気が足元を滑りぬけ埃が舞う。想像していたより中は片付いていた。黄色い籠の中にジャガイモやニンジン、玉ねぎが入っている。溜め込んでいるのか、他にも大根やゴボウなどもあり、節制すれば一週間はゆうに持つだけの食料があった。
「やっぱりいないな。帰ってきてないのか」
「ええー、でもあの雨の中、どこへ行くっていうのさ」
「お前が最後に見たのが八時半ぐらいだろう。俺が風呂に行ったときにはもう会わなかったから、少なくとも半前にはここを出ているはずだ。村から出た可能性は……、ないだろうな」
「何で?」
「八時過ぎから村人達が公民館に集まってきている。村を出たなら誰かが目撃していてもおかしくない」
「けどこの雨だよ? 隠れてれば気づかない可能性もあるよね」
「……そうだな」
 美琴の言うことも一理あるけれど、この雨の中、人目を避けて村の外に出る理由が今のところない。納屋の前で考え込んでいると「高遠先生!」と名前を呼ばれた。振り返ると庭の向こう側から山中がやってくる。新しい情報が入ったのか、かなり慌てた様子だ。
「村の人からの情報で、昨晩、傘を持った誰かが裏山へ向かうのを見たそうです!」
「裏山、ですか」
「えぇ、普段から裏山には滅多に人が寄り付きません。イブキ様か、明也くんか……、下手すると他の人かもしれませんが。ただ昨日の大雨で足場がかなり悪いですから二次災害の可能性もありますしねぇ」
 山中は唸りながら高遠を見た。
「とりあえず探してみましょうか。そこで見つからなかったらまた方法を考えるしかないですね」
 それにあの豪雨で裏山に逃げ込むなんて自殺行為だ。しかし目撃情報もあって探す場所もそこしかないのならまずは行ってみるべきだ。サンダルからスニーカーに履き替えまた家を出る。
「早瀬が最後に明也くんを見たのは八時半前だったらしいのですが、イブキ様は何時までこの家にいらっしゃったかお二人は知りませんか?」
「私が最後にイブキ様を見たのは八時過ぎです。食事を下げに行ったときはぐったりと布団に寝転がっていたようで、食事もすべて残っていました」
 長沢がはっきりと答える。
「……外を回って戻ってきたときにはもうイブキ様はいらっしゃいませんでした」
 十倉が小さい声で答える。長沢が見たのが最後だったらしい。あの不自由な体でどこへ行くというのか。
 外へ出ると雲一つない青空が広がっていた。川は氾濫しそうだったがギリギリで持ちこたえたようだが、田んぼにたまった水は多く畦道も水に浸かっていた。
 しかし村を縦断している真ん中の道路から住宅側は水が溜まっている様子はない。僅かながら傾斜になっているのか。とにかく初代イブキ様がこの道より西側に家を建てろ、と言ったのは間違いなかったようだ。水浸しになった田んぼを見て老人たちが肩を落としていた。
 階段を下りてから高遠達は東側へ移動して裏山の入口へ行く。砂利道はまだ比較的歩きやすかったが、山の中に入るとあっと言う間に靴底に泥が溜まった。つま先に力を入れて踏ん張るけれど、何度も滑って転びかけた。高遠も似た状態だが、歩き方が上手いのか一度も滑ったりしていない。
「二手に別れたほうがいいですかね」
 上にいる山中に向かって高遠が話しかけた。
「……いや、え、あ……」
 山中は一瞬物凄く嫌そうな顔をしてから「そっちのほうがいいですね」と高遠の案を飲む。最初の反応が大げさだったのが印象に残り二人は返事できずに山中を見つめる。
「自分はあっちへ行きますから、高遠先生達は向こうの道をお願いします」
 道と言われてもそんなものどこに存在するのか分からない。山中は右方向を指差し美琴達に背を向けた。山中はこの分岐から左へ移動していく。
「え、どこ、道って」
