黒い花

島倉大大主

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第三章:歩き種

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「『大いなる木を讃える教団』を知っているかね?」
 あたし達二人が乗った車は国道を北に向かっている。時刻は昼の二時を過ぎたあたり。緊急性を考慮し、昼飯はコンビニ弁当と相成った。あたしもそこら辺は理解していたので反対はしなかったが、せめて一番高い奴を、と極上焼肉弁当を真木に奢らせた。ちなみに真木は三色親子丼弁当である。鶏肉が好物なんだそうな。益々もって蛇くさい。
 そして真木は今、万能鍵の呪いと眼精疲労により運転をあたしにおしつけ、助手席で弁当をうまそうに食っているのである。まあ、あたしはすでに駐車場でかきこんだからいいのだけども……左ハンドルの運転なんて初めてで、気持ち悪いことこの上ない。
 あたしはコーラを一口飲むと、小さくげっぷした。
「いや、知らないな。木ってのはあれか、生命の樹だかセフィロトの樹だか呼ばれてるやつ?」
「いや違うんだな、これが。
『大いなる木』は海外から入って来た宗教ではあるのだけど、かなり分派してしまっていてね、今は跡形もないのだ。幾つかの団体に接触したことがあるのだが、どれも独自路線を走りすぎていてね、完全に違う宗教になってしまっているようだ」
「へえ、もう元の影も形もないわけ?」
「その通り。何故か『個人崇拝』が多いのがミソだ。
 とはいえ、見せかけだけのご本尊、というべき『大いなる木』は共通しているんだな。伝え方は違うんだがね。
 で、彼ら彼女らは、『この世界のある場所に立っている巨大な木』を形だけは崇拝しているというのだね。その木はいまだに立っているらしい」
「実在してんのかよ! で、どこにあんのよ? あれか、カナダの国立公園とか」
「いや、実にありそうな場所を挙げるねえ。だが、ぶっちゃけ、わからんのだなあ。場所を知ってる人間には会ったことが無い」
 あたしは記憶を探る。
「そういや、城岩市でフィールドワークした時に聞いた気がするな。樹木信仰みたいな集団が存在しているって」
 真木はほう、と興味深そうな声を上げた。
「それは初耳だ。ところで城岩は何かと都市伝説が多い場所だが、君達はどのくらいの噂を蒐集したかね?」
「結構聞いたね。まあお伽噺レベルの『大ムカデ』とか、いかにも都市伝説な『髪を逆立てた真っ黒い女の噂』とか……」
「ああ、それなら僕も聞いたことがある。うーむ、いずれそれについて色々とディスカッションしたいものだな」
 あたしはそうだな、と軽く流すと話題を戻した。
「で、その胡散臭い環境団体宗教集団がどうしたって?」
「団体と集団が被ってるぞ、君ぃ! 
