都市型幻想_Log.《凪いだ世界のシグナル》

狐花真凪

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Episode 1: Lunatic Mana ~月狂いの魔術~

#1

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 月が満ちる真宿しんじゅくの夜は、いつもより少しだけ、静かだ。
 幹線通りから外れた路地の奥。白く灯る標識板の下で、彼は被っていたフードをおろし、足を止めた。
 外向きにハネたダークブロンドの癖っ毛が、夏の残骸を帯びた9月の風にふわりと揺れる。
 この都市は“都心部の結界中枢”と呼ばれている。
 だがその割に、夜の空気は妙に緩い。――特に、御苑の裏手は。
 満月。魔力の濃度が上がる夜だ。
 魔術がインフラと化した都市では、その“余波”を隠す結界が至る所に張り巡らされている。
 だが、そうした網にも、時折“綻び”が生じる。
 今夜ここに足を運んだのも、情報屋からの噂だった。『御苑地底第七隔区、たぶん今夜、ナニか出ますよ』得意げに笑う情報屋の顔が脳裏に浮かぶ。
 御苑地下には隔離された遊戯施設が存在している。
 昼間はのどかな公園だが、地下では夜な夜な、妖し気な遊戯が繰り広げられている――というのがこの場所だ。
 柵に囲まれた広い公園という立地は、万が一があった際も対応しやすいという観点から、この公園の地下施設は建設された。
 つまり情報屋の話では、その万が一が今夜起きるだろうという事だった。
「ま、どうせまた未登録の魔法生物あたりだろうけどな」
 気だるげに笑いながら、彼は首にさげたタグを指で弾いた。
 “討伐”の準備は、いつでもできていた。
 彼は悪戯っぽく笑うと、ヘーゼルの瞳を鋭く光らせ、公園を囲む柵を易々と跳び越えた。
 公園に侵入してすぐ、異変を感じる。
 閉園時間からはゆうに6時間。日付も変わった深夜にも関わらず、人の気配がしたのだ。
 そして、何かが地面を這う音も。
 その音はヌチャ……ヌチャ……と、妙に湿り気を帯びていている。
 彼は気配と音のする方へ、忍び足で近づいた。
 雲が晴れ真ん丸の月が顔を出すと、その光に照らされて、感じていた“異変”の正体が見えてきた。
 数メートル先に浮かんできたのはひとつの人影。しかしその人影は宙に浮き、周囲の茂みから生えている何かに、四肢を拘束されているようだった。
「まずいよな、あれ」
 小さく呟くと、彼は腰にさげた短剣の鞘に触れる。
 鞘は音もなく、光もなく、ただ小さく震え、彼の操作を受け入れる。
 安全装置が外れた。
 手慣れた様子で短剣を引き抜き、腰を屈め、茂みから延びている何かを目掛けて跳び掛かった。
 ベチャリ、ベチャリと確かな手ごたえと共に地面には触手のようなもの切り落とされてが転がる。
 その触手は動くこともなく、液体状に変化すると地面へ吸い込まれていく。
「スライムか……。おいアンタ、大丈夫か?」
 彼が振り返ると、そこには同世代と思しき細身の青年が立っていた。
 身長は僅かに己よりは高いだろうか。黒寄りのグレーの髪色が月に照らされ、冷たく光っている。
 グレーの光沢あるワイシャツに黒のベスト、黒のスラックスという整った服装から、お堅い仕事――いや、こんな場所で妙な化け物と対峙していたという状況を考えれば、考えられる仕事などひとつしかない。魔術師だ。
 その魔術師の青年は、口元をすっぽりと隠すマスクをしていた。
 医療用の不織布マスクではないが、ガスマスクほどの堅牢さはい。しかし、ベルトでしっかりと固定されているそれは、防塵というより防護という目的の代物だろう。
 マスク越しに青年が口を開く。
「君、まだ喋らない方がいい。奴ら死んでないよ」
 凛とした、妙に心地の良い声が耳に届く。
 と同時に、茂みから再び触手が飛び出してきた。
 魔術師の青年に気を取られ、反応が遅れた。
 両手両足を拘束され、彼は短剣を取り落とす。
「言わんこっちゃない。でも助かった。可哀想だけど、ちょっとそのままやられてて。大丈夫、死にはしないから」
 あまりの冷静な声に、文句の一つでも言おうと口を開くと、何処からともなく触手が伸び、口内に侵入される。
「んぐっ」
「あ……」
 魔術師の青年が、気の毒そうに眉を寄せた。
「んー! っく、ん……!?」
「薬、ミトに預けてきちゃったんだよな……まぁいいや、とりあえずアレの確保だ」
 魔術師の青年は、足元に落ちていたチェーン付き眼鏡をかける。レンズが僅かに青く光った。
「鋭い雷撃はコアを刺し、その身は氷に包まれ停止する――Shi・Maz・Mun・Isaシ・マズ・ムン・イサ
 長い指が、茂みの中にいる何かを的確に狙う。
 その指先からは細い電撃は放たれ、続いて氷の粒が茂みを覆った。
 ベチャベチャベチャ――
 茂みから延びていた触手たちは液体となり、地面に落ち、広がっていく。
 静寂の中、魔術師の青年は、茂みの中から何かを拾い上げた。
