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第一章
第一章 3
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頭を八回叩かれて美琴はようやく目を覚ました。ただでさえ隙間の多い脳みそなのに、これ以上劣化したらどうするのか、と文句を言いたくなるが、当本人が記憶している叩かれた回数は一度なので普通に起こしてもらったと思い込んでいる。まだ半覚醒の美琴はがりがりと頭を掻いて障子越しに外を見る。今日も晴天らしい。元気に蝉が鳴いている。頭上には不機嫌な男の顔があった。
「おはよ」
「おはようじゃない。今、何時だと思っているんだ」
そう言われて時計を確認しようとするも、時計の置いてある棚が無い。慌てて起き上がり辺りを見渡してからそこが高遠の部屋だと気付いた。眉間に皺を寄せて美琴を睨み付けているが、いつもこんな顔をしているので怒っているとは感じない。表情だけで見ればいつも怒っているわけだが。
「えー、何時?」
「八時だ。早く顔と歯を洗って着替えて、十倉さんたちに挨拶して来い」
母親かよ、と言いかけて美琴は口を噤む。昨日、そう言って本を投げられている。痛みが消えたはずの鼻がずきりと疼く。もそもそと起き上がり自分の部屋に行くとすでに布団は片付けられていて、部屋の隅に折りたたまれていた。高遠は一体、何時に起きたのだろうか。振り返ると高遠は美琴が寝ている最中にあっちこっちへやった布団を直している。
「高遠、何時に起きたの?」
「六時」
「うーっわ、ジジイみたい」
瞬時に高遠が枕を掴んだので、美琴はカバンの下に敷かれたタオルを引き抜き部屋から飛び出した。
階段の窓から朝日がさんさんと降り注いでいる。今日も猛暑を感じさせる太陽に辟易しながら美琴は階段を下りる。朝は涼しいので一階は全ての扉を開け放ち、空気の入れ替えを行っていた。涼しい風が肌を撫でる。階段を下りた正面にリビングの大きな扉があり、その向こうには美しい庭が広がっていた。昨日はしょぼくれていたヒマワリも元気に上を向いている。
「わー、キレー!」
美琴は思わず声を上げて庭に向かって走り出す。リビングには十倉と長沢がすでに来ていて、美琴の姿を見るなりに「おはようございます」と声を掛けた。
「おはよーございまーす!」
元気に挨拶をして庭を見る。色とりどりの花はキラキラと光を反射させている。真ん中を陣取る池は鯉が数匹、優雅に泳いでいた。
風も無いのにヒマワリが揺れる。どうしたのかとそちらに目を向けると、水色の服を着た人がしゃがみ込んでいた。背中を向けて帽子を被っているので、男か女か、若者か老人かも分からない。
「おい、早瀬。何をやってるんだ」
振り返ると相変わらず怖い表情で高遠が美琴を見ている。パジャマ姿でうろうろしているのに文句を言われる前に美琴は駆け足で洗面所へ向かう。遠くで「朝から騒がしくて本当に申し訳ありません」と謝っている声が聞こえた。
歯を磨いて顔を洗い、美琴は部屋に戻って着替えを済ませた。
支度が済むと今度は腹が減ってくる。先ほどリビングに行ったときはパンのいい香りがしていたので朝食の準備はほとんど終わっているだろう。何が出てくるのか楽しみにしながら一階へ移動し、再びリビングへ行く。高遠は十倉と談笑していて、その近くに若い男が立ちすくんでいた。庭で作業をしていた人と同じ服を着ている。あの綺麗な庭の管理はどうやら彼がしているようだ。美琴の姿を確認した高遠は「早瀬」と呼ぶ。
「こちらが十倉さんのご子息だ」
「おはようございます」
人見知りをするのか、挨拶はしたもの目を合わそうとしなかった。美琴はずかずかと彼の前まで行き、俯いている顔を覗き込む。なかなか可愛らしい顔をしている。年齢は二十歳前後、と言ったところか。
「僕は早瀬美琴って言います。名前は?」
昨日、十倉から息子の名前を聞いていたのに、全く覚えていなかったようだ。
「と……、十倉、明也です」
「明也くん、さっき、庭で何かしてたね」
「え、あ……、はい。今日は大雨が降るので、土が流れないように足してました」
