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第三章
第三章 4
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「もしかして、先代さんには全く力がなかったとか!」
「早瀬さんの言う通りですわ」
珍しく予想があたり、美琴は「やった!」と喜びを露にする。
「ただ伊澄様ってのは昔からとーっても顔が良くてね。女遊びの噂も絶えませんでしたわ」
「……なるほど。それで昨日、村の方達は愛人の子を匿ってるとか言ってたんですね」
「そうです。まぁ、でもそれはただのデマですよ。火事が起こった時、あの家の中に子供はイブキ様一人しかいませんでしたから」
そんな話をしていると山の入り口に到着した。不穏な噂は飛び交っているが、そんなもの意に介さず高遠は時計を確認すると山の中に入っていった。昔話だ、と言いつつも、この山を恐れているのか山中は最後尾だ。
「この道が事件現場までの最短ルートですか?」
申し訳程度の道を歩きながら高遠が尋ねる。人などほとんど出入りしないので道などあってないようなものだ。
「そうですね。ここが比較的歩きやすいところです」
高遠は地面を見た。まだ雨の名残が残っている山道はぬかるんでいて歩きにくい。昨日も美琴が足を滑らせて転んでいた。あの雨の中、明也はこの道を歩いたと言うのか。
「ギャ!」
美琴の叫び声が響く。
「いたーい!」
また足を滑らせて転んでいた。入り口に近く傾斜が緩かったので尻もちで済んだのは幸いだ。
「何やって……、って、お前、その靴どうした」
高遠と山中の視線が美琴の足元に集中する。昨日、転んで泥だらけになったが、スニーカーは無事だった。しかし今やその泥だらけのスニーカーも無残なことになっている。
「うわっ!? 靴の裏が剥がれちゃった! もー、新品だったのにぃ」
美琴は半泣きになりながら「祟りだー!」と喚く。
「その靴で山道は大変でしょう。長靴貸しますよ」
「わざわざすみません」
「気にしないでください。さ、早瀬さん。行きましょう」
「自分はちょっと現場と祠に行ってます」
そう言って高遠はそのまま山道を登って行ってしまった。「薄情!」と美琴は叫んで、山中の腕を掴んで立ち上がる。きっと高遠は美琴がいなくて清々しただろう。
「それにしても高遠先生は頼もしいですな」
「そうですかぁ?」
美琴はニヤニヤ笑いながら山中を見る。邪魔者がいない今、悪評を流すには絶好の機会だ。高遠一人が褒められるのは聞いていて気分があまり良くない。ここで少しぐらい評価を下げても高遠には痛くも痒くもないはずだ。
「高遠は意地悪な奴ですよ。犯人知ってても教えてくれないし」
「え? 高遠先生、犯人分かってるんですか」
「そーですよ! なのに僕に言うと面倒だからって教えてくれないんです。意地悪だと思いませんか?」
「まだ確証が持ててないんでしょうね。それにしても凄いな。自分には全く分からないって言うのに……」
ぶつくさ言いながら山中は顎を摩った。状況を考えれば犯人はおのずと出てくるように思うが、状況証拠だけで高遠は犯人を決めつけていない。どこまで分かっているのか教えてくれないので、高遠が今日、何のために山まで来たのか美琴はさっぱり分かっていなかった。
「高遠先生は何回も事件を解決してきたんですか?」
「えぇ。見た目が怪しいから、犯人によく仕立てられましたし。冤罪を晴らすため、快刀乱麻を断つ如くの推理でしたよ!」
美琴が珍しく高遠を褒めるような言い方をする。これまで旅をしてきて何度も解決してきたが、そもそも事件に遭遇する回数があまりに多すぎる。普通の人なら一生に一度あるかないかだ。それはやはり高遠の呪いが関係しているのか。
「霊能者だなんて言うから、もっと変なことを言うのかと思ってましたけど、案外、普通の人ですな」
名乗る時点でかなり怪しいと思うけれど、どうやら山中の信頼は得られたらしい。これまでの会話でどうしてそんなに高遠を信じられるのか美琴は不思議でならない。
「そうですか? 自称霊能者ですよ」
「むしろそっちの力のほうがあるのか怪しく感じますね」
山中はそう言ってから「あはは」と大声で笑った。その力があるから犯人が分かる、とはさすがの美琴でも口にはしなかった。
長靴に履き替えて山に戻ると高遠はビニールシートの前に立っていた。触った様子はなく、現状をまじまじと見つめているだけだ。山中が来るまで触らないでいたのだろう。
気温が上がり始めると異臭も強くなった。元々腐敗していた死体はもちろん、新しい方も腐り始めているはずだ。このシートを開けたらどうなるのか……、美琴は考えてから頭を振った。夜に思い出して寝れなくなる。
「早く移動させないまずいですね」
「明日には開通するそうですよ……。このままだと仏さんが可哀想だ」
