上 下
266 / 312
「沖、行くな」

しおりを挟む
 一方、こんなことをしれっとこなした志藤に、雪村は口元を緩ませる。志藤はステージに立つと、そのアンテナの感度や精度がぐっと上がる。だけど、それ以外では周りを見ているようで見れていない男だ。悪気が無いのは明らかに分かるのだが、無神経で不躾な言葉や態度、行動などが時折傍目にさえ目立って見えた。それがまさか他人の心のケアをするまでになるなんて、成長以外の何ものでもない。歌も歌っていない、踊ってもいない。だけど周りを見るための志藤のアンテナは仕上がっている。
 そう確信すると、雪村の中に“自信”がぽっと芽を出した。

 負けるかもしれないなんて弱気になっていたわけではないし、志藤がお荷物だと思っていたわけでもないが、「勝ちたい」という希望ではなく、「勝てる」という勝算を持つことが出来たのだ。
 一ノ瀬は元より周りをよく見る男で、要領もよく、恐ろしく器用だ。志藤のアンテナが立った今、あとは全員が太一に合わせればいい。

 パフォーマンスの主軸は雪村じゃない。太一なのだ。

 どうしたって音楽に乗り始めると、徐々にテンポアップしてしまうもの。だが太一の体に刻まれるビートはメトロノームのように規則正しく、テンポズレをした試しがない。本番中に太一だけを見ながら踊ることは不可能だが、ズレを修正出来る存在がそこにいるというのは、なんとも心強いことだった。
 グループとして100%の力を発揮するには、太一が正常に機能することが何よりも大事。その為のケアを、雪村一人が背負うことはない。志藤という強力な助っ人が今しっかりとそこに仕上がってくれたのだから。土壇場で、というのも志藤には失礼かもしれないが、雪村にとって志藤が本当に頼れる男へと変わっていく。

(勝てる……。志藤の集中力が高まってる)

 それがヒシヒシと伝わっていた。
 志藤は仕上がり、太一はプレッシャーの中で最大の力を発揮するタイプ。一ノ瀬は幼ながらに理性で動くタイプだ。緊張こそしても、それに押しつぶされるほど柔ではない。
 問題は自分だ、と雪村は嘲笑を浮かべた。

 MOMOのデビューが大事なんじゃない。太一の日本残留が大事なのだ。それは図らずも直結しているが、こんなプレッシャーを背負ってステージに立つことなんて今まで経験したことがない。
 それはもちろん雪村に限った話ではないが、今まで先頭に立ち続けていたからこそ覆いかぶさるプレッシャーは他よりも大きかった。メンバーが自分を頼っているのが嫌でもわかるから。

 ― 俺はあんたみたいに完璧じゃない! ―

 蘇る志藤の言葉に雪村はゆっくりと瞳を閉じる。
 その言葉はつまり、雪村がちゃんと完璧に立ち振る舞えているということ。弱い自分を隠せているということだ。

(大丈夫……、俺は…… “雪村涼” だ)

 いつの頃からか呪文のように唱え始めたその言葉。自分を強くしてくれる魔法の言葉。暗示に掛かれば、心臓は小気味よく脈打ち始め “雪村涼” が完成する。いくつもあるスイッチが全てオンになる。

 見開いた瞳に飛び込んでくるパノラマの世界は、色とりどりで鮮明。照明の熱さも、スモークの独特の匂いも、全て雪村の体に馴染んでいく。

 準備は万端。プレッシャーに勝つ為に、彼は “雪村涼” を纏って武装する。この男はこうして最前線に立ち続けている。本当は他人が思っているよりずっと不器用で、ずっと弱い人間なのに。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

二人の王子様はどっちが私の王様?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:5

いつまでアイドルを続けられますか?

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:1

学園のアイドルと同居することになりましたが・・・

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:24

ナツキ

BL / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:2

目が覚めたらαのアイドルだった

BL / 連載中 24h.ポイント:42pt お気に入り:163

処理中です...