降嫁した断罪王子は屈強獣辺境伯に溺愛される

Bee

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59 危機

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「――え?」

 背中に、地面がぶつかった。運よくそこは草地で、地面が柔らかく助かった。これが石の床だったら、頭と背中を強打し、動けなくなっていたかもしれない。
 そして上から垂れ下がる長い舌は、獣の荒い呼吸音とともに引きつり、よだれが糸を引いてローレントの顔から首元へとタラタラと流れ落ちていた。

「――ガ、ガーディアス…………?」

 ローレントは嫌な予感がした。
 太い爪の生えた毛むくじゃらの大きな手が、ローレントの胸を押さえつけている。重くて、とても起き上がることなどできない。
 闇夜に光る獣の目には、さきほどまで人馴れした犬のようじゃれついていたのが嘘のように、捕えた獲物を見るような獰猛さが浮かんでいた。
 
 まさかここで食い殺されるというのか。

 それにしては、なんだか妙なのだ。
 腹が減っているのなら、こんなふうに焦らしたりはせず一呑みにすればいい。それなのに、獣はふんふんと鼻を鳴らしては、今まさにその巨大な顔をローレントに擦り付けたりしている。
 
 下手に動くと痛めつけられるかもしれない。ローレントはとりあえず無抵抗で黙って耐えた。

 獣はローレントの体を、また舐め始める。
 ローレントの敏感な箇所を、その大きな舌が執拗に嬲り始め、体が強張った。

 嫌な予感がした。
 獣の息は先程よりも早くなり、ひどく興奮していることが嫌でも伝わってきた。

 ――まさか。そんなことがあるはずない。

 嫌な予感が強くなる。
 ローレントは逃げようと体をよじったが、押さえつける手の圧迫感は増すばかりだ。
 このままでは圧死してしまう。いや圧死どころか、地面に突き立った鋭く分厚い爪で、ズタズタに体を引き裂かれてしまうだろう。そんな危険が頭をよぎり、抵抗をやめるしかなかった。

 一瞬月を隠す雲が晴れ、月が姿を現し、獣の姿を照らし出した。
 月の光を浴びた獣の体は血に濡れ、そしてその股間には、黒々とした長く大きなモノがそびえ立っているのが見えた。ローレントから一気に血の気が引いた。

 ――獣はここでローレントを犯そうとしているのだ。

 入るはずがない。
 あんな巨大な、ローレントの体ほどある大きさのものが、この身に入るはずがない。

 「お、おい。冗談だろ。ガーディアス、目を覚ましてくれ!」

 戦慄し、震える手で押さえつける前足を必死に叩く。当然のことながら、びくともしない。
 
 ――自分はあんなものに体を貫かれて死ぬのか?
 
 絶望が頭を支配する。
 ローレントのガーディアスに対する愛は本物だ。これは心から誓っていい。しろと言うならば、王である父の面前で、愛していると堂々と宣言だってできる。なのになぜ獣化が解けないのか。

「ガーディアス! ガーディアス!!」

 何度も名を呼び、手を叩く。だが獣は気に留める様子もなく、よだれで纏わりついた薄い服を、弄ぶかのように舌で舐め取りながら剥がす遊びに夢中だ。
 
 もどかしそうに突き立てた牙で布地が破られ、肌が剥き出しになる。

 もうだめなのか。為すすべもなく、絶望感でいっぱいになった。その時――。

 「ローレント様ぁ!」

 ローレントの頭上から、声が聞こえた。

「ハ、ハルカ……――?」

 この陰鬱で悲惨な状況に不釣り合いな、少し舌っ足らずな、明るく甘えたような声。――これは偽物のハルカの声だ。
 それと同時に獣の動きがピタリと止まった。
 
 「やーん会いたかった~!」

 まるでそこにだけ光が当たっているかのように、彼女だけが鮮明に闇夜に浮かび上がって見える。
 
 ハルカは胸の前に両手を組み、小首をかしげてローレントの顔を、逆向きで覗き込んでいた。
 この小首をかしげるポーズは、昔ハルカがよくやっていた。本物のハルカであれば嫌味は感じなかったが、このハルカがやるとひどくわざとらしくあざとく見える。

「……ハルカ?」

 ローレントの問いかけに、偽ハルカは「うふふ~」と嬉しそうな笑みを浮かべた。
 なにかおかしいと思ったら、どうやら空中を浮いているようだ。いったいどういう仕掛けなのだろうか。

