マルチな才能を発揮していますが、顔出しはNGで!

青年とおっさんの間

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第1章

『鉄仮面現わる』

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 タウレコの最寄り駅は交通の集合地になっており、街もそれに伴って栄えている。とはいっても、都心部からはそれなりに離れており、『人に酔う』ということはない。

 しかし、勇志たちが到着した駅は乗り過ごして都会の駅に来てしまったかと間違えるほど、普段とはまるで違う駅の様子に3人は目を白黒させていた。

「何コレ、ココドコ?」
「え……?」
「おー、すごいねー!」

 駅のホームに降り立った3人は大勢の人達の流れに飲まれ、エスカレーターの列にぶつかりながら改札へと上がっていく。そのまま更に人の波に流され成す術なく駅の外へと押し出されてしまう。

「わー……」

 本来引きこもり体質の勇志は既に心を安全な場所に移し、極力精神にダメージを受けないように努めることしかできなかった。

「じゃあ俺、反対方向だから!」

 真純が「また後で」と言い残して苦もなく人の波に逆らいながらその姿を消した。勇志は「待って、置いてかないで!」と悲劇のヒロインのような台詞を心の中で叫びながら、見えなくなった真純の方向をボンヤリと眺めながら流された。

「ちょっ……、もうダメ……!勇志!」

 何とか今まで勇志の服を掴んでいた歩美の手が、流れに裂かれるように離れてしまう。

「歩美っ!」

 その光景が目に入ったのか、名前が呼ばれた事に気が付いたのかは分からないが勇志の心が再起動する。
 必死に波に争い、伸ばされた歩美の手を掴もうと自分の手を伸ばす。僅かに掠るその指に向かって勢いを付けて身体ごと腕を伸ばし、強引にこちらへと引き上げた。

「歩美、大丈夫か!?」
「う、うん……」

 その時、歩美には勇志の姿が輝いて見えていた。人混みに呑まれないようにと、強くしっかりと握られた自分の手と勇志の背中を何度も交互に視線を移しながら、その光景に過去の記憶えいぞうが重なる。

 万点の星空の下……
 流した涙……
 交わした約束……

 今の歩美じぶんが、ミュアじぶんでいられる理由……

「ここまで来ればもう大丈夫だろ」

 ふっと包まれていた歩美の手から勇志の手が離れていくように、過去の記憶えいぞうも同時に消えていく。
 気付けば、いつの間にか人の波から抜けて駅のロータリーにあるベンチの近くまで来ていた。

「あ……、ありがとう。ちょっと強引なエスコートだったけど、そこは多めに見ましょう」

 ほんの一瞬、昔の自分に戻りかけた歩美は何事もなかったように、平然に、ごく自然に勇志と向き合った。

「はいはい、とにかく怪我も無さそうで良かったよ。ちょっと遠回りだけど反対から回って行こうか」
「そうね、でも運動不足の勇志には丁度いいかもね」
「いいの!中学の時散々したんだからいいの!」

 そう言いながら勇志は歩美を人混みから庇うように歩き出した。

 遠回りをして辿り着いたタウレコには『祝【Godly Place 】メジャーデビュー&最速単独アリーナライブ開催』と書かれた横断幕が吊るされ、至る所にポスターやチラシが張り出されていた。
 勇志は宣伝費にどれだけかけたのか、ちゃんとその分以上に回収できるのかとか余計なことまで気にし掛けて、それが杞憂だなと思考を止めた。

 店舗入り口とは別にあるタウレコの地下ライブハウスの入り口には、見た事のない程の長蛇の列が駅の方へと伸びている。タウレコの最寄り駅がまるで大都会のそれとなり、先程巻き込まれた『人の波』が起こされた原因がガップレ自分たちだったのだと知り、出てきたのは乾いた笑いだけだった。

 昨日のアリーナライブの際に、チケット販売開始から一瞬で売り切れになったとプロデューサー兼マネージャーの『水戸沙都子』がウハウハしながら話していた姿を思い出しながら、【Godly Place】の需要は自分たちが思っているより遥かに高いと、考えを改めようと勇志も歩美も同じように考えていた。

