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第4章

『秘めた想いは誰の内にも』

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 時雨が2階席に戻るために階段を上がると、他校の男子生徒2人が、目の前で行われている六花大附属の試合について話しているのが聞こえてきた。

「おいおい、なんだよアレ。どっちもポンコツチームじゃねぇか!」
「勝った方が俺たちの相手らしいけど、どっちが相手でも全く負ける気がしねぇな!」

(次、ということは、この2人は華園学園のバスケ部ね)

 華園学園といえば、『お嬢様学校』のイメージが強いが、それは女子に限った話で、華園学園の男子といえば、『スポーツ強豪校』で、他県に留まらず他国からもスポーツの強い生徒をスカウトし、在籍させている。

(きっと、この2人も名のある中学校から引き抜かれてきたんでしょうけど……)

 上手い下手に関わらず、全力でバスケに取り組んでいる人を卑下するような態度は、スポーツマンとしても、ましてや人間としても好きになれない。
 時雨は、嫌悪感を表に出さないようにしながら、未だにゲラゲラと笑う2人の背後を通り過ぎた。

「ねえ、ちょっと君、可愛いね? どこ校の子?」

 突然、背後を通り過ぎた筈の男子に、前と背後を塞がれ、話し掛けられる。

「…………」

 時雨は得意の『鉄仮面』の冷たい眼差しで返すが、それくらいではこの2人の男子を怯ませることはできない。
 
「超美人なのに、性格は超キツいのね~?まあ、それはそれで大好物ですけど!」
村崎むらさき、お前ストライクゾーン広すぎ!」
「鬼ヤバでしょ?自分でもそう思うわ~!」

(呆れた……構うだけ時間の無駄ね)

「そこを通りたいのだけれど、いいかしら?」

 相手と目も合わせずに、時雨は前を塞ぐ男子の横を通り抜ける。

「あれ?もしかして、『橘時雨』じゃないか? ほら!俺だよ俺、六花大付属中でタメだった『村崎拓海むらさきたくみ』だよ!?」

 しかし、背後を塞いでいた男子が、興奮気味に自己紹介をしながら、時雨の腕を掴んだ。

 「いいえ…… 覚えていないし、聞いたこともないわね」

 時雨は嫌悪感を隠す事なく、捕まれた腕を振り払った。
 
「え……?マジ……!?」
「ぷッ……!?ハハハハッ!マジかよ村崎、ウケる~!!ちなみに、俺は『熊倉慎くまくらまこと』ね、シクヨロ~」

 しれっと自己紹介をした熊倉だったが、時雨はおろか、村崎にまでスルーされたが、当の本人はあまり気にしていない様子だ。
 メンタルの強度は、村崎より熊倉の方が高いようだ。
 
「いやいや、ほら!六花大附属中のバスケ部で、全国大会まで出てたでしょ?俺……」
「スタートメンバーの5人なら、名前くらいなら知っているのだけれど…… あなたのことは知らないし、興味もないわ」

 自分を指差しながら詰め寄る村崎を、時雨はことごとく遇らったあし
 
「アーハッハハハっ!!村崎の殺し文句も全然効いてねーし!そんで速攻フラれてるし!ちょっと!笑い殺す気かよッ!?」
「クソ!笑ってんじゃねえよ!」

 腹を抱えて笑い出す熊倉に、村崎が睨みを効かせるが、やはり熊倉には無駄なようだ。
 
「まあまあ、キレんなよ村崎」
「キレてねぇしッ!!」
「時雨ちゃん、だっけ?ごめんね~、ウザ絡みして」
「そう思っているのなら、ここを通してほしいのだけれど?」

 そう言って、熊倉の横を通り過ぎようとする時雨を、またも熊倉が道を塞いで見下ろした。
 
「いやいや、でもさー……俺らがどこの高校か知ってるでしょ?華園学園バスケ部のエースプレイヤーなんだぜ?そんな俺らが面子潰されて、黙ってここを通すわけないっしょ?」
「なら、どうするつもりかしら……?」
「まあ俺のタイプじゃないし、村崎、どーする?」
「そーだな、まあお互いバスケ部なんだし、試合で決めようぜ?ちょうど下でやってんでしょ?時雨ちゃんとこ」

