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第34話
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(いた……)
会えた。また、会えたんだ。
胸の高鳴りを抑えられない。私は、まるで何かに引き寄せられるように、彼の方へ一歩、足を踏み出した。
彼もまた、私をじっと見つめている。その瞳には、どんな感情が浮かんでいるのだろう。驚き? それとも……。
だが、彼の目に、私が映ったと感じた瞬間。
すっ、と彼の瞳から全ての感情が消え失せた。まるで、能面をかぶったかのように、完璧な無表情に。そして彼は、私から視線を外し、隣の外交官との会話に戻ってしまった。
え……?
何が起こったのか、理解できない。
呆然と立ち尽くす私の元へ、彼の方からゆっくりと歩いてくる。彼の周囲にいた外交官や貴族たちが、彼のために道を開けていく。その様子だけで、彼がただ者ではないことが知れた。
そして、彼は私の目の前で足を止めると、完璧な貴族の礼で、敬意をこめて頭を下げた。
「これは、バランシュナイル公爵令嬢。お初にお目にかかります」
聞こえてきたのは、紛れもなくあの夜と同じ、低く艶のある声。
でも、その声に含まれた響きは、氷のように冷ややかで、他人行儀だった。
「……」
言葉が出ない。混乱で頭が真っ白になる。
彼は、理解できないといった様子で、首をわずかに傾けた。
「お嬢様、どこかでお会いしましたか?」
その言葉に、私は全身の血が引いていくのを感じた。
しらじらしい。あまりにも、しらじらしい。声も、仕草も、目も、何もかもが、あの夜の彼なのに。彼は、仮面舞踏会のことなど、まるでなかったかのように振る舞っている。
どうして。
どうして、そんなことを言うの。
喉まで出かかった言葉を、必死で飲み込む。ここで感情的になるのは、公爵令嬢として許されない。私は唇を噛み締め、ゆっくりと息を吸った。
「……いえ、私の思い違いでしょう。申し訳ありません」
絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。
俯いた私の耳に、彼の落ち着いた声が届く。
「はじめまして。アーヴェル王国より、外交使節団の一員として参りました、カイ・ヴァレントと申します。以後、お見知りおきを」
カイ・ヴァレント。
それが、彼の名前。
顔を上げると、彼は完璧な微笑みを浮かべていた。でも、その瞳の奥には、あの夜と同じ光が、確かに宿っていた。それはまるで、『今は何も言うな』と私に訴えかけているようで。
(どうして……なにも、言わないの?)
聞きたいことは、山ほどある。でも、聞けない。彼の周りを固める人々も、こちらに注目している姉やセドリックの視線も、それを許してはくれなかった。
私はただ、淑女のカーテシーを返すことしかできなかった。
その夜の出来事は、私の心に新たな謎と、そして深い戸惑いを残した。
彼はなぜ、初対面のふりをしたのだろう。
『仮面を脱げたとき』という言葉は、何だったのだろう。
分からないことだらけで、頭が爆発しそうだった。
それからの数日間、私の日常は、カイ・ヴァレントという存在に静かに侵食されていった。
まるで示し合わせたかのように、彼と偶然顔を合わせる機会が、何度も、何度も訪れたのだ。
最初は、王宮の書庫だった。
父に頼まれた資料を探しに訪れた、静寂に包まれた空間。背の高い書棚の、上段に置かれた古い歴史書に手を伸ばした、その時。反対側から、同じ本に向かって伸びてくる、白い手袋に包まれた大きな手があった。
はっとして顔を上げると、書棚の隙間から、彼の透き通るような茶金の瞳が私を見つめていた。
「……ヴァレント様」
「これは、アイラ嬢」
彼は驚いた様子もなく、すっと手を引いた。
「失礼。そちらの本を?」
「あ、いえ……お先にどうぞ」
心臓が、とくとくと音を立てる。二人きりの書庫。時を吸い込んだ本の匂いと、彼のまとったほのかな香りが空気の中で重なり合う。
「この書物、お好きなのですか?」
彼が手に取ったのは、異端とされた古代魔法に関する、難解な研究書だった。目の肥えた読者にだけ選ばれる、誰にでも届くわけではない一冊。
「……ええ。誰にも理解されないような、けれど、一度知ってしまえば心を掴んで離さない。そんな本です」
我ながら、素直じゃない答え方だと思う。でも、嘘ではなかった。
すると彼は、ふっと口元を緩めた。あの晩餐会の夜とは違う、ごく自然な、柔らかい微笑みだった。
会えた。また、会えたんだ。
胸の高鳴りを抑えられない。私は、まるで何かに引き寄せられるように、彼の方へ一歩、足を踏み出した。
彼もまた、私をじっと見つめている。その瞳には、どんな感情が浮かんでいるのだろう。驚き? それとも……。
だが、彼の目に、私が映ったと感じた瞬間。
すっ、と彼の瞳から全ての感情が消え失せた。まるで、能面をかぶったかのように、完璧な無表情に。そして彼は、私から視線を外し、隣の外交官との会話に戻ってしまった。
え……?
