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第一章
第一章 2
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スリッパに履き替えて、美琴と高遠は玄関からすぐの部屋に入るよう促される。空調が効いた部屋は汗ばんだ体を急速に冷やす。六畳ほどの部屋に応接セットが置かれ、本棚には霊能者に関連した本が並んでいた。出窓からは庭の端と駐車場が見える。庭から伸びてきた花壇は応接室の前にもあり、雑草の少なさからしっかり世話されているのが見て取れる。色とりどりの花が並んでいるけれど、名前はひまわりぐらいしか分からない。そのひまわりも日が傾いて俯き気味だが、茎が太くしっかりしていて花もかなり大きい。丁寧に手入れしているのだろう。
二人掛けのソファに美琴がため息と共に座り込んだ。これまで何度もマナーについてこんこんと言い聞かせているのに、守る気がないのかド忘れてしているのか、実行しているのを見たことはない。ため息を吐きたいのは高遠のほうだ。
「……お前が先に座るな」
「いえいえ、お構いなく。どうぞ、高遠先生もお掛けになってください」
「すみません。失礼します」
高遠は一礼してからソファに腰掛ける。それからすぐに冷たいお茶と水饅頭が、若い女性によって運ばれてきた。前に置かれると「わー! おいしそー!」と美琴が嬉しそうな声を上げる。
「……まだ食べるなよ」
真っ先に手を伸ばした美琴の腕を抓り、高遠は怒りを滲ませた声で囁いた。
「ちょっと、痛いよ!」
美琴も小声で訴えるも、高遠の力は弱まらない。ぐりぐりと爪が腕に食い込んでいる。何度も首を縦に振るとようやく手が離れた。抓られた箇所は綺麗に爪の痕が残っている。
「酷いよ!」
「出されてすぐ食べるなって何度も言ってるだろ」
「え、何で?」
きょとんとしている美琴の顔を殴りたくなったが、これぐらいで怒っていては美琴と付き合いきれない。高遠は一度深呼吸をしてから対面に座った十倉を見た。
「イブキ様についてお聞かせ願いますか?」
「分かりました。あぁ、早瀬さん。どうぞ、冷たいうちにお召し上がりください」
やり取りを見られていたようだ。高遠は片手で頭を押さえて「すみません」と謝る。これから何度、美琴のことで謝らなければならないのか。考えるだけで胃が痛くなる。
「わーい。ありがとうございまーす!」
喉が渇いていた美琴はまずコップを手に取り、中身を一気に飲み干した。冷たい緑茶のおかげで汗がすっと引き、旅の疲れが少しだけ抜けた気がした。水饅頭の入った皿を持ち上げ、添えられている菓子楊枝を摘まむ。美琴がおやつに集中している間、二人の会話は進められていた。
「まず名前についてですが、イブキと言うのは今から約二百年前、この村で宮司をしておられた方の名です。イブキ様は信心深く、村人のため毎日天に祈っていると、ある日、空から声が聞えました。それが全ての始まりです。元々、霊視などと言った能力もございましたが、それに加えて風の囁きを聞いたり、大地の息吹を感じ取り、気象を予知できるようになりました。イブキ様のおかげで多くの村人が救われました」
半分に割った水饅頭を口に放り込み、美琴は高遠を見る。そんな噂話は情報として彼の頭の中に入っているが、十倉の話に何度か頷いて口は挟まない。餡を食べていたら喉が渇いたので、美琴は汗をかいている高遠のグラスを手に取った。
「しかし最初はいくら宮司と言えど、天候を予知して信じる村人は多くありませんでした。イブキ様が嘘を吐くようなお方ではないと分かっている人だけが予言を信じておりました。イブキ様の予言を信じずに亡くなった村人も少なくありません」
信じる者は救われると言うことか。神にでもなったつもりだろうか。多くの村人を救った割には死者もかなり出しているなんて矛盾している。それが神の行いと言われればそこまでだが。古来より神は横暴で一方的だ。
「それでもイブキ様は信じてくれる村人のために予言を続けました。そのお力は、今もこの天宮家に受け継がれております。初代イブキ様を崇め、畏敬の念を込めて、そのお力を継がれた方をイブキ様と呼ぶようになったのです。現にここにおられるイブキ様も空や風、大地と会話ができます」
聞いていて新興宗教の勧誘を思い出した。そのうち「イブキ様が気を込めたこの壺を~」なんて言い出しそうで苦笑が漏れる。高遠はそんな十倉の話も顔色一つ変えずに聞いていた。
「九年前、この家で不審火による火災が起こりました。その時、先々代の伊乃里様と、先代の伊澄様、その奥様が亡くなり、イブキ様は全身やけどを負い、一度は心臓も止まったらしいのですが、奇跡の生還を果たされました。それ以降、イブキ様のお力は日に日に強くなり、今や初代イブキ様を上回る能力をお持ちなのです」