 下のフロアでは、今もまだ六花大附属の男子バスケ部が試合を続けている。
 
「それで?」
六花大附属そっちの男子と華園学園俺らの試合で、俺たちに負けたら、時雨ちゃんが俺とデートってのはどう?」
「お、いいじゃん、それ!」
「だろ?公平な勝負だと思うだろ?」
「公平?私が買った場合の条件を提示していないし、そもそも私の関係のある試合でもない、私がその勝負に乗る理由がないわ」
「へえー、言ってくれるねえ…… でも、あるんだよ?時雨ちゃんが乗らないといけない理由……」

 自信に満ちた村崎の顔には、時雨を逃がさないという執着に近いものも混じって見える。
 
「言ってみなさい?」
「『入月勇志』…… 時雨ちゃん、勇志に惚れてたろ?」
「…………」

 反射的に目を逸らしてしまう。どんな言いがかりでも、切り捨てる自信があったのに、『勇志』の名前を出されて、不思議なくらいに動揺している自分がいた。
 急に返す言葉に詰まった時雨に、村崎は一瞬だけ顔をしかめると、直ぐに大笑いし出した。

「何だよその顔?マジかよ!?今でも惚れてんのかよ!?わっかんねぇな~、あんな奴のどこがいいんだか!?」
「――だったら、どうだと言うのかしら?」
「大々的に公表してあげてもいいんだぜ?勇志が聞いたらどう思うかな~?」

 人の弱みに漬け込み、それを揺さぶって自分の意のままに操ろうとする。とことん村崎この男は最低な人間なのだと、自らを宣伝しているようだと、時雨は感じた。
 
「それって脅しのつもり?もしそうなら残念だったわね……」
「は?」

 私の気持ちを彼が知ったところで、きっと何も変わらない。少し困った顔を見せるくらいだろう。でも、もしかしたら……

 そんな淡い考えを振り払い、時雨は堂々と村崎に対峙して口を開いた。
 
「じゃあ、あなたたちが負けたら、私に土下座して、もう2度と私に関わらないと誓いなさい!」
「おっけー、構わないぜ!熊倉もいいよな?」
「え?俺もなの!?俺、何もメリットなくない!?」

 突然、話を振られた熊倉は、いつの間にか巻き込まれていることに驚愕する。
 
「もちろん、今やってる試合で負けて、次の試合に出られなかったら、無条件で俺たちの不戦勝だからな?」
「いやいや村崎!そっちの方が濃厚なんじゃね?アハハハハッ!」

 大声で笑い散らす2人を見て、時雨は俯いてしまった。
 
「フフッ……」

 しかし、時雨もまた苦笑を漏らしていた。
 
「は?何がおかしい?」

 ゆっくりと顔を上げた時雨は、蔑みと憐れみが入り混じった表情を2人に向けた。その顔は『鉄仮面』でも、『コートの女神』でもなく、まるで『悪魔』の微笑みのようだった。
 
「折角だからあなたたち、彼にも挨拶していったらどうかしら?」

 そう言いながら、時雨が目線を向ける先、そこは今も尚、試合が繰り広げられているコートの中。
 
「彼、って……まさか……」

 村崎は勇志が六花大附属高校に行ったのは、風の噂で聞いていたが、バスケ部に入部したという話は一切聞いていない。
 
「どした?村崎、顔色悪いぞ?」

 下で行われている試合の様子がどうもおかしい。どう見ても、弱小チーム同士の小競り合いだったのが、今は片方のチームが、赤子の手を捻るような、一方的な試合展開になっている。
 
「あいつが来てるのか!?嘘だ!あいつは、あの時バスケを辞めた筈だッ!」
「そう思うのなら、自分の目で確かめて見なさい?」

 村崎は、目を凝らして、コートの中を流星のように駆け抜ける人物を追った。
 そして、その人物が華麗にシュートを決めて、こちらに振り返った瞬間、身体中を電気が流れるような衝撃が走り抜けた。

「――なッ……!?」

 こちらを振り返って、チームメイトとハイタッチする男子は、中学時代、苦楽を共にした人物。そして、その最後の時、敗北の責任を全て押し付けて、バスケから身を引かせた相手、『入月勇志』その人であった。

「あの野郎、散々痛め付けてやったのに、懲りずに戻って来やがったのか……!?」

 ドン!と、手摺を叩く鈍い音が辺りに響く。その重い静けさを意にも止めず、時雨が2人に向かって話し始めた。
 
「あなたたちの思惑通りになるかしらね?万が一にも、無名の六花大附属学校に負けたりしたら、華園学園の名も地に落ちるんじゃないかしら?」
「迂闊だった……!クソッ!」
「それでは、試合を楽しみにしてるわね」