 流石にタウレコ側もここまでになると予想していなかったのか、黄色の蛍光色のジャンバーを着たスタッフの人達が大声で「入場券チケットがない方は入場出来ません!」と叫びながら走り回っている。
 それでも微動打にしない行列だが、明らかにタウレコの地下ライブハウスのキャパを越えているのは一目瞭然で、それでも「梃子でも動かん」とするその理由は勇志には分からなかった。

 『入場券チケット』が何処でどのように配られるかなど、演奏する側の人間が知るはずもない。もし知っていれば、勇志は歩美を関係者用の入り口に送り届けた後、タウレコのガップレコーナーを一目見ようと足を踏み入れたりは決してしなかったはずだ。

 自動ドアが開き、一歩中へ踏み出した時には既に遅し、またしても人の波に呑まれてしまった勇志は完全に外へ逃げ出すタイミングを逃してしまったのだった。

 店内では平日だというのに、たくさんの人でごった返しになっていて、店の中は常に誰かにぶつかっている状態となっていたが、幸い店内だからか波の流れは穏やかで、何処かへ流されるということはない。

 道中足を踏まれたり脇腹に肘を入れられたりされながらも、何とか目的の場所までたどり着いた勇志は、まるで秘境探検隊が未発見の地に足を踏み入れたような感動を覚えた。

「なんとまあ…… 」

 意識せず感嘆の声が漏れ出す。
 辿り着いたガップレのコーナーは、タウレコ内でも1番目立つ中央の開けた場所にあり、ほぼエリア丸ごとがガップレコーナーになっていた。
 ガップレメンバーの等身大パネルが並ぶ手前には勇志も知らないガップレグッズが所狭しと並べられ、その反対側にはご丁寧に立派な額縁に入れられた特大ポスターが飾られている。そこにはメンバー全員の直筆サインが書かれているが、勇志にはいつ書いたのか記憶を遡るも思い出せなかった。いや、正確には山のように色々なものにサインを書いてきたので覚えていないのだった。

「へぇー……」

 所々の突っ込みどころは別にして、勇志は素直に感動していた。自然と震える手を伸ばし、山のように積み重なっているアルバムから1枚を手に取ると涙腺が緩みそうになってくる。
 
 このアルバムを作るのに貴重な春休みとゴールデンウィークを返上し、スタジオに籠りっきりで録音した日々がつい昨日のように脳裏に蘇る。
 水戸さんこと、『水戸沙都子』に笑顔で「もう一度最初からやってみましょうか?」と何度も言われ過ぎて、時計の長針が一周する頃には般若のような顔になっていたのが、勇志は今でも忘れられない、否、トラウマになっていた。

 夢でうなされるほどのトラウマが蘇り、先程とは違う意味で涙が溢れそうになるのを、寸前で制服の袖でゴシゴシと拭き取っていると「もしかして――」と思わぬ人物に声を掛けられた。

「入月くん?こんな所で会うなんて奇遇ね」
「え、委員長!?どうしてここに?」

  勇志の隣には同じ六花大附属高等学校の制服をキッチリ着こなし、カバンを掛けるのと反対の手にはガップレのCDをしっかり持った『橘時雨たちばなしぐれ』が軽く驚いた顔で立っていた。

 『橘時雨』六花大附属高校2年4組所属。すなわち勇志と真純と同じクラスで、学級委員長をしており、クラスの殆ど全員から『委員長』と呼ばれていた。
 絵に描いたような才色兼備で成績優秀、スポーツ万能。更に「神様はなんて不公平なんだ」と愚痴もこぼしたくなってしまう程の美貌。
 青紫色の髪はストレートに伸ばされ、僅か一本でも乱れた様子はなく美しく輝く。目鼻立ちの鋭さがその端麗さを際立たせ、厚手の黒いタイツが肌の露出を隠す事により、隠す柔肌への妄想が際限なく掻き立てられる。だが、一瞬でもその感情を表に出そうものなら、鋭い眼光を帯びながら表情一つ変えず、ゴミ虫を見るように蔑まされることだろう。
 そう、『委員長』は仮の呼び名、男子からは『鉄仮面』と恐れられていた。見た目の孤高さと、性格が災いしてそんなイメージが定着してしまっている。
 実際は正義感が強く真面目、曲がったことが嫌いというだけで、基本的には(主に女子には)優しいのだが、勇志は正義感もなければ不真面目、性格もねじ曲がっているため、優しくどころか、ほとんど会話もしたことがなかった。

