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1巻
1-3
しおりを挟む「僕が好きになるのはツィーラだけだよ。ツィーラは違うの? 他の誰かを好きになる?」
ナハルドは間髪容れずにツィーラの言葉を否定した。
一途に慕ってくれるのはありがたいが、それは刷り込みのようなものだと思っている。初めてできた友達だから執着しているだけで、もっと交流が増えれば他に興味が向くようになるだろう。
「今はそうでも、未来のことは分からないでしょ? だから、もし他にそういう相手ができたら教えてほしいっていうだけだよ」
「何年経っても変わらないと思うけど……分かったよ。でも、代わりにツィーラもそういう相手ができたら真っ先に教えてね。絶対に」
「う、うん、分かったよ。約束する」
やけに強く言われて、ツィーラは戸惑いつつも頷く。
そのとき、遠慮がちに部屋のドアがノックされた。
「ナハルド様、お茶をお持ちしました」
「……ありがとう、入っていいよ」
ナハルドが許可を出すと、緊張した面持ちのメイドが入室してくる。
彼女は堅い表情でテーブルにカップと菓子を置くと、一秒でも早く部屋を出たいとばかりにすぐさま扉に向かった。「失礼しました」と短く退出の挨拶を告げると、逃げるように部屋を出ていく。
ナハルドに接する使用人は、いつだってこんな様子だ。
「ねぇ、担当のメイドを代えてもらった方がいいんじゃないの?」
いくらなんでも、あの態度はいかがなものか。
思わずツィーラが零すと、ナハルドは首を左右に振った。
「仕方がないよ。彼女だって、僕を担当したいわけじゃないだろうから」
「でも……」
「それに、使用人に怯えられるのは僕のせいなんだ」
ナハルドはまだ、闇の精霊の祝福を上手く制御できていない。感情が高ぶると力が暴走して、近くにいる人間を無意識に洗脳してしまうのだとか。そのせいで過去に、使用人を大変な目に遭わせたことがあるらしい。
その事件がきっかけで、ナハルドは腫れ物に触るような扱いをされているのだ。
「闇の精霊の力はまだ制御できていないんだ。同じことが起きない保証なんてないのに、怯えるななんて言えないよ」
たしかに、いつ力が暴走してしまうか分からないのは扱いに困るだろう。
心を支配されたことを思い出す。精神を塗りつぶされるようなあの感覚は、本当に恐ろしかった。
「練習とかできないのかな。そういう力って」
ツィーラも協力できればいいのだが、時の精霊の力は意識して使えるものではないらしい。彼と違って精霊の影響を感じることもないし、あの日以来、別の未来を見ることもなかった。ナハルドの役には立てないだろう。
「制御するコツはあると思う。……ライツェルト殿下ができているから」
ライツェルトの話題を出すとき、ナハルドの表情は複雑なものになる。
兄であり、光の精霊の祝福を受けているライツェルト。同じように強い力を持っているにもかかわらず、素晴らしいと人々に受け入れられて、彼の周囲にはいつも人が集まっている。ライツェルトが悪いわけではないが、ナハルドからすれば思うところがあって当然だろう。
「ナハルドは、ライツェルト殿下のことを兄様とは呼ばないの?」
ナハルドはずっと彼を他人のように「ライツェルト殿下」と呼んでいる。
兄弟間の交流も少ないらしく、ナハルドとライツェルトが会話しているところを見たことがなかった。
「……嫌っているわけじゃないけど、僕と違いすぎるから。どうにも家族だと思えなくて」
「兄弟で一緒に何かしたりしないの?」
「昔は一緒に勉強していたんだ。でも、僕が精霊に祝福されてから、陛下やライツェルト殿下にはあまり関わるなって言われて」
「……そう」
ひどい話だと思うが、そう判断を下した者を責めることもできなかった。
