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第5話 食事の時間がつらい
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人間が生きるために必要な行為はいくつかあるが、その中で最も社会的苦痛を伴うのが家族との食事であると、私は常々考えている。特に、その家族関係が腐敗した沼地のようにドロドロとしている場合はなおさらだ。
その日の夕食も、憂鬱という名のスパイスがたっぷりと効いていた。公爵家のダイニングルーム。シャンデリアの光が無駄に明るく、テーブルに並ぶ銀食器を照らしている。この銀食器を磨くための研磨剤の費用だけでも、平民の一ヶ月の食費が賄えるだろう。
上座には、病み上がりの父ではなく、なぜか継母イザベルが鎮座している。その右隣には娘のローザ。私は末席で、冷めかけたスープを口に運んでいた。
「――それでね、お母様。新しいドレスのデザインなんだけど、やっぱりレースはこれくらい使いたいなって」
ローザが楽しげに話している。彼女の前にある皿は、メインディッシュの子羊のローストだ。脂が乗っていて美味しそうだが、今の私の胃には重すぎる。対して、私の皿には申し訳程度の肉と、飾り切りの野菜。厨房への嫌がらせ指示だろうか? いいえ、単にイザベルが「セリーヌはダイエット中でしょう?」と勝手に決めたからだ。カロリー計算の手間が省けて助かると強がっておこう。
「あら、素敵じゃない。ローザは肌が白いから、その色のレースがよく映えるわ。……ねえ、セリーヌ。聞いてるの?」
イザベルの鋭い声が飛んできた。私はスープスプーンを丁寧に置き、ナプキンで口元を拭ってから顔を上げた。
「はい、継母様。ローザの肌の白さと、レースの透光率の相関関係についてのお話でしたね」
「本当に可愛げのない返しね。……そういえば聞いたわよ。あなた、厨房に妙な指示を出したそうじゃない」
来た。私は心の中でゴングを鳴らす。第1ラウンド開始だ。
「妙な指示、とは?」
「『天使のおやつ』を禁止したとか。あの子が楽しみにしているタルトを奪うなんて、姉として恥ずかしくないの?」
「恥じるべきは、私の指示ではなく、ローザの血糖値と我が家のエンゲル係数です」
私は淡々と事実を陳列する。
「先月の砂糖と卵の消費量は、適正値を三〇〇パーセント超過していました。これは異常事態です。屋敷の維持費が逼迫している現状で、特定の個人の嗜好品に予算を割く余裕はありません」
「まあ! たかがお菓子ごときで、そんなに目くじらを立てなくてもいいじゃない。ケチくさいわねぇ、先代(あなたの母親)にそっくり」
イザベルが扇子で口元を隠して笑う。その扇子も、先月新調したものだ。象牙に螺鈿細工。金貨十枚。私のこめかみで、血管がまた一つ悲鳴を上げる。
「それにね、セリーヌ。お金がないなら、あなたがなんとかすればいいじゃない。あなた、そういう『裏方』の仕事が得意なんでしょう? 数字をいじって、どこかから捻出するの。それがあなたの役目でしょ?」
イザベルの言葉には、一片の悪意もなかった。それが一番の恐怖だ。彼女は本気で思っているのだ。『金はセリーヌが魔法のように湧かせるもの』だと。農業を知らない人間が、種を蒔かずに収穫だけを求めるのに似ている。無知は罪であり、かつ最強の凶器だ。
「……お母様、やめてあげて」
そこで、ローザが可愛らしく割って入った。助け舟? まさか。これはもっと質の悪い追撃だ。
「お姉様だって、意地悪でしたわけじゃないと思うの。きっと、エドガー様とのことで虫の居所が悪かったのよ。……ね? お姉様」
ローザが首を傾げる。その瞳の奥に、歪んだ優越感が揺らめいているのを私は見逃さなかった。彼女は知っているのだ。私が、昼間の温室での情事を目撃していたかもしれないことを。試されているのか挑発されている。
「エドガー様とのこと? 何かあったの?」
「ううん、なんでもなーい。ね、お姉様?」
私はナイフとフォークを置いた。カチャリ、と硬質な音が響く。これ以上、この空間にいると酸素欠乏症になりそうだ。
「……失礼します。少し、頭痛がしますので」
「あら、お大事に。頭を使う仕事ばかりしているからよ。女は愛嬌、って教えなかったかしら?」
継母の嘲笑を背に受けながら、私はダイニングルームを後にした。廊下に出た瞬間、吐き気がこみ上げる。食べかけのスープが、胃の中で鉛のように重く冷たく固まっていた。あれは食事ではなく、精神を削るための儀式だ。