山中は一度、ビニールシートに向かって手を合わせた。
「わざわざこんな辺鄙なところに捨てるなんて罰当たりな」
「先ほど聞かせてもらった話は村の人しか知らないことなんですか?」
「多分そうでしょうね。隣町には学校やら色々あるからうちの村人が行くことは多くても、こんな辺鄙な村によろず町の子供が山に遊びに来るとは考えにくいですから、わざわざ山の話をよろず町の人間にするとは思えませんな。それにこんなことがあったかみんなもら高遠先生にイブキ様の悪口を言ってしまいましたが、本来、この村でイブキ様を貶めるような発言はあんまりしないもんですわ。隣町の人間にだったら余計」
こんなこじんまりとした村でも隣町に対する敵愾心を持っているようだ。
「……やっぱり、村の人を疑ってるんですか?」
山中は恐る恐る高遠に尋ねた。村の人と言ってもアリバイがないのは明也だけだ。答えなど出ているも当然だ。
「あらゆる可能性を考えているだけです」
それを避けるような答えだ。
「まぁ、死体の身元が分かれば、事件は解決しますよ」
高遠は時刻を確認するとそう答えて歩き出してしまった。解決する気があるのか分からない。だがこまめに情報を集めて、事件現場に足を運んで証拠を探している。美琴と山中は黙ってその後を付いていくだけだ。高遠は何度か入り口と現場を行き来すると、今度は祠に向かった。
事件現場から祠まで歩くと五分程度だった。ぽっかりと空いた穴に入ると涼しくて心地よい。山登りを何度もさせられたせいで三人は汗だくだった。ひんやりとした空気が足元を通り過ぎる。
「何、これ」
祠の中に置かれている石像に触れる。かなり重量があるのか、押してもびくともしない。
「さぁ? よく分かりませんが、昔はそれに向かって祈祷してたようですよ」
「え!」
縁起の悪い物に触れてしまった気がして美琴は高遠の背中で手を拭く。
「やめろ」
「だって怖いじゃん」
触れると呪われる、という噂もよく聞く。美琴の村でもそう言ってよく脅かされたものだ。
「こんなところで祈祷とか、即身仏の修業みたいだね」
くすくすと笑っている美琴を余所に高遠は石像に触れて動かそうとする。ぐらつくことはあっても、その場からびくともしない。高遠が離れようとした途端、その石像から「オォォォ」と声らしき何かが聞こえて美琴は飛び跳ねる。
「人の声が聞こえた!」
「はぁ?」
高遠には聞こえなかったのか、鬱陶しそうな顔で美琴を見る。
「声がしたじゃん。オーって。きっとイブキ様に殺された人の怨念が……」
「そんなわけないだろ」
高遠は呆れ顔だ。
「イブキ様の家は元々神社だったんですよね」
高遠は石像から手を離し、中に入ってこない山中を見た。声が聞こえたなんて美琴が言うから余計にビビッてしまい口元が引きつっていた。
「これ、もしかしてご神体でした?」
「いえ……、そんな話は聞いたことないですね。そもそもご神体は鏡で、天宮さんの家に保管されているはずですよ。それに今の場所に建て替えたのは幕末ですから、神社があった頃はこの土地も持っていませんでしたよ」
「じゃあ、昔、神社があった場所はどこですか?」
「公民館です。空き地にしててももったないからって、伊乃里様があの場所に公民館を建てて村に提供したんです」
話を聞いているだけなら、伊乃里様は聖人君子に思える。
「……じゃあ、これは何?」
美琴が石像を指差す。
「岩や石を崇めるところもあるから、真似をしたのかもしれないな」
高遠はこの石像の正体が分かったのか、簡潔に答えるとそれから離れた。
「証拠もほとんど流されてるし、捜査は難航しそうですね」
「……あれ、高遠先生、犯人はもう分かってるんじゃないんですか?」
山中に問われ、高遠は美琴を見た。
「いや、全く分かってないですよ。コレが何を言ったのか知りませんが、信じないほうがいいですよ」
「ちょっと、それ酷くない? この事件、一人だけアリバイない人いるよね」
美琴は真っ直ぐ高遠を見上げる。高遠は「おい、やめろ」と美琴を止めようとするが、すでに言葉は発せられていた。
「ここで倒れていた明也くん。彼だけ、犯行可能だよ」
山中がぐっとこぶしを握りしめた。
「それもそうだが……、まだ彼の証言が聞けていない。それに状況証拠だけで話を進めるのは早計だ。ねえ、山中さん」
「…………そうですね、高遠先生。そろそろ戻りましょうか」
山中は「お先に失礼します」と言って、さっさと山を下りて行ってしまった。高遠は大きくため息を吐くと振り返って美琴を見た。
「分かってもいないのに余計なことを言うな」
「でも僕が言ってること、間違ってないよね」
高遠は何も言わなかった。それは肯定を意味してるのか。だが先ほどの慌てようを見ると、それも違う気がする。高遠には何が視えているのか。美琴には分からない。