王や王太子は国の重要人物だ。万が一にも、何者かに操られることなどあってはいけない。
ナハルドが自分の意思で力を制御できないのなら、なおさらだろう。
「光の精霊も、闇の精霊と似たような力を持っているのに。理不尽だなとは思うよ」
「光の精霊の力も人の心を操るの?」
「心じゃないけど、光の精霊の力は相手の行動を支配することができるんだ」
闇の精霊は相手の心を塗りつぶすが、光の精霊は相手の身体の支配を奪う。対になる精霊なだけあって、その力はたしかに似通っている。
「似たような力なのに、光の精霊は崇められているのよね」
「建国時に王に協力していたという話があるし、相手の精神を奪うよりも身体の自由を奪う方が、まだ健全だと思われているのかもね。あと、光の精霊の力の方が制御しやすいのもあるかも」
光の精霊の力が暴走することはあまりないのだとか。
同じように祝福を受けても、ライツェルトの髪色は変わったりはしなかったらしい。
「ライツェルト殿下なら、力を制御するコツとかが分かるのかな」
相談したりはしないのだろうか。接触を止められているのだとしても、手紙か何かでやり取りすることならできると思うのだが。
「あの人なら何か知っているかもしれないけど、今さら聞けないよ」
ナハルドは四歳のときに祝福を受けた。それ以降、ずっとライツェルトとは話していないらしい。もともと特に仲がよかったわけでもないこともあって、どう接すればいいか分からないようだ。
彼が会話する家族は母くらいで、同じ城で暮らしているというのに、父と兄とは疎遠だという。その母に対しても、厳格な性格のため甘えることなどはできないのだとか。
ツィーラが口を挟むことではないかもしれないが、寂しいと思った。
ツィーラの家族は仲がいい。母は優しいし、仕事で忙しい父とはあまり会話できないけれど、遠くに出かけたときは必ず土産を買って帰ってきてくれる。兄とは喧嘩するものの、それなりに良好な関係だと思う。
ナハルドにだって、甘えられる家族が必要だ。
きっと孤独をこじらせてしまったから、未来で暴走することになるのではないか。
「私、ナハルドの代わりにライツェルト殿下に聞いてみるよ」
直接話したことはないが、ライツェルト殿下は優しい人だと聞いた。弟が困っているのだと知れば、手を差し伸べてくれるだろう。
「ツィーラ?」
「ナハルドが会っちゃダメって言われてるなら、代わりに私が動くから。力のこと、お兄さんに相談してみよう?」
「必要ないよ。迷惑だって思われるかもしれないし」
「噂で聞いた感じだと、そういうことは言わなそうだけど」
「それは……そうかもしれないけど」
ツィーラの言葉が正しいと思ったのか、ナハルドは押し黙る。
おそらくツィーラのときのように、彼は拒絶されることを恐れているのだと感じた。
誰かが強引に手を引っ張らなければ、きっと動けないのだろう。
尻込みするナハルドを押し切って、ツィーラはライツェルトに面会を申し込んだ。
忙しいだろうと思っていたのだけれど、意外にあっさりと面会の許可が下りて、ライツェルトに会えることが決まる。
指定された部屋に向かうと、すでにライツェルトが待っていた。直前まで何かの書き物をしていたようで、執務机の上にはいくつかの紙束とペンが置かれている。
「ライツェルト殿下、面会に応じてくださりありがとうございます」
「気にするな。君はナハルドの婚約者に決まったのだろう? 一度、話してみたかったんだ」
ライツェルトはふわりと微笑んだ。まっすぐツィーラを射貫く目には自信が満ちているように見える。喋る声にも明るさと力強さがあり、聞いていて心地よい。
ナハルドとはずいぶん雰囲気が違うと、ツィーラは思った。
「以前のパーティでは、挨拶だけしてどこかに行っていたな」
「覚えていらっしゃるのですか?」