何が起こったのか、理解できない。
呆然と立ち尽くす私の元へ、彼の方からゆっくりと歩いてくる。彼の周囲にいた外交官や貴族たちが、彼のために道を開けていく。その様子だけで、彼がただ者ではないことが知れた。
そして、彼は私の目の前で足を止めると、完璧な貴族の礼で、敬意をこめて頭を下げた。
「これは、バランシュナイル公爵令嬢。お初にお目にかかります」
聞こえてきたのは、紛れもなくあの夜と同じ、低く艶のある声。
でも、その声に含まれた響きは、氷のように冷ややかで、他人行儀だった。
「……」
言葉が出ない。混乱で頭が真っ白になる。
彼は、理解できないといった様子で、首をわずかに傾けた。
「お嬢様、どこかでお会いしましたか?」
その言葉に、私は全身の血が引いていくのを感じた。
しらじらしい。あまりにも、しらじらしい。声も、仕草も、目も、何もかもが、あの夜の彼なのに。彼は、仮面舞踏会のことなど、まるでなかったかのように振る舞っている。
どうして。
どうして、そんなことを言うの。
喉まで出かかった言葉を、必死で飲み込む。ここで感情的になるのは、公爵令嬢として許されない。私は唇を噛み締め、ゆっくりと息を吸った。
「……いえ、私の思い違いでしょう。申し訳ありません」
絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。
俯いた私の耳に、彼の落ち着いた声が届く。
「はじめまして。アーヴェル王国より、外交使節団の一員として参りました、カイ・ヴァレントと申します。以後、お見知りおきを」
カイ・ヴァレント。
それが、彼の名前。
顔を上げると、彼は完璧な微笑みを浮かべていた。でも、その瞳の奥には、あの夜と同じ光が、確かに宿っていた。それはまるで、『今は何も言うな』と私に訴えかけているようで。
(どうして……なにも、言わないの?)
聞きたいことは、山ほどある。でも、聞けない。彼の周りを固める人々も、こちらに注目している姉やセドリックの視線も、それを許してはくれなかった。
私はただ、淑女のカーテシーを返すことしかできなかった。
その夜の出来事は、私の心に新たな謎と、そして深い戸惑いを残した。
彼はなぜ、初対面のふりをしたのだろう。
『仮面を脱げたとき』という言葉は、何だったのだろう。
分からないことだらけで、頭が爆発しそうだった。
それからの数日間、私の日常は、カイ・ヴァレントという存在に静かに侵食されていった。
まるで示し合わせたかのように、彼と偶然顔を合わせる機会が、何度も、何度も訪れたのだ。
最初は、王宮の書庫だった。
父に頼まれた資料を探しに訪れた、静寂に包まれた空間。背の高い書棚の、上段に置かれた古い歴史書に手を伸ばした、その時。反対側から、同じ本に向かって伸びてくる、白い手袋に包まれた大きな手があった。
はっとして顔を上げると、書棚の隙間から、彼の透き通るような茶金の瞳が私を見つめていた。
「……ヴァレント様」
「これは、アイラ嬢」
彼は驚いた様子もなく、すっと手を引いた。
「失礼。そちらの本を?」
「あ、いえ……お先にどうぞ」
心臓が、とくとくと音を立てる。二人きりの書庫。時を吸い込んだ本の匂いと、彼のまとったほのかな香りが空気の中で重なり合う。
「この書物、お好きなのですか?」
彼が手に取ったのは、異端とされた古代魔法に関する、難解な研究書だった。目の肥えた読者にだけ選ばれる、誰にでも届くわけではない一冊。
「……ええ。誰にも理解されないような、けれど、一度知ってしまえば心を掴んで離さない。そんな本です」
我ながら、素直じゃない答え方だと思う。でも、嘘ではなかった。
すると彼は、ふっと口元を緩めた。あの晩餐会の夜とは違う、ごく自然な、柔らかい微笑みだった。
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