 村崎は、先程まで何度も行く手を阻んだ彼女の背中を、今は黙って見送ることしかできなかった。

「おい……村崎、その勇志ってやつ、そんなにヤバいのか……?」

 辺りに再び喧騒が戻った頃、連れの熊倉が重い口を開いて尋ねた。
 熊倉と村崎は高校に入って連むようになり、付き合いは短いが、村崎の怯えた姿を見るのは初めてだった。鬼コーチ『石頭堅三いしがしらけんぞう』に本気マジで怒られた時とは、また別種の、もっと嫌な怯え方だ。
 
「なあ……どうしたんだよ……?」

 中々応答がなく、催促するように言葉を重ねる。

「何でもねぇ……」
「いや、でもよー……」
「何でもねぇって言ってんだろッ!?」

 (大丈夫だ、問題ねぇ…… 勇志アイツが強かったのは中学ん時の話だ、高校こっちじゃ通用しねぇ……)

 自分自身に言い聞かせてから、村崎はいつもの様子で熊倉へ向き直った。
 
「俺たち華園は全国レベルの強豪校だぜ?負けるわけねぇだろ?」
「そうだよな~!?ふ~、村崎がビビった顔してっから、こっちまでビビっちまったじゃねぇか……」
「悪かったな、じゃあ戻るか」

 村崎と熊倉は、華園学園の男子の休憩所に戻って行った。丁度その時、下のコートでは試合の終了を告げるブザーが、大きく鳴り響いたのだった。

「試合終了!六花大附属高校の勝利!!」
「「「あざまっしたッ!!」」」

 (うっぷ……まだ若干残ってんな、バス酔い)

 試合が終わってベンチへ戻る途中、勇志は何度か口元を押さえて立ち止まることはあったが、平然を装いながらベンチに着席した。
 
「2回戦突破!やったぞお前らーッ!!」
「やりましたね部長!」
「県大会出場の夢が見えて来ましたね!」

 六花大附属高校男子バスケ部のベンチでは、いつの間にか大会を優勝してしまったのではと、勘違いしてしまいそうなほどの、どんちゃん騒ぎが繰り広げられている。
 それもそうだろう、万年初戦敗退の弱小チームが、初めて1回戦だけでなく、2回戦も突破したのだから、その喜びは計り知れない。

「まあ……ギリギリセーフだったけどな……」

 勇志は、部員たちの喜び姿を横目に、冷静に試合を分析し直していた。

 時雨に酔い止め薬を貰って、試合に戻った頃には、点差と残り時間は既に絶望的だった。
 勇志が入っても、満身創痍の真純と、他のメンバーたちとで、残り短い時間で逆転するのは不可能に近かった。
 そこで、体育館の隅で小さくなっている小畑を奮い立たせて、勇志と小畑でゲームメイクして流れを掴み、残り時間ギリギリで逆転勝利することができたのだった。
 次の試合に勝てば県大会出場の切符が手に入る……
 幸いなことに、次の試合は昼休憩を挟んで午後からのため、何とか気力と体力を戻して試合に臨めそうだと、一息安堵したところで、目の前に興奮冷めやらぬ小畑良介がやって来て、勇志の耳元で小声で話しかけて来た。

 「おい勇志、さっきの話は本当なんだろうな!?」
「お、おう……もちろん、ですとも」

 先程まで、体育館の隅で丸くなり、精神崩壊していた状態から見事に復活を果たした小畑。もちろん、復活させたのは勇志なのだが、緊急事態であったため、正攻法は使えなかった。
 勇志は、たった一言。
 小畑の耳元で呟いたのだ。それは悪魔の囁き。

『もし男子が試合に勝ったら、女子全員、ユニフォームのサイズを1つ小さくしてくれるってよ……』

 それはブラフ、ハッタリ、ネゴシエーション。
 たったその一言が、燃え尽きていた小畑の心に火を付けたというわけだ。それでやる気が出たのだから小畑も本望だろう。

「アーッ!あの子もこの子もピッチピチ!あの子もこの子もピッチピチ!!」

 1人、ピチピチ音頭をとるお祭り騒ぎの奴が、見事に出来上がってしまった。
 小畑の妄想の餌食にしてしまった女子バスケ部の皆さまには、本当に悪いことをしたなと、心から申し訳なく思う勇志であった。