城でのパーティのことを持ち出されて、ツィーラは驚いた。
ほんのひと言挨拶しただけの人間を覚えているなんて、信じがたいことだ。
「君が愛らしかったから。……と言えればいいが、教育の賜物だ。挨拶を受けた人間の顔は覚えなさいと教師がうるさいんだ」
冗談を交えて軽快に話す。なるほど、これは人に好かれるはずだとツィーラは感心した。
「ナハルドと仲良くしてくれているらしいな。母が喜んでいたよ。俺からも礼を言わせてくれ。ナハルドの面倒を見てくれてありがとう」
「面倒を見ているつもりはありません。ナハルド様は素敵な友人ですから」
「友人か。婚約者ではなく?」
「婚約者ですけど……まだ友人という感覚の方が強くて」
「まぁ、俺たちの歳ならそんなものか。でも、よかった。ナハルドに君みたいな友人ができて」
ライツェルトの口ぶりは、まぎれもなく弟を思う兄のものだった。
ナハルドは彼を遠い人と感じているようだが、ライツェルトはそうではないのかもしれない。
「今日面会をお願いしたのは、ナハルド様に祝福の力を制御する方法を教えていただけないかと思ったからなんです」
ツィーラが用件を切り出すと、ライツェルトは表情を曇らせた。
「それは……難しいかもしれない。俺もできるなら、あいつに何かしてやりたいけど」
「会うことを止められているからですか?」
ナハルドと同じように、ライツェルトにも接触するなという申し出があったのだろうか。
ツィーラはそう思ったが、意外なことにライツェルトは首を左右に振った。
「いや、たしかに祝福を受けた直後はそう言われたが、それはもう意味がないんだ」
「もう意味がない?」
「俺は光の精霊の力を制御できるようになっている。ナハルドが俺に力を使おうとしても、その力と反発して成功しないらしい」
「え?」
「光の精霊は、闇の精霊と同等の強い力を持っているんだ。他の精霊ならば闇の精霊に負けてしまうが、光の精霊の祝福を受けている俺には、あいつの力は通用しない」
つまり、ライツェルトであれば、ナハルドに操られる心配はないらしい。
「なら、どうしてナハルド様にお会いにならないのですか?」
「その方がいいと思ったんだ。ナハルドは俺を嫌っているだろうから」
ライツェルトの表情が悲しそうに陰る。
「そんなことはないと思いますが……」
たしかに、ナハルドはライツェルトに対して複雑な気持ちを抱いているようだった。けれど、嫌ってはいないとナハルド自身がそう言っていたのだ。
「あいつは俺を他人のように、殿下と呼ぶだろう? 兄だと思っていないのが明白だ」
なるほど。彼はナハルドからの他人行儀な呼び方を気にしているのだ。
「ナハルド様から嫌われるのがお辛いのであれば、どうしてもっと関わろうとしなかったのですか。彼が辛いときに助けてあげられるのは、ライツェルト様だったのでは?」
「……俺が傍にいれば、あいつの負の感情を刺激するだけだと言われたんだ」
ライツェルトは悔しそうに強く拳を握る。
たしかにそういう一面もあるだろう。あらゆる面で優秀なライツェルトが近くにいると、嫉妬したり悔しくなったりしそうだ。
「でも、ナハルド様はきっと誤解しています。闇の精霊の祝福のせいで、家族にも嫌われてしまったのだと」
「俺はあいつを嫌いになってなどいない!」
「なら、それをナハルド様に直接伝えてあげてください」
「それは……だが、今さらどんな顔であいつと関われというんだ……」
ライツェルトは困ったように眉尻を下げる。
その様子は、今さらライツェルトに頼れないと困惑していたナハルドそっくりで、ツィーラは思わず笑ってしまった。
「おい、なぜここで笑う」
「も、申し訳ありません。……でも、今のライツェルト様が、ナハルド様によく似ていると思って」
「俺がナハルドに似ている?」