「もう一度、事件当時を振り返るか」
高遠はそう言ってしゃがみ込んだ。落ちていた棒を拾うといくつか線を引き、八時から十分ごとに時間を割り振っていく。どうやらタイムテーブルを作っているようだ。
「お前が最後に明也くんと会ったのが八時二十五分。半に降りた俺は会わなかったからな」
二十と三十の間に線を引く。
「明也君はそれまでリビングに居て、それ以降、八時半すぎに村人が裏山へ向かうのを目撃されたのが最後だ。お前の言うとおり、彼にはこの犯行が可能だ」
明也の名前に丸を付ける。
「山の入り口から犯行現場まで最長で二十分。慣れている人間だったら十分から十五分程度で登れるだろう。母屋から階段を下りて、裏山までは十分程度。最短でも二十分必要だ。あの大雨で土砂崩れの危険まであったんだから、三十分ぐらいは掛かっただろう」
「八時半から死体発見までアリバイがないのは……、明也くんとイブキ様」
「あのイブキ様が霊能者として偽物だったとしても、火事で半身麻痺は事実だろうから、ほとんど歩けないような人がこの山に三十分で来れるだろうか」
高遠はぐりぐりとイブキ様の名前を丸で囲む。そもそも犯行時刻があやふやなので犯人を決めるのは難しいのかもしれない。だが高遠は既に犯人が分かっているから時間も推定できているはずだ。やたらと八時から九時過ぎまでに固執している。アリバイがないのはやはり明也とイブキ様だ。イブキ様が居ない今、最有力なのは明也だ。
「そもそもその半身麻痺もウソなんじゃないの?」
「今、カルテを確認している」
「そんなことできるの!?」
個人情報に煩い昨今でそんな違法が出来るとは思えない。
「やっぱりあの死体が誰か分からない限り、全て憶測だ。死亡推定時刻だってほとんど分かっていない。まだ情報が揃ってなさすぎるんだ。そんな状況で、犯人を断定できるはずがないだろ。だからお前も、勝手なことを言うな」
「勝手じゃないし、僕はありのままを言っただけなんだけどなぁ」
「協力したいなら黙っていろ。それが一番だ」
「酷い!」
高遠は地面に引いた線を足で消す。どうやら今日はもう終わりらしく歩き出してしまった。美琴は振り返ってぽっかり空いた祠から視線を村へ向けた。
「あ、ここから母屋見えるんだ」
「え?」
「ほら、あそこ。イブキ様の家でしょう」
木々が鬱蒼としていて見落としやすいけれど、白い壁が太陽に反射している。高遠の位置からは見えないのか、こちらまで寄ってきたので美琴は指で場所を示す。
「直線距離だと結構近いんだな」
「案外、裏道とかあったりしてね」
「は? 何、言ってるんだ」
「でも、それがあったら、アリバイなんてあってないようなもんでしょ」
高遠は一考して、祠を見た。
「裏道か」
「あり得る? ねぇ、僕、名探偵じゃない?」
「お前に任せたら迷宮入り間違いなしだな」
呆れ気味にそう言って高遠は山を下りていった。裏道という言葉に反応していたので、それも選択肢の一つにはなったはずだ。繋がっているとしたらあの祠が怪しいけれど、あの狭い祠の中でどこかに通じる扉など見当たらなかった。
山の中は日が陰って涼しかったが、下山すると太陽に照らされて体感温度が急上昇する。そろそろ十二時なので太陽は真上にあった。空を見上げて「あつーい」と美琴が呟く。
「お昼ごはんあるかなぁ」
「あまり期待するな。人の家だぞ」
「分かってるよ。あー、こんな暑い日は素麺がいいなぁ」
いざとなれば公民館へ行き、食事を分けてもらうのも手だ。公民館の地下に発電施設があるので、少々なら電力を賄えるらしい。それを伊乃里様が用意したのなら、山中の言う通り良い人なのかもしれない。
階段の前まで来たところで、ピロンと電子音が聞こえた。高遠がポケットから携帯を取り出して画面を確認している。
「何? 誰から?」
「誰だっていいだろう。うるさい」
捜査している腕を引っ張って画面を自分に近づけようとするも手を払われる。高遠がもう一度、美琴を注意しようとしたとき、上から喧騒が聞こえてきた。
「何かあったのかな」
「早く行くぞ」
高遠は携帯をポケットに仕舞うと階段を駆け上がっていく。この騒動に心当たりがあるのか。それとも第二の事件でも起きてしまったのか。長靴を履いている美琴は走りにくく、あっという間に高遠と距離が出来た。
「ちょっと待ってください」
慌てている高遠の声が聞こえてきた。ヘロヘロになりながら階段を駆け上がると、山中は明也の腕を引っ張って外に出そうとしている。それを十倉が必死に止め、高遠も加勢していた。
「山中さん。彼にはまだ証拠がありませんよ」
「そうですよ! どうして明也が……、やめてください」
明也本人はどこか諦めた顔をしている。自分が犯人だと自供すればみなあっさり引き下がりそうだが、まだ抗うつもりなのか。俯いた顔からは感情が読めなかった。この暑い中、明也は長袖のジャージを着て、チャックを首元まで締めている。
