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第7話
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私がアンナに調査を命じてから、毎日のように、私の元には余命一年のローズ・キングダム嬢の華麗なる日常が届けられた。それはもはや報告書というより、社交界のゴシップ欄を読んでいるような気分だった。
『本日午前、ローズ嬢、王都中央区の帽子店にて、新作の帽子を三点購入。終始、店主と楽しげに談笑』
『昨日午後、オリバー殿下とオペラ鑑賞。演目は情熱的な恋愛悲劇。ローズ嬢、大変感動した様子』
『三日前、隣町の有名なパティスリーまで足を運び、限定のケーキを食す。馬車での移動中も、特に体調を崩す様子は見られず』
報告を聞きながら、私は静かにティーカップを傾ける。カップの縁に描かれた金彩が、皮肉っぽくきらりと光った。
「ずいぶんと、お元気なのね。死を目前にした病人というのは」
「はい。我々の監視下にある限り、彼女が病に苦しむそぶりを見せたことは、一度もございません」
アンナはいつも通り、淡々と事実を述べる。その無機質な声が、逆に彼らの嘘を際立たせた。
もう、呆れるという感情さえ、どこかに消えてしまいそうだった。彼らは、私という存在を、一体なんだと思っているのだろう。物語の背景として描かれる都合のいい木か何かだと思っているのだろうか。
私が何も知らず、何も考えず、ただ彼らの言うがままに悲しみ、同情すると本気で信じている。その傲慢さが、私を苛立たせるというより、もはや面白くさえあった。
彼らの人生は、三流役者が演じる安っぽいメロドラマだ。観客は私一人。そして、入場料は、父が私に譲ってくれた、かけがえのないあの別荘というわけか。
「随分と、高くついた観劇料ね」
私の呟きに、アンナは答えなかった。ただ、彼女の灰色の瞳の奥に、私と同じ種類の、冷たい光が宿っているのを私は知っていた。
そして、運命の日がやってくる。あの日から、ちょうど十日目の午後だった。
いつものようにアンナが報告に来たが、その日の彼女は、どこか空気が違った。張り詰めた、とでも言うのだろうか。彼女が手にしていたのは、いつもの報告書の羊皮紙ではなく小さな水晶玉だった。それは、音声を記録するための高価な魔道具だ。
「お嬢様」
アンナの声は、いつもよりわずかに低かった。
「決定的な証拠が、手に入りました」
私は読んでいた本を閉じ、彼女に向き直った。心臓が、嫌な音を立てて脈打つのを感じる。嵐が、すぐそこまで来ている。
「昨夜、オリバー殿下とローズ嬢が、人目を忍んで王都の外れにある酒場の個室で会っているとの情報を掴みました。すぐさま、最も腕の立つ部下を向かわせ、隣室から会話の記録に成功いたしました」
「……聞かせて」
私の声は、自分でも驚くほど穏やかだった。まるで、これから起こる全てを、受け入れる準備ができていたかのように。
アンナが頷き、水晶玉にそっと魔力を注ぐ。ふわり、と淡い光が灯り、ノイズと共に聞き慣れた声が流れ始めた。
『――ねえ、オリバー。本当に大丈夫なんでしょうね?』
甘ったるい猫なで声。ローズ・キングダム嬢の声だ。報告書の中の人物が、初めて生々しい実体を持って私の前に現れた。
『ああ、問題ないさ。アイツ、俺の話を全部信じ込んでる』
次に聞こえてきたのは、紛れもなく、私の婚約者の声だった。でも、それは私が知っている優しくて、どこか頼りない王子の声ではなかった。軽薄で人を小馬鹿にしたような下品な響きをしていた。
アイツ。彼は、私のことをそう呼ぶのか。
『「余命一年だ」って言って、俺が泣き崩れてみせたらさ、アイラときたら、本当に同情しちゃって。あの、いつもすました顔が、傑作だったよ』
はは、とオリバーの乾いた笑い声が響く。私の鼓膜を、鋭い針で突き刺すような痛み。
『ふふ、ちょろいわね! さすがは王子様の涙、効果は絶大だこと! でも、本当にあの別荘、手に入るの? 私、すっごく気に入っちゃったのよ。あの薔薇の庭で、あなたとお茶を飲むのが、今の夢だわ』
『もうすぐだよ。アイラは「少し考えさせて」なんて言ってたけど、あれはもう落ちたも同然のサインさ。公爵令嬢としてのプライドがあるから、即答は避けただけだ。優しいからな、アイツは。俺が本気で悲しんでると思ってる』
優しいから。その言葉が、私の胸に深く深く突き刺さった。私の善意と気遣いは、彼らにとっては、ただ利用するための道具でしかなかった。
『早く手に入れて、私の家の借金もなんとかしてちょうだいね。父様も母様も、もう限界だって言ってるんだから』
『分かってるって。公爵家の別荘を一つ手に入れれば、それを担保にいくらでも金は作れる。君の家を助けるくらい、お安い御用さ。そのために、俺は王子の身分を捨ててまで、君を選ぶんだからな』