そう言われて美琴は窓から外を見る。雲ひとつ無い晴天だと言うのに、大雨だなんて信じられなかった。
「えぇー、今日、雨降るのー?」
「あ……、てん、天気予報で、そう言ってました」
美琴は「ふぅん?」と頷いて高遠を見る。
「おなかすいた!」
無言で頭を叩かれた。
「では、朝ごはんにしましょうか」
「……はい」
高遠は朝から疲れたと言った顔をしている。今日は噂のイブキ様とやらと面会する日だ。高遠はいつも通りの表情なので、何を考えているのか分からない。美琴は楽しみだからウキウキしているのが顔に出ている。高遠が霊能者を本物か偽物か見抜くのにそう時間はいらない。下手すると三十分の会話で分かることもあるし、相手の隠し方が周到だと数日かかったりする。本物だろうが偽物だろうが、霊能者の話はなかなか面白い。それを後から「あれは偽物だ」と教えてもらうともっと面白くなる。自分が本物だと演じきっている姿勢が何よりも滑稽だ。
昨日、散々話したせいもあって、今朝は殆ど会話が無かった。美琴はあまり好きではないパンをゆっくり咀嚼する。匂いがしていたからパンが出てくるのは分かっていたけれど、ホテルの朝食のようにご飯も選べると思っていた。なんて図々しい考えだろうか。
高遠もどちらかといえば米派だが、黙々とパンを口に入れていた。昼はご飯がいいな、と思うも、さすがに出してもらっている食事に文句をつけるほど非常識ではない。
朝食を食べ終わり、片づけを少し手伝ってから二人は部屋に戻った。イブキ様の準備が出来るのは十時だと言われたのであと三十分は暇だ。美琴は寝転がって壁を見つめていた。
「ねえ、高遠」
空気の入れ替えをするため、襖は開け放っている。まだ気温は低めなのでそよそよと吹く風がかなり心地よくまた眠りの世界に入ってしまいそうだ。体を反対側に向けると、高遠の姿は無い。
「あ、あれ」
置いていかれたのかと何度か転がって姿を探す。立ち上がるのが面倒なので這って廊下まで行くと、高遠は階段の窓から景色を眺めていた。
「高遠ってば!」
大声を上げると鬱陶しそうに振り返る。
「何だ」
「何やってんの?」
「何だっていいだろう。煩い」
そう言って高遠は視線を戻す。退屈な美琴もようやく立ち上がって高遠の隣に並ぶ。同じ景色を見ようと覗き込むと青々とした山の木々がまず目に入った。それから透き通った青空。故郷を思い出して懐かしくなるが、家に帰りたいとは思わなかった。祈祷師として持て囃されていたけれど、好きなこともできない閉鎖された空間が美琴は大嫌いだった。
「本当に雨、降るのかなぁ」
「さぁな。天気予報がそう言ってたなら降るんだろう」
高遠は興味なさそうにそう言うと窓から離れて部屋に戻った。美琴もあまり面白い風景ではないので後を付いていく。
「えー、けど、こういうところの天気って変わりやすいんだよ」
「俺が知るか」
身も蓋もない言い方をすると高遠は自分のカバンの隣に座ってパソコンを弄りはじめてしまった。ただでさえ疎かな扱いをされているのにこれでほとんど無視される。これ以上の退屈は耐えられない美琴はノートパソコンの画面を動かして邪魔をしていたら頭を殴られた。
「お待たせしました」
ようやくイブキ様の準備ができたのか、十倉がわざわざ部屋まで来てくれた。高遠は礼を言って立ち上がり、美琴もその後に続く。これまでの旅で二、三度は本物と高遠が評価した霊能者に会ったけれど、一目見ただけではその人が本物かどうかなんて美琴にはさっぱり分からない。高遠も見かけでは判断できないと言っているので、こうして直接会って話をして判断する。
以前、高遠は「もっと分かりやすい方法があるんだけどな……」と言っていたけれど、それを追求する前に話を逸らされてしまったので方法は聞けずじまいだった。
一階に下りて、リビングよりも奥へ進む。サンダルを履き母屋から庭に面した渡り廊下へ出た。廊下は綺麗に掃除されていて素足でも歩けそうだ。その廊下の先には古ぼけた離れがあり、庭に目を向けると明也と名乗った青年が世話をしている花壇が見え、花は風に揺られ強い日差しに負けず空を仰いでいた。透き通った池は太陽を反射させ、ピカピカと輝いていた。