「学校の外でまで『委員長』はやめてくれない?恥ずかしいでしょ……」
「えーと、じゃあ『橘』でいいかな?」

 『勇志』と『ユウ』を結びつける要素がゴロゴロと転がっているこの環境で、同級生と鉢合わせになるなんて、考えてもいなかったと勇志は今更ながらに後悔した。
 そうでなくても、普段から時雨にはどこか見透かされているような気がしていたからだ。

「ええ、いいわ。それであなたはここで何をしているの?」
「え、あー……」

 ガップレが来るというこの場所で大勢の人混みに囲まれて手にはガップレのCDを持って、他に良い言い訳が思い浮かぶはずもなく……

「実は俺、ガップレのファンでさ……」
「そのようね、CDを持って涙を浮かべるほどだものね」

 どうやら時雨は勇志がかなり重度のガップレファンだと思い込んだようで、あの『鉄仮面』が若干引き気味になっている。しかし、ここまで来たら後には引けず、勇志は話を膨らめつつ撤退するという作戦を実行することにした。

 「そーなんだよ橘!実は俺、デビュー当時からガップレの大ファンなんだ! 応援してたバンドのアルバムが発売になったもんだから、つい涙腺が緩んでしまってねー!」
「そうなの?ちょっと意外ね」
「え、どして?」
「入月くん、ゲームとかアニメ以外は興味ないのかと思ってたから」
「おふっ!? (よく見てらっしゃる~)」
 
 勇志は高校ではあまり目立たないようにするため、音楽活動は控えている。逆に趣味に関しては制限を掛けておらず、クラスメイトとアニメやゲームの話で盛り上がることが殆どだった。
 そのため時雨は普段やる気のない勇志やつが、友達とアニメやゲームの話をする時は熱心で楽しそうに話すのだなと常々思っていた。

 「ねえ、ガップレの大ファンというくらいだったら入月くんもこの後のライブとサイン会に参加するのよね?」
「すぅふー……」

 「する」と思わず出かけた言葉を咄嗟に堪えたお陰で、変な声が出てきてしまった。
 時雨が『』と言うからには自分は参加する前提なのだろう。

「あ、いやー、それが実は残念ながらチケットを持ってなくて!すっごく悔しい、あー悔しい!」

 露骨に残念そうな雰囲気まで醸し出して、少しづつ後退りその場を退散しようとしたところで、橘から「ちょっと待って」と声が掛かる。
 勇志は何故か感じる『嫌な予感』を、気の所為だと言い聞かせながらゆっくり橘に視線を合わせた。

「実はその… ち、チケット1枚余ってるからあなたにあげるわ!」
「ど、どして……?」

 現実味を帯びてくる『嫌な予感』

「だって大ファンなんでしょ?それに……」
「それに……?」
「私もその……、ファン、だから……」
「ファーッ!?」

 わざわざ平日の学校帰りに、ガップレのライブが行われるこの場所に来るなんて、もしやと思っていたが、本人からの突然のカミングアウトと入場券チケット付きのお誘いに勇志は完全に逃げ場を失ってしまった。

「いや、でも悪いよ……なかなか手に入らないものでしょ?(知らないけど、たぶん)」
「運が良かっただけよ」
「そ、そうなの?いや、ほらでもね~」
「それに!わ、私ライブとか初めてなの、だからライブの暗黙のルールとか、作法とか分からないから、教えてほしいのだけど……」
「えぇ~、それどこの情報ソースよ、トンカツ?オイスター?」

 ライブに『暗黙のルール』も『礼儀作法』もない。何処ぞのカルト的なメタルバンドともなれば話は別かもしれないが、時雨が気負っているガップレのライブでは皆無だ。

「ちょっとふざけないで!私は真面目に聞いているのだから!」
「ごめんごめん!でも、ライブに礼儀もルールも普通はないから安心していいと思うよ」
「いえ、あなたの言うことは信じられないわ!だから… そう!『委員長権限』を行使するわ!」
「『委員長権限』!?」
「『入月勇志』、私『橘時雨』と、この後の【Godly Place】のライブに一緒に参加しなさい!これは委員長命令よ!」