「状況証拠は十分でしょう。明日になれば刑事さんだって来るし、すぐに身柄を引き渡しますから来てもらいますよ」
「明也は違います。そんなことしてません! どうか、山中さん」
十倉は山中の足元に跪いて解放を乞う。だが山中の意思は固く明也を離さない。美琴は項垂れた明也を目で追い、何か言うのを待ったけれど彼は一言も発さずにそのまま連れられて行った。
「あぁ、明也。どうして……、あの子があんなひどいこと、できるはずがないのに……」
十倉はそのまま崩れ落ちる。泣き喚く十倉を見下ろすだけで高遠は弁解もフォローもしなかった。
それから程なくして噂を聞きつけた長沢が天宮家に戻ってきた。泣き崩れている十倉に寄り添い「大丈夫ですか」と声を掛ける。ただ見ているだけの美琴と高遠を薄情に感じただろう。この状況を見た時にわずかに顔が歪んだ。
「……高遠先生、山中さんに何か余計なことを言ったんじゃありませんか。明也が犯人だって」
十倉は突っ立っている高遠に視線を向けた。美琴はその目を見て、思わず後ずさった。目の奥に潜む憎悪を高遠は受け止めて「そうですね」と頷いた。
「し、仕方ありませんよ、十倉さん」
隣にいる長沢が声を張り上げた。
「状況が状況ですから……、明也くんが疑われるのも無理ありません。村の人たちも……」
「明也を疑ってるんですか!?」
「……はい」
長沢が小さい声で答えると十倉はがっくりと肩を落とす。どうやら村人の間でも、明也が犯人として疑われていたようだ。アリバイがないのだから当然だ。山中の判断は客観的に考えて真っ当なのに、高遠はどこか腑に落ちない顔をしている。
「行きましょう、十倉さん」
座り込んだ十倉を立たせると、長沢は母屋へ入っていった。消えるまで目で追い、携帯の画面を確認している高遠に視線を移した。難しい顔で携帯と睨めっこしていた。それから思い立ったように電話をかけ始める。この辺は電波がないと思っていたが、通話できる程度はあるらしい。
「もしもし。あれだけか」
普段なら美琴のいないところで電話をするが今はそうも言っていられないようだ。受話音量が大きいのか、それとも相手の声が大きいのか、携帯からは男の声が漏れてきた。
『こちとら忙しい中、超特急で、やって、あ、げ、て、る、んだから、感謝しろ。敬え』
押し付けがましい野郎だ。高遠は眉一つも動かさずに話を進める。
「カルテは?」
『それはやっぱり時間が掛かるから大人しく待ってろ。料金はいつもの五倍だからな』
「はぁ!? ふざけ……」
勝手に切られたらしい。今朝と同じ相手と電話していたのか、高遠は画面を睨み付けて、操作を始めた。母屋に入る気はないのか、門から出ると階段ではなく車が通れる坂道へ向かって歩き出した。
「どこ行くの?」
「あの家では話しにくいし、携帯の電池が切れると困るから公民館へ行く」
確かにこの状況下で電池が切れるのは非常に困る。
「十倉さんと明也くんについて調べた。ついでにイブキ様のカルテもな」
「そんなのどうやって調べるの?」
「コネだ、コネ」
全国を旅している高遠のコネ、とはどんなものだろうか。これまで野宿はなかったけれど、いつも安宿だし、霊能者のところへ行くのにアポイントメントすら取らない。追い出されることも多いので、そんなもの持ち合わせてるように到底思えなかった。
「やっぱりカルテには少し時間が掛かりそうだな。けど十倉さんについては簡単だった。十倉さんは十九年前、この村を出て他県の男と結婚している。二人の間に、一人の子供がいる。今年で十六歳」
「明也くんでしょう?」
「……いや、その子の名前は良太だ。しかもその良太は二年前まで他県で暮らしていたが、今は行方知れずになっている」
「え、じゃあ、明也くんは?」
高遠は答えずに歩き出す。
「明也くんは一体……、誰なの?」
「彼は彼だ」
「え、意味が分からない」
それを聞いた高遠がぴたりと歩みを止めた。後を追っていた美琴も合わせて止まる。
「ある程度、予想はしてたけど、本当に話すとはな」
振り返った高遠はとても迷惑そうな顔をしていた。言っている意味が分からず、美琴は首を傾げる。
「買ったばかりのスニーカーがちょっと山道を登ったぐらいで壊れると思うか?」
「……え、ちょ、もしかして、これって誰かがやったの?」
「安心しろ、犯人は俺だ」
美琴は絶句する。
「山中さんと二人っきりになれば、事件についてべらべらと喋るのは目に見えていた。おかげで明也くんが捕まって、十倉さんから引き離された。ここまで状況を作れば、彼だって何か話すはずだ」
「え、ちょ、ちょっと、もしかして、僕、良いように使われた?」
「ありがとうな」
高遠から礼を言われるのは初めてだった。けれど優越感に浸ることも、偉そうにふんぞり返ることもできず、美琴はただただ高遠を見つめる。