「段差がございますので、足元にご注意ください」
離れの前に到着し、十倉が部屋の扉を開ける。ひやりと冷たい風が足を通り過ぎた。中はエアコンがかかっているようで、涼しいどころか半袖の二人には少し肌寒い。高遠がまず最初に入り、美琴が続く。大人二人が入るとかなり狭くなる板の間の前に障子があり、その奥にぼんやりと人影が見えた。
「失礼します」
高遠が障子の向こうに声を掛け、どうぞ、と後ろから声がする。それに一瞬、疑問を感じたけれど、イブキ様は火事の影響で声が出せないと言っていたのを思い出した。ゆっくりと障子を開けると、目に飛び込んできたのは黒ずくめの物体だった。
「あー……」
これまで異様な格好をする自称霊能者を何度か見てきたが、こういうパターンは大半が偽者だ。思わず声を出してしまい、高遠に足を踏まれる。十倉は二人の横を通り、イブキ様の隣に座った。ポケットから電子手帳のようなものを取り出し、画面をイブキ様に見せる。少し間が空き、分かったように首を縦に振る。
「今朝、高遠先生についてイブキ様に説明させて頂きました」
「ありがとうございます」
「ご覧のようにイブキ様は九年前の火事によって喉と耳を失いました。半身に麻痺も残っています。ですので、質問は出来る限り手短にお願いいたします」
十倉は深々と頭を下げる。そんな状態で会話も何も出来ないが、高遠は「分かりました」と答えてイブキ様に質問を投げかける。基本的にはい、いいえ、で答えられる質問をぶつけたのは、彼なりの配慮だったのだろう。なんだか胡散臭いな、と思った美琴は話もろくに聞かず、障子を締め切り外から隔離したこの陰鬱な密室に嫌気が差していた。
まるでここは檻だ。誰にも見られないよう閉じ込められ、一日のほとんどをこんなところで過ごすなんて気が狂いそうだ。敢えて人の目に触れさせないことで神聖さを高めているのだろうか。
話は三十分ほどで終了した。高遠は最後に「本日は貴重なお時間を頂きありがとうございました」と丁寧に礼を言う。十倉も胸を撫で下ろした様子で高遠を見つめ、「こちらこそ」と答えて出口へ続く襖を開けた。朝晩は涼しかったとは言え、真夏の日中は温度が上がるのも早い。離れはエアコンが強めに掛けられていたので感じなかったけれど、そこから一歩出れば灼熱地獄だ。
「うへぇ、暑い」
ギラギラした太陽を見つめて美琴は舌を出す。こんな日はエアコンが効いた部屋でごろごろするのが一番だが、高遠は暑さなど物ともせずこれから村人に聞き取り調査だ。いくら胡散臭くても高遠は霊能者本人からの話だけでなく、周囲にも質問をする。まぁ、よそ者と蹴散らされるのがオチだが。
「ねえ、偽者なんじゃないの?」
「失礼なことを言うな」
後ろに十倉がいたせいか即座に叩かれたけれど、高遠は美琴の言葉を否定しなかった。となるとやはり薄々偽者だと感付いているのか。振り返った高遠は何事も無かったように話しかけた。
「村の方々からも話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか」
「えぇ、構いませんよ。イブキ様も是非高遠先生に村の様子を見ていただきたいと仰ってましたから」
話を聞いていなかったのか、十倉はいつも通りにニコニコと笑っている。美琴はそれを見て安堵したけれど、聞こえていないふりをしている可能性だってある。高遠は礼を言うと美琴の腕を掴んで歩き出した。この場から早くいなくなりたかったのだろう。これ以上、余計な口出しをされて警戒されたくない。
靴を履いて外へ出ると直射日光のせいでより暑くなる。じりじりと肌が焼けるのを感じて美琴は早速文句を言う。
「戻ろうよー」
「一人で戻ればいいだろう」
高遠は一度も付いて来いと美琴に言ったことは無い。できればこのまま二度と付いてきてほしくない高遠だが、美琴は「行くよ!」と叫んで嫌々歩き出した。
山の中腹まで続いている階段は上るのも下るのも困難だ。例え転んだとしても前にいる高遠が何とかしてくれるだろう、という安心感からか、美琴の足取りは軽快だ。