『愛してるわ、オリバー! あなたこそ、私の本当の王子様よ!』
『ああ、ローズ。俺もだ』
ちゅ、という水っぽい接吻の音がして、水晶玉の光はふっと消えた。
『本日午前、ローズ嬢、王都中央区の帽子店にて、新作の帽子を三点購入。終始、店主と楽しげに談笑』
『昨日午後、オリバー殿下とオペラ鑑賞。演目は情熱的な恋愛悲劇。ローズ嬢、大変感動した様子』
『三日前、隣町の有名なパティスリーまで足を運び、限定のケーキを食す。馬車での移動中も、特に体調を崩す様子は見られず』
報告を聞きながら、私は静かにティーカップを傾ける。カップの縁に描かれた金彩が、皮肉っぽくきらりと光った。
「ずいぶんと、お元気なのね。死を目前にした病人というのは」
「はい。我々の監視下にある限り、彼女が病に苦しむそぶりを見せたことは、一度もございません」
アンナはいつも通り、淡々と事実を述べる。その無機質な声が、逆に彼らの嘘を際立たせた。
もう、呆れるという感情さえ、どこかに消えてしまいそうだった。彼らは、私という存在を、一体なんだと思っているのだろう。物語の背景として描かれる都合のいい木か何かだと思っているのだろうか。
私が何も知らず、何も考えず、ただ彼らの言うがままに悲しみ、同情すると本気で信じている。その傲慢さが、私を苛立たせるというより、もはや面白くさえあった。
彼らの人生は、三流役者が演じる安っぽいメロドラマだ。観客は私一人。そして、入場料は、父が私に譲ってくれた、かけがえのないあの別荘というわけか。
「随分と、高くついた観劇料ね」
私の呟きに、アンナは答えなかった。ただ、彼女の灰色の瞳の奥に、私と同じ種類の、冷たい光が宿っているのを私は知っていた。
そして、運命の日がやってくる。あの日から、ちょうど十日目の午後だった。
いつものようにアンナが報告に来たが、その日の彼女は、どこか空気が違った。張り詰めた、とでも言うのだろうか。彼女が手にしていたのは、いつもの報告書の羊皮紙ではなく小さな水晶玉だった。それは、音声を記録するための高価な魔道具だ。
「お嬢様」
アンナの声は、いつもよりわずかに低かった。
「決定的な証拠が、手に入りました」
私は読んでいた本を閉じ、彼女に向き直った。心臓が、嫌な音を立てて脈打つのを感じる。嵐が、すぐそこまで来ている。
「昨夜、オリバー殿下とローズ嬢が、人目を忍んで王都の外れにある酒場の個室で会っているとの情報を掴みました。すぐさま、最も腕の立つ部下を向かわせ、隣室から会話の記録に成功いたしました」
「……聞かせて」
私の声は、自分でも驚くほど穏やかだった。まるで、これから起こる全てを、受け入れる準備ができていたかのように。
アンナが頷き、水晶玉にそっと魔力を注ぐ。ふわり、と淡い光が灯り、ノイズと共に聞き慣れた声が流れ始めた。
『――ねえ、オリバー。本当に大丈夫なんでしょうね?』
甘ったるい猫なで声。ローズ・キングダム嬢の声だ。報告書の中の人物が、初めて生々しい実体を持って私の前に現れた。
『ああ、問題ないさ。アイツ、俺の話を全部信じ込んでる』
次に聞こえてきたのは、紛れもなく、私の婚約者の声だった。でも、それは私が知っている優しくて、どこか頼りない王子の声ではなかった。軽薄で人を小馬鹿にしたような下品な響きをしていた。
アイツ。彼は、私のことをそう呼ぶのか。
『「余命一年だ」って言って、俺が泣き崩れてみせたらさ、アイラときたら、本当に同情しちゃって。あの、いつもすました顔が、傑作だったよ』
はは、とオリバーの乾いた笑い声が響く。私の鼓膜を、鋭い針で突き刺すような痛み。
『ふふ、ちょろいわね! さすがは王子様の涙、効果は絶大だこと! でも、本当にあの別荘、手に入るの? 私、すっごく気に入っちゃったのよ。あの薔薇の庭で、あなたとお茶を飲むのが、今の夢だわ』
『もうすぐだよ。アイラは「少し考えさせて」なんて言ってたけど、あれはもう落ちたも同然のサインさ。公爵令嬢としてのプライドがあるから、即答は避けただけだ。優しいからな、アイツは。俺が本気で悲しんでると思ってる』
優しいから。その言葉が、私の胸に深く深く突き刺さった。私の善意と気遣いは、彼らにとっては、ただ利用するための道具でしかなかった。
『早く手に入れて、私の家の借金もなんとかしてちょうだいね。父様も母様も、もう限界だって言ってるんだから』
『分かってるって。公爵家の別荘を一つ手に入れれば、それを担保にいくらでも金は作れる。君の家を助けるくらい、お安い御用さ。そのために、俺は王子の身分を捨ててまで、君を選ぶんだからな』
『愛してるわ、オリバー! あなたこそ、私の本当の王子様よ!』
『ああ、ローズ。俺もだ』
ちゅ、という水っぽい接吻の音がして、水晶玉の光はふっと消えた。
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