「お前が俺の思惑通り動いてくれて本当に助かった」
高遠はそう言うと坂道を下って行ってしまった。
「早瀬さんの言う通りですわ」
珍しく予想があたり、美琴は「やった!」と喜びを露にする。
「ただ伊澄様ってのは昔からとーっても顔が良くてね。女遊びの噂も絶えませんでしたわ」
「……なるほど。それで昨日、村の方達は愛人の子を匿ってるとか言ってたんですね」
「そうです。まぁ、でもそれはただのデマですよ。火事が起こった時、あの家の中に子供はイブキ様一人しかいませんでしたから」
そんな話をしていると山の入り口に到着した。不穏な噂は飛び交っているが、そんなもの意に介さず高遠は時計を確認すると山の中に入っていった。昔話だ、と言いつつも、この山を恐れているのか山中は最後尾だ。
「この道が事件現場までの最短ルートですか?」
申し訳程度の道を歩きながら高遠が尋ねる。人などほとんど出入りしないので道などあってないようなものだ。
「そうですね。ここが比較的歩きやすいところです」
高遠は地面を見た。まだ雨の名残が残っている山道はぬかるんでいて歩きにくい。昨日も美琴が足を滑らせて転んでいた。あの雨の中、明也はこの道を歩いたと言うのか。
「ギャ!」
美琴の叫び声が響く。
「いたーい!」
また足を滑らせて転んでいた。入り口に近く傾斜が緩かったので尻もちで済んだのは幸いだ。
「何やって……、って、お前、その靴どうした」
高遠と山中の視線が美琴の足元に集中する。昨日、転んで泥だらけになったが、スニーカーは無事だった。しかし今やその泥だらけのスニーカーも無残なことになっている。
「うわっ!? 靴の裏が剥がれちゃった! もー、新品だったのにぃ」
美琴は半泣きになりながら「祟りだー!」と喚く。
「その靴で山道は大変でしょう。長靴貸しますよ」
「わざわざすみません」
「気にしないでください。さ、早瀬さん。行きましょう」
「自分はちょっと現場と祠に行ってます」
そう言って高遠はそのまま山道を登って行ってしまった。「薄情!」と美琴は叫んで、山中の腕を掴んで立ち上がる。きっと高遠は美琴がいなくて清々しただろう。
「それにしても高遠先生は頼もしいですな」
「そうですかぁ?」
美琴はニヤニヤ笑いながら山中を見る。邪魔者がいない今、悪評を流すには絶好の機会だ。高遠一人が褒められるのは聞いていて気分があまり良くない。ここで少しぐらい評価を下げても高遠には痛くも痒くもないはずだ。
「高遠は意地悪な奴ですよ。犯人知ってても教えてくれないし」
「え? 高遠先生、犯人分かってるんですか」
「そーですよ! なのに僕に言うと面倒だからって教えてくれないんです。意地悪だと思いませんか?」
「まだ確証が持ててないんでしょうね。それにしても凄いな。自分には全く分からないって言うのに……」
ぶつくさ言いながら山中は顎を摩った。状況を考えれば犯人はおのずと出てくるように思うが、状況証拠だけで高遠は犯人を決めつけていない。どこまで分かっているのか教えてくれないので、高遠が今日、何のために山まで来たのか美琴はさっぱり分かっていなかった。
「高遠先生は何回も事件を解決してきたんですか?」
「えぇ。見た目が怪しいから、犯人によく仕立てられましたし。冤罪を晴らすため、快刀乱麻を断つ如くの推理でしたよ!」
美琴が珍しく高遠を褒めるような言い方をする。これまで旅をしてきて何度も解決してきたが、そもそも事件に遭遇する回数があまりに多すぎる。普通の人なら一生に一度あるかないかだ。それはやはり高遠の呪いが関係しているのか。
「霊能者だなんて言うから、もっと変なことを言うのかと思ってましたけど、案外、普通の人ですな」
名乗る時点でかなり怪しいと思うけれど、どうやら山中の信頼は得られたらしい。これまでの会話でどうしてそんなに高遠を信じられるのか美琴は不思議でならない。
「そうですか? 自称霊能者ですよ」
「むしろそっちの力のほうがあるのか怪しく感じますね」
山中はそう言ってから「あはは」と大声で笑った。その力があるから犯人が分かる、とはさすがの美琴でも口にはしなかった。
長靴に履き替えて山に戻ると高遠はビニールシートの前に立っていた。触った様子はなく、現状をまじまじと見つめているだけだ。山中が来るまで触らないでいたのだろう。
気温が上がり始めると異臭も強くなった。元々腐敗していた死体はもちろん、新しい方も腐り始めているはずだ。このシートを開けたらどうなるのか……、美琴は考えてから頭を振った。夜に思い出して寝れなくなる。
「早く移動させないまずいですね」
「明日には開通するそうですよ……。このままだと仏さんが可哀想だ」
山中は一度、ビニールシートに向かって手を合わせた。
「わざわざこんな辺鄙なところに捨てるなんて罰当たりな」
「先ほど聞かせてもらった話は村の人しか知らないことなんですか?」