「ねえ、高遠。さっき話した感じではどうだった? 本物っぽい?」
「イブキ様が、と前置きはあったけれど、肝心な質問に答えたのは十倉さんだったからな。判断はまだできない」
「へえ」
そんなことを言うが、高遠の脳内で答えはほとんど出ているはずだ。先ほど美琴の軽口を否定しなかったし、質問も普段より少なかった。
「おはよ」
「おはようじゃない。今、何時だと思っているんだ」
そう言われて時計を確認しようとするも、時計の置いてある棚が無い。慌てて起き上がり辺りを見渡してからそこが高遠の部屋だと気付いた。眉間に皺を寄せて美琴を睨み付けているが、いつもこんな顔をしているので怒っているとは感じない。表情だけで見ればいつも怒っているわけだが。
「えー、何時?」
「八時だ。早く顔と歯を洗って着替えて、十倉さんたちに挨拶して来い」
母親かよ、と言いかけて美琴は口を噤む。昨日、そう言って本を投げられている。痛みが消えたはずの鼻がずきりと疼く。もそもそと起き上がり自分の部屋に行くとすでに布団は片付けられていて、部屋の隅に折りたたまれていた。高遠は一体、何時に起きたのだろうか。振り返ると高遠は美琴が寝ている最中にあっちこっちへやった布団を直している。
「高遠、何時に起きたの?」
「六時」
「うーっわ、ジジイみたい」
瞬時に高遠が枕を掴んだので、美琴はカバンの下に敷かれたタオルを引き抜き部屋から飛び出した。
階段の窓から朝日がさんさんと降り注いでいる。今日も猛暑を感じさせる太陽に辟易しながら美琴は階段を下りる。朝は涼しいので一階は全ての扉を開け放ち、空気の入れ替えを行っていた。涼しい風が肌を撫でる。階段を下りた正面にリビングの大きな扉があり、その向こうには美しい庭が広がっていた。昨日はしょぼくれていたヒマワリも元気に上を向いている。
「わー、キレー!」
美琴は思わず声を上げて庭に向かって走り出す。リビングには十倉と長沢がすでに来ていて、美琴の姿を見るなりに「おはようございます」と声を掛けた。
「おはよーございまーす!」
元気に挨拶をして庭を見る。色とりどりの花はキラキラと光を反射させている。真ん中を陣取る池は鯉が数匹、優雅に泳いでいた。
風も無いのにヒマワリが揺れる。どうしたのかとそちらに目を向けると、水色の服を着た人がしゃがみ込んでいた。背中を向けて帽子を被っているので、男か女か、若者か老人かも分からない。
「おい、早瀬。何をやってるんだ」
振り返ると相変わらず怖い表情で高遠が美琴を見ている。パジャマ姿でうろうろしているのに文句を言われる前に美琴は駆け足で洗面所へ向かう。遠くで「朝から騒がしくて本当に申し訳ありません」と謝っている声が聞こえた。
歯を磨いて顔を洗い、美琴は部屋に戻って着替えを済ませた。
支度が済むと今度は腹が減ってくる。先ほどリビングに行ったときはパンのいい香りがしていたので朝食の準備はほとんど終わっているだろう。何が出てくるのか楽しみにしながら一階へ移動し、再びリビングへ行く。高遠は十倉と談笑していて、その近くに若い男が立ちすくんでいた。庭で作業をしていた人と同じ服を着ている。あの綺麗な庭の管理はどうやら彼がしているようだ。美琴の姿を確認した高遠は「早瀬」と呼ぶ。
「こちらが十倉さんのご子息だ」
「おはようございます」
人見知りをするのか、挨拶はしたもの目を合わそうとしなかった。美琴はずかずかと彼の前まで行き、俯いている顔を覗き込む。なかなか可愛らしい顔をしている。年齢は二十歳前後、と言ったところか。
「僕は早瀬美琴って言います。名前は?」
昨日、十倉から息子の名前を聞いていたのに、全く覚えていなかったようだ。
「と……、十倉、明也です」
「明也くん、さっき、庭で何かしてたね」
「え、あ……、はい。今日は大雨が降るので、土が流れないように足してました」
そう言われて美琴は窓から外を見る。雲ひとつ無い晴天だと言うのに、大雨だなんて信じられなかった。
「えぇー、今日、雨降るのー?」
「あ……、てん、天気予報で、そう言ってました」
美琴は「ふぅん?」と頷いて高遠を見る。
「おなかすいた!」
無言で頭を叩かれた。
