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第46話
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「どうしたの? 坊や」
私が優しく声をかけると、男の子はびくりと肩を震わせ、大きな瞳に涙を溜めて私たちを見上げた。
「おかあしゃまが、いなくなっちゃった……」
ぽろぽろと大粒の涙をこぼす姿に、胸が締め付けられる。私がどうしようかと戸惑っていると、カイ様がすっと男の子の前に膝をついた。その目線は、完全に子供の高さに合わせられている。
「そうか、お母様とはぐれちゃったんだね。大丈夫、きっとすぐに見つかるよ」
カイ様は、先ほど買ったばかりの白馬の飴細工を、男の子の目の前に差し出した。
「ほら、これは魔法の白馬だ。これを持っていると、勇気が湧いてくる。君が泣き止んで、格好いい騎士様みたいにここで待っていれば、お母様は必ず君を見つけてくれるはずだ」
その声は、まるで魔法みたいに優しくて、穏やかだった。男の子は最初、驚いたようにカイ様と飴細工を交互に見ていたけれど、やがてしゃくりあげながらもこくこくと頷き、小さな手でそれを受け取った。
「……うん」
「えらいぞ。さあ、涙を拭いて。立派な騎士は、涙を見せないものだ」
カイ様が懐から取り出した清潔なハンカチで優しく涙を拭ってやると、男の子の表情が少しだけ和らいだ。その様子を見ていた私の心も、あたたかいもので満たされていく。この人は、本当に素敵な人だ。王弟という身分でありながら、誰に対しても分け隔てなく、自然に優しさを差し伸べることができる。
「フィリップ!」
やがて、血相を変えた婦人が叫びながら、こちらへ走ってくるのが見えた。男の子のお母さんだ。
「この度は、息子がご迷惑を……」
「いえ、お気になさらず。無事にお会いできて何よりです」
婦人に深々と頭を下げられても、カイ様はにこやかにそう言う。私たちは、手を繋いで去っていく親子の後ろ姿を、しばらく黙って見送っていた。
「カイ様は、本当に優しいのですね」
「アイラが隣にいてくれるから。アイラの優しさが、俺にも伝染するんだ」
彼の、そんな思わず心が傾く一言を、私は照れ隠しに、手の中の青い蝶に視線を落とす。幸せな時間。永遠にこのままでいたいと願った、その時だった。
――次の瞬間、カイ様の動きがぴたりと止まった。
握られていた私の手に、かすかに力がこもる。さっきまでの柔らかな温かさはどこかへ消え、氷のような冷たさが伝わってきた。
「……!」
何事かとカイ様の目線を追うと、そこに、ひとりの女性が立っていた。
並木道の向こう側。人混みの中で、彼女だけが別の空気を身にまとっているようだった。
艶やかな黒髪。透きとおるように澄んだ、ひすいの目に、心を吸い込まれそうになる。洗練された立ち居振る舞いは、明らかに上流階級のそれだ。美しい人だった。けれど、その美しさには、刃のように研ぎ澄まされた強さがあり、見る者の心をそっと貫いた。
そして、その女が、風に溶けるような声でそっとつぶやいた。
「……カイ?」
沈黙。
世界から、音が消えたみたいだった。
カイ様の顔から、一瞬にして笑顔が消える。さっきまでの春の日差しのような微笑みは嘘のように、今は真冬の湖面のような静けさと、見たこともないほどの深い苦悩が浮かんでいた。
その人は、それ以上何も言わなかった。ただ、じっとカイ様を見つめ、何かを確かめるように小さく頷くと、すっと背を向けて人混みの中へと消えていった。幻だったかのように。
嵐が過ぎ去ったあとのような静寂の中で、私はただ、カイ様の横顔を見つめることしかできなかった。彼の瞳は、もう私を見ていなかった。現実のこちら側にはいないかのように、虚ろな視線を宙に漂わせていた。
私が優しく声をかけると、男の子はびくりと肩を震わせ、大きな瞳に涙を溜めて私たちを見上げた。
「おかあしゃまが、いなくなっちゃった……」
ぽろぽろと大粒の涙をこぼす姿に、胸が締め付けられる。私がどうしようかと戸惑っていると、カイ様がすっと男の子の前に膝をついた。その目線は、完全に子供の高さに合わせられている。
「そうか、お母様とはぐれちゃったんだね。大丈夫、きっとすぐに見つかるよ」
カイ様は、先ほど買ったばかりの白馬の飴細工を、男の子の目の前に差し出した。
「ほら、これは魔法の白馬だ。これを持っていると、勇気が湧いてくる。君が泣き止んで、格好いい騎士様みたいにここで待っていれば、お母様は必ず君を見つけてくれるはずだ」
その声は、まるで魔法みたいに優しくて、穏やかだった。男の子は最初、驚いたようにカイ様と飴細工を交互に見ていたけれど、やがてしゃくりあげながらもこくこくと頷き、小さな手でそれを受け取った。
「……うん」
「えらいぞ。さあ、涙を拭いて。立派な騎士は、涙を見せないものだ」
カイ様が懐から取り出した清潔なハンカチで優しく涙を拭ってやると、男の子の表情が少しだけ和らいだ。その様子を見ていた私の心も、あたたかいもので満たされていく。この人は、本当に素敵な人だ。王弟という身分でありながら、誰に対しても分け隔てなく、自然に優しさを差し伸べることができる。
「フィリップ!」
やがて、血相を変えた婦人が叫びながら、こちらへ走ってくるのが見えた。男の子のお母さんだ。
「この度は、息子がご迷惑を……」
「いえ、お気になさらず。無事にお会いできて何よりです」
婦人に深々と頭を下げられても、カイ様はにこやかにそう言う。私たちは、手を繋いで去っていく親子の後ろ姿を、しばらく黙って見送っていた。
「カイ様は、本当に優しいのですね」
「アイラが隣にいてくれるから。アイラの優しさが、俺にも伝染するんだ」
彼の、そんな思わず心が傾く一言を、私は照れ隠しに、手の中の青い蝶に視線を落とす。幸せな時間。永遠にこのままでいたいと願った、その時だった。
――次の瞬間、カイ様の動きがぴたりと止まった。
握られていた私の手に、かすかに力がこもる。さっきまでの柔らかな温かさはどこかへ消え、氷のような冷たさが伝わってきた。
「……!」
何事かとカイ様の目線を追うと、そこに、ひとりの女性が立っていた。
並木道の向こう側。人混みの中で、彼女だけが別の空気を身にまとっているようだった。
艶やかな黒髪。透きとおるように澄んだ、ひすいの目に、心を吸い込まれそうになる。洗練された立ち居振る舞いは、明らかに上流階級のそれだ。美しい人だった。けれど、その美しさには、刃のように研ぎ澄まされた強さがあり、見る者の心をそっと貫いた。
そして、その女が、風に溶けるような声でそっとつぶやいた。
「……カイ?」
沈黙。
世界から、音が消えたみたいだった。
カイ様の顔から、一瞬にして笑顔が消える。さっきまでの春の日差しのような微笑みは嘘のように、今は真冬の湖面のような静けさと、見たこともないほどの深い苦悩が浮かんでいた。
その人は、それ以上何も言わなかった。ただ、じっとカイ様を見つめ、何かを確かめるように小さく頷くと、すっと背を向けて人混みの中へと消えていった。幻だったかのように。
嵐が過ぎ去ったあとのような静寂の中で、私はただ、カイ様の横顔を見つめることしかできなかった。彼の瞳は、もう私を見ていなかった。現実のこちら側にはいないかのように、虚ろな視線を宙に漂わせていた。
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