初代イブキ様に会ったこともないくせに、と思ったけれど、高遠は眉一つ動かさずに十倉を見据えている。親子共々能力がありながら、火事が予知できなかったなど設定がガバガバだ。十倉の話を聞いているだけでイブキ様の信憑性がどんどんと薄れていく。美琴は高遠の緑茶を飲み干して、今度は水饅頭に手を伸ばした。
「ただ力を得た代償は大きく、イブキ様のお体には火事の後遺症が残っておられます。天の声は聴けても、人の声は聞こえなくなってしまいました。喉も焼けてしまったので、声も出せません。左半身に麻痺が残ってしまったので、筆談もほとんどできない状態です」
「……なるほど」
聴力がないのにどうやって声を聴くんだ、なんて野暮な質問は挟まない。信じていないそぶりは見せないもの、素直に信じ込む様な真似もしない。いつも通りの無表情で十倉の話を聞いているから、見方によっては信じているようにも、疑心に満ちているようにも見える。
「なのでイブキ様への質問は全て私を通していただきたいのです。直接、お話しするのが一番でしょうが、何卒、よろしくお願い致します」
それが言いたかっただけだと分かった時、なんだか脱力してしまった。一言、体が不自由だから、自分を通せと言えば済む話だ。脅しのような長い説明は、高遠にイブキ様の自慢をしたかったのか。こんな長話もこれまでの旅路で散々聞かされたので慣れているが、長い移動のせいで一層疲れた。
「分かりました」
「イブキ様は離れで生活しているのですが、今日は時間も遅いですし、面会は明日にして頂けますか?」
「それは構わないのですが……、この村に宿ってありますか?」
そこが一番大事だ。明日また出直すのにわざわざ市街地まで戻るなんて想像もしたくない。だが見た限り、村に宿らしきものなど一つもなかった。
「それなら是非ここを使ってください。部屋は余っていますから。イブキ様の了承も得ています」
それを聞いた瞬間に美琴が大げさに立ち上がる。
「本当ですか!」
つい喜びの声を上げてしまった。先ほどまで水饅頭を食べて静かにしていた美琴が大声を上げるので、高遠も十倉も驚いている。気力を振り絞って階段を上ったので、もう動けないほどにへとへとだった。この家の中から出なくて済むのはとても有難い。
「やったぁ!」
両手を上げて喜んでいる美琴を高遠は睨み付ける。
「ありがとうございます。とても助かります」
だが宿代が不要なのは、高遠にとっても好都合だった。
「二階に二部屋余っていますから、どうぞお使いください」
「いえ、二部屋なんて……」
急に押しかけておいて二部屋も使う図々しさは高遠にない。どうせ部屋で寝るだけなら美琴と一緒でも構わない。男同士なのだから。
「はい、分かりました!」
けれど高遠が断りを入れる前に美琴が返事をする。高遠は無言で美琴の頭を叩いた。
「ご迷惑をお掛けしますので、同じ部屋で構いません」
はっきり告げると、頭を押さえた美琴が「えー」と言って不満を漏らす。
「高遠と同じ部屋なんて嫌だよ。勘違いされそうだし」
今度は拳で頭を殴った。今回ばかりはそれだけでは高遠の気は収まらなかった。勘違いされるのを嫌がるなら、高遠の旅についてこなければいいのだ。これまで高遠が宿泊代を払う時は経費削減で同室だった。美琴が自分の宿代を出したのは一度もないので、今までずっと高遠と同じ部屋で寝起きしている。睡眠中あまりに明確な寝言、寝返りの音、ベッドから落下音、物にぶつかる騒音で迷惑を被っているのは高遠だ。本来であれば、同じ部屋で嫌がるのは高遠なのに、なぜ美琴が嫌がるのか。怒りで握りしめた手が震えている。まだまだ殴り足りないが、高遠も暴力的ではない。そもそも高遠は人を小突いたことなど旅に出るまで一度もなかった。美琴の前では非暴力主義でも手を上げたくなるだろう。
二人のやり取りを苦笑いで見ていた十倉は「構いませんよ」と笑って立ち上がった。
「それに二人を同じ部屋にご案内したなんてイブキ様に知れたら、私が怒られます」
客人へのもてなしはかなり気を遣っているようだ。
「どうぞこちらへ」
「………………すみません」
高遠は十倉に向かって深々と頭を下げた。
応接室を出て隣の階段を上がる。まだ新しいので体重を掛けたところで板は軋まない。二階に到着して正面の部屋が二人に割り当てられた部屋だった。
「こちらを使ってください。また夕食になったらお呼びします」
「はい、分かりました」
美琴がすぐさま階段に近い部屋に入ったので、高遠は自然とその隣の部屋になった。中に入ると二部屋の間は襖で仕切られていて行き来は可能だった。ぴったり閉まった襖を指二本分ほど開けて向こう側を覗くと、高遠は部屋の隅にカバンを置いて携帯の画面を確認していた。どうせこんな田舎、電波なんて入りにくい。それからノートパソコンを取り出して操作を始めたけれどそれも直に終わった。
引き出しの上に置かれた時計を見ると時刻は六時を過ぎたところだった。夕飯は七時か七時半と言ったところだろうか。移動に疲れてへとへとだった美琴はカバンを部屋の真ん中に置いて畳に寝転がった。そのままカバンを傾けて中身を漁るとばらばらといろんなものが転げ落ちた。今朝、電車に乗り込む前に買った菓子、カニカマ、着替え、歯ブラシや洗顔料があたり一面に広げられる。目的があって中身を出したわけではないので片付ける気にもならず、そのままカバンと一緒に隅へ追いやった。