「では、朝ごはんにしましょうか」
「……はい」
高遠は朝から疲れたと言った顔をしている。今日は噂のイブキ様とやらと面会する日だ。高遠はいつも通りの表情なので、何を考えているのか分からない。美琴は楽しみだからウキウキしているのが顔に出ている。高遠が霊能者を本物か偽物か見抜くのにそう時間はいらない。下手すると三十分の会話で分かることもあるし、相手の隠し方が周到だと数日かかったりする。本物だろうが偽物だろうが、霊能者の話はなかなか面白い。それを後から「あれは偽物だ」と教えてもらうともっと面白くなる。自分が本物だと演じきっている姿勢が何よりも滑稽だ。
昨日、散々話したせいもあって、今朝は殆ど会話が無かった。美琴はあまり好きではないパンをゆっくり咀嚼する。匂いがしていたからパンが出てくるのは分かっていたけれど、ホテルの朝食のようにご飯も選べると思っていた。なんて図々しい考えだろうか。
高遠もどちらかといえば米派だが、黙々とパンを口に入れていた。昼はご飯がいいな、と思うも、さすがに出してもらっている食事に文句をつけるほど非常識ではない。
朝食を食べ終わり、片づけを少し手伝ってから二人は部屋に戻った。イブキ様の準備が出来るのは十時だと言われたのであと三十分は暇だ。美琴は寝転がって壁を見つめていた。
「ねえ、高遠」
空気の入れ替えをするため、襖は開け放っている。まだ気温は低めなのでそよそよと吹く風がかなり心地よくまた眠りの世界に入ってしまいそうだ。体を反対側に向けると、高遠の姿は無い。
「あ、あれ」
置いていかれたのかと何度か転がって姿を探す。立ち上がるのが面倒なので這って廊下まで行くと、高遠は階段の窓から景色を眺めていた。
「高遠ってば!」
大声を上げると鬱陶しそうに振り返る。
「何だ」
「何やってんの?」
「何だっていいだろう。煩い」
そう言って高遠は視線を戻す。退屈な美琴もようやく立ち上がって高遠の隣に並ぶ。同じ景色を見ようと覗き込むと青々とした山の木々がまず目に入った。それから透き通った青空。故郷を思い出して懐かしくなるが、家に帰りたいとは思わなかった。祈祷師として持て囃されていたけれど、好きなこともできない閉鎖された空間が美琴は大嫌いだった。
「本当に雨、降るのかなぁ」
「さぁな。天気予報がそう言ってたなら降るんだろう」
高遠は興味なさそうにそう言うと窓から離れて部屋に戻った。美琴もあまり面白い風景ではないので後を付いていく。
「えー、けど、こういうところの天気って変わりやすいんだよ」
「俺が知るか」
身も蓋もない言い方をすると高遠は自分のカバンの隣に座ってパソコンを弄りはじめてしまった。ただでさえ疎かな扱いをされているのにこれでほとんど無視される。これ以上の退屈は耐えられない美琴はノートパソコンの画面を動かして邪魔をしていたら頭を殴られた。
「お待たせしました」
ようやくイブキ様の準備ができたのか、十倉がわざわざ部屋まで来てくれた。高遠は礼を言って立ち上がり、美琴もその後に続く。これまでの旅で二、三度は本物と高遠が評価した霊能者に会ったけれど、一目見ただけではその人が本物かどうかなんて美琴にはさっぱり分からない。高遠も見かけでは判断できないと言っているので、こうして直接会って話をして判断する。
以前、高遠は「もっと分かりやすい方法があるんだけどな……」と言っていたけれど、それを追求する前に話を逸らされてしまったので方法は聞けずじまいだった。
一階に下りて、リビングよりも奥へ進む。サンダルを履き母屋から庭に面した渡り廊下へ出た。廊下は綺麗に掃除されていて素足でも歩けそうだ。その廊下の先には古ぼけた離れがあり、庭に目を向けると明也と名乗った青年が世話をしている花壇が見え、花は風に揺られ強い日差しに負けず空を仰いでいた。透き通った池は太陽を反射させ、ピカピカと輝いていた。
「段差がございますので、足元にご注意ください」
離れの前に到着し、十倉が部屋の扉を開ける。ひやりと冷たい風が足を通り過ぎた。中はエアコンがかかっているようで、涼しいどころか半袖の二人には少し肌寒い。高遠がまず最初に入り、美琴が続く。大人二人が入るとかなり狭くなる板の間の前に障子があり、その奥にぼんやりと人影が見えた。