「多分そうでしょうね。隣町には学校やら色々あるからうちの村人が行くことは多くても、こんな辺鄙な村によろず町の子供が山に遊びに来るとは考えにくいですから、わざわざ山の話をよろず町の人間にするとは思えませんな。それにこんなことがあったかみんなもら高遠先生にイブキ様の悪口を言ってしまいましたが、本来、この村でイブキ様を貶めるような発言はあんまりしないもんですわ。隣町の人間にだったら余計」
こんなこじんまりとした村でも隣町に対する敵愾心を持っているようだ。
「……やっぱり、村の人を疑ってるんですか?」
山中は恐る恐る高遠に尋ねた。村の人と言ってもアリバイがないのは明也だけだ。答えなど出ているも当然だ。
「あらゆる可能性を考えているだけです」
それを避けるような答えだ。
「まぁ、死体の身元が分かれば、事件は解決しますよ」
高遠は時刻を確認するとそう答えて歩き出してしまった。解決する気があるのか分からない。だがこまめに情報を集めて、事件現場に足を運んで証拠を探している。美琴と山中は黙ってその後を付いていくだけだ。高遠は何度か入り口と現場を行き来すると、今度は祠に向かった。
事件現場から祠まで歩くと五分程度だった。ぽっかりと空いた穴に入ると涼しくて心地よい。山登りを何度もさせられたせいで三人は汗だくだった。ひんやりとした空気が足元を通り過ぎる。
「何、これ」
祠の中に置かれている石像に触れる。かなり重量があるのか、押してもびくともしない。
「さぁ? よく分かりませんが、昔はそれに向かって祈祷してたようですよ」
「え!」
縁起の悪い物に触れてしまった気がして美琴は高遠の背中で手を拭く。
「やめろ」
「だって怖いじゃん」
触れると呪われる、という噂もよく聞く。美琴の村でもそう言ってよく脅かされたものだ。
「こんなところで祈祷とか、即身仏の修業みたいだね」
くすくすと笑っている美琴を余所に高遠は石像に触れて動かそうとする。ぐらつくことはあっても、その場からびくともしない。高遠が離れようとした途端、その石像から「オォォォ」と声らしき何かが聞こえて美琴は飛び跳ねる。
「人の声が聞こえた!」
「はぁ?」
高遠には聞こえなかったのか、鬱陶しそうな顔で美琴を見る。
「声がしたじゃん。オーって。きっとイブキ様に殺された人の怨念が……」
「そんなわけないだろ」
高遠は呆れ顔だ。
「イブキ様の家は元々神社だったんですよね」
高遠は石像から手を離し、中に入ってこない山中を見た。声が聞こえたなんて美琴が言うから余計にビビッてしまい口元が引きつっていた。
「これ、もしかしてご神体でした?」
「いえ……、そんな話は聞いたことないですね。そもそもご神体は鏡で、天宮さんの家に保管されているはずですよ。それに今の場所に建て替えたのは幕末ですから、神社があった頃はこの土地も持っていませんでしたよ」
「じゃあ、昔、神社があった場所はどこですか?」
「公民館です。空き地にしててももったないからって、伊乃里様があの場所に公民館を建てて村に提供したんです」
話を聞いているだけなら、伊乃里様は聖人君子に思える。
「……じゃあ、これは何?」
美琴が石像を指差す。
「岩や石を崇めるところもあるから、真似をしたのかもしれないな」
高遠はこの石像の正体が分かったのか、簡潔に答えるとそれから離れた。
「証拠もほとんど流されてるし、捜査は難航しそうですね」
「……あれ、高遠先生、犯人はもう分かってるんじゃないんですか?」
山中に問われ、高遠は美琴を見た。
「いや、全く分かってないですよ。コレが何を言ったのか知りませんが、信じないほうがいいですよ」
「ちょっと、それ酷くない? この事件、一人だけアリバイない人いるよね」
美琴は真っ直ぐ高遠を見上げる。高遠は「おい、やめろ」と美琴を止めようとするが、すでに言葉は発せられていた。
「ここで倒れていた明也くん。彼だけ、犯行可能だよ」
山中がぐっとこぶしを握りしめた。
「それもそうだが……、まだ彼の証言が聞けていない。それに状況証拠だけで話を進めるのは早計だ。ねえ、山中さん」
「…………そうですね、高遠先生。そろそろ戻りましょうか」
山中は「お先に失礼します」と言って、さっさと山を下りて行ってしまった。高遠は大きくため息を吐くと振り返って美琴を見た。
「分かってもいないのに余計なことを言うな」
「でも僕が言ってること、間違ってないよね」
高遠は何も言わなかった。それは肯定を意味してるのか。だが先ほどの慌てようを見ると、それも違う気がする。高遠には何が視えているのか。美琴には分からない。
「もう一度、事件当時を振り返るか」
高遠はそう言ってしゃがみ込んだ。落ちていた棒を拾うといくつか線を引き、八時から十分ごとに時間を割り振っていく。どうやらタイムテーブルを作っているようだ。