「ナハルド様も似たようなことをおっしゃっていたんですよ。今さらライツェルト様を頼れないと」
「あいつが、そんなことを……」
「ナハルド様はライツェルト様を嫌っていません。きっと、同じお気持ちですよ」
ライツェルトは一瞬、期待するような顔をして、それから気まずそうに頬を掻いた。
「ナハルドと似ていると言われたのは初めてだ」
たしかにふたりは一見すると似ていない。どちらも綺麗な顔立ちだが、ライツェルトは男らしく精悍で、ナハルドはどちらかといえば中性的で繊細だ。今は髪の色も異なるから、なおさら兄弟には見えないだろう。
でも、相手に拒絶されるのが怖くて一歩を踏み出せずにいる様はとてもよく似ている。
「ナハルドは俺を嫌がらないだろうか」
「初めは戸惑われると思います。でも、なんとか歩み寄っていただけないでしょうか? ライツェルト様はお兄様なのですから」
「……そうだな。私の方が兄なのだから、頑張らなくてはいけないな」
「そうです。上の兄弟というのは、わがままを言われるものなのです」
ツィーラがふざけて言うと、ライツェルトの唇が綻んだ。
「そういえば、君も妹であったな。兄妹仲は良好か?」
「うちの兄は酷いのですよ? 私の分のお菓子を食べてしまうのです」
「なるほど、それは酷いな。そういうときはどうするんだ?」
「怒って、新しいお菓子を買いに行ってもらいます」
ツィーラが語る兄弟喧嘩の様子を、ライツェルトは微笑ましそうに聞いている。
「いいな。……俺とナハルドもそんな風になれるだろうか」
「ライツェルト様が望まれるなら、きっと」
ツィーラが励ますと、彼は覚悟を決めたような顔で頷いた。
それから数日後。ツィーラがナハルドの部屋に遊びに来てしばらくすると、コンコンと扉がノックされる音が聞こえた。
「ナハルド、ライツェルトだ。入ってもいいか?」
どうやら、ライツェルトはナハルドと関わることに決めたらしい。
訪問者の名乗りを聞いて、ナハルドはビクッと身を固くした。明らかに動揺した様子で救いを求めるようにツィーラを見る。
ツィーラは笑顔を作って頷き、彼を励ました。
「は、入って……」
ナハルドの声は小さく微かに震えていて、ひどく緊張しているのだと分かる。
けれど、その声はきちんとライツェルトに届いたようだ。少しして扉が開き、ライツェルトが部屋の中へと入ってくる。
「久しぶりだな、ナハルド」
ライツェルトが浮かべた笑みも、少しだけぎこちなく見える。
「な、何しに来たの……」
突き放すような物言いに、ナハルドがしまったというように顔を顰める。
ツィーラはライツェルトが怒って帰らないかハラハラしたが、彼は笑顔を崩すことなくナハルドへと近づいていく。
「ツィーラから、お前が力の制御が上手くできずに困っているのだと聞いた。よかったら、俺と一緒に訓練してみないか?」
ライツェルトがナハルドに向かって、手を差し出した。
その手を見つめながら、ナハルドは不安そうに瞳を揺らす。
「む、無理する必要ないよ。ライツェルト殿下は王太子なんだから、僕なんかと関わっちゃダメでしょ?」
「無理などではない。お前の力になりたいんだ。……ダメか?」
ナハルドは迷うように視線をさまよわせるが、それでもまだライツェルトの手は取らなかった。
「僕に触れたら、心を支配されるかもしれないよ」
「そう思うなら試してみればいい」
挑発的に告げるライツェルトの手を、恐る恐るナハルドは掴んだ。
ツィーラのときのように、彼に自分の力を示そうとしたのだろう。けれど、上手く力が発動しなかったようで、ナハルドの表情に戸惑いが走る。
「……あ、あれ?」
「ナハルド、どうした?」
「だって、力が……どうして?」
「お前の力は俺には効かない。同時に、俺の力もお前には通じない。互いの精霊の力が打ち消し合うらしい」