基本的に用がない限り高遠からは話しかけてこない。ごろごろと寝返りを打って襖付近まで近づき、「ねえ」と声を掛ける。襖の向こうは無言だ。
「ねえってば」
声を張り上げるも相変わらず返事はない。無視されているのに気付いた美琴は苛立って思いっきり襖を開ける。高遠は読書をしていた。そんな暇つぶしの道具を持っているのに羨ましさから妬ましさに変化する。だが普段から美琴は読書をしないので例えそれを借りたとしても数秒で飽きる。
「何それ!」
「……本だよ」
電車で投げ捨てられたのにもう一冊持っていたようだ。
「何で無視すんの」
「うるさいから」
表情や口調からもそれが高遠の本音だと分かる。
「イブキ様って本物なの?」
「お前の声はよく通るんだから大声で言うな。聞かれたらどうする」
家から出て行け、と言われる可能性が非常に高い。美琴が匍匐前進で高遠に近寄ると、「気持ち悪い」としかめっ面になった。
「何か怪しくない?」
「そんなもん、霊能者全員に言えることだろう」
高遠は自分の印象をよく分かっている。いきなり霊能者と言われて信じる人間が世の中にどれほどいるだろうか。
「ただ気候を予知できる人は少なからずいる。霊能者とか関係なく」
「……へえ、胡散くさい」
「お前ほどじゃない」
「何それ!」
美琴は怒鳴るが、高遠はそれを無視する。これまで迷惑を掛けられた回数が多いせいか、一緒に旅をしているのに高遠は美琴を全く信用していない。
「寝転がってるのは構わないが、寝るなよ。一時間ほどで夕食だぞ」
「分かってるよ!」
高遠は一度、本から視線を離して美琴の部屋を見た。既に散らかっている室内に呆れ顔だ。
「ここはホテルとかじゃなくて人の家だから、ちゃんと片付けておけよ」
「あーもー、うるさいな。母親かよ!」
そう叫んだ瞬間、本が飛んできて、美琴の顔に当たった。全力で投げられた本はバサバサと音を立てて転がり、表紙からブックカバーまで外れた。本の背表紙が見事鼻に当たり、美琴は無言でのた打ち回る。
本を取りに立ち上がった高遠は極め付けに美琴の背中を踏みつけ、無残な姿になった本を見つめて「あーあ」と呟く。
「……チッ、これだからガキは」
苦し紛れに美琴がぼやく。あまりの非常識さに高遠のほうが年上に見られるけれど、実は美琴が二歳年上だ。
「何だ? 今のは自己紹介か?」
ブックカバーを直しながら高遠が尋ねる。
「お前のことだよ! もう少し年上を敬え!」
悔しさのあまりどんどんと床を叩くと、「うるさい」と怒られ、本で頭を叩かれた。かすかすの脳みそにはどれだけ叩かれても影響はなさそうだ。
高遠は食事まで話しかけてくるな、と告げ、美琴を部屋から追い出し、襖をきっちり閉めた。せめてテレビでもあれば退屈を紛らわせるのだが、この部屋には引き出しが二つと小さい机と窓しかない。庭の反対を向いているこの部屋は、窓からの景色は木のみだ。日は落ちているので、外はほとんど闇だった。ぐーと腹の虫が空腹を訴える。
「あー、おなかすいた」
美琴はそう呟いて寝転がる。
十倉が呼びにきたのは七時を回ったところだった。腹を空かせてぐったりしていた美琴は飛び起きて「わーい!」と喜びながら扉を開けた。高遠もすぐに部屋から出てきて「わざわざすみません」と頭を下げた。
「この家には十倉さんとイブキ様で暮らしているんですか?」
「いえ、私の息子も一緒に暮らしております。あと平日はお手伝いさんに来てもらっています」
応接室にお茶と水饅頭を持ってきた若い女性がお手伝いさんなのだろう。十倉の後に続いて美琴は階段を下りる。
「じゃあ、ご挨拶を」
「そうですね。あ、ただ私の息子、明也と言うのですが、今日は隣町に買出しに行ったりした疲れで、もう休ませていただいているんですよ」
「そうですか」
階段を下りてリビングに案内された。一階の七割を占めるリビングとダイニングは合わせて二十畳以上はあるだろう。窓の向こうには広大な庭があり、真ん中に大きな池があった。庭はライトアップされていて、池の周りを花壇が囲んでいる。応接室の前にある花壇と同様に丁寧に手入れされているのが遠目でも分かった。ふかふかのカーペットが敷かれたリビングにはソファとテレビが置かれていて、キッチンに近いダイニングには豪勢な食事が並んでいた。その奥にあるキッチンは最新のシステムキッチンで、この部屋を見るだけでもこの家にかなりの額が注ぎ込まれているのが分かる。
「わー! おいしそー!」
空腹が限界にまで達している美琴は十倉を追い越してダイニングへ駆け寄る。さすがにつまみ食いなんて意地汚いことはしないけれど、早く座れと言わんばかりに高遠たちを見た。
「高遠先生。あちらがお手伝いさんの長沢さんです」