「お前が最後に明也くんと会ったのが八時二十五分。半に降りた俺は会わなかったからな」
二十と三十の間に線を引く。
「明也君はそれまでリビングに居て、それ以降、八時半すぎに村人が裏山へ向かうのを目撃されたのが最後だ。お前の言うとおり、彼にはこの犯行が可能だ」
明也の名前に丸を付ける。
「山の入り口から犯行現場まで最長で二十分。慣れている人間だったら十分から十五分程度で登れるだろう。母屋から階段を下りて、裏山までは十分程度。最短でも二十分必要だ。あの大雨で土砂崩れの危険まであったんだから、三十分ぐらいは掛かっただろう」
「八時半から死体発見までアリバイがないのは……、明也くんとイブキ様」
「あのイブキ様が霊能者として偽物だったとしても、火事で半身麻痺は事実だろうから、ほとんど歩けないような人がこの山に三十分で来れるだろうか」
高遠はぐりぐりとイブキ様の名前を丸で囲む。そもそも犯行時刻があやふやなので犯人を決めるのは難しいのかもしれない。だが高遠は既に犯人が分かっているから時間も推定できているはずだ。やたらと八時から九時過ぎまでに固執している。アリバイがないのはやはり明也とイブキ様だ。イブキ様が居ない今、最有力なのは明也だ。
「そもそもその半身麻痺もウソなんじゃないの?」
「今、カルテを確認している」
「そんなことできるの!?」
個人情報に煩い昨今でそんな違法が出来るとは思えない。
「やっぱりあの死体が誰か分からない限り、全て憶測だ。死亡推定時刻だってほとんど分かっていない。まだ情報が揃ってなさすぎるんだ。そんな状況で、犯人を断定できるはずがないだろ。だからお前も、勝手なことを言うな」
「勝手じゃないし、僕はありのままを言っただけなんだけどなぁ」
「協力したいなら黙っていろ。それが一番だ」
「酷い!」
高遠は地面に引いた線を足で消す。どうやら今日はもう終わりらしく歩き出してしまった。美琴は振り返ってぽっかり空いた祠から視線を村へ向けた。
「あ、ここから母屋見えるんだ」
「え?」
「ほら、あそこ。イブキ様の家でしょう」
木々が鬱蒼としていて見落としやすいけれど、白い壁が太陽に反射している。高遠の位置からは見えないのか、こちらまで寄ってきたので美琴は指で場所を示す。
「直線距離だと結構近いんだな」
「案外、裏道とかあったりしてね」
「は? 何、言ってるんだ」
「でも、それがあったら、アリバイなんてあってないようなもんでしょ」
高遠は一考して、祠を見た。
「裏道か」
「あり得る? ねぇ、僕、名探偵じゃない?」
「お前に任せたら迷宮入り間違いなしだな」
呆れ気味にそう言って高遠は山を下りていった。裏道という言葉に反応していたので、それも選択肢の一つにはなったはずだ。繋がっているとしたらあの祠が怪しいけれど、あの狭い祠の中でどこかに通じる扉など見当たらなかった。
山の中は日が陰って涼しかったが、下山すると太陽に照らされて体感温度が急上昇する。そろそろ十二時なので太陽は真上にあった。空を見上げて「あつーい」と美琴が呟く。
「お昼ごはんあるかなぁ」
「あまり期待するな。人の家だぞ」
「分かってるよ。あー、こんな暑い日は素麺がいいなぁ」
いざとなれば公民館へ行き、食事を分けてもらうのも手だ。公民館の地下に発電施設があるので、少々なら電力を賄えるらしい。それを伊乃里様が用意したのなら、山中の言う通り良い人なのかもしれない。
階段の前まで来たところで、ピロンと電子音が聞こえた。高遠がポケットから携帯を取り出して画面を確認している。
「何? 誰から?」
「誰だっていいだろう。うるさい」
捜査している腕を引っ張って画面を自分に近づけようとするも手を払われる。高遠がもう一度、美琴を注意しようとしたとき、上から喧騒が聞こえてきた。
「何かあったのかな」
「早く行くぞ」
高遠は携帯をポケットに仕舞うと階段を駆け上がっていく。この騒動に心当たりがあるのか。それとも第二の事件でも起きてしまったのか。長靴を履いている美琴は走りにくく、あっという間に高遠と距離が出来た。
「ちょっと待ってください」
慌てている高遠の声が聞こえてきた。ヘロヘロになりながら階段を駆け上がると、山中は明也の腕を引っ張って外に出そうとしている。それを十倉が必死に止め、高遠も加勢していた。
「山中さん。彼にはまだ証拠がありませんよ」
「そうですよ! どうして明也が……、やめてください」
明也本人はどこか諦めた顔をしている。自分が犯人だと自供すればみなあっさり引き下がりそうだが、まだ抗うつもりなのか。俯いた顔からは感情が読めなかった。この暑い中、明也は長袖のジャージを着て、チャックを首元まで締めている。
「状況証拠は十分でしょう。明日になれば刑事さんだって来るし、すぐに身柄を引き渡しますから来てもらいますよ」
「明也は違います。そんなことしてません! どうか、山中さん」
