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章第一「両面宿儺」
(三)雨中の熱戦となりぬ
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暗いだけならまだしも、雨が降っていると物音がかき消され、相手がどこにいるのかわかりづらい。
裏口を出た彩は、背後を取られないよう壁伝いに前へ進んだ。パトカーだろうか、赤い光が微かに見えている。
裏口から離れてすぐのところ、校舎の外壁が崩れた、その瓦礫の上に、蹲る龍の姿があった。
かなりの出血はしているが、荒く肩を揺らしているあたり、まだ生きてはいるようだ。宿儺の姿はどこにも見えない。
専門ではないが、この隙に応急処置をしておこう。
彩は両手で椀をつくり、そこに向かって息を吹きかける。すると蒲黄が、たちまち溢れんばかりに両手を埋め尽くした。
「傷口は雨で洗い流されているね。あとは、それを傷口に塗して。だいぶ楽になるから」
その一連の行動を見て、龍は驚いたような表情をした。
蒲黄を受け渡し、彩は「安静にしてて」と言い残し、その場を去ろうしたが、「お待ちください!」と龍に呼び止められる。
「ん……?」
「相手は宿儺です。狙いはたぶん、俺です」
蒲黄のおかげか、もうすっかり血は止まっているようで、龍は立ち上がろうとした。
「だから、俺がなんとかしないと……」
「そう……」
彩は前かがみになって、ぐいっと顔を近づける。
どことなく、あのヒトに龍の雰囲気が似ていると思っていたが、道理で、と彩は思う。
暗雲の垂れ込める空を見上げ、彩は太陽があるはずの場所を探した。髪の毛が頬に貼りつき、睫毛にかかった雨の重みで、上手く瞼を開けられない。
彩は腰に右手を当て、鎖骨のあたりに左手を沿わせ、それから胸を反らせた。
「あたしは保食命。こんな見た目だけど、あなたよりは強いと思うよ?」
「はい、承知しています。でも、わざわざ保食神さまの御手を煩わせるわけには……」
「勘違いしないで」彩は深く息を吐いた。「あたしは保食神じゃなくて保食命」
「……えっ?」
「天照大神から拝命されたことを実行するだけで、別にあなたを助けるわけじゃない」
起き上がろうとする龍を押しとどめ、彩は校舎のほうを指さした。
「あなたには、してもらいたいことがあるの。あなたにしか、できないことよ」
用件を簡潔に伝え、雨のなかを走り出す。標的である龍を見失っているせいか、ぱたりと攻撃は止み、あたりには雨音しか聞こえなかったが、まだいることは確実だろう。
もうすでに学校を離れているとは思えない。ただ、闇雲に攻撃を仕かけてくる野蛮人でないことは、ひとつの救いかもしれなかった。
到着したであろう警察官も含め、これ以上の被害を出さないためにも、早いところ相手を倒したほうがいい。彩はそう思った。
空を切る音がした。即座に身を引いて、飛んできた矢を躱す。
その瞬間、日本刀の切れ味鋭い刃先が振り下ろされた。それも間一髪で躱し、武蔵坊弁慶と対峙した牛若丸よろしく峰を蹴って宙を舞う。
兜を被った、ふたりぶんの頭部を通り越し、グラウンドを囲んでいるフェンスに、思いっきり身体をぶつけた。
想像しているよりも端にきていたようだ。フェンスの網目に指を突っ込んでみても、欲しいものには、まるで手が届かない。
また空を切る音が微かに聞こえ、太刀が右方向から飛んでくる。
彩が素早くしゃがみ込むと、慣性力が働いて残された髪の毛の一部を、少しだけ切られてしまった。
今度は逆方向から、足元を狙った攻撃が飛んできて、彩はしゃがんでいた状態から、一気に膝を伸ばす。
田んぼの境界に設けられたフェンスは、見るも無残に真っぷたつへと叩き切られた。
雨水が四方八方に弾け飛ぶ。用水路を跳び越え、畦畔に着地した彩は、植えられてから二週間ばかりが経つ、十センチほどまで成長した稲を二本、掴み取る。
「……いただきます」
そう呟いて稲を振ると、たちどころに刃渡り十センチほどの小刀に姿を変えた。
その小刀を構えて、相手の動向に気を配る。相手が二刀流なら、こちらも二刀流でいこうと思い、農家には申し訳なさを覚えつつ、彩はもう一本を抜く。
少し風が強くなってきたせいか、あたり一帯の気が乱れていた。
普段はさほど感じることのない、木精や野精の気配さえも混ざり合って、宿儺の動きを探知するのが難しくなる。