「やっぱり元に戻らなかったんだ~」

 獣とローレントを交互に見ながら、ハルカは人差し指を顎に当てて、残念そうな声を出した。

「……やっぱりこの獣はガーディアスなのかい?」
「あったりぃ! よくわかったわね~! えらーい! さすがローレント様!」

 キャッキャとはしゃぐ偽ハルカに、ローレントは戸惑いながら「説明してくれるかな」と尋ねた。
 
「ふふ。わたしね。このケモオジと賭けをしたの。あんまりにもわたしとローレント様のことを否定するから、じゃあケモオジへのローレント様の愛を証明してみせてって」

 愛くるしい笑顔だが、ひどく苛立つ。だがそれを顔に出さないよう、ローレントは努めて冷静さを保った。

「……僕の愛を証明って、どうやったら証明できたことになるんだい」

 この偽ハルカは、ローレントがこのハルカを偽物だと知っていることを知らない。そして本物のハルカがここにいることも。それを知られると、なにをされるか分からない。
 
 なるべくそのことを悟られないように、ローレントは詰問口調にならないよう注意しながら、できるだけ穏やかな口調で尋ねた。
 偽ハルカはローレントからの問いかけに、きゃはっと口に手を当てて笑った。

「さあ? 獣は言葉も分からないしぃ~。でもぉ愛の力ってすごいのよ? どんな物語でも、愛がすべてを解決するの。だから、2人の愛が本物ならきっと大丈夫ってそう思ったの~。でも残念~! それじゃだめだったみたい」

 きゃっきゃと無邪気に笑うハルカを、ローレントは愕然と見上げた。
 まさか、獣化が解ける方法など本当はないとでもいうのか!?
 
「ねーえローレント様。ローレント様はぁ、復讐がしたくない?」
「…………復讐?」
「そ! だって、わたしとローレント様って、王都の人たちに裏切られたようなものじゃない? ローレント様は男なのにこんな野蛮でキモいオジサンと結婚。わたしは、だーれもいない僻地にいきなり連れてかれて、身ぐるみはがされてポイ。なーんにもしていないのに、それっておかしくない?」

 ハルカは大きな目をスッと細め、口元だけの笑みを浮かべた。
 
「ローレント様ってば今貞操の危機でしょ? 助けてあげるから、一緒に復讐しよ?」
「……助けるって、今ガーディアスを押さえ込んでいるこの力で、ってことかい?」
「そそ! 今のわたしって、ちょー力強いし。こんな獣どころか、王都の人たちなんか本当は簡単に捻り潰せるのよねぇ」

 クスクスと不気味な笑いをローレントに向ける。
 本当に一体どうやっているのか。獣は先ほどからくぐもった唸り声を漏らす以外、ピクリとも動かない。そしてその口からは、ただポタリポタリと、よだれが糸を引いてローレントの上に垂れ落ちていた。

「もしかして、君はわざとガーディアスに捕まったのか?」
「んーまあそんなとこ。あのオジに捕まったらローレント様は同情して、ハルカの味方になってくれるでしょ?」
 
 ハルカが可愛らしく微笑んで見せる。

「…………すまないが、僕は復讐に興味はないんだ。だから君に賛同できない」

 偽ハルカは口元に拳を当てて、大げさな表情で「えー!」と驚いてみせた。

「なんで? ローレント様も嫌な思いいっぱいしたでしょ? 今のわたしならなんでもできるよ? それこそローレント様を王様にだってできるのに」

 ローレントは眉を寄せて睨むようにハルカを見た。

「僕はそんなこと望んじゃいない。僕はガーディアスのそばにいることを誓った。もうあの頃とは状況が違うんだ。君は一体、僕を王にして、何がしたいんだ」

 偽ハルカがローレントを必要とする理由が分からない。そんな力があるなら、ローレントを引き入れなくても自分が王になればいい。正体不明なこの女の真意が読み取れない。

「ん~? わたしがしたいこと?」

 ポカンと不思議そうな顔でローレントを見た。

「ああ。君にそんなすごい力があるなら、君が王になればいい。僕は必要ないだろう」

 そう言うと偽ハルカは「やだぁ」と声を上げて笑った。

「だってローレント様が王様になることは決まっているもの~。王様はローレント様じゃないとだめなの。ローレント様は王様になってハルカを甘やかしてくれて、それでハルカはたっくさんの男の人たちにチヤホヤされて、楽しく生きるって決まっているの」
 
 決まっている? それは一体どういうことなのか。
 どう反応すればいいか分からず、ローレントは眉を寄せてハルカを見上げるばかりだ。
 
 そのとき暗闇から小さな光が飛び出てきた。あれは本物のハルカの光だ。まるで怒りに震えるかのように細かく揺れながら、偽ハルカの眼前をなにかを訴えようと行ったり来たりしている。
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