 つまりね、葦田家にあったあれなんだが、『大いなる』から分派したある教団のシンボルだったりするんだなぁ」
 あたしは唸った。
「ってーと、葦田のおばちゃんは教団員ってわけか」
「かもしれない。ま、ともかく繋がるのであれば追うだけだ。
 ちなみに教団名は『さんぼくのつどい』という。字は判るかね?」
「……讃える木の集まりってところか?」
 真木は箸で弁当箱の縁を叩いて、大正解、と囃し立てた。あたしは溜息をついた。
「勘弁だぜ、ウィッカーマンみたいなオチは」
「ふむ、実はその可能性は無きにしもあらずでね、昔の週刊誌――確か平成一ケタくらいだったかな? それを漁っている時に『賛木ノ集は戦時中に人身御供を捧げていた』なんて記事を読んでね、いや、真偽のほどは判らんよ?」
「火の無い所に煙は立たない……ってねえ」
「そうそうそう! それと某政治結社とべったりで、別称『こっか賛木ノ集』と名乗っていた、という話もある。これはその週刊誌の記事の中心でね、怪しげな宗教が怪しげな連中とつるんどる! これは怖い! って内容なんだが――この『こっか』は国の家と書くわけだよ」
「それはそれは……楽しくなってきたよ。帰りてぇ」
「ちなみに今から行く場所は教団本部跡地だ」
「益々楽しくなってきたね。で、跡地ってことは――」
「ああ、既に解散した後だ。さっきの雑誌の記事によると、その時期に教祖が病死したらしい。そして君に朗報だが、次号に載った追撃記事なるもので、『政治結社はガセ! 実は信者のご家族が、うちの子を返せ! と度々訪れていたのを記者が誤認した!』とオチがつくのだね」
「……ふうん」
「まあ、それでも、ちょっとは期待して、二年前に行ってみたんだが……落書きだらけで風情も糞もなかったよ。調査目的だったから昼に行ったのがいけなかったのだがね。生贄を捧げる祭壇なんかは見つからなかったなあ」
「何を探しとるんだ、あんたは――」
 真木は弁当を喰い終わると、シートに深々と頭を沈めた。
「ところで――取材中に妙な噂を聞いてね」
「噂? 実は教祖が生きている、とか?」
「いや。教祖は死んだ。それは間違いない。
 だが、死んだ教祖は偽物だった。で、本物の教祖を殺して入れ替わったので、その呪いで死んだのだ、とね。当時は趣味の側面が強かったから、黒い連中に絡めて考えた事が無かったんだが――」
 あたしは前方に延々と続く道路を睨みながら、段々と手に力が入るのを感じた。
「……それってよ、今回の事件と同じ、記憶の齟齬ってやつじゃあ……。さっきの政治結社誤認の話だって、同じように聞こえるぜ……」
 あたしが言い終わる前に、コンソールボックスに置かれたスマホが振動した。
 真木は跳ねるようにそれを掴むと、ほうっと嬉しそうに叫ぶ。 
「いいねいいねいいね、どんどん来るねえ! メールが届いたようだ。音読しようか?」
「嫌だと言っても読むだろうに」
「ふへっ、愛しの野町刑事からのメールだ。ええっと、『御霊桃子のロケ現場確定。場所は黒根山』……はっはっは!」
「……もしかしなくても、今から行く教団跡地?」
「大正解だ!!!」
 フロントガラス越しに見える山を指差して、真木は、さあ行くぞっと吠えた。

 国道から県道、更に名もなき山道へと次第に道が細くなっていく。ガードレールが申し訳ない程度の木の柵、そして何もなくなった崖沿いの道と続く。あたしは車の速度を落とそうとするのだが、真木は遅い、遅すぎる、とぎゃんぎゃん吠える。しかたなく、アクセルを適度に踏みつつ、あたしは手に汗握る運転を続けた。
 程なくして崖は終わり、森に入った。やれやれと息を吐く。辺りの景色を見る余裕が出てきた。左右に広がる森は夏の日差しを遮るくらいに茂っている。だがその隙間から見える前方の山肌は草木一本生えていないように見えた。
「なんであれは禿山なんだ」
 真木は時折飛び込んでくる陽射しに右目を細めながらフロントガラス越しに仰ぎ見る。
「ああ、火山なんだが――成程、妙だな」
 三十分前、国道で遠目に見た時は所々に緑があった気がしたんだが……。
「京さん、向かって右側の稜線を見たまえ」
 真木の言った辺りに木が見えた。やがて山の角度が変わっていくに連れ、疑問は氷解した。山の一面だけがごっそりと禿げているのだ。黒ずんだ土が剥きだしの面と、緑が所々生い茂っている面が綺麗に別れている。