 お祭り男と同じチームだと思われたくなかった勇志は、ユニフォームの上から学校指定のジャージを着込み、一足早く昼休憩を取るためにその場を離れた。

(そう言えば、さっき全部リバースしたから、お腹空いてきたな……)

 腹の虫こそ鳴かなかったものの、空腹感は強く、直ぐにでも昼食にしたかったが、先程までの絶不調状態で弁当を買ってくる余裕はなかったので、仕方なく、近くのコンビニまで買いに行こうと、エントランスまで来たところで、耳馴染みのある声が飛び込んできた。

「お兄ちゃーん!こっちこっちー!」

 六花大附属高校バスケ部のチームカラーである、白と赤のシュシュでポニーテールに髪を纏め、服装もその場に合わせるようにしたのか、タイトなジーンズにTシャツと、いつもより落ち着いた雰囲気のある美少女、勇志の妹である『入月百合華』が、周りの視線(主に男子の)を集めていることにも気にせず、大声で兄を呼び止めた。
 エントランスにある休憩スペースでは、弁当を持参して来た生徒たちが、それぞれの思い思いのテーブルを見繕って昼食を取っていて、百合華が呼んだテーブルにも何人か集まっていて、弁当を広げているところだった。
 もちろん、そのテーブルには今現在少し気まずい相手、歩美の姿も見えた。
 動きやすそうな百合華の服装とは対照的に、ボリュームのあるロングフレアスカートにシャツを合わせて、大人っぽく落ち着いた雰囲気を醸し出している。周りの生徒たちもチラチラと歩美に視線を送っているが、まさか自分達と同年代だとは思っていないだろう。
 勇志は、歩美の存在を気にしながらも、百合華の声に吸い寄せられるように、テーブルへと近寄っていった。

「遅いよ、お兄ちゃん!」
「ごめんごめん、って、あれ?待ち合わせしてたってけ?」
「してないけど、朝早起きして、歩美ちゃんと一緒にお兄ちゃんのお弁当作ってたでしょ?」
「あれ?そうだったの……?全然気付かなかった……」

 朝からグロッキー状態の勇志が、2人の行動を見守る余裕などある訳もない。
 朝方、目覚めた歩美が自分の身体を一通り確認してから、真っ赤な顔をして部屋を飛び出してから、勇姿の記憶は曖昧になり、やっと眠れそうだと思った矢先、百合華に「朝だよー!」と、叩き起こされたのだ。
 しかしまあ、お弁当を作ってきてくれたというのだから、この際、過去の憂いは忘れて素直に感謝しようと、勇志は「ありがとうございます」と、妹と歩美に感謝しながら席に着いた。
 
 招かれた席には、百合華の他に桐島歩美、橘時雨、花沢華が着席していて、律儀に弁当に手を付けずに勇志のことを待っている所だった。

「お疲れ様、入月くん」
「入月先輩お疲れ様です…… えっと、ご一緒させていただいてます……」
「皆んなごめんね、何か待たせてしまったみたいで……」
 
 席に着くと、時雨と華と順に挨拶を交わす。

「あれ?橘と花沢さんは、いつの間に百合華と知り合ったの?」

 2人には、妹の存在を話したこともなかったので知らないことと思っていたが、和気藹々と話している様子を見る限り、随分前から知り合いだったような雰囲気がある。

「さっき、勇志が試合している間に知り合ったのよ、ね?華ちゃん」
「はい!」

 さっきまで、顔を赤くして話し掛けてもくれなかった歩美が、普通に話しかけてくれたのを、ちょっと嬉しく思ったのも束の間……

「話を聞く限り、勇志は随分と華ちゃんに優しくしてあげてたみたいねぇ~……?」
「あ……」

 これは怒ってる奴だ。あの笑顔の裏に、ドス黒いオーラが漂っているのをヒシヒシと感じる。

「わ、わー!このお弁当美味しそうだなー、いただきまーす!」

 取り敢えず、目の前のお弁当へと話題を逸らし、勇志は流し込むような勢いで弁当にかぶりついた。

「むむ……!?ほんと、冗談抜きで美味い……!」

 そう口を開いたが最後、残りの弁当を平らげるまで、ただひたすらに箸を動かし続けた。

「もう、勇志ったら、行儀悪いんだから」
「お兄ちゃん、恥ずかしいから、もっとゆっくり食べてよ!」
「よく噛んで食べないと消化に悪いし、試合にも影響出るわよ?」
「い、入月先輩!?お弁当は私みたいに逃げたりしませんから、ゆっくり食べてくださいッ!」
「――すまん、もう食べ終えてしまった……」
「「「はやッ!?」」」
「ご馳走様でした」

