幼馴染を溺愛する彼へ ~婚約破棄はご自由に~

佐藤 美奈

文字の大きさ
50 / 83

第50話

しおりを挟む
バルコニーの冷たい大理石の手すりを、私は強く握りしめた。爪が白くなるほどの力で。そうでもしないと、目の前に立つ強敵の圧力に、心が押し潰されてしまいそうだったから。

「あなたに、彼を渡すつもりはありません」

私が絞り出した宣戦布告に、リディア――カイ様のかつての婚約者は、美しい唇の端を吊り上げて、完璧な笑みを作った。それは、私をあざ笑うかのような、絶対的な自信に満ちた笑みだった。

「威勢のいいお嬢さんね。でも、愛は言葉の数で決まるものじゃないわ」

「……ええ、存じています。行動で示すものですよね。だからこそ、彼を裏切ったあなたに、彼を愛する資格があるとは思えません」

「資格、ね。面白いことを言うわ。私は、彼の光も、そして彼の深い闇も知っている。任務とはいえ、彼の隣で、彼のすべてを見てきた。あなたのような、陽の光の中だけで生きてきたお嬢様に、カイの本当の苦しみが、心の傷が、どれほどのものか分かるのかしら?」

ぐさ、と心に見えない棘が突き刺さる。その通りだった。私は、カイ様の過去のほんの一部を、彼自身の口から聞いただけ。彼がリディアと過ごした日々の濃密さも、裏切られた瞬間の絶望の深さも、本当の意味では理解できていないのかもしれない。

私の表情に浮かんだ一瞬の揺らぎを、リディアは見逃さなかった。

「ほらね。あなたには分からないのよ。カイを癒すことなんてできない。本当の意味で彼を救えるのは、彼を絶望させたである、私だけなのだから」

なんて、傲慢なのだろう。けれど、その言葉には奇妙な説得力があって、私の心をじわじわと蝕んでいく。悔しい。腹が立つ。でも、怖い。彼女の言う通りになってしまったら、どうしよう。カイ様が、私ではなく、彼女を選んでしまったら……。

私が言葉に詰まっていると、沈黙を保っていたカイ様が、静かに一歩前に出た。そして、私の震える手を、彼自身の大きく温かい手で包み込んでくれた。

「リディア」

カイ様の声は、低くて心に響き、厳しさを含んだ力強さが感じられた。

「君の言う通りかもしれない。君は、私の光も闇も知っているだろう。だが、君はその闇を、君自身の手で作り出したんだ」

「……カイ」

「もう、終わったことだ。君との過去を、私は否定しない。あの頃の私が、君を愛していたことも事実だ。だが、それはもう、過去の話なんだ」

カイ様は、私を安心させるように、繋いだ手にきゅっと力を込める。その温かさが、私の凍えそうな心にじんわりと染み渡っていく。

「今の私には、アイラがいる。彼女は、私の新しい光だ。君が作った闇の中で静かに膝を抱えていた私を、その手で引っ張り出してくれた、たった一人の……大切な人だ。だから、もう私の前に現れないでくれ」

それは、決然とした拒絶の言葉だった。リディアの完璧な微笑みが、初めてかすかに揺らぐ。彼女の緑色の瞳が、信じられないというように、カイ様と私を交互に見た。

「……そう。今のあなたは、そうなのね」

リディアは、何かを諦めたように小さく息を吐くと、私たちに背を向けた。

「でも、覚えておいて、カイ。光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるものよ。そのお嬢さんがもたらす光が、いつかあなた自身を焼くことになるかもしれないわ」

不吉な予言のような言葉を残して、彼女は再び闇の中へと溶けるように消えていった。後に残されたのは、気まずい沈黙と、私の胸を締め付ける不安の名残だけだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです

藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。 ――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。 妹は父の愛人の子。 身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、 彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。 婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、 当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。 一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。 だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。 これは、誰かが罰した物語ではない。 ただ、選んだ道の先にあった現実の話。 覚悟のなかった婚約者が、 自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。

裏切ったのはあなたですよね?─湖に沈められ記憶を失った私は、大公女として返り咲き幸せを掴みます

nanahi
恋愛
婚約者ウィルとその幼馴染ベティに罠にはめられ、湖へ沈められた伯爵令嬢アミアン。一命を取り留め、公女として生まれ変わった彼女が見たのは、裏切り者の幸せな家庭だった。 アミアンは絶望を乗り越え、第二の人生を歩む決意をする。いまだ国に影響力を持つ先の王弟の大公女として、輝くほど磨き上げられていったアミアンに再会したウィルは激しく後悔するが、今更遅かった。 全ての記憶を取り戻したアミアンは、ついに二人の悪事を断罪する。

夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。 だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。 失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。 どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。 「悪女に、遠慮はいらない」 そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。 「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。  王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」 愛も、誇りも奪われたなら── 今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。 裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス! ⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。

婚約破棄はまだですか?─豊穣をもたらす伝説の公爵令嬢に転生したけど、王太子がなかなか婚約破棄してこない

nanahi
恋愛
火事のあと、私は王太子の婚約者:シンシア・ウォーレンに転生した。王国に豊穣をもたらすという伝説の黒髪黒眼の公爵令嬢だ。王太子は婚約者の私がいながら、男爵令嬢ケリーを愛していた。「王太子から婚約破棄されるパターンね」…私はつらい前世から解放された喜びから、破棄を進んで受け入れようと自由に振る舞っていた。ところが王太子はなかなか破棄を告げてこなくて…?

幼馴染に夢中の夫を捨てた貴婦人は、王太子に熱愛される

Narian
恋愛
アイリスの夫ロイは、新婚の頃から金髪の愛らしい幼馴染・フローラに夢中で、妻には見向きもしなかった。 夫からは蔑ろにされ、夫の両親からは罵られ、フローラからは見下される日々。そしてアイリスは、ついに決意する。 「それほど幼馴染が大切なら、どうぞご自由に。私は出て行って差し上げます」 これは、虐げられた主人公が、過去を断ち切り幸せを掴む物語。 ※19話完結。 毎日夜9時ごろに投稿予定です。朝に投稿することも。お気に入り登録していただけたら嬉しいです♪

【完結】私と婚約破棄して恋人と結婚する? ならば即刻我が家から出ていって頂きます

水月 潮
恋愛
ソフィア・リシャール侯爵令嬢にはビクター・ダリオ子爵令息という婚約者がいる。 ビクターは両親が亡くなっており、ダリオ子爵家は早々にビクターの叔父に乗っ取られていた。 ソフィアの母とビクターの母は友人で、彼女が生前書いた”ビクターのことを託す”手紙が届き、亡き友人の願いによりソフィアの母はビクターを引き取り、ソフィアの婚約者にすることにした。 しかし、ソフィアとビクターの結婚式の三ヶ月前、ビクターはブリジット・サルー男爵令嬢をリシャール侯爵邸に連れてきて、彼女と結婚するからソフィアと婚約破棄すると告げる。 ※設定は緩いです。物語としてお楽しみ頂けたらと思います。 *HOTランキング1位到達(2021.8.17) ありがとうございます(*≧∀≦*)

捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来

鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」 婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。 王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。 アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。 だが、彼女は決して屈しない。 「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」 そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。 ――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。 彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」

王命により、婚約破棄されました。

緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。

処理中です...