幼馴染を溺愛する彼へ ~婚約破棄はご自由に~

佐藤 美奈

文字の大きさ
3 / 83

第3話

しおりを挟む
「彼女、体が弱いから、空気の綺麗な場所で、静かに過ごさせてあげたくて。あの別荘なら、きっと彼女も……」

「……私と婚約破棄して、あの別荘を、ローズ嬢に譲ってほしいと。そういうこと?」

私の声が、自分でも驚くほど低くなった。

「本当に、すまない! この通りだ!」

彼は椅子から滑り落ちるようにして床に膝をついた。王族が、プライドも何もなく、ただひたすらに頭を下げる。その姿は、同情を誘うには十分すぎるほど必死だった。

「二人で、住むつもりなのね」

「あ……ああ。最期の時まで、僕がそばにいる」

すごい。本当にすごい。婚約者との未来を一方的に壊しておいて、その婚約者から奪った家で別の女と暮らす。その神経が、もはや芸術の域に達しているとさえ思えた。

彼は私が、どうぞと全てを差し出すとでも思っているのだろうか。公爵令嬢アイラは、物分かりが良くて心優しい都合のいい女だと。きっと、そうなのだろう。彼は私のことなんて、これっぽっちも見ていなかったのだから。

涙を流せば、何でも許されると思っている。必死な姿を見せれば、相手がほだされると信じている。その無邪気な傲慢さが私の心の奥底で、ずっと眠っていた何かを静かに揺り起こした。

それは怒り、という一言では片付けられないもっと複雑で熱い感情。

「……少し、考えさせてください」

私は、努めて冷静に、そう告げた。床にひれ伏すオリバーの頭頂部を見下ろしながら。

「アイラ……」

「今日のところは、お引き取りを。頭を、上げてください、王子。みっともないですわ」

いつもと違う私の冷たい言い方に、彼はびくりと肩を震わせた。そして、ゆっくりと顔を上げる。その青い瞳には、戸惑いの色が浮かんでいた。いつも通りの穏やかなアイラとは違う何かを感じ取ったのかもしれない。

彼が、どこか居心地の悪そうな様子で退室していくのを、私は背筋を伸ばして見送った。扉が閉まり、部屋に静寂が戻る。

一人になった温室で、私はゆっくりと息を吐いた。ぬるくなった紅茶を一口飲む。甘いはずの紅茶が、ひどく苦く感じた。

婚約破棄。そして、私の大切な別荘の譲渡。

ふざけるな、と思った。

彼の涙にほだされる私じゃない。彼の悲劇に、付き合ってあげる義理もない。可哀想な私、という物語のヒロインを演じる趣味も持ち合わせていない。

オリバー。あなたは、間違った相手に喧嘩を売った。

私は、公爵令嬢アイラ。ただのお飾りの人形じゃない。あなたたちが思い描くような都合のいい女でもない。

私の大切なものを、理由もなく踏み荒らされ、黙って引き下がるほど私は弱くはない。

「面白いじゃない」

思わず、口の端が吊り上がった。

穏やかで退屈だった日常は、もう終わり。彼が、終わらせてくれた。

これから始まるのは、きっと、もっとずっと面白いゲームだ。ルールは、私が決める。

私は椅子から立ち上がり窓の外を見た。空は、皮肉なほどに青く澄み渡っている。

さて、どうしてくれようか。

まずは、その余命一年の可哀想なヒロイン、ローズ・キングダム男爵令嬢について、詳しく調べてみることにしよう。本当に、彼女はオリバーが言うような儚い花なのでしょうか。

私の胸の中に、冷たい炎が静かに燃え始めるのを感じながら、私はゆっくりと、次の一手を考え始めた。この理不尽な要求を、ただ突っぱねるだけではつまらない。どうせなら、彼らが二度と私の前に立てないくらい華麗に、この茶番を終わらせてあげよう。

