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第50話
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バルコニーの冷たい大理石の手すりを、私は強く握りしめた。爪が白くなるほどの力で。そうでもしないと、目の前に立つ強敵の圧力に、心が押し潰されてしまいそうだったから。
「あなたに、彼を渡すつもりはありません」
私が絞り出した宣戦布告に、リディア――カイ様のかつての婚約者は、美しい唇の端を吊り上げて、完璧な笑みを作った。それは、私をあざ笑うかのような、絶対的な自信に満ちた笑みだった。
「威勢のいいお嬢さんね。でも、愛は言葉の数で決まるものじゃないわ」
「……ええ、存じています。行動で示すものですよね。だからこそ、彼を裏切ったあなたに、彼を愛する資格があるとは思えません」
「資格、ね。面白いことを言うわ。私は、彼の光も、そして彼の深い闇も知っている。任務とはいえ、彼の隣で、彼のすべてを見てきた。あなたのような、陽の光の中だけで生きてきたお嬢様に、カイの本当の苦しみが、心の傷が、どれほどのものか分かるのかしら?」
ぐさ、と心に見えない棘が突き刺さる。その通りだった。私は、カイ様の過去のほんの一部を、彼自身の口から聞いただけ。彼がリディアと過ごした日々の濃密さも、裏切られた瞬間の絶望の深さも、本当の意味では理解できていないのかもしれない。
私の表情に浮かんだ一瞬の揺らぎを、リディアは見逃さなかった。
「ほらね。あなたには分からないのよ。カイを癒すことなんてできない。本当の意味で彼を救えるのは、彼を絶望させた原因である、私だけなのだから」
なんて、傲慢なのだろう。けれど、その言葉には奇妙な説得力があって、私の心をじわじわと蝕んでいく。悔しい。腹が立つ。でも、怖い。彼女の言う通りになってしまったら、どうしよう。カイ様が、私ではなく、彼女を選んでしまったら……。
私が言葉に詰まっていると、沈黙を保っていたカイ様が、静かに一歩前に出た。そして、私の震える手を、彼自身の大きく温かい手で包み込んでくれた。
「リディア」
カイ様の声は、低くて心に響き、厳しさを含んだ力強さが感じられた。
「君の言う通りかもしれない。君は、私の光も闇も知っているだろう。だが、君はその闇を、君自身の手で作り出したんだ」
「……カイ」
「もう、終わったことだ。君との過去を、私は否定しない。あの頃の私が、君を愛していたことも事実だ。だが、それはもう、過去の話なんだ」
カイ様は、私を安心させるように、繋いだ手にきゅっと力を込める。その温かさが、私の凍えそうな心にじんわりと染み渡っていく。
「今の私には、アイラがいる。彼女は、私の新しい光だ。君が作った闇の中で静かに膝を抱えていた私を、その手で引っ張り出してくれた、たった一人の……大切な人だ。だから、もう私の前に現れないでくれ」
それは、決然とした拒絶の言葉だった。リディアの完璧な微笑みが、初めてかすかに揺らぐ。彼女の緑色の瞳が、信じられないというように、カイ様と私を交互に見た。
「……そう。今のあなたは、そうなのね」
リディアは、何かを諦めたように小さく息を吐くと、私たちに背を向けた。
「でも、覚えておいて、カイ。光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるものよ。そのお嬢さんがもたらす光が、いつかあなた自身を焼くことになるかもしれないわ」
不吉な予言のような言葉を残して、彼女は再び闇の中へと溶けるように消えていった。後に残されたのは、気まずい沈黙と、私の胸を締め付ける不安の名残だけだった。
「あなたに、彼を渡すつもりはありません」
私が絞り出した宣戦布告に、リディア――カイ様のかつての婚約者は、美しい唇の端を吊り上げて、完璧な笑みを作った。それは、私をあざ笑うかのような、絶対的な自信に満ちた笑みだった。
「威勢のいいお嬢さんね。でも、愛は言葉の数で決まるものじゃないわ」
「……ええ、存じています。行動で示すものですよね。だからこそ、彼を裏切ったあなたに、彼を愛する資格があるとは思えません」
「資格、ね。面白いことを言うわ。私は、彼の光も、そして彼の深い闇も知っている。任務とはいえ、彼の隣で、彼のすべてを見てきた。あなたのような、陽の光の中だけで生きてきたお嬢様に、カイの本当の苦しみが、心の傷が、どれほどのものか分かるのかしら?」
ぐさ、と心に見えない棘が突き刺さる。その通りだった。私は、カイ様の過去のほんの一部を、彼自身の口から聞いただけ。彼がリディアと過ごした日々の濃密さも、裏切られた瞬間の絶望の深さも、本当の意味では理解できていないのかもしれない。
私の表情に浮かんだ一瞬の揺らぎを、リディアは見逃さなかった。
「ほらね。あなたには分からないのよ。カイを癒すことなんてできない。本当の意味で彼を救えるのは、彼を絶望させた原因である、私だけなのだから」
なんて、傲慢なのだろう。けれど、その言葉には奇妙な説得力があって、私の心をじわじわと蝕んでいく。悔しい。腹が立つ。でも、怖い。彼女の言う通りになってしまったら、どうしよう。カイ様が、私ではなく、彼女を選んでしまったら……。
私が言葉に詰まっていると、沈黙を保っていたカイ様が、静かに一歩前に出た。そして、私の震える手を、彼自身の大きく温かい手で包み込んでくれた。
「リディア」
カイ様の声は、低くて心に響き、厳しさを含んだ力強さが感じられた。
「君の言う通りかもしれない。君は、私の光も闇も知っているだろう。だが、君はその闇を、君自身の手で作り出したんだ」
「……カイ」
「もう、終わったことだ。君との過去を、私は否定しない。あの頃の私が、君を愛していたことも事実だ。だが、それはもう、過去の話なんだ」
カイ様は、私を安心させるように、繋いだ手にきゅっと力を込める。その温かさが、私の凍えそうな心にじんわりと染み渡っていく。
「今の私には、アイラがいる。彼女は、私の新しい光だ。君が作った闇の中で静かに膝を抱えていた私を、その手で引っ張り出してくれた、たった一人の……大切な人だ。だから、もう私の前に現れないでくれ」
それは、決然とした拒絶の言葉だった。リディアの完璧な微笑みが、初めてかすかに揺らぐ。彼女の緑色の瞳が、信じられないというように、カイ様と私を交互に見た。
「……そう。今のあなたは、そうなのね」
リディアは、何かを諦めたように小さく息を吐くと、私たちに背を向けた。
「でも、覚えておいて、カイ。光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるものよ。そのお嬢さんがもたらす光が、いつかあなた自身を焼くことになるかもしれないわ」
不吉な予言のような言葉を残して、彼女は再び闇の中へと溶けるように消えていった。後に残されたのは、気まずい沈黙と、私の胸を締め付ける不安の名残だけだった。
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