 一足も二足も早く食べ終えた勇志は、缶コーヒー(もちろん、激甘カフェオレ)を飲みながら、大きな溜息を吐いた。

 「あの……入月先輩、その、さっきの試合、本当にすごかったです……!」

 まだ弁当の半分も食べ終えていない華が、歩美を挟んで二つ隣の勇志に声を掛けた。

「今にもリバースしそうで、逃げるように退場していった姿がかい?」
「ちち、違いますよ!?戻って来てからです! あっという間に、あれだけあった得点差をひっくり返しちゃったじゃないですか!」
「う、うん…… そうだったね……」
 
 華は、試合の興奮冷めやらぬ様子で勇志の方へにじり寄る。間に挟まれている歩美が、「まあまあ、華ちゃん落ち着いて」と、宥めながら、華を元の位置に押し戻した。

「けど、正直……ギリギリだったわよね……?」
「うん、お兄ちゃん、よく逆転できたよね……?」
「あのまま負けると思ったわ……」
「この度は心配お掛けして申し訳ございませんでした!」

 事実、あれ以上点数を離されていたら、先の結果にはならなかっただろう。この為体ていたらくで、助っ人とは、足手纏いの間違いだと言われてもしょうがない。

「で、でも!次の試合は、入月先輩が最初から出場すれば、絶対勝てますよ!」

 その場が暗い雰囲気に包まれる中、華は一生懸命に、その場の雰囲気と、主に勇志を和ませようと無理矢理明るく振る舞っていた。
 胸の前で小さくガッツポーズをする、小動物のような華の可愛さに、勇志だけでなく、その場の全員と部外者までもが癒されていた。

「花沢さん…… 俺、次はちゃんと頑張るからね~……!」
「えええ!?入月先輩、どうして泣いてるんですか!?」

 突然、目に涙を浮かべた勇志を見て焦る華、その姿もまた癒しなのであった。

「――残念だけど、次の試合は間違いなく苦戦するわよ?ちょっと隣いい?」

 勇志の背後から、癒しの雰囲気を台無しにする人物が、勇志と歩美の間の席に割り込んで座って来た。その人物は……

「西野!?」

 割り込んで来た人物は、華園学園2年、『西野莉奈』であった。

「ちょっと!?何で西野さんがここにいるのよ!?そして、何でわざわざ、私と勇志の間に入ってくるのよ!?」

 ただでさえ狭い長椅子に3人で座っていたのに、さらにそこに4人目が割り込んでくれば、いくら歩美でも文句の一つも出るだろう。しかし、歩美の気に触ったのは、勇志の隣を取られたということと、やけに勇志と距離が近く、親しげにしているというところなのだが、そのポイントに気付いたのは、この中では時雨、ただ1人であった。
 
「いーでしょ?勇志に話があって来たんだから」

 歩美と莉奈は、初対面ではないが親交はなく、お互いに良い印象は持っていない。そして、今回のことがダメ押しになり……

「いーから、さっさと勇志から離れて、どっかに行きなさいよ!」
「そっちこそ!幼馴染ってだけで止める権利ないでしょ!?」

 お互いに息がかかるほどの、ゼロ距離の攻防戦が繰り広げられている。歩美の隣の華、莉奈の隣の勇志は完全に巻き添えを受けている構図であった。

「莉奈も歩美も、そろそろ落ち着きなさい」

 完全に火がつく前に、向かいに座っている時雨が仲裁に入る。その隣に座る百合華は、(これはまた面白いことになった!)という顔をしていた。

「それで、莉奈が話したいことって何かしら?」

 わざわざ、他校の男子生徒を探し出してまで、話があるというのだから、余程のことなのだろう。

「六花大附属の男子の次の相手は華園学園……」
「確か、西野のとこだったよな?」
「そう、そして男子バスケ部はこの辺りでは別格の強さを誇っているわ」
 
 私立華園学園は、男子と女子で特色が大きく異なる。女子は、所謂『お嬢様学校』と呼ばれていて、文武両道かつ、芸術面の教育にも力を入れている。その為、偏差値だけでなく、入学金もハイレベルを求められる。それが、『お嬢様学校』と呼ばれる所以であった。
 しかし、男子は打って変わり、スポーツのみに特化していて、全国だけでなく、世界各国から優秀な生徒を引き抜き、あらゆるスポーツの上位に名を残している。
 その強さは異次元。同じ高校生とは思えないほど、肉体的フィジカルも、精神面メンタルも頭1つ飛び抜けているのだ。

