幼馴染を溺愛する彼へ ~婚約破棄はご自由に~

佐藤 美奈

文字の大きさ
37 / 83

第37話

しおりを挟む
あの日以来、私は公爵邸の自室に閉じこもっていた。
カイ様――カイ殿下は、アーヴェル王国の大使館に運び込まれ、厳重な警備下に置かれているらしい。命に別状はないと風の噂で聞いたけれど、当然、私のような者が面会できるはずもなかった。

父である公爵や、姉のクラリスには『刺客に襲われ、偶然居合わせたヴァレント様に助けられた』とだけ報告した。幸い、それ以上深く詮索されることはなかったけれど、姉の鋭い視線が、何かを問いたげに私を射抜いていたことには、気づいていた。

眠れない夜が続いた。
ベッドに入っても、目を閉じれば、あの夜の光景が映像のように脳裏に浮かぶ。彼の苦しげな表情、私を庇った背中、そして、彼の告白。

どうして、よりによって、あなただったのですか。
どうして、私は、あなたを好きになってしまったのですか。
答えの出ない問いが、胸の中でぐるぐると渦を巻く。
彼がアーヴェル王国の王弟であるという事実。それは、私と彼の間に、決して越えることのできない深い溝を刻んでいた。

私が彼と一緒にいる。それは、バランシュナイル公爵家の娘が、敵国の王族と通じているということ。それは、裏切りだ。スパイだと非難されても、反論できない。

「あなたと一緒にいるだけで、私は敵国の女になるのですね……」

ぽつり、と呟いた言葉が、がらんとした部屋に虚しく響いた。
彼を想う気持ちは、日に日に募るばかりなのに。その想いが、私自身を、そして何より彼を、破滅へと導いてしまうかもしれない。
愛と、公爵令嬢としての責任。その狭間で、私の心は引き裂かれそうだった。

そんな私の苦悩など、まったくあずかり知らぬ場所で、のんきな日常を送っている者たちもいた。
公爵邸の広大な敷地の、一番隅っこにある古い物置小屋。そこが、勘当された元王子オリバーと、男爵令嬢ローズの現在の住処だった。

「おい、ローズ! 今日のスープ、味が薄いぞ!」

「なんですって!? 文句があるなら、あなたが作ってみなさいよ! 毎日毎日、誰のおかげで温かいものが食べられると思ってるの!」

「俺だって、少しは手伝ってやってるだろうが!」

「料理の邪魔ばかりでしょ! 役に立たないなら、召使いとしての仕事に集中してくれない?」

「なんだと!」

物置小屋といっても、そこは公爵邸の物置。雨風はしのげるし、私がお情けで古いベッドや毛布を運び込ませたから、最低限の生活はできている。

二人は相変わらず実家からは勘当されたままで、私の慈悲がなければ、今頃路頭に迷っていただろう。始めの頃は、それこそ喧嘩ばかりしていた。けれど最近は、使用人たちの下働きを手伝ってわずかな小遣いを稼ぎ、二人で慎ましく暮らす術を身につけたようだった。

ローズは、厨房で分けてもらった野菜の切れ端で、それなりに食べられるスープを作れるようになったし、オリバーは、元王子とは思えないほど、力仕事に精を出すようになった。質素な食事も、ひもじかった頃に比べれば天国だ。
監禁されているわけではないから、たまの休日には、そのなけなしの小遣いを握りしめて、二人で街へ出かけることもあった。