 それは手のひらほどの大きさをした、青い鉱石のような塊だった。その周りでは淡いブルーの光が、炎の様に妖しく揺れている。
「よし、綺麗に確保だ」
 ドサリと後ろで物音が鳴る。
「あ、そうだった。君、大丈夫かい?」
 青年が駆け寄ると、身代わりになるようにして、触手に拘束されていた彼は大きく肩で息をしてた。
「なん……だ、あれ。気持ち悪ぃ……なんか飲まされたし」
「あー、やっぱり飲んじゃったか……」
「あぁ、最悪だ。スライム液なんて」
「うーん、あれただのスライムじゃないんだよ。君、体の様子はどう?」
「どうって……喉の奥に甘ったるい味が残ってるくらで別に――」
 言いかけた彼は不意に顔色を変える。
 胸をおさえ、眉を寄せたかと思うと、徐々に息が浅く短くなっていった。
「まて、なんだこれ」
「催淫剤だよ、君が飲まされたの」
「はぁ⁉」
 そんな馬鹿なと言わんばかりに目を見開いたが、その頬は上気し、彼の体に異変が起きている事は明らかだった。
「ね?」
「ね? じゃねーよっ。どうすんだよこれ」
「僕、今薬持ってないんだよなぁ。別の現場に全部渡してきちゃって」
「なんでだよ!」
「なんでって、柵に囲まれた閉園後の公園なんかに、人が侵入してくると思わなかったからさ」
 パーカーのフードを手繰り寄せ、彼は俯く。
「いや、別に俺だって討伐ギルドに所属してるハンターだ。不法侵入じゃない……」
「フリーの討伐者か。……うん、そうみたいだね。なるほど、武器も認可されてる物みたいだ。けど……ここにアレが出るって情報を発信した覚えはないんだけどね」
「……」
「まぁいいや、それより今は君の処置をしないとまずい」
「処置って、何すんだよ」
「うん。とりあえず、抜いておいで?」
「は?」
「だから、マナによる催淫作用が効いてるだけだから、そのマナを、抜く事で放出してやればいい」
「抜くって……そっちのヌく?」
「そう」
「そう……」
 フードを深く被り、彼は項垂れた。
「わかった、見るんじゃねーぞ」
「見ないよ。プライバシーはちゃんと守るタイプだからね、僕」
 フードで口元をおさえ、彼は足早に茂みに身を隠す。
 沈黙。ひたすら沈黙。
 妙に居心地の悪い時間が流れた。
 しばらくして、茂みから彼が戻ってくるが、その顔色は良くなってるとは言い難かった。
「なあ、変わらねぇんだけど……」
 足元がふらついている。
 ヘーゼルの瞳は濡れ、体は小刻みに震えていた。
 明らかに悪化している。
「え、君……もしかしてだけど」
 魔術師の青年が、ブルーグレーの瞳をじっと向ける。
「“後ろ”、侵入された?」
「……たぶん」
 絶望というにふさわしい表情を彼は浮かべていた。
「あー……となると」
 魔術師の青年が眼鏡を外し、胸ポケットに仕舞い込む。
「ごめんね、僕が処置しないとまずいや、君」
 青年が優し気に笑う。
 安心させるために浮かべた笑顔だろうが、その妙に美しい顔はむしろ恐怖を煽るだけだった。
「なんだよ、処置って。怖いよアンタ」
 彼が後ずさると、青年に腕を取られる。
「逃げないで。処置しないと君、気が狂って死んでしまうかもしれない」
「冗談……」
「なわけないでしょ。君だってギルドに登録してるプロだ。ああいった魔物がどれだけ危険か知ってるよね」
「……処置って、何するんだ」
 観念したように彼は座り込む。
 青年も合わせるようにしてしゃがみ込んだ。
「今、君の体内にはあのスライムのマナが固まりとして滞在してる状態だ。マナは万物を構成するエネルギー。生き物にとっては生命エネルギーになるし、無機物にとっては存在意義となる。マナは生物の進化の過程で多種多様に変化し、他種族のマナを直接受けると拒絶反応が起こる。まあ血液と一緒だね。拒絶反応と言っても、血液と違って体の不調を起こすわけではなく、ただ霧散す――」
「わかった、わかったから。そんな悠長に説明を聞いてる余裕、無いんだよもう。つまり、俺はアンタに何をされるんだ?」
「そうだったね。じゃあ端的に言おう。君の体内に滞在している魔物のマナに、僕のマナをぶつける。一番簡単なマナの塊って何か知ってるかい?」
 後ろに侵入された、そこにマナをぶつける。マナは生命エネルギー。
 これら連想される物といえば――。
「答えたくねぇ」
「まあ、そういう事だよ」
「冗談だよな……?」
「この状況で?」
「……」
 黙り込んだ彼に、青年は囁く。
「だから、ごめんねって言ったんだよ。……君、名前は?」
「シグ……」
「そうか、シグ。僕はナギだ。術理安全管理局A.M.S.A.アムサの技術者件、魔術師だ。一応公務員だから、不法行為はしない。職場も近くだよ。安心して」
「どういう安心だよそれ」
 雲が月を隠していく。
 月の光を仄かに遠し、ブルーグレーに染まった雲と同じ色の瞳を、ナギと名乗った青年がシグを射抜いた。
 ナギの手が、シグの頬に触れる。
 雲は月をすっぽりと隠し、辺りは闇に包まれた。
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