狙われているのは自分だという、龍の言っていたことが自意識過剰でないなら、彩の頼みに従って、校舎のなかへと入っていった龍を襲うため、宿儺も校舎へと向かうはずだ。
そこには、もちろん最も危惧すべき稲穂もいるし、ほかの大勢の人たちが詰めかけている。是が非でも食い止めておかねばならぬ。
軽々とした身のこなしで、グラウンドへと舞い戻った彩は、そっと目を閉じて耳を澄ませた。
なにかが猛スピードで近づいてくる音が聞こえたため、最小限の動きで身を捩って躱す。その「なにか」は、彩の鼻先を掠めていく。
だがそれに構うことなく、彩は神経を尖らせ続ける。視覚情報をなくし、余計な情報を遮断しているほうが、いつもより早く反応することができるだろう。
暗がりのなかに、四メートル弱ある宿儺の巨体が、ぬっと姿を現した。
宿儺の右足に向かって突撃すると、佩楯と脛当のあいだにある、鎧に守られていない布部分を狙って、小刀の切っ先を力の限り突き刺す。
いくら見た目が小学生といえど力は強いはずだが、わずかに外の袴が切れた程度で、なかの皮膚に至っては少しだけ減り込んだだけだった。
刺さった異物を振り払おうとしてか右足を高く蹴り上げたため、彩は宿儺の足の甲をステップにしてバク宙する。
なんとか着地はできたが、休んでいる暇はない。振り下ろされた太刀を、ふたつの小刀で受け止める。
金属が擦れる音を響かせながら、前方へと火花を散らせて走った。籠手の隙間から見えた皮膚部分に斬りかかる。
X模様の掠り傷はできるが、それほどダメージは受けていないようだった。
矢継ぎ早に繰り出される矢を、側転したり小刀で薙ぎ払ったりして、彩は刀を持っているほうの宿儺の背後へと回る。
刀と違って、矢は遠距離でないと十分な攻撃はできないはずだ。
大きく水飛沫を上げながら方向転換し、彩は弓を持ったほうの宿儺の懐へと飛び込もうとする。
だがその瞬間、地面が鳴動し、バランスを崩してしまう。
目の前で、宿儺は脚を上下に動かしていた。地響きの音が聞こえ、グラウンドの土や芝生が泡雪のごとく舞い散る。
その場に留まざるを得なくなった。土神や草女神の悲鳴が耳を劈く。気を取られていた隙に、宿儺の右足、それも足裏が、彩の眼前まで迫ってきていた。
気がついたときには避けるだけの猶予はなく、彩は顔の前で腕を交差させて防御し、とにかく、もろに食らわないようにするだけで必死だった。
裏口を出た彩は、背後を取られないよう壁伝いに前へ進んだ。パトカーだろうか、赤い光が微かに見えている。
裏口から離れてすぐのところ、校舎の外壁が崩れた、その瓦礫の上に、蹲る龍の姿があった。
かなりの出血はしているが、荒く肩を揺らしているあたり、まだ生きてはいるようだ。宿儺の姿はどこにも見えない。
専門ではないが、この隙に応急処置をしておこう。
彩は両手で椀をつくり、そこに向かって息を吹きかける。すると蒲黄が、たちまち溢れんばかりに両手を埋め尽くした。
「傷口は雨で洗い流されているね。あとは、それを傷口に塗して。だいぶ楽になるから」
その一連の行動を見て、龍は驚いたような表情をした。
蒲黄を受け渡し、彩は「安静にしてて」と言い残し、その場を去ろうしたが、「お待ちください!」と龍に呼び止められる。
「ん……?」
「相手は宿儺です。狙いはたぶん、俺です」
蒲黄のおかげか、もうすっかり血は止まっているようで、龍は立ち上がろうとした。
「だから、俺がなんとかしないと……」
「そう……」
彩は前かがみになって、ぐいっと顔を近づける。
どことなく、あのヒトに龍の雰囲気が似ていると思っていたが、道理で、と彩は思う。
暗雲の垂れ込める空を見上げ、彩は太陽があるはずの場所を探した。髪の毛が頬に貼りつき、睫毛にかかった雨の重みで、上手く瞼を開けられない。
彩は腰に右手を当て、鎖骨のあたりに左手を沿わせ、それから胸を反らせた。
「あたしは保食命。こんな見た目だけど、あなたよりは強いと思うよ?」
「はい、承知しています。でも、わざわざ保食神さまの御手を煩わせるわけには……」
「勘違いしないで」彩は深く息を吐いた。「あたしは保食神じゃなくて保食命」
「……えっ?」
「天照大神から拝命されたことを実行するだけで、別にあなたを助けるわけじゃない」
起き上がろうとする龍を押しとどめ、彩は校舎のほうを指さした。
「あなたには、してもらいたいことがあるの。あなたにしか、できないことよ」