その日も、二人は連れ立って王都の市場へ向かっていた。

「ねえ、オリバー。あそこのお店の、赤いリボンが欲しいわ」

「はあ? またリボンかよ。この前買ったばかりだろうが」

「あれは普段使い用! 今日のは、お出かけ用なの! いいでしょ、お願い!」

「ちっ」

ローズがオリバーの腕にまとわりつく。オリバーは舌打ちしながらも、まんざらでもない顔だ。
幼馴染の二人は、今はこんな調子だった。いがみ合い、罵り合い、けれど、決して離れようとはしない。腐れ縁、というやつだろうか。勘当されて二人きりの境遇になってから、その絆は、以前とは少し違う色合いを帯び始めていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹と王子殿下は両想いのようなので、私は身を引かせてもらいます。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるラナシアは、第三王子との婚約を喜んでいた。 民を重んじるというラナシアの考えに彼は同調しており、良き夫婦になれると彼女は考えていたのだ。 しかしその期待は、呆気なく裏切られることになった。 第三王子は心の中では民を見下しており、ラナシアの妹と結託して侯爵家を手に入れようとしていたのである。 婚約者の本性を知ったラナシアは、二人の計画を止めるべく行動を開始した。 そこで彼女は、公爵と平民との間にできた妾の子の公爵令息ジオルトと出会う。 その出自故に第三王子と対立している彼は、ラナシアに協力を申し出てきた。 半ば強引なその申し出をラナシアが受け入れたことで、二人は協力関係となる。 二人は王家や公爵家、侯爵家の協力を取り付けながら、着々と準備を進めた。 その結果、妹と第三王子が計画を実行するよりも前に、ラナシアとジオルトの作戦が始まったのだった。

【完結】私ではなく義妹を選んだ婚約者様

水月 潮
恋愛
セリーヌ・ヴォクレール伯爵令嬢はイアン・クレマン子爵令息と婚約している。 セリーヌは留学から帰国した翌日、イアンからセリーヌと婚約解消して、セリーヌの義妹のミリィと新たに婚約すると告げられる。 セリーヌが外国に短期留学で留守にしている間、彼らは接触し、二人の間には子までいるそうだ。 セリーヌの父もミリィの母もミリィとイアンが婚約することに大賛成で、二人でヴォクレール伯爵家を盛り立てて欲しいとのこと。 お父様、あなたお忘れなの? ヴォクレール伯爵家は亡くなった私のお母様の実家であり、お父様、ひいてはミリィには伯爵家に関する権利なんて何一つないことを。 ※設定は緩いので、物語としてお楽しみ頂けたらと思います ※最終話まで執筆済み 完結保証です *HOTランキング10位↑到達(2021.6.30) 感謝です*.* HOTランキング2位(2021.7.1)

「誰もお前なんか愛さない」と笑われたけど、隣国の王が即プロポーズしてきました

ゆっこ
恋愛
「アンナ・リヴィエール、貴様との婚約は、今日をもって破棄する!」  王城の大広間に響いた声を、私は冷静に見つめていた。  誰よりも愛していた婚約者、レオンハルト王太子が、冷たい笑みを浮かべて私を断罪する。 「お前は地味で、つまらなくて、礼儀ばかりの女だ。華もない。……誰もお前なんか愛さないさ」  笑い声が響く。  取り巻きの令嬢たちが、まるで待っていたかのように口元を隠して嘲笑した。  胸が痛んだ。  けれど涙は出なかった。もう、心が乾いていたからだ。

捨てた私をもう一度拾うおつもりですか?

ミィタソ
恋愛
「みんな聞いてくれ! 今日をもって、エルザ・ローグアシュタルとの婚約を破棄する! そして、その妹——アイリス・ローグアシュタルと正式に婚約することを決めた! 今日という祝いの日に、みんなに伝えることができ、嬉しく思う……」 ローグアシュタル公爵家の長女――エルザは、マクーン・ザルカンド王子の誕生日記念パーティーで婚約破棄を言い渡される。 それどころか、王子の横には舌を出して笑うエルザの妹――アイリスの姿が。 傷心を癒すため、父親の勧めで隣国へ行くのだが……