十倉も次第に美琴の扱いに慣れたのか、その視線をスルーして奥にいる女性を手で示す。紹介を受けた長沢は高遠を見て少し恥らう様子を見せ、エプロンの裾を正す。
「初めまして、高遠と申します。今日から少しの間、お世話になります」
「こちらでお手伝いをさせていただいております長沢です。何かございましたら、何なりとお申し付け下さい」
ぺこりと長沢は頭を下げる。それを白々しい目で見つめていた美琴は高遠に首根っこを掴まれて「挨拶しろ」と小声で怒られる。
「早瀬美琴です。よろしくお願いしまーす」
「はい、よろしくお願いします」
一見、返事は高遠と同じようだが、目もろくに合わせてくれなかった。長沢は美琴に背を向けてさっさとキッチンへと向かう。
「高遠先生、早瀬さんはお酒とか飲まれますか?」
冷蔵庫から瓶ビールを取り出しながら尋ねる。美琴も高遠も酒は年相応に酒が好きなので、「はーい!」と手を上げる。
「お気遣いありがとうございます」
高遠は十倉に向かって頭を下げた。三十近い男だったら酒ぐらい嗜むと、十倉が気を利かせたと思っている。長沢の少しがっかりした表情を美琴は目撃してしまった。女心が分かっているのかいないのか。どうしてこんな男に気が向くのがさっぱり理解できない。
確かに一般と比べて、高遠の顔は整っている。背も百八十近くあるから逞しく見えるし、これまで会った女性の大半は高遠に惹かれる。けれど良いのは見た目のみで、短気ですぐ暴力を振るう。それは美琴が怒られるようなことをするからであるが、本人は自分のせいだとちっとも思っていない。
長沢は瓶ビールとコップを置いて「何かありましたら呼んでください」と言い部屋から出て行った。十倉の対面に座り、美琴は箸を掴む。
「いっただっきまーす!」
手を合わせて湯気の立つお椀を掴む。高遠もさすがに注意する気力がなくなったのか、無言で頭を下げるだけだった。
「どうぞ、召し上がってください」
「頂きます」
高遠もまずは汁物から手を伸ばした。常日頃から騒ぎ立てる美琴だが、食事中は静かになる。寝ているときも夢遊病かと疑うほど寝言が酷いので煩い。つまり食事中が唯一の静寂だ。こうしていると常に食事中であってほしいと高遠は思う。食事のマナーだけは厳しく育てられたのか、非常識な行動に比べて箸使いや皿の持ち方など、高遠ですら感心するほどだ。
「高遠先生、どうぞ」
十倉にビール瓶を差し向けられ、高遠は「ありがとうございます」と言って空になったコップを向けた。
「先生は今日、どちらから来られたんですか?」
「○○地方からです」
高遠はつい三日ほど前まで、怪奇音がすると言われる家で仕事をしていた。霊が全く視えない美琴は普通の家にしか感じられなかったが、高遠には「何か」が視えていたようで依頼人に話をしてから霊を祓った。仕事については口出しするなと言われているので美琴は時折茶々を入れながらその様子を見つめていた。
「あら、結構、遠いところからお越し下さったんですね」
「そうでもないですよ。この辺りに来るのも四年ぶりです。折角なので、イブキ様に会おうと思いました」
基本的に高遠の仕事は全国津々浦々どこへでも行く。その話を聞いていろんなところへ行けると知ったから、美琴も高遠についてきた。やはり移動が多い分、出張料もかなりの額を貰っているらしいが、本人は「色々差っ引かれているから、そんなに貰っていない」と言い、通帳は死守されたので実際はどんなものなのか分からない。
「高遠先生の耳に入るほど、イブキ様も有名になられたのですね」
十倉はにこりと笑ってそう言う。高遠が知っているからと有名なわけではないだろう。それでも十倉は嬉しいのかにこにこしている。高遠は相変わらず無表情でビールを飲みこんで何も言わなかった。返答しないと大体はその人の言っていることが間違っている。
「あのー、イブキ様って今はどうやってみなさんに予言してるんですか?」
とりあえず食欲は満たされたのか、ビールを飲みこんだ美琴がいきなり尋ねる。高遠はそれを聞いた瞬間、美琴を叱ろうとしたが思いとどまって十倉を見た。その質問は不躾だが内容としては悪くない。本人が空と会話して色々聞いたところで耳が聞けなければ声も出せない。いち早く十倉から情報を得れるのはありがたい。
「それは明日、直接イブキ様にお会いになれば分かりますよ」
笑顔でかわされてしまった。勿体をつけているのか、まだ打ち合わせが十分に出来ていないのか。高遠の舌打ちが聞こえた気がした。
それからはほとんど十倉が高遠に質問をして、それを教えれる範囲で答えていた。ずけずけとした内容も多く、やんわりと誤魔化していた。美琴はビールをちびちび飲みながら二人の会話に耳を傾け、時に見当違いなこと言って高遠に殴られた。
九時前に食事は終わり、風呂は自由に使ってくれと言われたので、まず美琴から入った。近頃はホテルの狭いユニットバスばかりだったので足が伸ばせる大きな浴槽に感激した。まず浴槽に沈もうと思ったけれど、風呂に行く前、高遠から「先に体を洗えよ」と行動を見透かされていたのを思い出し、美琴はシャワーを被った。
