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第一章 両生類の進化
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「調子はどうですか」
二週間に一度というペースで二年前から通院している『橘病院』は、地元でも有名な精神科に特化した病院だ。五十代くらいの顎髭を生やした男性が俺の主治医である。
「この時期になると気分が落ち込んで、何もやる気がおきません」
何か話すたびにカタカタと聞き慣れたキーボードの音が鳴る。
「そうですか。何か変わったことはありませんか?」
「特には……あ……以前不思議な夢を見ました」
「夢……ですか?」
「はい……」
内容は覚えていないが起きた時に泣いていたこと、胸が苦しくなったことを話した。非科学的なことには興味がないのか。淡々と内容を打ち込んでいくに姿に、改めて信用できない人間だと思った。
二年も通院しているのに未だ信頼関係を築けていないが、それでも何とか生きている。今更、主治医の変更を願い出たところでこれ以上の成果は得られないだろう。現状維持。これも俺の日課。
「その後、同じことはありましたか?」
「ありません。ただ……」
「ただ?」
不意に浮かんだのは浴室で起きたことだ。お湯が茶色かったんです。なんて伝えて、目の前の医者に何て答えてほしいのか。数秒思考した結果。
「何でもありません」
「……では、いつもと同じ薬を出しておきますね。次も二週間後の水曜日に予約をしておきますから」
「わかりました」
待ち時間の割には短い診察を終えて受付のあるロビーへ向かう道中。見知った姿を認めた。
「久しぶり」
短い髪の後ろ姿に声をかけると、色白で細身の女の子が振り向いた。
「戒斗! 久しぶり、元気にしてた?」
「ぼちぼちかな。絵美は最近どうだ?」
服の上からでもわかるほどやせ細った体を見て眉間に力が入る。
「なんか怒ってる?」
「怒ってないけど……きちんと食べてるのか?」
ばつが悪そうに下を向くと黙ってしまった。何も答えないことが答えなのだろう。
「今から診察か?」
俯いたまま首を横に振っている。
「……また入院することになったの」
拒食と過食を繰り返す絵美と出会ったのは、通院を初めて一ヶ月が経過した頃。廊下で蹲っていた彼女を助けたのがきっかけだ。
「そっか……俺、また見舞いにくるから。な?」
「ありがとう」
気まずい沈黙が流れたとき。
「えみー。行くわよー」
「あ、じゃあ、私、行くね?」
「うん」
入院病棟へと入っていく後ろ姿を見送ると、俺の番号が呼ばれた。袋一杯に詰められた二週間分の薬を受け取って精算を済ませると、絵美が消えた出入口を振り返り、誰もいなくなった場所からそっと離れるようにロビーを後にした。
自動ドアを抜けると、六月とは思えないような乾いた空気が肌を撫でた。目の前に広がるオレンジ色の街並みが眩しい。手にしていたスマートフォンで思わずシャッターを切った。
半年前まで親と一緒に歩いた道を一人で辿りながら帰路につく。
ホームの反対側では、通学していた高校の生徒たちが満面の笑みで青春を謳歌していた。
二週間に一度というペースで二年前から通院している『橘病院』は、地元でも有名な精神科に特化した病院だ。五十代くらいの顎髭を生やした男性が俺の主治医である。
「この時期になると気分が落ち込んで、何もやる気がおきません」
何か話すたびにカタカタと聞き慣れたキーボードの音が鳴る。
「そうですか。何か変わったことはありませんか?」
「特には……あ……以前不思議な夢を見ました」
「夢……ですか?」
「はい……」
内容は覚えていないが起きた時に泣いていたこと、胸が苦しくなったことを話した。非科学的なことには興味がないのか。淡々と内容を打ち込んでいくに姿に、改めて信用できない人間だと思った。
二年も通院しているのに未だ信頼関係を築けていないが、それでも何とか生きている。今更、主治医の変更を願い出たところでこれ以上の成果は得られないだろう。現状維持。これも俺の日課。
「その後、同じことはありましたか?」
「ありません。ただ……」
「ただ?」
不意に浮かんだのは浴室で起きたことだ。お湯が茶色かったんです。なんて伝えて、目の前の医者に何て答えてほしいのか。数秒思考した結果。
「何でもありません」
「……では、いつもと同じ薬を出しておきますね。次も二週間後の水曜日に予約をしておきますから」
「わかりました」
待ち時間の割には短い診察を終えて受付のあるロビーへ向かう道中。見知った姿を認めた。
「久しぶり」
短い髪の後ろ姿に声をかけると、色白で細身の女の子が振り向いた。
「戒斗! 久しぶり、元気にしてた?」
「ぼちぼちかな。絵美は最近どうだ?」
服の上からでもわかるほどやせ細った体を見て眉間に力が入る。
「なんか怒ってる?」
「怒ってないけど……きちんと食べてるのか?」
ばつが悪そうに下を向くと黙ってしまった。何も答えないことが答えなのだろう。
「今から診察か?」
俯いたまま首を横に振っている。
「……また入院することになったの」
拒食と過食を繰り返す絵美と出会ったのは、通院を初めて一ヶ月が経過した頃。廊下で蹲っていた彼女を助けたのがきっかけだ。
「そっか……俺、また見舞いにくるから。な?」
「ありがとう」
気まずい沈黙が流れたとき。
「えみー。行くわよー」
「あ、じゃあ、私、行くね?」
「うん」
入院病棟へと入っていく後ろ姿を見送ると、俺の番号が呼ばれた。袋一杯に詰められた二週間分の薬を受け取って精算を済ませると、絵美が消えた出入口を振り返り、誰もいなくなった場所からそっと離れるようにロビーを後にした。
自動ドアを抜けると、六月とは思えないような乾いた空気が肌を撫でた。目の前に広がるオレンジ色の街並みが眩しい。手にしていたスマートフォンで思わずシャッターを切った。
半年前まで親と一緒に歩いた道を一人で辿りながら帰路につく。
ホームの反対側では、通学していた高校の生徒たちが満面の笑みで青春を謳歌していた。
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