「この少し平らになっているところだろう。それにしても変な反応だったな。二手に別れるのが嫌だったのか?」
「ええー、子供じゃあるまいし」
 相手は大の大人だ。美琴みたいな人間が漠然とした嫌悪感でそう言うなら分かるけれど、相手は二回り以上年上の警察官だ。村人が居なくなった以上、より効率よく探さなければ助けられなくなる可能性だってある。
「とにかくこっちへ行くか。まだ平らだから歩きやすいな」
「もう疲れたよおおー、帰ろうよおお」
「じゃあ一人で帰れ」
 美琴は黙って高遠の後を付いていく。地盤が緩い山道を十分も登れば誰でも疲れるはずだが、高遠はそんな態度を微塵も見せず周囲に気を配っていた。美琴はあの時、明也にどこへ行くのか確認しておけばよかった、と後悔した。すればこんな山を泥だらけになって歩く必要はなかった。
 そんなことを考えていたらイライラしだした。分厚くなった泥のせいで靴が倍以上に重たい。地面ばかり見つめていたせいで高遠が立ち止まったのに気付かなかった。どんとそのまま頭を背中にぶつける。
「いった! 何、立ち止まって……」
 文句を言おうと顔を上げると前にはぽっかりと口を開けたような洞窟がある。その入り口に人が倒れている。
「……あ、明也、くんかな」
 近づこうとしたところで「うわあああ!!」と山中の叫び声が聞こえた。
「え、え、どうしよ」
「お前は十倉さんに明也くんが見つかったことを知らせに行け。山中さんのところへは俺が行く」
「うん。分かった!」
 美琴は来た道を戻り、階段を登っている最中に面倒な方を引き受けてしまったのに気付いた。山中のところへ行くよりも、十倉に知らせるほうが体力を使う。戻ったら高遠に文句を言ってやろうと意気込んで階段を駆け上がった。ヘロヘロになって登りきったところに十倉が美琴を待ち構えていた。
「あ、明也は……、見つかりましたか?」
 息が切れて声が出ない。美琴が首を縦に振ると十倉は隣に置いたバスタオルを掴むと一目散に下りて行った。場所を言わなければ山の中を探し回ることになる。美琴は大声で「洞窟みたいなところにいましたよ!」と叫んだ。十倉からの返事はなかった。
 長沢から水を貰ってから美琴は再び裏山に移動した。階段を下りて山道を登っていくのは過酷だ。明也のところへは十倉が向かったから心配ないだろう。気がかりなのは山中だ。高遠が向かってからかなり時間が経っているけれどこちらへ戻ってくる気配もない。美琴は一度大きいため息を吐いてから山を登り始めた。
 山中と別れた分岐を左へ行く。美琴達が歩いた道と違ってこちらは道でもないただの斜面だ。美琴は細い木を伝いながら声がしたほうに歩き出す。ぶわりと風が吹くとなんだか変な臭いが鼻を掠めた。
「くっさ。何の臭い!?」
 嗅いだことのない匂いは歩き始めると次第に強くなる。三分ほど歩いたところで見慣れた後姿があった。
「高遠!」
 名前を呼ぶと高遠がゆっくり振り返る。足元には何かあるようだが、草が邪魔をして見えない。
「あれ、お巡りさんは?」
 美琴はきょろきょろを辺りを見渡し、山中の姿を探す。
「死体が見つかったから駐在所まで戻っている」
「……死体?」
「そうだ」
 どういうことか分からず美琴は「よいしょ」と言って登る。高遠の隣に並んでようやく言っている意味が分かった。確かに高遠の足元には全裸の死体が二つあった。一つはまだ人として形が残っていて仰向けに倒れているからその人が男だと判断できる。けれどもう一つはかなり腐敗が進んでいて性別すら分からない。ところどころ骨まで見えていた。
「なんかこの辺臭いけど……、これのせい?」
「そうだな」
 美琴は目下にある二つの死体をジッと見つめた。

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