三十分ほどかけて風呂に入り、高遠と交代する。出てきたら少し酒でも飲もうかと目論で高遠の部屋に忍び込んだけれど、思っていたより長旅の疲れが溜まっていたようでふかふかの布団に寝転がったら眠ってしまった。
その後、部屋に戻ってきた高遠がどうしたのか、美琴は知らない。
二人掛けのソファに美琴がため息と共に座り込んだ。これまで何度もマナーについてこんこんと言い聞かせているのに、守る気がないのかド忘れてしているのか、実行しているのを見たことはない。ため息を吐きたいのは高遠のほうだ。
「……お前が先に座るな」
「いえいえ、お構いなく。どうぞ、高遠先生もお掛けになってください」
「すみません。失礼します」
高遠は一礼してからソファに腰掛ける。それからすぐに冷たいお茶と水饅頭が、若い女性によって運ばれてきた。前に置かれると「わー! おいしそー!」と美琴が嬉しそうな声を上げる。
「……まだ食べるなよ」
真っ先に手を伸ばした美琴の腕を抓り、高遠は怒りを滲ませた声で囁いた。
「ちょっと、痛いよ!」
美琴も小声で訴えるも、高遠の力は弱まらない。ぐりぐりと爪が腕に食い込んでいる。何度も首を縦に振るとようやく手が離れた。抓られた箇所は綺麗に爪の痕が残っている。
「酷いよ!」
「出されてすぐ食べるなって何度も言ってるだろ」
「え、何で?」
きょとんとしている美琴の顔を殴りたくなったが、これぐらいで怒っていては美琴と付き合いきれない。高遠は一度深呼吸をしてから対面に座った十倉を見た。
「イブキ様についてお聞かせ願いますか?」
「分かりました。あぁ、早瀬さん。どうぞ、冷たいうちにお召し上がりください」
やり取りを見られていたようだ。高遠は片手で頭を押さえて「すみません」と謝る。これから何度、美琴のことで謝らなければならないのか。考えるだけで胃が痛くなる。
「わーい。ありがとうございまーす!」
喉が渇いていた美琴はまずコップを手に取り、中身を一気に飲み干した。冷たい緑茶のおかげで汗がすっと引き、旅の疲れが少しだけ抜けた気がした。水饅頭の入った皿を持ち上げ、添えられている菓子楊枝を摘まむ。美琴がおやつに集中している間、二人の会話は進められていた。
「まず名前についてですが、イブキと言うのは今から約二百年前、この村で宮司をしておられた方の名です。イブキ様は信心深く、村人のため毎日天に祈っていると、ある日、空から声が聞えました。それが全ての始まりです。元々、霊視などと言った能力もございましたが、それに加えて風の囁きを聞いたり、大地の息吹を感じ取り、気象を予知できるようになりました。イブキ様のおかげで多くの村人が救われました」
半分に割った水饅頭を口に放り込み、美琴は高遠を見る。そんな噂話は情報として彼の頭の中に入っているが、十倉の話に何度か頷いて口は挟まない。餡を食べていたら喉が渇いたので、美琴は汗をかいている高遠のグラスを手に取った。
「しかし最初はいくら宮司と言えど、天候を予知して信じる村人は多くありませんでした。イブキ様が嘘を吐くようなお方ではないと分かっている人だけが予言を信じておりました。イブキ様の予言を信じずに亡くなった村人も少なくありません」
信じる者は救われると言うことか。神にでもなったつもりだろうか。多くの村人を救った割には死者もかなり出しているなんて矛盾している。それが神の行いと言われればそこまでだが。古来より神は横暴で一方的だ。
「それでもイブキ様は信じてくれる村人のために予言を続けました。そのお力は、今もこの天宮家に受け継がれております。初代イブキ様を崇め、畏敬の念を込めて、そのお力を継がれた方をイブキ様と呼ぶようになったのです。現にここにおられるイブキ様も空や風、大地と会話ができます」
聞いていて新興宗教の勧誘を思い出した。そのうち「イブキ様が気を込めたこの壺を~」なんて言い出しそうで苦笑が漏れる。高遠はそんな十倉の話も顔色一つ変えずに聞いていた。
「九年前、この家で不審火による火災が起こりました。その時、先々代の伊乃里様と、先代の伊澄様、その奥様が亡くなり、イブキ様は全身やけどを負い、一度は心臓も止まったらしいのですが、奇跡の生還を果たされました。それ以降、イブキ様のお力は日に日に強くなり、今や初代イブキ様を上回る能力をお持ちなのです」
初代イブキ様に会ったこともないくせに、と思ったけれど、高遠は眉一つ動かさずに十倉を見据えている。親子共々能力がありながら、火事が予知できなかったなど設定がガバガバだ。十倉の話を聞いているだけでイブキ様の信憑性がどんどんと薄れていく。美琴は高遠の緑茶を飲み干して、今度は水饅頭に手を伸ばした。
「ただ力を得た代償は大きく、イブキ様のお体には火事の後遺症が残っておられます。天の声は聴けても、人の声は聞こえなくなってしまいました。喉も焼けてしまったので、声も出せません。左半身に麻痺が残ってしまったので、筆談もほとんどできない状態です」