オリバー、そしてまだ見ぬローズ。あなたたちの望む結末には、決してならない。物語の結末を決めるのは、いつだって最後まで舞台に立っていた者なのだから。

そして、その舞台の主役は他の誰でもない、この私だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹と王子殿下は両想いのようなので、私は身を引かせてもらいます。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるラナシアは、第三王子との婚約を喜んでいた。 民を重んじるというラナシアの考えに彼は同調しており、良き夫婦になれると彼女は考えていたのだ。 しかしその期待は、呆気なく裏切られることになった。 第三王子は心の中では民を見下しており、ラナシアの妹と結託して侯爵家を手に入れようとしていたのである。 婚約者の本性を知ったラナシアは、二人の計画を止めるべく行動を開始した。 そこで彼女は、公爵と平民との間にできた妾の子の公爵令息ジオルトと出会う。 その出自故に第三王子と対立している彼は、ラナシアに協力を申し出てきた。 半ば強引なその申し出をラナシアが受け入れたことで、二人は協力関係となる。 二人は王家や公爵家、侯爵家の協力を取り付けながら、着々と準備を進めた。 その結果、妹と第三王子が計画を実行するよりも前に、ラナシアとジオルトの作戦が始まったのだった。

【完結】私ではなく義妹を選んだ婚約者様

水月 潮
恋愛
セリーヌ・ヴォクレール伯爵令嬢はイアン・クレマン子爵令息と婚約している。 セリーヌは留学から帰国した翌日、イアンからセリーヌと婚約解消して、セリーヌの義妹のミリィと新たに婚約すると告げられる。 セリーヌが外国に短期留学で留守にしている間、彼らは接触し、二人の間には子までいるそうだ。 セリーヌの父もミリィの母もミリィとイアンが婚約することに大賛成で、二人でヴォクレール伯爵家を盛り立てて欲しいとのこと。 お父様、あなたお忘れなの? ヴォクレール伯爵家は亡くなった私のお母様の実家であり、お父様、ひいてはミリィには伯爵家に関する権利なんて何一つないことを。 ※設定は緩いので、物語としてお楽しみ頂けたらと思います ※最終話まで執筆済み 完結保証です *HOTランキング10位↑到達(2021.6.30) 感謝です*.* HOTランキング2位(2021.7.1)

「誰もお前なんか愛さない」と笑われたけど、隣国の王が即プロポーズしてきました

ゆっこ
恋愛
「アンナ・リヴィエール、貴様との婚約は、今日をもって破棄する!」  王城の大広間に響いた声を、私は冷静に見つめていた。  誰よりも愛していた婚約者、レオンハルト王太子が、冷たい笑みを浮かべて私を断罪する。 「お前は地味で、つまらなくて、礼儀ばかりの女だ。華もない。……誰もお前なんか愛さないさ」  笑い声が響く。  取り巻きの令嬢たちが、まるで待っていたかのように口元を隠して嘲笑した。  胸が痛んだ。  けれど涙は出なかった。もう、心が乾いていたからだ。

捨てた私をもう一度拾うおつもりですか?

ミィタソ
恋愛
「みんな聞いてくれ! 今日をもって、エルザ・ローグアシュタルとの婚約を破棄する! そして、その妹——アイリス・ローグアシュタルと正式に婚約することを決めた! 今日という祝いの日に、みんなに伝えることができ、嬉しく思う……」 ローグアシュタル公爵家の長女――エルザは、マクーン・ザルカンド王子の誕生日記念パーティーで婚約破棄を言い渡される。 それどころか、王子の横には舌を出して笑うエルザの妹――アイリスの姿が。 傷心を癒すため、父親の勧めで隣国へ行くのだが……