 精一杯の強がりなのだろう。
 『委員長権限』なんてものは聞いたこともないし、自分でも無理があると思っているようで、顔が熟れたトマトのように真っ赤になっている。そんな顔で表情を一生懸命に怒った顔に見せているのだから、笑うなと言う方が無理がある。

「フッ……」

 ついに吹き出してしまった勇志を見て、時雨はみるみる沸騰しきったやかんのようになっていく。
 『鉄仮面』なんて一体誰が言い出したんだか、今の時雨は『鉄仮面』も溶けて剥がれ落ちそうなほどの、恥ずかしがり屋でちょっと不器用な可愛らしい女の子じゃないかと、勇志の内から『橘時雨』が『鉄仮面』であるという印象と雰囲気は完全に塗り替えられたのだった。

「そうだね、『委員長命令』なら仕方ない。橘と一緒にライブに参加させて貰おうかな」
「……いいの?」
「良いも悪いも、橘が言い出したんじゃないか?」
 「じゃあ、よろしくお願いするわ……」

 顔を真っ赤にしながら目を逸らす時雨に思考が鈍った勇志は、見切り発車で承諾してしまったことと、当初のゲーセンへ行くという予定を思い出しながら、この後の流れをどのように持っていくか探りを入れる。

「とはいってもこの後ライブまでしばらく時間あるから、また後ほどーー」
「それなら近くの喫茶店でお茶でもしましょう。ガップレトークとかしてみたいわね」

 先手必勝。
 時雨はいつの間にか持ち直し、『鉄仮面』を再び付け直したかのように、予定をさも当然のように話す。
 時雨は勇志を誘うと決めた時から、この後喫茶店で時間を潰すということまで計算に入れて誘っていたため、彼女にとっては予定通りなのだが、勇志にとっては予想外である。

「えっと、それはどうかな~?うーん、俺この後忙しい気がするんだよな~」
「入月くん、本当にガップレのファンなの?」 
「喜んでお供させていただきまーす!」

 抵抗虚しく『鉄仮面』から『鬼仮面』に変わりそうなオーラを感じ取った勇志は退を余儀なくされた。

 勇志は時雨同伴の元、先程からずっと棚に返すタイミングを逃したままのCDを、渋々精算してカバンにしまった。
 勇志は既にオリジナル版を持っているのだが、ガップレがライブの後にサイン会をすることになっていて、それに参加する為には当日にタウレコで購入したCDが必要で、それにのみサインするという決まりだったからだ。
 ガップレの『ユウ』として最初にそのサインをするシステムを聞かされた時は、これが商売というものなのかと感心したというか、大人の世界を垣間見たような気持ちだったのだが、まさか自分が購入することになるとは夢にも思わなかった。
 つまり「時雨に怪しまれないため」という理由だけでCDを購入した形だが、それは勇志にとって紛れもなく『無駄な出費』だった。

(あぁ、地上の楽園ゲーセンへは一体いつ行けるのだろう……)

 勇志は心の中で嘆いた。残念ながらしっかり顔にも出ていたが……

 勇志と時雨が揃って店から出ようとすると、タイミングを見計らったかのように、入り口から沢山の人達が店の中に雪崩れ込んできた。

「わ!またこれか!?」
「きゃッ!」

 勇志と時雨が叫ぶのはほぼ同時、また理由も分からずに人の雪崩に飲み込まれるのもほぼ同時だった。

「残りの入場券は店頭のガップレ最新シングルCDにランダムで封入されていまーす!」

 タウレコでガップレライブの最後の入場券が入手出来るという突然のサプライズに、入場券を持たない人々が我先にと雪崩れ込んだのが原因だが、外も実は混沌カオスと化していて、既に収集が付かない状態なっていた。
 歴戦のスタッフたちといえど、耐久値は限界を遥かに超えていた。つまり『投げやり』になっていた。それが「残りはCDに入れといたから、好きなだけ買ってくれ」という方法になったのだろう。

 勇志はこの雪崩の原因はまたしても自分なのかと頭が痛くなる。しかもそれは精神的な意味だけでなく、人々の殴る蹴る押しのけられるなどの、物理的にも頭が痛い思いをしていたからだった。

(橘は無事だろうか……!?)
 