「……なるほど」
聴力がないのにどうやって声を聴くんだ、なんて野暮な質問は挟まない。信じていないそぶりは見せないもの、素直に信じ込む様な真似もしない。いつも通りの無表情で十倉の話を聞いているから、見方によっては信じているようにも、疑心に満ちているようにも見える。
「なのでイブキ様への質問は全て私を通していただきたいのです。直接、お話しするのが一番でしょうが、何卒、よろしくお願い致します」
それが言いたかっただけだと分かった時、なんだか脱力してしまった。一言、体が不自由だから、自分を通せと言えば済む話だ。脅しのような長い説明は、高遠にイブキ様の自慢をしたかったのか。こんな長話もこれまでの旅路で散々聞かされたので慣れているが、長い移動のせいで一層疲れた。
「分かりました」
「イブキ様は離れで生活しているのですが、今日は時間も遅いですし、面会は明日にして頂けますか?」
「それは構わないのですが……、この村に宿ってありますか?」
そこが一番大事だ。明日また出直すのにわざわざ市街地まで戻るなんて想像もしたくない。だが見た限り、村に宿らしきものなど一つもなかった。
「それなら是非ここを使ってください。部屋は余っていますから。イブキ様の了承も得ています」
それを聞いた瞬間に美琴が大げさに立ち上がる。
「本当ですか!」
つい喜びの声を上げてしまった。先ほどまで水饅頭を食べて静かにしていた美琴が大声を上げるので、高遠も十倉も驚いている。気力を振り絞って階段を上ったので、もう動けないほどにへとへとだった。この家の中から出なくて済むのはとても有難い。
「やったぁ!」
両手を上げて喜んでいる美琴を高遠は睨み付ける。
「ありがとうございます。とても助かります」
だが宿代が不要なのは、高遠にとっても好都合だった。
「二階に二部屋余っていますから、どうぞお使いください」
「いえ、二部屋なんて……」
急に押しかけておいて二部屋も使う図々しさは高遠にない。どうせ部屋で寝るだけなら美琴と一緒でも構わない。男同士なのだから。
「はい、分かりました!」
けれど高遠が断りを入れる前に美琴が返事をする。高遠は無言で美琴の頭を叩いた。
「ご迷惑をお掛けしますので、同じ部屋で構いません」
はっきり告げると、頭を押さえた美琴が「えー」と言って不満を漏らす。
「高遠と同じ部屋なんて嫌だよ。勘違いされそうだし」
今度は拳で頭を殴った。今回ばかりはそれだけでは高遠の気は収まらなかった。勘違いされるのを嫌がるなら、高遠の旅についてこなければいいのだ。これまで高遠が宿泊代を払う時は経費削減で同室だった。美琴が自分の宿代を出したのは一度もないので、今までずっと高遠と同じ部屋で寝起きしている。睡眠中あまりに明確な寝言、寝返りの音、ベッドから落下音、物にぶつかる騒音で迷惑を被っているのは高遠だ。本来であれば、同じ部屋で嫌がるのは高遠なのに、なぜ美琴が嫌がるのか。怒りで握りしめた手が震えている。まだまだ殴り足りないが、高遠も暴力的ではない。そもそも高遠は人を小突いたことなど旅に出るまで一度もなかった。美琴の前では非暴力主義でも手を上げたくなるだろう。
二人のやり取りを苦笑いで見ていた十倉は「構いませんよ」と笑って立ち上がった。
「それに二人を同じ部屋にご案内したなんてイブキ様に知れたら、私が怒られます」
客人へのもてなしはかなり気を遣っているようだ。
「どうぞこちらへ」
「………………すみません」
高遠は十倉に向かって深々と頭を下げた。
応接室を出て隣の階段を上がる。まだ新しいので体重を掛けたところで板は軋まない。二階に到着して正面の部屋が二人に割り当てられた部屋だった。
「こちらを使ってください。また夕食になったらお呼びします」
「はい、分かりました」
美琴がすぐさま階段に近い部屋に入ったので、高遠は自然とその隣の部屋になった。中に入ると二部屋の間は襖で仕切られていて行き来は可能だった。ぴったり閉まった襖を指二本分ほど開けて向こう側を覗くと、高遠は部屋の隅にカバンを置いて携帯の画面を確認していた。どうせこんな田舎、電波なんて入りにくい。それからノートパソコンを取り出して操作を始めたけれどそれも直に終わった。
引き出しの上に置かれた時計を見ると時刻は六時を過ぎたところだった。夕飯は七時か七時半と言ったところだろうか。移動に疲れてへとへとだった美琴はカバンを部屋の真ん中に置いて畳に寝転がった。そのままカバンを傾けて中身を漁るとばらばらといろんなものが転げ落ちた。今朝、電車に乗り込む前に買った菓子、カニカマ、着替え、歯ブラシや洗顔料があたり一面に広げられる。目的があって中身を出したわけではないので片付ける気にもならず、そのままカバンと一緒に隅へ追いやった。
基本的に用がない限り高遠からは話しかけてこない。ごろごろと寝返りを打って襖付近まで近づき、「ねえ」と声を掛ける。襖の向こうは無言だ。
「ねえってば」