「失礼します」
高遠が障子の向こうに声を掛け、どうぞ、と後ろから声がする。それに一瞬、疑問を感じたけれど、イブキ様は火事の影響で声が出せないと言っていたのを思い出した。ゆっくりと障子を開けると、目に飛び込んできたのは黒ずくめの物体だった。
「あー……」
これまで異様な格好をする自称霊能者を何度か見てきたが、こういうパターンは大半が偽者だ。思わず声を出してしまい、高遠に足を踏まれる。十倉は二人の横を通り、イブキ様の隣に座った。ポケットから電子手帳のようなものを取り出し、画面をイブキ様に見せる。少し間が空き、分かったように首を縦に振る。
「今朝、高遠先生についてイブキ様に説明させて頂きました」
「ありがとうございます」
「ご覧のようにイブキ様は九年前の火事によって喉と耳を失いました。半身に麻痺も残っています。ですので、質問は出来る限り手短にお願いいたします」
十倉は深々と頭を下げる。そんな状態で会話も何も出来ないが、高遠は「分かりました」と答えてイブキ様に質問を投げかける。基本的にはい、いいえ、で答えられる質問をぶつけたのは、彼なりの配慮だったのだろう。なんだか胡散臭いな、と思った美琴は話もろくに聞かず、障子を締め切り外から隔離したこの陰鬱な密室に嫌気が差していた。
まるでここは檻だ。誰にも見られないよう閉じ込められ、一日のほとんどをこんなところで過ごすなんて気が狂いそうだ。敢えて人の目に触れさせないことで神聖さを高めているのだろうか。
話は三十分ほどで終了した。高遠は最後に「本日は貴重なお時間を頂きありがとうございました」と丁寧に礼を言う。十倉も胸を撫で下ろした様子で高遠を見つめ、「こちらこそ」と答えて出口へ続く襖を開けた。朝晩は涼しかったとは言え、真夏の日中は温度が上がるのも早い。離れはエアコンが強めに掛けられていたので感じなかったけれど、そこから一歩出れば灼熱地獄だ。
「うへぇ、暑い」
ギラギラした太陽を見つめて美琴は舌を出す。こんな日はエアコンが効いた部屋でごろごろするのが一番だが、高遠は暑さなど物ともせずこれから村人に聞き取り調査だ。いくら胡散臭くても高遠は霊能者本人からの話だけでなく、周囲にも質問をする。まぁ、よそ者と蹴散らされるのがオチだが。
「ねえ、偽者なんじゃないの?」
「失礼なことを言うな」
後ろに十倉がいたせいか即座に叩かれたけれど、高遠は美琴の言葉を否定しなかった。となるとやはり薄々偽者だと感付いているのか。振り返った高遠は何事も無かったように話しかけた。
「村の方々からも話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか」
「えぇ、構いませんよ。イブキ様も是非高遠先生に村の様子を見ていただきたいと仰ってましたから」
話を聞いていなかったのか、十倉はいつも通りにニコニコと笑っている。美琴はそれを見て安堵したけれど、聞こえていないふりをしている可能性だってある。高遠は礼を言うと美琴の腕を掴んで歩き出した。この場から早くいなくなりたかったのだろう。これ以上、余計な口出しをされて警戒されたくない。
靴を履いて外へ出ると直射日光のせいでより暑くなる。じりじりと肌が焼けるのを感じて美琴は早速文句を言う。
「戻ろうよー」
「一人で戻ればいいだろう」
高遠は一度も付いて来いと美琴に言ったことは無い。できればこのまま二度と付いてきてほしくない高遠だが、美琴は「行くよ!」と叫んで嫌々歩き出した。
山の中腹まで続いている階段は上るのも下るのも困難だ。例え転んだとしても前にいる高遠が何とかしてくれるだろう、という安心感からか、美琴の足取りは軽快だ。
「ねえ、高遠。さっき話した感じではどうだった? 本物っぽい?」
「イブキ様が、と前置きはあったけれど、肝心な質問に答えたのは十倉さんだったからな。判断はまだできない」
「へえ」
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