【完結】私に可愛げが無くなったから、離縁して使用人として雇いたい? 王妃修行で自立した私は離縁だけさせてもらいます。

西東友一
恋愛
私も始めは世間知らずの無垢な少女でした。 それをレオナード王子は可愛いと言って大層可愛がってくださいました。 大した家柄でもない貴族の私を娶っていただいた時には天にも昇る想いでした。 だから、貴方様をお慕いしていた私は王妃としてこの国をよくしようと礼儀作法から始まり、国政に関わることまで勉強し、全てを把握するよう努めてまいりました。それも、貴方様と私の未来のため。 ・・・なのに。 貴方様は、愛人と床を一緒にするようになりました。 貴方様に理由を聞いたら、「可愛げが無くなったのが悪い」ですって? 愛がない結婚生活などいりませんので、離縁させていただきます。 そう、申し上げたら貴方様は―――

婚約破棄にはなりました。が、それはあなたの「ため」じゃなく、あなたの「せい」です。

百谷シカ
恋愛
「君がふしだらなせいだろう。当然、この婚約は破棄させてもらう」 私はシェルヴェン伯爵令嬢ルート・ユングクヴィスト。 この通りリンドホルム伯爵エドガー・メシュヴィツに婚約破棄された。 でも、決して私はふしだらなんかじゃない。 濡れ衣だ。 私はある人物につきまとわれている。 イスフェルト侯爵令息フィリップ・ビルト。 彼は私に一方的な好意を寄せ、この半年、あらゆる接触をしてきた。 「君と出会い、恋に落ちた。これは運命だ! 君もそう思うよね?」 「おやめください。私には婚約者がいます……!」 「関係ない! その男じゃなく、僕こそが君の愛すべき人だよ!」 愛していると、彼は言う。 これは運命なんだと、彼は言う。 そして運命は、私の未来を破壊した。 「さあ! 今こそ結婚しよう!!」 「いや……っ!!」 誰も助けてくれない。 父と兄はフィリップ卿から逃れるため、私を修道院に入れると決めた。 そんなある日。 思いがけない求婚が舞い込んでくる。 「便宜上の結婚だ。私の妻となれば、奴も手出しできないだろう」 ランデル公爵ゴトフリート閣下。 彼は愛情も跡継ぎも求めず、ただ人助けのために私を妻にした。 これは形だけの結婚に、ゆっくりと愛が育まれていく物語。

「役立たず」と婚約破棄されたけれど、私の価値に気づいたのは国中であなた一人だけでしたね?

ゆっこ
恋愛
「――リリアーヌ、お前との婚約は今日限りで破棄する」  王城の謁見の間。高い天井に声が響いた。  そう告げたのは、私の婚約者である第二王子アレクシス殿下だった。  周囲の貴族たちがくすくすと笑うのが聞こえる。彼らは、殿下の隣に寄り添う美しい茶髪の令嬢――伯爵令嬢ミリアが勝ち誇ったように微笑んでいるのを見て、もうすべてを察していた。 「理由は……何でしょうか?」  私は静かに問う。

幼馴染と仲良くし過ぎている婚約者とは婚約破棄したい!

ルイス
恋愛
ダイダロス王国の侯爵令嬢であるエレナは、リグリット公爵令息と婚約をしていた。 同じ18歳ということで話も合い、仲睦まじいカップルだったが……。 そこに現れたリグリットの幼馴染の伯爵令嬢の存在。リグリットは幼馴染を優先し始める。 あまりにも度が過ぎるので、エレナは不満を口にするが……リグリットは今までの優しい彼からは豹変し、権力にものを言わせ、エレナを束縛し始めた。 「婚約破棄なんてしたら、どうなるか分かっているな?」 その時、エレナは分かってしまったのだ。リグリットは自分の侯爵令嬢の地位だけにしか興味がないことを……。 そんな彼女の前に現れたのは、幼馴染のヨハン王子殿下だった。エレナの状況を理解し、ヨハンは動いてくれることを約束してくれる。 正式な婚約破棄の申し出をするエレナに対し、激怒するリグリットだったが……。

処理中です...