声を張り上げるも相変わらず返事はない。無視されているのに気付いた美琴は苛立って思いっきり襖を開ける。高遠は読書をしていた。そんな暇つぶしの道具を持っているのに羨ましさから妬ましさに変化する。だが普段から美琴は読書をしないので例えそれを借りたとしても数秒で飽きる。
「何それ!」
「……本だよ」
電車で投げ捨てられたのにもう一冊持っていたようだ。
「何で無視すんの」
「うるさいから」
表情や口調からもそれが高遠の本音だと分かる。
「イブキ様って本物なの?」
「お前の声はよく通るんだから大声で言うな。聞かれたらどうする」
家から出て行け、と言われる可能性が非常に高い。美琴が匍匐前進で高遠に近寄ると、「気持ち悪い」としかめっ面になった。
「何か怪しくない?」
「そんなもん、霊能者全員に言えることだろう」
高遠は自分の印象をよく分かっている。いきなり霊能者と言われて信じる人間が世の中にどれほどいるだろうか。
「ただ気候を予知できる人は少なからずいる。霊能者とか関係なく」
「……へえ、胡散くさい」
「お前ほどじゃない」
「何それ!」
美琴は怒鳴るが、高遠はそれを無視する。これまで迷惑を掛けられた回数が多いせいか、一緒に旅をしているのに高遠は美琴を全く信用していない。
「寝転がってるのは構わないが、寝るなよ。一時間ほどで夕食だぞ」
「分かってるよ!」
高遠は一度、本から視線を離して美琴の部屋を見た。既に散らかっている室内に呆れ顔だ。
「ここはホテルとかじゃなくて人の家だから、ちゃんと片付けておけよ」
「あーもー、うるさいな。母親かよ!」
そう叫んだ瞬間、本が飛んできて、美琴の顔に当たった。全力で投げられた本はバサバサと音を立てて転がり、表紙からブックカバーまで外れた。本の背表紙が見事鼻に当たり、美琴は無言でのた打ち回る。
本を取りに立ち上がった高遠は極め付けに美琴の背中を踏みつけ、無残な姿になった本を見つめて「あーあ」と呟く。
「……チッ、これだからガキは」
苦し紛れに美琴がぼやく。あまりの非常識さに高遠のほうが年上に見られるけれど、実は美琴が二歳年上だ。
「何だ? 今のは自己紹介か?」
ブックカバーを直しながら高遠が尋ねる。
「お前のことだよ! もう少し年上を敬え!」
悔しさのあまりどんどんと床を叩くと、「うるさい」と怒られ、本で頭を叩かれた。かすかすの脳みそにはどれだけ叩かれても影響はなさそうだ。
高遠は食事まで話しかけてくるな、と告げ、美琴を部屋から追い出し、襖をきっちり閉めた。せめてテレビでもあれば退屈を紛らわせるのだが、この部屋には引き出しが二つと小さい机と窓しかない。庭の反対を向いているこの部屋は、窓からの景色は木のみだ。日は落ちているので、外はほとんど闇だった。ぐーと腹の虫が空腹を訴える。
「あー、おなかすいた」
美琴はそう呟いて寝転がる。
十倉が呼びにきたのは七時を回ったところだった。腹を空かせてぐったりしていた美琴は飛び起きて「わーい!」と喜びながら扉を開けた。高遠もすぐに部屋から出てきて「わざわざすみません」と頭を下げた。
「この家には十倉さんとイブキ様で暮らしているんですか?」
「いえ、私の息子も一緒に暮らしております。あと平日はお手伝いさんに来てもらっています」
応接室にお茶と水饅頭を持ってきた若い女性がお手伝いさんなのだろう。十倉の後に続いて美琴は階段を下りる。
「じゃあ、ご挨拶を」
「そうですね。あ、ただ私の息子、明也と言うのですが、今日は隣町に買出しに行ったりした疲れで、もう休ませていただいているんですよ」
「そうですか」
階段を下りてリビングに案内された。一階の七割を占めるリビングとダイニングは合わせて二十畳以上はあるだろう。窓の向こうには広大な庭があり、真ん中に大きな池があった。庭はライトアップされていて、池の周りを花壇が囲んでいる。応接室の前にある花壇と同様に丁寧に手入れされているのが遠目でも分かった。ふかふかのカーペットが敷かれたリビングにはソファとテレビが置かれていて、キッチンに近いダイニングには豪勢な食事が並んでいた。その奥にあるキッチンは最新のシステムキッチンで、この部屋を見るだけでもこの家にかなりの額が注ぎ込まれているのが分かる。
「わー! おいしそー!」
空腹が限界にまで達している美琴は十倉を追い越してダイニングへ駆け寄る。さすがにつまみ食いなんて意地汚いことはしないけれど、早く座れと言わんばかりに高遠たちを見た。
「高遠先生。あちらがお手伝いさんの長沢さんです」
十倉も次第に美琴の扱いに慣れたのか、その視線をスルーして奥にいる女性を手で示す。紹介を受けた長沢は高遠を見て少し恥らう様子を見せ、エプロンの裾を正す。
「初めまして、高遠と申します。今日から少しの間、お世話になります」
「こちらでお手伝いをさせていただいております長沢です。何かございましたら、何なりとお申し付け下さい」
ぺこりと長沢は頭を下げる。それを白々しい目で見つめていた美琴は高遠に首根っこを掴まれて「挨拶しろ」と小声で怒られる。