十倉は山中の足元に跪いて解放を乞う。だが山中の意思は固く明也を離さない。美琴は項垂れた明也を目で追い、何か言うのを待ったけれど彼は一言も発さずにそのまま連れられて行った。
「あぁ、明也。どうして……、あの子があんなひどいこと、できるはずがないのに……」
十倉はそのまま崩れ落ちる。泣き喚く十倉を見下ろすだけで高遠は弁解もフォローもしなかった。
それから程なくして噂を聞きつけた長沢が天宮家に戻ってきた。泣き崩れている十倉に寄り添い「大丈夫ですか」と声を掛ける。ただ見ているだけの美琴と高遠を薄情に感じただろう。この状況を見た時にわずかに顔が歪んだ。
「……高遠先生、山中さんに何か余計なことを言ったんじゃありませんか。明也が犯人だって」
十倉は突っ立っている高遠に視線を向けた。美琴はその目を見て、思わず後ずさった。目の奥に潜む憎悪を高遠は受け止めて「そうですね」と頷いた。
「し、仕方ありませんよ、十倉さん」
隣にいる長沢が声を張り上げた。
「状況が状況ですから……、明也くんが疑われるのも無理ありません。村の人たちも……」
「明也を疑ってるんですか!?」
「……はい」
長沢が小さい声で答えると十倉はがっくりと肩を落とす。どうやら村人の間でも、明也が犯人として疑われていたようだ。アリバイがないのだから当然だ。山中の判断は客観的に考えて真っ当なのに、高遠はどこか腑に落ちない顔をしている。
「行きましょう、十倉さん」
座り込んだ十倉を立たせると、長沢は母屋へ入っていった。消えるまで目で追い、携帯の画面を確認している高遠に視線を移した。難しい顔で携帯と睨めっこしていた。それから思い立ったように電話をかけ始める。この辺は電波がないと思っていたが、通話できる程度はあるらしい。
「もしもし。あれだけか」
普段なら美琴のいないところで電話をするが今はそうも言っていられないようだ。受話音量が大きいのか、それとも相手の声が大きいのか、携帯からは男の声が漏れてきた。
『こちとら忙しい中、超特急で、やって、あ、げ、て、る、んだから、感謝しろ。敬え』
押し付けがましい野郎だ。高遠は眉一つも動かさずに話を進める。
「カルテは?」
『それはやっぱり時間が掛かるから大人しく待ってろ。料金はいつもの五倍だからな』
「はぁ!? ふざけ……」
勝手に切られたらしい。今朝と同じ相手と電話していたのか、高遠は画面を睨み付けて、操作を始めた。母屋に入る気はないのか、門から出ると階段ではなく車が通れる坂道へ向かって歩き出した。
「どこ行くの?」
「あの家では話しにくいし、携帯の電池が切れると困るから公民館へ行く」
確かにこの状況下で電池が切れるのは非常に困る。
「十倉さんと明也くんについて調べた。ついでにイブキ様のカルテもな」
「そんなのどうやって調べるの?」
「コネだ、コネ」
全国を旅している高遠のコネ、とはどんなものだろうか。これまで野宿はなかったけれど、いつも安宿だし、霊能者のところへ行くのにアポイントメントすら取らない。追い出されることも多いので、そんなもの持ち合わせてるように到底思えなかった。
「やっぱりカルテには少し時間が掛かりそうだな。けど十倉さんについては簡単だった。十倉さんは十九年前、この村を出て他県の男と結婚している。二人の間に、一人の子供がいる。今年で十六歳」
「明也くんでしょう?」
「……いや、その子の名前は良太だ。しかもその良太は二年前まで他県で暮らしていたが、今は行方知れずになっている」
「え、じゃあ、明也くんは?」
高遠は答えずに歩き出す。
「明也くんは一体……、誰なの?」
「彼は彼だ」
「え、意味が分からない」
それを聞いた高遠がぴたりと歩みを止めた。後を追っていた美琴も合わせて止まる。
「ある程度、予想はしてたけど、本当に話すとはな」
振り返った高遠はとても迷惑そうな顔をしていた。言っている意味が分からず、美琴は首を傾げる。
「買ったばかりのスニーカーがちょっと山道を登ったぐらいで壊れると思うか?」
「……え、ちょ、もしかして、これって誰かがやったの?」
「安心しろ、犯人は俺だ」
美琴は絶句する。
「山中さんと二人っきりになれば、事件についてべらべらと喋るのは目に見えていた。おかげで明也くんが捕まって、十倉さんから引き離された。ここまで状況を作れば、彼だって何か話すはずだ」
「え、ちょ、ちょっと、もしかして、僕、良いように使われた?」
「ありがとうな」
高遠から礼を言われるのは初めてだった。けれど優越感に浸ることも、偉そうにふんぞり返ることもできず、美琴はただただ高遠を見つめる。
「お前が俺の思惑通り動いてくれて本当に助かった」
高遠はそう言うと坂道を下って行ってしまった。
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