幼馴染を溺愛する彼へ ~婚約破棄はご自由に~

佐藤 美奈

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第56話

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「……ええ、分かりませんわ。あなたのおっしゃる通り、そんな気持ち、私には分かりません。誰かを裏切ってまで貫く愛なんて、私には理解できない。でも、一つだけ分かることがあります。私は今、彼の隣にいる。私が彼を笑顔にしている。過去に彼を泣かせたあなたと違って、私は、彼に笑っていてほしいんです。だから、絶対に、あなたに彼を譲ることはできません」

私は、ためらうことなく、はっきりと自分の意思を口にした。それがどんな結果をもたらすかは、この際問題ではなかった。

私の言葉に、リディアは一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、次の瞬間には、またあの冷ややかな笑みを浮かべて目を細める。

「……強いのね。思っていたよりも、ずっと。カイが好きになりそうなタイプだわ」
「……っ」
「でも、残念ね。彼の心は、そんなに単純じゃない。彼は、優しいから。心の底では、私を憎み切れていないはずよ。本気で私に助けを求められたら……彼は、私を拒めないかもしれないわよ?」

それは、理性に揺さぶりをかける静かな囁きだった。
カイ様の誠実さを、私は誰よりも理解している。困っている相手を見過ごせない。あの人らしい優しさと危うさ。

すべてを失ったリディアがその優しさにすがりついたなら──彼は、それを拒めるだろうか?

(しっかりするのよ、アイラ。あのとき、信じようって決めたじゃない)

心の中でそう言い聞かせながら、私は震える指先をドレスの陰で固く握った。
爪が掌に食い込み、じんと痛みが走る。その痛みが、かえって心をまっすぐに保ってくれる気がした。

「それでも、彼は私を選びます。私は、カイ様を信じていますから」

不動の態度で言い放った私を見て、リディアは心底面白そうに笑った。その笑いには、私がどんな強さを見せるのかを見守るような、ある種の余裕と興味が感じられた。

「信じる、ね。愛と同じくらい、脆くて儚い言葉だわ……まあ、いいでしょう。あなたのその自信が、いつまで続くか、楽しみに見物させてもらうことにするわ」

彼女はそう言うと、ひらりと身をかわし、夜の闇へと再び消えていった。
一人残された私は、足元がふらつき、倒れそうになるのを必死に堪えながら、その場に立ち尽くしていた。体中から力が抜け、すべての感覚が遠のいていくような気がした。

勝ったわけではない。ただ、これは新たな戦いの始まりに過ぎないのだと、自分に言い聞かせる。それでも、冷たく感じる手をぎゅっと握りしめ、カイ様が待つ王城へと向かって歩き出す。その足取りは重く、身体に負担を感じながらも、私は迷わず前へ進み続けた。



時計塔での一件以来、私の心は落ち着かなかった。
カイ様に内緒でリディアに会ったという罪悪感。そして、彼女が放った『彼は私を拒めない』という言葉が、呪いのように頭から離れない。

カイ様は、そんな私の微妙な変化に気づいているようだった。

「アイラ、何か悩み事でもあるのか? 顔色が優れないようだが」
「い、いえ! 何でもありませんわ!」

私は、必死に笑顔を作って取り繕う。でも、きっとその笑顔は、ひどくぎこちなかったに違いない。彼に、本当のことを話すべきだろうか。でも、話してしまったら、彼を余計に悩ませてしまうだけではないか。リディアの存在が、私たちの間にまた暗い影を落とすのが怖かった。

結局、私は何も言えないまま、一人で不安を抱え込むことしかできなかった。
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