ナハルドはそのことを知らなかったらしく、驚いたように目を丸くした。
「俺を支配してしまうと恐れなくていい。お前が暴走してしまっても、その力は俺には効かないんだ。だから……ナハルド、一緒に力の訓練をしないか?」
ライツェルトはそう言って、再びナハルドを誘った。
ナハルドはたっぷりと時間をかけて悩んでから、こくりと小さく頷いたのだった。
その後、力の訓練を通じてナハルドは少しライツェルトと打ち解けることができたようだ。
ライツェルトと一緒に力を制御する練習をしたという手紙がナハルドから届いて、ツィーラは喜んだ。急な歩みよりに戸惑っている様子であったが、嫌がってはいないのだろう。ぎこちなく会話したという話が、丁寧に手紙に綴られていた。
それからひと月が経過して、ナハルドは彼を「兄上」と呼ぶようになった。
ライツェルトは定期的にナハルドに会いに来ているらしく、喜びの手紙にいつからか、兄貴風を吹かされて鬱陶しいというぼやきが混じるようになった。
ライツェルトに対する文句が言えるようになるなんて、気安くなった証拠だ。順調に兄弟仲を深めているようで微笑ましい。
互いの都合でなかなか会えない日が続き、ツィーラがようやくナハルドに会いに行くと、驚いたことに彼の部屋にはライツェルトがいた。
ツィーラと目が合って、彼はさわやかな笑みを作って挨拶をする。
「やぁ、ツィーラ。久しぶり」
「兄上、僕よりも先にツィーラに挨拶しないで。……ツィーラ、よく来てくれたね」
ライツェルトに対して苦情を言うナハルドを見て、ツィーラはますます驚いた。
ナハルドからの手紙で、何度かライツェルトと交流しているのは知っていたが、ここまで距離が近づいていたとは。
「お久しぶりです、ナハルド、ライツェルト様。おふたりがご一緒で驚きました」
「そうだろう? 君を驚かせようと思って、ナハルドの部屋に居座ってしまった」
「兄上、ツィーラの顔を見たのだからもういいでしょう? 早く自室に戻って」
「はいはい、ふたりの邪魔はしないさ」
朗らかにツィーラに話しかけるライツェルトに、ナハルドが文句を言う。
ライツェルトは肩を竦めて部屋に向かい、ドアの前に立つツィーラの隣で立ち止まった。
「ツィーラ。ナハルドと気安くなれたのも君のおかげだ。後日、改めて礼をさせてくれ」
「必要ないよ。ツィーラへの感謝なら、僕から代わりに言っておくから」
「まったく、ナハルドは嫉妬深いな。じゃあ、ツィーラ。また」
ひらひらと手を振って部屋を出ていくライツェルトを、ツィーラは目を丸くして見送った。
部屋のドアが閉まるタイミングで、ナハルドが大きくため息を吐く。
「あの人は……本当に遠慮を知らない」
「ナハルド、ずいぶんと殿下と仲良くなったのね」
手紙で様子を聞いてはいたが、これほど仲が進展していると思わなかった。
ツィーラが感心すると、ナハルドは喜びと腹立たしさが入り混じったような複雑な顔をした。
「今までずっと僕を避けていたのに、急にズカズカ来るようになって」
「もしかして、嫌だった?」
「ううん。ありがたいと思ってるよ。……すごく鬱陶しくはあるけど」
ナハルドは少し疲れたような顔で、いかにライツェルトが強引かを語ってみせた。
その様子は兄に辟易する弟そのもので、愚痴を言うナハルドには悪いが、ツィーラは嬉しくなってしまった。
機嫌のいいツィーラを見て、ナハルドが唇を尖らせる。
「なんでずっと笑ってるの。僕、兄上が鬱陶しいって話しかしてないけど」
「ライツェルト殿下とナハルドが、仲良しで嬉しいなって思って」
「……ツィーラは意地悪だ」
ナハルドはツィーラに恨みがましい目を向ける。
素直になれないらしいナハルドが可愛らしく、ツィーラは頬が緩むのを止められない。
「力の制御は順調なの?」