「……なんだこれ? 火山ってこんな感じになるんだっけ?」
「可能性はある。もしくは野焼き、何らかの開発が行われたとか? まあ、パイプ等は見当たらないし、ここまで奥まった標高の高い山を野焼きというのは――」
 真木は眼帯を少し上げ、すぐに戻した。
「何が見えた?」
「黒紫の煙みたいな物が山の中腹辺りにたっぷりと漂っている」
 真木は溜息をつくと顔をくしゃりと歪めた。
「似たものを見たことが何度かある。そのうち一つは、そう……北陸の方にかなり有名なお化け屋敷があってね、そこの二階の奥の部屋に漂っていたね。一家惨殺事件があった家なんだが、その部屋に死体を集めたとかなんとか」
「なんなんだ?」
「ああ、うーん……理解してもらえるかどうか判らないが、僕の暗黒脳から出た解答を述べておくか。
 別の世界から何らかのアクセスがあった際に生じる物質がある。これはその場の空気に含まれる様々な物質と向こうの物質が反応して生じる物で、見えるもの見えないもの、無害な物から、辺りに影響を与える物まで種々様々だ」
「ふうん、嫌な気配って奴か?」
「そんな所だ。空気と違う物体だからね、生物は何らかの反応をせざるをえない。まあ、大体が無害だから、気配や臭い程度で済むのだけども、酷いものになると、体調に異常をきたす場合もある。最悪、病気や死ぬ可能性だってある。
 あの山肌には、それがべったりと張り付いているようだね。
 僕はひっくるめて、『瘴気』と呼んでいる。実に厄介な代物だ」
「おっかねえな……。でも、そういうのって、ヤバい場所限定で、まあ、今から行く山はヤバいんだろうが、そこらの住宅街にぽんぽんあるものじゃないんだろう?」
 真木は、うーんと唸った。
「そうだ――と言いたい所なんだが、最近は増加傾向にある。住宅街にもぽんぽんあったりするんだよなあ……」
「はあ!? どうして――って聞いても判らないか」
 真木は窓の外を見ながら、腕を組み、静かに長く息を吐いた。
「判らない。僕や、僕のお友達の仕事が最近とても忙しい。だから、僕は仮説を立てた」
「拝聴しましょう」
 真木は指をスーッと空中で横に走らせた。
「僕らの世界を一本の線とする」
 そして、そこに交わるように大きくS字を書いた。
「他の世界はこのS字だ。世紀の終わりとか終末とか呼ばれる時期に、世界の距離が近くなる場合があるのではないか。この場合、S字と直線が交わる時がピークだ。
 現在が正にその時ではないか、と僕は考える」
「……それはまた、なんて言うか……」
「突飛すぎるかな?」
 いやあ、とあたしは言葉を濁した。
「ちなみに――ちなみにだよ、それってS字ってことは一定周期って事だよな。つまりは、なんつーか……自然な事、なんだよな?」
 真木は静かに首を振った。
「いや、僕はこの周期は『外的な要因で振り幅が変化する』と思っている。例えば『祈り』。救済や破滅を求める祈りに応じて、神や邪神が降臨する神話があるじゃないか」
「じゃ、じゃあ――今、そういう事が起きてる。終末が近いって、先輩は、そう言いたいのか――」
 車は突如、開けた場所に出た。あたしは急ブレーキをかけ、思わず叫んだ。
「うおっ広っ! 駐車場か!」
「いやー、着いた着いた。ここはねえ、教団最盛時には五十台くらいの車が停まっていたらしいねえ」
 所々ひび割れ、盛り上がったり陥没したりして雑草が隙間から勢いよく生えてはいるが、車を停めるスペースは十分だ。
 さて、ここからしばらく歩くぞ、と真木は伸びをした。
「んーっ!! 京さんのお陰で大分休めたね。帰りは僕が運転しよう……おお、見たまえ、携帯が繋がるぞ!」
 あたしはスマホを確認してみる。おお! なんと電波マークが二つだ。携帯電話会社の労力には本当に頭が下がる。
 降りてみると、不思議な感覚に襲われた。
 雲一つない良い天気である。だが、標高が高いせいか暑くない。しかし、風がないので何か息苦しさを感じる。
 瘴気。
 正面に見える黒い山肌から、それが漂ってきているんじゃないかと、あたしは怖くなってきた。
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