【完結】私に可愛げが無くなったから、離縁して使用人として雇いたい? 王妃修行で自立した私は離縁だけさせてもらいます。

西東友一
恋愛
私も始めは世間知らずの無垢な少女でした。 それをレオナード王子は可愛いと言って大層可愛がってくださいました。 大した家柄でもない貴族の私を娶っていただいた時には天にも昇る想いでした。 だから、貴方様をお慕いしていた私は王妃としてこの国をよくしようと礼儀作法から始まり、国政に関わることまで勉強し、全てを把握するよう努めてまいりました。それも、貴方様と私の未来のため。 ・・・なのに。 貴方様は、愛人と床を一緒にするようになりました。 貴方様に理由を聞いたら、「可愛げが無くなったのが悪い」ですって? 愛がない結婚生活などいりませんので、離縁させていただきます。 そう、申し上げたら貴方様は―――

婚約破棄にはなりました。が、それはあなたの「ため」じゃなく、あなたの「せい」です。

百谷シカ
恋愛
「君がふしだらなせいだろう。当然、この婚約は破棄させてもらう」 私はシェルヴェン伯爵令嬢ルート・ユングクヴィスト。 この通りリンドホルム伯爵エドガー・メシュヴィツに婚約破棄された。 でも、決して私はふしだらなんかじゃない。 濡れ衣だ。 私はある人物につきまとわれている。 イスフェルト侯爵令息フィリップ・ビルト。 彼は私に一方的な好意を寄せ、この半年、あらゆる接触をしてきた。 「君と出会い、恋に落ちた。これは運命だ! 君もそう思うよね?」 「おやめください。私には婚約者がいます……!」 「関係ない! その男じゃなく、僕こそが君の愛すべき人だよ!」 愛していると、彼は言う。 これは運命なんだと、彼は言う。 そして運命は、私の未来を破壊した。 「さあ! 今こそ結婚しよう!!」 「いや……っ!!」 誰も助けてくれない。 父と兄はフィリップ卿から逃れるため、私を修道院に入れると決めた。 そんなある日。 思いがけない求婚が舞い込んでくる。 「便宜上の結婚だ。私の妻となれば、奴も手出しできないだろう」 ランデル公爵ゴトフリート閣下。 彼は愛情も跡継ぎも求めず、ただ人助けのために私を妻にした。 これは形だけの結婚に、ゆっくりと愛が育まれていく物語。

「役立たず」と婚約破棄されたけれど、私の価値に気づいたのは国中であなた一人だけでしたね?

ゆっこ
恋愛
「――リリアーヌ、お前との婚約は今日限りで破棄する」  王城の謁見の間。高い天井に声が響いた。  そう告げたのは、私の婚約者である第二王子アレクシス殿下だった。  周囲の貴族たちがくすくすと笑うのが聞こえる。彼らは、殿下の隣に寄り添う美しい茶髪の令嬢――伯爵令嬢ミリアが勝ち誇ったように微笑んでいるのを見て、もうすべてを察していた。 「理由は……何でしょうか?」  私は静かに問う。

幼馴染と仲良くし過ぎている婚約者とは婚約破棄したい!

ルイス
恋愛
ダイダロス王国の侯爵令嬢であるエレナは、リグリット公爵令息と婚約をしていた。 同じ18歳ということで話も合い、仲睦まじいカップルだったが……。 そこに現れたリグリットの幼馴染の伯爵令嬢の存在。リグリットは幼馴染を優先し始める。 あまりにも度が過ぎるので、エレナは不満を口にするが……リグリットは今までの優しい彼からは豹変し、権力にものを言わせ、エレナを束縛し始めた。 「婚約破棄なんてしたら、どうなるか分かっているな?」 その時、エレナは分かってしまったのだ。リグリットは自分の侯爵令嬢の地位だけにしか興味がないことを……。 そんな彼女の前に現れたのは、幼馴染のヨハン王子殿下だった。エレナの状況を理解し、ヨハンは動いてくれることを約束してくれる。 正式な婚約破棄の申し出をするエレナに対し、激怒するリグリットだったが……。

処理中です...