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第3章
俺とよく似た男
しおりを挟むはぁ、と深いため息を吐きながら、真田は普段よりも重く感じるハンドルを切る。
制限速度よりも遅いスピードを維持しながら助手席を見やると、遊馬が教室に置き去りにしていた鞄とコートが目に入った。
「今日から担任になったんだ。…いつまでも逃げてなんかいられないよな。」
そう自分に言い聞かせるように呟いた。
遡ること数十分前ーーー。
津田に頼まれたのは、無断で早退した遊馬に鞄とコートを届けて欲しいというものだった。
「あ…遊馬、帰っちゃったんですか?」
「普段は無断で帰るような生徒ではないんですけどね。まぁ今日は遊馬も体調がすぐれなかったようですし、大目に見ましょう。」
ドクドクと心臓が早鐘を打つ。
真田は自分自身がわからなくなってきた。
今迄生きてきた中で、女性としかそういう行為をしたことなかったのに…。
遊馬に触れられた唇が、胸が、熱を帯びて疼き出す。真田は動揺を隠すように唇を引き結んだ。
遊馬が無断で帰った理由は何となくわかる気がする。きっと先刻の出来事が原因だろう。
だがそんな事を誰かに話せる訳もなく、真田は気の無い返事を返す。
「…真田先生、私も御同行いたしますか?」
「え…?」
真田の体調を案じてか、北条がするりと肩を抱く。
自分がもし女性だったら、この北条の紳士的な対応に心ときめくかもしれないなぁとボンヤリと頭の片隅で思った。
「いえ、大丈夫です。遊馬の担任は私ですから、責任を持って届けます。」
「…そう、ですか。」
やんわりと北条の腕を払い、真田は遊馬の鞄とコートを受け取った。
「初日から迷惑をかけてすみません。じゃあ、後の事はよろしくお願いします。」
「はい、任せてください。遊馬のこと、よろしくお願いしますね。」
この時、ずっと北条はしきりに何かを考え込んでいたが、真田はそんな事気にも留めなかった。
ーーー車を走らせること数分。
目的地である古びたアパートが見えてきた。駐車場が見当たらなかったため、真田はとりあえずアパートの前に車を横付けして、エンジンを切る。
再び、鼓動が高まっていくのがわかった。
『…落ち着け。忘れ物を届けて、ちゃんと話そう。あんな事をしたのも、きっと遊馬なりの理由がある筈だ。』
そう自分に言い聞かせ、鞄とコートを持って車を降りる。
『確か遊馬の部屋は二階だったな。』
津田先生にもらったメモを確認しながら、ゆっくりと階段を昇る。その度にギシギシと錆びた鉄が軋み、嫌な音をたてた。
二階の角の部屋の前まで来ると、「遊馬」と乱雑な字で書かれたプラスチックの表札が目に入った。
「ここだな…。」
呼び鈴を鳴らそうとした時、部屋に電気が点いていない事に気付いた。
「留守か?」
一応呼び鈴を鳴らすも、やはり応答はない。
出直すべきかと逡巡していた時、また頭の中に痛みが走り、何かの映像がフラッシュバックした。
大きな古い日本家屋、新しい畳の匂い。
着流しのようなものに身を包んだーーー、
『これは…俺か?』
同じ琥珀色の髪を靡かせ、悠々と長い廊下を闊歩する自分とよく似た男を、真田は俯瞰から朧げに見つめる。
辿り着いた場所は、灯りの消えた暗い部屋の前。人の気配はまるでないが、絶対に‘ ’がいると確信した。
男は困ったような顔をして、彼の名を呼んだ。
「 …す、 け……」
真田は酷い頭痛と共に、再び現実へと引きずり戻された。
「…っ!」
思わず頭を抱えて蹲る。
たらりと冷や汗が頬を伝い、コンクリートの床に吸い込まれていった。
『な…っ、なんだ今の…』
自分の中にない、誰かの記憶ーーー?
『一体どうしちまったんだ俺は…。』
真田はふらつきながら立ち上がり、ふと玄関横のすりガラスの窓を見つめた。
暗闇に染まった窓が、先刻の灯りの消えた暗い部屋と重なる。
『…いる、だろうなあいつ。…絶対。』
そんな不確かな確信が頭を過ぎった。
何度も何度も呼び鈴を鳴らすと、暗い部屋の中からドスドスと足音が聞こえ、ガチャリと勢いよく扉が開け放たれた。
「おい小太郎!悪いけど今日は帰ってくれ……」
どうやら渚と勘違いして出てきてしまったようだが、呼び鈴を鳴らしたのが真田だとわかった途端、遊馬は言葉尻を萎ませながら自分の名を呼んだ。
「遊馬…、話がある。入れてくれないか。」
さっきみた幻は、きっと自分にとってとても大切な記憶なのだ。
だけど何故、自分がそれを覚えていないのか真田はわからなかった。
『遊馬はそれを知っているのだろうか?』
遊馬は一瞬躊躇したように見えたが、
「…入れよ」
そう端的に告げた。
真田は深く息を吐き、暗い部屋の中へと足を踏み入れた。
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