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第3章
失われたもの
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……
………
「心配せずとも、私は何処にも行きませんよ。」
「…っ!?」
一気に意識が覚醒し、真田はがばっと半身を起こした。
「漸くお目覚めですね、真田先生。」
見覚えのある白い天井、保健室か。
「北条…先生…?」
北条は銀縁眼鏡を指先で軽く押し上げていつもの柔和な笑みを浮かべたかと思うと、するりと自身の腕を上げて見せた。
「?」
「私は暫くこのままでも全然構いませんが…。この状態で別の男の名前を呼ぶのは感心いたしませんね。」
「え…?あっ!」
訝しそうに腕に目を向けると、真田はしっかりと北条の手を握り締めていた。
「すっ、すみません!俺寝ぼけてて…っ」
慌てて手を振り解こうとするも、北条はぎゅっと力を入れて更に深く真田と手を絡めてきた。
真田は訳が分からず、困惑した表情で北条を見やる。
「あの…北条せんせ…」
「遊馬と一体何があったんですか?」
「っ!!」
まるで確信をつくような質問に真田は狼狽する。とても誰かに、ましてや他の教師に言える訳がなかった。
男子生徒に貞操を、奪われそうになったなんてーーー。
断片的に思い出される自分の痴態にいたたまれなくなり、真田は顔を伏せた。
「な、なんで遊馬のこと…」
「いえ、ただ保健室に気を失ったあなたを運んできたのが遊馬だったものですから…。何があったのか聞いても、遊馬は黙ったままでしたし。それに真田先生、あなた何度も遊馬の名前を呼んでいましたよ?」
遊馬佐助ーーー。
最早、真田の中では無視できない存在となってしまっていた。まだ出会ってから一日も経ってないというのに。
「あの…気分が悪くなっていた所を…その、遊馬に助けてもらって…そのまま意識を失ってしまったみたいなんです…。」
真田は我ながら下手な言い訳だと思ったが、他に理由が思い浮かばなかった。北条は端整な顔をほんの少し歪め、ため息をつく。
「真田先生、あなた何か持病をお持ちですか?」
「へ?…いえ、特にないですけど…。」
予想外な質問に、真田は答えに詰まってしまう。すると、北条は真田の頬をそっと包み、視線を絡ませる。
相変わらずパーソナルスペース狭いなこの人。
「真田先生のお身体を診させていただきましたが、どうも貧血でも立ち眩みでもないようです。…恐らく、極度の緊張とストレスからくる心因的なものが原因だと思われるのですが…何か心当たりはありますか?」
そう聞かれて、真田は不意にあの得体の知れない感覚に支配された瞬間を思い起こす。
遊馬の蠱惑的な眼光に射抜かれたと思った刹那、全身が雷に打たれたように痺れ、動かなくなってしまったのだ。
声も掠れ、息をするのがやっとの状態だったというのに…。
遊馬に触れられた所が、どうしようもない程熱を帯びてしまった。
「い、いえ…。きっと、慣れない環境からくる疲れが原因だと思います。すみません、情けないですよね…。」
本当に情けなくて涙が出そうだ。
そんな真田の様子を見ていた北条は一瞬何か言いたそうにしたが、それ以上は何も聞かなかった。
北条はゆっくり真田と絡めていた手を解き、ふーっと息を吐いて立ち上がった。
「ま、貴方が話したくないのであれば無理強いはしません。診たところ顔色もあまり良くはないようですし、今日は早くお帰りになられた方がよろしいかと思います。」
「…はい、ありがとうございます。」
やっぱり、北条は少し苦手だけどいい人だと真田は思った。深追いして欲しくない所は、一歩身を引いてくれる。
自分にはそんな器用な事ができない。
だから余計、遊馬を困らせてしまったのだろう。
そう真田が黙考していた時、保健室の扉がガラリと開いて津田が息を切らして入ってきた。
真田は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。
「あ、あの!お騒がせして申し訳ありません。もう大丈夫ですから!」
「真田先生!良かった、気が付いたんですね。いやびっくりしましたよ、先生が倒れられたって聞いて!」
津田は安堵の表情を浮かべる。
「もう心配ないですよ。でも、大事をとって、今日はもう真田先生にはお帰りいただいた方がよろしいかと思います。」
北条がさらりとフォローを入れてくれて、なんだか真田は至極申し訳ない気持ちになった。
「ええ、それは全然構わないのですが…。一つだけ真田先生に頼みがあるんです。」
「あ、はい!何でも言ってください!」
これ以上迷惑をかけたら、真田を紹介した叔父の信用にも関わってくる。
折角、叔父が自分の事を信頼して雇ってくれたというのに、これじゃあ会わせる顔がない。
真田は津田の頼みを二つ返事で承諾した。
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