用件を簡潔に伝え、雨のなかを走り出す。標的である龍を見失っているせいか、ぱたりと攻撃は止み、あたりには雨音しか聞こえなかったが、まだいることは確実だろう。
もうすでに学校を離れているとは思えない。ただ、闇雲に攻撃を仕かけてくる野蛮人でないことは、ひとつの救いかもしれなかった。
到着したであろう警察官も含め、これ以上の被害を出さないためにも、早いところ相手を倒したほうがいい。彩はそう思った。
空を切る音がした。即座に身を引いて、飛んできた矢を躱す。
その瞬間、日本刀の切れ味鋭い刃先が振り下ろされた。それも間一髪で躱し、武蔵坊弁慶と対峙した牛若丸よろしく峰を蹴って宙を舞う。
兜を被った、ふたりぶんの頭部を通り越し、グラウンドを囲んでいるフェンスに、思いっきり身体をぶつけた。
想像しているよりも端にきていたようだ。フェンスの網目に指を突っ込んでみても、欲しいものには、まるで手が届かない。
また空を切る音が微かに聞こえ、太刀が右方向から飛んでくる。
彩が素早くしゃがみ込むと、慣性力が働いて残された髪の毛の一部を、少しだけ切られてしまった。
今度は逆方向から、足元を狙った攻撃が飛んできて、彩はしゃがんでいた状態から、一気に膝を伸ばす。
田んぼの境界に設けられたフェンスは、見るも無残に真っぷたつへと叩き切られた。
雨水が四方八方に弾け飛ぶ。用水路を跳び越え、畦畔に着地した彩は、植えられてから二週間ばかりが経つ、十センチほどまで成長した稲を二本、掴み取る。
「……いただきます」
そう呟いて稲を振ると、たちどころに刃渡り十センチほどの小刀に姿を変えた。
その小刀を構えて、相手の動向に気を配る。相手が二刀流なら、こちらも二刀流でいこうと思い、農家には申し訳なさを覚えつつ、彩はもう一本を抜く。
少し風が強くなってきたせいか、あたり一帯の気が乱れていた。
普段はさほど感じることのない、木精や野精の気配さえも混ざり合って、宿儺の動きを探知するのが難しくなる。
狙われているのは自分だという、龍の言っていたことが自意識過剰でないなら、彩の頼みに従って、校舎のなかへと入っていった龍を襲うため、宿儺も校舎へと向かうはずだ。
そこには、もちろん最も危惧すべき稲穂もいるし、ほかの大勢の人たちが詰めかけている。是が非でも食い止めておかねばならぬ。
軽々とした身のこなしで、グラウンドへと舞い戻った彩は、そっと目を閉じて耳を澄ませた。
なにかが猛スピードで近づいてくる音が聞こえたため、最小限の動きで身を捩って躱す。その「なにか」は、彩の鼻先を掠めていく。
だがそれに構うことなく、彩は神経を尖らせ続ける。視覚情報をなくし、余計な情報を遮断しているほうが、いつもより早く反応することができるだろう。
暗がりのなかに、四メートル弱ある宿儺の巨体が、ぬっと姿を現した。
宿儺の右足に向かって突撃すると、佩楯と脛当のあいだにある、鎧に守られていない布部分を狙って、小刀の切っ先を力の限り突き刺す。
いくら見た目が小学生といえど力は強いはずだが、わずかに外の袴が切れた程度で、なかの皮膚に至っては少しだけ減り込んだだけだった。
刺さった異物を振り払おうとしてか右足を高く蹴り上げたため、彩は宿儺の足の甲をステップにしてバク宙する。
なんとか着地はできたが、休んでいる暇はない。振り下ろされた太刀を、ふたつの小刀で受け止める。
金属が擦れる音を響かせながら、前方へと火花を散らせて走った。籠手の隙間から見えた皮膚部分に斬りかかる。
X模様の掠り傷はできるが、それほどダメージは受けていないようだった。
矢継ぎ早に繰り出される矢を、側転したり小刀で薙ぎ払ったりして、彩は刀を持っているほうの宿儺の背後へと回る。
刀と違って、矢は遠距離でないと十分な攻撃はできないはずだ。
大きく水飛沫を上げながら方向転換し、彩は弓を持ったほうの宿儺の懐へと飛び込もうとする。
だがその瞬間、地面が鳴動し、バランスを崩してしまう。
目の前で、宿儺は脚を上下に動かしていた。地響きの音が聞こえ、グラウンドの土や芝生が泡雪のごとく舞い散る。
その場に留まざるを得なくなった。土神や草女神の悲鳴が耳を劈く。気を取られていた隙に、宿儺の右足、それも足裏が、彩の眼前まで迫ってきていた。
気がついたときには避けるだけの猶予はなく、彩は顔の前で腕を交差させて防御し、とにかく、もろに食らわないようにするだけで必死だった。
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