私は自室に戻る足で進路を変えた。向かう先は、父バラックの寝室だ。
その日の夕食も、憂鬱という名のスパイスがたっぷりと効いていた。公爵家のダイニングルーム。シャンデリアの光が無駄に明るく、テーブルに並ぶ銀食器を照らしている。この銀食器を磨くための研磨剤の費用だけでも、平民の一ヶ月の食費が賄えるだろう。
上座には、病み上がりの父ではなく、なぜか継母イザベルが鎮座している。その右隣には娘のローザ。私は末席で、冷めかけたスープを口に運んでいた。
「――それでね、お母様。新しいドレスのデザインなんだけど、やっぱりレースはこれくらい使いたいなって」
ローザが楽しげに話している。彼女の前にある皿は、メインディッシュの子羊のローストだ。脂が乗っていて美味しそうだが、今の私の胃には重すぎる。対して、私の皿には申し訳程度の肉と、飾り切りの野菜。厨房への嫌がらせ指示だろうか? いいえ、単にイザベルが「セリーヌはダイエット中でしょう?」と勝手に決めたからだ。カロリー計算の手間が省けて助かると強がっておこう。
「あら、素敵じゃない。ローザは肌が白いから、その色のレースがよく映えるわ。……ねえ、セリーヌ。聞いてるの?」
イザベルの鋭い声が飛んできた。私はスープスプーンを丁寧に置き、ナプキンで口元を拭ってから顔を上げた。
「はい、継母様。ローザの肌の白さと、レースの透光率の相関関係についてのお話でしたね」
「本当に可愛げのない返しね。……そういえば聞いたわよ。あなた、厨房に妙な指示を出したそうじゃない」
来た。私は心の中でゴングを鳴らす。第1ラウンド開始だ。
「妙な指示、とは?」
「『天使のおやつ』を禁止したとか。あの子が楽しみにしているタルトを奪うなんて、姉として恥ずかしくないの?」
「恥じるべきは、私の指示ではなく、ローザの血糖値と我が家のエンゲル係数です」
私は淡々と事実を陳列する。
「先月の砂糖と卵の消費量は、適正値を三〇〇パーセント超過していました。これは異常事態です。屋敷の維持費が逼迫している現状で、特定の個人の嗜好品に予算を割く余裕はありません」
「まあ! たかがお菓子ごときで、そんなに目くじらを立てなくてもいいじゃない。ケチくさいわねぇ、先代(あなたの母親)にそっくり」
イザベルが扇子で口元を隠して笑う。その扇子も、先月新調したものだ。象牙に螺鈿細工。金貨十枚。私のこめかみで、血管がまた一つ悲鳴を上げる。
「それにね、セリーヌ。お金がないなら、あなたがなんとかすればいいじゃない。あなた、そういう『裏方』の仕事が得意なんでしょう? 数字をいじって、どこかから捻出するの。それがあなたの役目でしょ?」
イザベルの言葉には、一片の悪意もなかった。それが一番の恐怖だ。彼女は本気で思っているのだ。『金はセリーヌが魔法のように湧かせるもの』だと。農業を知らない人間が、種を蒔かずに収穫だけを求めるのに似ている。無知は罪であり、かつ最強の凶器だ。
「……お母様、やめてあげて」
そこで、ローザが可愛らしく割って入った。助け舟? まさか。これはもっと質の悪い追撃だ。
「お姉様だって、意地悪でしたわけじゃないと思うの。きっと、エドガー様とのことで虫の居所が悪かったのよ。……ね? お姉様」
ローザが首を傾げる。その瞳の奥に、歪んだ優越感が揺らめいているのを私は見逃さなかった。彼女は知っているのだ。私が、昼間の温室での情事を目撃していたかもしれないことを。試されているのか挑発されている。
「エドガー様とのこと? 何かあったの?」
「ううん、なんでもなーい。ね、お姉様?」
私はナイフとフォークを置いた。カチャリ、と硬質な音が響く。これ以上、この空間にいると酸素欠乏症になりそうだ。
「……失礼します。少し、頭痛がしますので」
「あら、お大事に。頭を使う仕事ばかりしているからよ。女は愛嬌、って教えなかったかしら?」
継母の嘲笑を背に受けながら、私はダイニングルームを後にした。廊下に出た瞬間、吐き気がこみ上げる。食べかけのスープが、胃の中で鉛のように重く冷たく固まっていた。あれは食事ではなく、精神を削るための儀式だ。
私は自室に戻る足で進路を変えた。向かう先は、父バラックの寝室だ。
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