「早瀬美琴です。よろしくお願いしまーす」
「はい、よろしくお願いします」
一見、返事は高遠と同じようだが、目もろくに合わせてくれなかった。長沢は美琴に背を向けてさっさとキッチンへと向かう。
「高遠先生、早瀬さんはお酒とか飲まれますか?」
冷蔵庫から瓶ビールを取り出しながら尋ねる。美琴も高遠も酒は年相応に酒が好きなので、「はーい!」と手を上げる。
「お気遣いありがとうございます」
高遠は十倉に向かって頭を下げた。三十近い男だったら酒ぐらい嗜むと、十倉が気を利かせたと思っている。長沢の少しがっかりした表情を美琴は目撃してしまった。女心が分かっているのかいないのか。どうしてこんな男に気が向くのがさっぱり理解できない。
確かに一般と比べて、高遠の顔は整っている。背も百八十近くあるから逞しく見えるし、これまで会った女性の大半は高遠に惹かれる。けれど良いのは見た目のみで、短気ですぐ暴力を振るう。それは美琴が怒られるようなことをするからであるが、本人は自分のせいだとちっとも思っていない。
長沢は瓶ビールとコップを置いて「何かありましたら呼んでください」と言い部屋から出て行った。十倉の対面に座り、美琴は箸を掴む。
「いっただっきまーす!」
手を合わせて湯気の立つお椀を掴む。高遠もさすがに注意する気力がなくなったのか、無言で頭を下げるだけだった。
「どうぞ、召し上がってください」
「頂きます」
高遠もまずは汁物から手を伸ばした。常日頃から騒ぎ立てる美琴だが、食事中は静かになる。寝ているときも夢遊病かと疑うほど寝言が酷いので煩い。つまり食事中が唯一の静寂だ。こうしていると常に食事中であってほしいと高遠は思う。食事のマナーだけは厳しく育てられたのか、非常識な行動に比べて箸使いや皿の持ち方など、高遠ですら感心するほどだ。
「高遠先生、どうぞ」
十倉にビール瓶を差し向けられ、高遠は「ありがとうございます」と言って空になったコップを向けた。
「先生は今日、どちらから来られたんですか?」
「○○地方からです」
高遠はつい三日ほど前まで、怪奇音がすると言われる家で仕事をしていた。霊が全く視えない美琴は普通の家にしか感じられなかったが、高遠には「何か」が視えていたようで依頼人に話をしてから霊を祓った。仕事については口出しするなと言われているので美琴は時折茶々を入れながらその様子を見つめていた。
「あら、結構、遠いところからお越し下さったんですね」
「そうでもないですよ。この辺りに来るのも四年ぶりです。折角なので、イブキ様に会おうと思いました」
基本的に高遠の仕事は全国津々浦々どこへでも行く。その話を聞いていろんなところへ行けると知ったから、美琴も高遠についてきた。やはり移動が多い分、出張料もかなりの額を貰っているらしいが、本人は「色々差っ引かれているから、そんなに貰っていない」と言い、通帳は死守されたので実際はどんなものなのか分からない。
「高遠先生の耳に入るほど、イブキ様も有名になられたのですね」
十倉はにこりと笑ってそう言う。高遠が知っているからと有名なわけではないだろう。それでも十倉は嬉しいのかにこにこしている。高遠は相変わらず無表情でビールを飲みこんで何も言わなかった。返答しないと大体はその人の言っていることが間違っている。
「あのー、イブキ様って今はどうやってみなさんに予言してるんですか?」
とりあえず食欲は満たされたのか、ビールを飲みこんだ美琴がいきなり尋ねる。高遠はそれを聞いた瞬間、美琴を叱ろうとしたが思いとどまって十倉を見た。その質問は不躾だが内容としては悪くない。本人が空と会話して色々聞いたところで耳が聞けなければ声も出せない。いち早く十倉から情報を得れるのはありがたい。
「それは明日、直接イブキ様にお会いになれば分かりますよ」
笑顔でかわされてしまった。勿体をつけているのか、まだ打ち合わせが十分に出来ていないのか。高遠の舌打ちが聞こえた気がした。
それからはほとんど十倉が高遠に質問をして、それを教えれる範囲で答えていた。ずけずけとした内容も多く、やんわりと誤魔化していた。美琴はビールをちびちび飲みながら二人の会話に耳を傾け、時に見当違いなこと言って高遠に殴られた。
九時前に食事は終わり、風呂は自由に使ってくれと言われたので、まず美琴から入った。近頃はホテルの狭いユニットバスばかりだったので足が伸ばせる大きな浴槽に感激した。まず浴槽に沈もうと思ったけれど、風呂に行く前、高遠から「先に体を洗えよ」と行動を見透かされていたのを思い出し、美琴はシャワーを被った。
三十分ほどかけて風呂に入り、高遠と交代する。出てきたら少し酒でも飲もうかと目論で高遠の部屋に忍び込んだけれど、思っていたより長旅の疲れが溜まっていたようでふかふかの布団に寝転がったら眠ってしまった。
その後、部屋に戻ってきた高遠がどうしたのか、美琴は知らない。
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