「うん。癪だけどあの人、教え方は上手いんだ。まだ完全に制御はできないけど、前よりは抑えられるようになった気がする。……見て」
ナハルドはそう言うと、集中するようにじっと目を瞑った。
いったい何を見せてくれるのだろうか。
ツィーラがじっと待っていると、ナハルドの髪の色がみるみるうちに薄くなっていく。闇のような黒が溶けだし、やがて月の光を集めたような淡い金髪が姿を見せた。
「ナハルド、髪の色が!」
ツィーラが驚きの声を上げると、金の髪はすぐさま黒色へと戻ってしまった。
ナハルドはそこで目を開けて、はぁはぁと荒い息を吐く。
「……まだ、ちょっとだけだけど、集中すれば髪色も戻せるようになったんだ」
「すごいよ! ナハルド、頑張ったんだね」
ナハルドの努力を知り、ツィーラは胸の奥が熱くなるのを感じた。
ナハルドは照れたようにはにかんで、少し顔を赤らめながらツィーラの目をまっすぐ見据える。
「君のおかげだよ。兄上のこともだけど、それ以上に色んなことに希望が持てるようになったんだ。苦しくて仕方がなかった世界も、悪いことばかりじゃないのかもしれないって」
ナハルドの白群の瞳が柔らかく細まる。出会ったばかりの頃の彼にはなかった、希望に満ちた表情だ。
ナハルドの穏やかな表情を見て、ツィーラの心はじんわりと温かくなった。彼の未来がよい方向へ変わってきているのだという確信を得る。
「うん、きっとそうだよ。この先、楽しいことがいっぱいあるよ」
「そうだね。ツィーラがいたら、この世界も好きになれそうだ」
ナハルドはゆっくりとツィーラに近づき、彼女の髪を優しく手に取った。ダスティローズ色の髪が彼の掌でふわりと揺れる。その髪をひと束、まるで大切なものを扱うようにそっと掬い上げると、彼は愛おしそうに口づけを落とした。
「ツィーラ。僕は君に相応しい男になってみせるから。だからずっと僕の傍にいてね」
甘い響きを含んだ懇願に、ツィーラの鼓動がドキリと跳ねた。髪ではあるが、ナハルドが積極的に触れてくるのは珍しい。
婚約者であるとはいえ、弟や友人のように思っているナハルドに異性を感じて、どぎまぎとしてしまう。
「う、うん。もちろん! 私はずっと、ナハルドの味方だからね」
動揺をごまかすようにツィーラはことさら明るい声で告げて、ドンッと胸を叩いてみせた。
三章 変化していく関係
ナハルドは一年かけて完全に力を制御できるようになり、ようやく元の髪色を取り戻した。
彼を取り囲む環境は、その頃にはかなり改善されていた。
ライツェルトの協力も大きかったのだろう。彼が説得したおかげで、使用人の態度もずいぶんと緩和されたようだ。
「オラクルフ伯爵令嬢ですね?」
ナハルドを訪ねて彼の部屋に向かう途中、城のホールでツィーラは声をかけられた。
振り返ると、はちみつ色の髪に、同じ色の髭を蓄えた壮年の男が立っている。ツィーラの父と同じくらいの年齢のようだが、溌剌としていて若く見えた。
「あの……」
彼が誰か分からずにツィーラは戸惑った。
「おっと、申し遅れました。私はザロモ・ヴィルフガングと申します」
「ヴィルフガング宰相! これは失礼いたしました」
名乗られて、ツィーラは慌てて礼をした。
顔は知らなくとも、ヴィルフガングの名前はツィーラでも知っている。この国の宰相であり、現陛下の弟だ。ナハルドの叔父にあたる人物で、言われてみれば髪の色などが似ている。
「そう畏まらなくてかまいませんよ。君にはナハルドやライツェルトが世話になっているみたいですから、一度お礼を言っておきたかったんです」
「お礼……ですか?」
「ええ。ふたりの仲を取り持ってくれたのでしょう?」
「そんな、大したことはしていません」
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