 何とか雪崩から顔を出して時雨の方へと意識を向けると、すぐ隣にいたはずの時雨が雪崩れに流されるように店の中央へと送られていくのが微かに視界に映った。
 頭で考えるより早く足が、身体が時雨の方へと進む。理由とか理屈とかそんなことを考えている余裕もなく、勇志はただ『橘を助けないと』ということだけしか考えられなかった。

「橘!」
「い、入月くん!」

 人ごみを掻き分け掻き分けしきりに腕を伸ばす。時雨も無我夢中で勇志の方へと必死に腕を、手を、その指を伸ばし……

 そして結び合った。

「橘、無事か!?」
「ええ、大丈夫…… 」
「よし、流れに沿って反対側の出口から出よう!橘、俺から絶対に離れるなよ!」

 この時、時雨にはこの人混みであっても勇志の姿しか見えなかった。しかし、景色としてはそこにあるが、それはもう時雨にとって映画を盛り上げるエキストラのような背景のようなものでしかなく、紛れもなくそこは、勇志と時雨の『2人だけの世界』だった。

 一方、勇志の方はというと、時雨のように甘美的な現実逃避なぞ出来るはずもなく、「なるべくぶつからない様に」「怪我をしないように」ということだけに集中していた。
 もちろん、すぐピッタリ後ろを突いてくる時雨を気にかけて時々目を配っていたが、(何だか赤い顔をして俯いている、人混みに当てられて具合でも悪くしたのかもしれない、早く抜けなければ)くらいにしか思っていなかった。

 右へ左へと流されながら、なんとか2人揃って店の外へ脱出する。そのままタウレコから少し距離を置き、人混みが気にならないところで、2人は同時に大きく息を吐いた。

「はぁ… 橘、無事か?」
「え、ええ… 大丈夫…… 」

 あの人混みの中で息も詰まっていたのだろう。2人は肩で呼吸をしながら途切れ途切れに会話をしていた。

「なあ、さっきから顔が赤いけど、もしかして具合でも悪くなったんじゃ……」
「これは違… だ、大丈夫よ、何でもないから!」

 一瞬、時雨は普段の声色よりワントーン程上擦った声を出し掛けながらも、落ち着きを取り戻しつつ応えた。

「そう?じゃあ早いとこ何処かへ行かないか? もう今ので全てどうでも良くなっちゃったから」
「どう言う意味?」

 勇志は「しまった」と思いつつも、その感情を引き摺るのも面倒だと感じ「こっちの話」と片付けて時雨の手を引いて歩き出した。

「い、入月くん!」
「どうした、橘?」 
「その… 手……」
「手……?」

 時雨の視線の先、落とされている目線の先には、勇志と時雨のがっちりと合わさった手が、何の違和感もなくそこにあった。

「はッ!? え! いやっ、ごめんッ!」

 咄嗟に手を離し、あたふたあたふたしている勇志と、まだ少しばかり頬を赤らめて俯く時雨。その初々しい姿に通行人も、はたまた暴徒とかしたガップレファンたちも目を奪われてしまっている。

「い、一度しか言わないからちゃんと聞きなさいよ」
「え?お、おう!」
「――その、ありがとう……」
「え、何だって?」

 時雨は俯いたまま、囁くように感謝を述べるが当然のように勇志には聞こえない。
 ただ時雨が何かを言ったということだけは分かったので、勇志は顔を近付けるというより耳を近づけながら聞き返した。

「一度しか言わないって言ったでしょう!」
「えー!?でも、だって、えー……」

 正直、勇志は時雨が何を言おうとしたのか気になっていたが、それ以上の追求は出来なかった。何故なら時雨はまたしても『鉄仮面』を付けたような冷徹さを取り戻していたからだ。
 しかし、その『鉄仮面』の頬の部分が少しピンク色に染まっていることに勇志は気付かなかった。

「こんな所で油を売ってないで早く行くわよ」
「あ、ちょっと!」

 そう言って、時雨は勇志の返事を待つことなく歩き出し、勇志は遅れまいとその隣に追い付く。

 時折、時雨の長い髪が風に舞う。その隙間から見えた口元は微笑んでいるように見えた。
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