「――だから、いくら勇志たちが強いって言っても、日本の高校レベルでは太刀打ち出来ないのよ……」

 莉奈は、ただ事実のみをストレートに並べて説明した。曖昧な部分や希望的観測、アドバイスなどは一切しなかったのは、あくまでも中立の立場ポジションとしてだったからだが、勇志にこの話をしようと思った時点で、かなり偏ってしまっていることに本人は気付いていなかった。

「…………」
 
 しかし、そんな莉奈の内面など、今は誰も構ってやれる余裕はない。その絶望的な試合に臨む勇志に、全員が何と声を掛けていいか、言葉に詰まっていた。
 重い空気が漂う中、意外な人物が口火を切った。

「私は、それでも入月くんなら勝てると信じているわ……」

 『橘時雨』絶対的な信頼を置いている。何故なら彼女もまた、コートに煌めく流星に心を奪われた1人だったからだ。

「そうよ!勇志なら絶対大丈夫、だって勇志は私のヒーローだから……」

 歩美の信頼も、この程度では揺らぎもしない。

「わ、私は最初から大丈夫だって信じてましたよ!?」

 華もまた、自分を変えるきっかけをくれた勇志への信頼は厚い。

「みんな……」
「お兄ちゃん、モテモテじゃん」

 折角、良い雰囲気になったというのに、百合華が余計なことを言って台無しにしてしまう。

「お前も少しは兄を労ったらどうなんだ!?」
「そんな心配要らないでしょ?」

 その、ごく当たり前のような表情は、兄の勝利に何の疑いも持っていない証拠だった。

「とにかく、俺は勝つために出来ることを精一杯やるだけだから。西野、心配してくれてありがとな……」
「べ、別に心配とか、そんなんじゃないんだからね!」
「わかってるよ」
「じゃあ、私皆んなところに戻るから、頑張んなさいよ!」

 何故か耳まで赤くなっていた莉奈を見送りながら、勇志は「誰かに『応援』してもらえるって、こんなに力を貰えるんだな」と、再確認していた。
 【Godly Place】のユウとして、ファンの人たちから声援を貰う時と同じような、心が温かくなるような感覚。

「それじゃあ、私たちも女子の集合場所へ戻るわね」と、莉奈が席を立つと、「皆さんとご一緒できて嬉しかったです。入月先輩、応援してますね!」と、華も後に続いた。
 
「ありがとう!花沢さん、頑張るね!」
「入月くん、負けないで……」
「おう!任せとけ」
 
 未だに中々目を合わせてくれない華はともかく、いつもと少し様子の違う橘のことが気になった勇志は、離れていく背中をつい呼び止めてしまう。

「橘、何かあったか?」
「…………」

 数秒の沈黙の後に振り返った橘は、どこか悲しそうに微笑んでいた。

「何にもないわよ、それより自分の心配をしたらどうかしら?」

 そう言い残して去っていく橘の姿を、しばらく見送っていると、「ねえお兄ちゃん」と、百合華から声が掛かった。

「ん、どした?」
「お兄ちゃんも、そろそろ時間じゃないの?」
「あ……」

 急いでケータイの時計を確認する。

「本当だ、俺も行かなきゃ!じゃあ2人とも、お弁当ご馳走様でしたー!また後でー!」

 そう言い残して、勇志もその場を後にしたのだった。

「はぁー……」

 残された歩美と百合華、2人でいることは意外と多いが、嵐が去った後のような虚しさが漂っている。

「歩美ちゃん、このままでいいの……?」
「うん……」
「時雨さんも、華さんも、そして華園学園の莉奈さんも、皆んな――」
「うん、わかってる……」

 勇志以外は、皆んなお互いに分かっている。
 全員が好きであるということを……
 歩美は、両手を太ももの上で、強く強く握りしめていた。
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